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ミルクティー

作者: 大希

 ミツルの車で家へ帰る途中だった。

「あ、事故かな。」

 普段渋滞しない道が赤くブレーキランプでいっぱいになっていた。

「そう言って皆が見るから渋滞になるらしいよ。」

「ふーん。」

 いつもの回答に私は興味なく答える。

 助手席の窓から現場へ向かう野次馬の数が増えていくのが見える。

 中には車を停めて降りて行く人達もいる。

「あ、」

 そう言うとミツルがブレーキを踏んだ。

 ハザードランプをつける。

 まさか、あなたまで野次馬になるつもりなのかと思った。

「遼子。」

 ミツルの口から出た言葉の意外さに驚いてしまった。

 彼の視線の先を見ると、道端に確かに遼子の姿があった。

「ちょっと見てくる。」

 ミツルが車を降りる。

 ハザードランプの音が心臓の音と重なる。

 でも、すぐにズレる。

 正確なリズムを打ち続けるこの音は昔から苦手だった。

 

 遼子はミツルの元カノである。

 私も遼子とは面識があり、当時二人は仲の良いカップルで有名だった。

 もちろん、すべて承知の上でミツルと付き合っている。

 しばらくすると、救急車とパトカーの赤い光の映像と、車内に響くハザードの音で息苦しくなった。

 私は車から降りた。

 道路は野次馬で埋め尽くされていた。

 すると遼子の腕を抱えたミツルが戻ってきた。

「気分悪くなったって。送ってくわ。」

 そう言うと遼子を後部座席に乗せた。

 一度だけ私の方へ振り返る。

 お前も乗れよとそんな風に言うかのように。

「私いいや。近いし歩いて帰る。」

 目を見て言う。

 少しの沈黙があって、

「あ、そ。じゃあな。」

 バタンとドアの閉まる音に続いてエンジンの音がいっそう大きく聞こえた。

 そして車は立ち去った。

 あの苦手な音も消えた。

 振り返ってみる。

 車は止まることなく進んでいた。

 本当に行ってしまった。

 一人歩道を歩き始める。


 何か言って欲しかったわけではない。

 私も何か言いたかったわけではない。

 私達はもうそういう間柄なのだから。



「はるか?」

 野次馬の中から突然呼ばれた。

 声の主を探すとそこには祐志がいた。

「祐志、うわ、びっくりした〜。」

「事故見に来たん?」

「なんだ、祐志も野次馬なの。」

 自然と笑顔が戻る。

「あ、祐志一緒に帰ろ。」

「いいけど車だよ。」

「わーい、送ってって。」

 久しぶりの再開につい無邪気にはしゃいでいる自分がいる。

 背が伸び、落ち着いた感じの私服姿に大人を感じる。

「わー、黒のビートル!」

「いいな〜、かっこいい。」

 祐志の車にドアロックが解除される。

「前?後ろ?」

「どっちでも。」

 いちおう・・・ね。

 聞いてみた私に対して笑みを浮かべて答える祐志。

「じゃあ、おじゃましまーす。」

 そう言うと助手席のドアを開ける。

 重量感のある引き戸に満足する。

「えへへ。」

「ビートル、小さい頃から欲しかった車なんだよね。」

 笑顔がとまらない。

「そうだっけ?」

 ビートルが動き出す。

「何年ぶりだ?」

「成人式以来じゃないかな?」

「六年か・・・」


 祐志は中学の時、少しだけ付き合ったことがある。

 といっても中学生の恋愛だから一緒に帰ったり遊びに行ったりしたくらい。

 それでも、数年ぶりに再会した偶然に嬉しさは隠せなかった。

 助手席から祐志の横顔を見る。

 顎のラインがすっきりしている。

 昔より痩せてシャープな感じ。

 懐かしさになんだか恥ずかしくもあり、歯がゆさもあり・・・

 でもやっぱり会えたことが嬉しい。



 だが、あっという間に終わってしまった。

 ビートルが停まる。

 あの苦手なハザードの音はしていない。

 なぜなら祐志の家の前だったからだ。

「あれ、祐志んち。」

「俺、はるかんち知らないもん。」

 そう言いながらビートルを降りる。

 バタンと重量感のあるドアが閉められる。

「そっか、そうだったよね。」

 そういえば、祐志はうちに来たことはなかったのだっけ。

 道案内もせず当たり前のように助手席に乗っていた自分が少し恥ずかしい。

「じゃあ歩いて帰るわ。ありがとう。」

「寄ってけば?」

 歩いて帰る決心をした私に、意外な提案が飛び込んできた。

 時計を見ると四時半だった。

 帰るにはまだ早いし、まあいいか。

 そんな軽い気持ちで提案にのった。


「おじゃましまーす。」

 リビングに通された。

 中学の頃一度だけ遊びに来たことがある。

 その頃の記憶を辿るが思い出すことは難しかった。

 どこかから涼しい風が通り抜ける。

 確か祐志は両親と妹さんがいたはず。

 留守のようだった。

「紅茶でいい?」

「うん、ありがと。」

 ダイニングに立つ祐志の後姿になぜか目が離せない。

 広い肩幅、スラっと伸びた手足。

 ジャケットを脱いだ祐志の体を意識してしまう。

 綺麗な骨格。

 大人になった祐志がそこにいた。

 こんな噂話を思い出した。

「そういえば、祐志県庁に入ったのね。」

「ん?ああ。」

 紅茶を運んできた祐志は照れくさそうに答えた。

「やっぱりね、祐志なら入れると思っていたよ。昔から頭良かったものね。」

 砂糖とミルクを入れ、ティースプーンで混ぜる。

 色の変化や模様が出来るこの瞬間が私は好きだ。

 いつかこの話をミツルとしたことがある。

 冷たい紅茶と温かい紅茶とではミルクの溶け方が違う。

 と、模様を描くだけのために、ドリンクバーで何度もお替りをしたことを思い出した。

 渦巻きの方向を変えてみたり、クローバーの形を描いてみたり。

 ガムシロとミルクの対比を考えてみたり・・・



「君のお父さんからしたら俺なんてまだまだだろうけどね。」

「なーんだ、知ってたの。」

 種明かしを簡単にやってのけた祐志に少し不満そうな表情をしていると、より祐志の表情は和らいだ。

 綺麗な笑顔。

 父から祐志の県庁入りを聞かされたのは去年のことだった。

 昔から父は祐志の父とも仲が良く、同学年に生まれた子供達を自慢し合っていた。

 もちろん父は私が祐志を好きだったことは知らない。

 でも・・・

 もし祐志と結婚したら、父は喜んだかもしれない。

 昔から祐志のことを気に入っていて、確かに比べられたりもしたけれど、祐志が県庁入りした事は嬉しそうに語ってくれたのだ。

 自分の息子のように。

 もし、祐志と一緒にいられたら、ビートルに乗ってショッピングに行ったり海へ行ったりデートできるかもしれない。

 父と一緒に食事をして、母も気に入ってくれるだろう。

 祐志はきっと優しく接してくれて、幸せになれるかもしれない。

 もし、祐志と・・・


 私は何を考えているのだろう。

 だいたい祐志にだって選ぶ権利というものがある。

 確かに中学の時は両思いだったと思うけど、今になってはありえないことだよね。

 それに中学を卒業してから全然会っていなかった。

 高校、大学、大学院を出て、と学歴なら父から聞いている。

 でも、祐志の姿はそこにはない。

 あれから、何をして、何を思い、何を得てきたのか、

 どんな女性を想って、どんな恋愛をしてきたのか、そんなの全く知らない。

 祐志だって私のことなど何も知らない。



「はるかは?」

「えっ?」

「今何やってんの?」

「あ、うん・・・保育士。」

「へぇー、意外だな。」

「ちゃんと勤まってんのか?」

「失礼ね、これでも三年やったのよ。・・・もう辞めたけどね・・・。」

「ふーん。」

 紅茶はすっかりだいだい色になっていた。

 もう足すためのミルクは無くなっていた。

「子供ってかわいいのか?」

「そりゃーもう。はるか先生辞めないで〜って泣きつかれる位。」

「男の子?女?」

「両方よ。男の子は別れ際キスしてくれた子もいたわ。」

「へー、ませてるな。」

 ほっぺに、と付け足そうと思ってやめた。

 昔、祐志にほっぺにキスされたことがあるのを思い出したから。

 あの頃は恋愛とかよく分からなかったけど、“好きな人”がいる事が嬉しくて、毎日がただただ楽しかった。

 部活とか、委員会とか、テストとか、修学旅行とか色々あったけど、班が同じとか、シャーペンが同じとか、好きな人と同じになれるとか、一緒にいられるとか、単純なことで満足してたのだろうな。

 それが与えられたもので、守られた世界での出来事だとは知らなかったから。

 中学、高校という学校に守られた生活を提供されている中での恋愛。



「大学から保育科?」

「そう。祐志は何を専攻していたの?」

「理学部。」

「研究レポートとか大変じゃなかった?」

「まあな、卒論は死にそうだったよ。」

「祐志の白衣姿か・・・」

「なんだよ、似合わないか?」

 想像するとついつい笑ってしまう。

「なんかね〜。」


 次に知った恋愛は大学の時。

 守られた世界は終わった変わりに、今度は自分で世界を作った。

 サークル、ゼミ、講義、バイト。

 世界は一気に大きくなった。

 すると同じものを揃えるのではなく、違うものが欲しくなった。

 違う学部の、年の違う先輩の、違うサークルの・・・

 違いは刺激を与えてくれた。

 クラブ、お酒、タバコ、オール、車、外泊。

 世界は広がっていった。

 でも、その世界を守るために必死になった。

 ねえ、今しゃべっていた子誰?どんな関係?

 私とどっちが大切なの?

 これ彼氏からもらった指輪、財布、時計・・・

 他者との比較、嫉妬、妬み、欲望、浮気や二股、略奪愛。

 そんなドロドロした関係の中でも必死で自分の世界を守った。

 刺激を求めれば求め続けるほど、安心感を得ることは出来なかった。



「そういえば、祐志と仲良かった・・・なんだっけ〜―――」

「誰だよ?」

「えーっと、・・・」

「思い出した!てるちゃん!」

「ああ、」

「どうしてるの?懐かしいな〜。」

「さあ。」

 紅茶をすすりながら祐志が答えた。

「さあって、あんなに仲良かったじゃない?」

「昔のことだろ、今は連絡とってないよ。」

「そうなんだ。」

 ちょっとがっかりした表情で残りの紅茶に口を付けた。


 思い出せない名前。

 あれから何人かの人と恋愛をしたけれど、

 今では思い出せない名前、誕生日。

 大好きだった人なのに。

 その時は、その人しか見えていなくて、好きな色、食べ物、お店、必死で暗記していたな。

 誕生日に記念日、クリスマスにバレンタイン、イベントはなんでもこなしていた。

 手帳にはプリクラ、携帯番号、メルアド。

 一年間の予定がぎっしり書き込まれていた。

 空欄の日はあってはならないような気がして、友達とのショッピング、バイトで穴埋めし、予定は彼氏中心のものになっていた。

 そして、ただただ日程をこなしていくことで満足をしていた。

 でも、社会人になるとそうはいかなくなった。



「祐志、仕事楽しい?」

「楽しくはないよ。わからないことだらけ。」

「そうなの?マニュアルとかあるんじゃないの?こういう時はこうするのが県庁のやり方だ。みたいな。」

「おまえなー、行政の仕事を甘く見るなー」

 からかって言った私に祐志の手が伸びてくる。

「きゃー、やめてって髪ボサボサになるでしょ――」

 十数年ぶりに触れた祐志の手は、温かくて大きかった。


 社会人一年目は仕事に慣れることで精一杯で恋愛まで手がまわらなかった。

 あれだけのイベントも、仕事で埋め尽くされていた。

 手帳を持たなくなった代わりに、予定を書くことはなく休みの日はほとんど寝ていた。

 二年目になると少しの余裕が出来、仕事とプライベートの両立が課題となった。

 合コン。

 出身大学、大企業、年収、ルックス。

 始めは楽しかった。

 他の業界を知ることが出来、知的な男性とお酒を飲みながらおしゃべりするのも悪くはない。

 けれど、だんだんと疲れていった。

 それなりに自分を良く見せようとしている自分に。

 仕事と私どっちが大事なの。

 そんな台詞は絶対に口にしたくはなかった。

 三年目になると仕事は順調になったので、プライベートの充実が欲しくなった。

 パソコンのスクールにも通った。

 エステや美容にもお金をかけるようになった。

 いくら自分を磨いても満たされることはなかった。



 祐志の温かい手はミツルを思い出させた。

 さっきまで隣にあったミツルの手。

 自分から離してしまったことを今気がつく。

「そろそろ帰らなきゃ。」

 時計を見ると六時になるところだった。

「送ろうか。」

「いい、歩いて帰るよ。」

「そっか、またな。」

 そう言って祐志の大きな手が私の頭をなでてくれた。

 「じゃあな」、そう言ってさっき別れたミツルの事を思い出すと涙ぐんでしまう。

 祐志の優しさに甘えたい衝動に駆られた。

 玄関まで見送ってくれた祐志に抱きつく。


 もし、祐志と結婚していたら・・・

 お父さんは喜んでくれたに違いない。

 お母さんは気に入ってくれたに違いない。

 でも・・・

 両親のために結婚するの?

 私の気持ちは?

 祐志の気持ちは?



「はるか。」

 抱きついた私を受け止めてくれた祐志が言う。

「結婚おめでとう。」

 驚いて私は祐志から体を離す。

「・・・知ってたの?」

「ああ。」

「お前のお父さん悩んでいたぞ、なかなかおめでとうと言ってやれないってな。」

「うそ・・・そんな・・・」

「幸せになれよ。」

 そう言うと祐志は家の中へと入っていった。

 祐志の優しい笑顔が嬉しかった。


 ミツルの笑顔が見たいな。

 社会人三年目になると友達の一人だったミツルと遊ぶことが増えた。

 特に約束をするわけでもなく、気が向いた時に皆で遊んでいた。

 ワールドカップの年で、深夜にスポーツバーで試合を見た。

 試合に勝つと朝まで飲んで海で騒いでいた。

 花火をした、バーべキューをした、キャンプへ行った。

 皆で遊ぶのは楽しかった。

 でも、ある日ミツルがいない日があった。

 その時初めて知った、寂しさ、人を想う愛しさ。

 皆で遊ぶその中にミツルがいることが私にとっての安心感だったということに気がついた。

 ミツルは誰にでも優しかった。

 私は特別になりたかった。

 でも、ミツルが優しいのも、素直なのも、適当なのも、本当は寂しがりやなのも・・・

 私は知っていた。

 好きになる前から知っていた。

 友達が長かった分、色々なミツルを知っていた。

 ミツルも私のことを知っていた。

 だから心配はなかった。

 それが刺激ではなく私がずっと欲しかった安心感だから。



「ただいま。」

「おかえり。はるかご飯は?」

「食べる。」

「今日はハンバーグよ。」

「うん。」

 家に帰ると父は新聞を読みながらリビングに座っていた。

 母はキッチンで夕食の準備をしていた。


 ミツルを初めて両親に紹介した時、父は一言もしゃべらなかった。

 母はそんな父に気を使い、私達に気を使い、精神的に疲れて次の日は寝込んでしまった。

 ミツルの存在は私にとっては欠かせないものとなった。

 だからそれを認めてもらおうと試みたのだが、結婚となると一人娘の我が家にとっては大事件だったようだ。

 認めてもらえなくても一緒にいられれば良い。

 今まで通り、このままでも良い。

 そう思って諦めていた私だったが、ミツルが言った。

 「結婚てそういうものでしょ。俺達は何があっても変わらないけれど、周りは変えていかなければ。」「それが結婚でしょ。」と。



「ハンバーグ、ミツル君も好きだって言ってたわよね。」

「うん。」

「今度夕食一緒に食べましょうよ、ねえ、お父さん、いいでしょ。」

 母が言う。

 父の方を見ると、新聞から目を離さず、小さな声だったが確かに父は頷いていた。

 そうだな。と。


 仕事を辞めた。

 結婚に向けての準備を始めた。

 家を借り、式場を決め、衣装を合わせる。

 両親と意見が折り合わない中でも進められていく。

 そこまでしてする結婚て何?

 いつも頭に付きまとっていた。

 自分の部屋へ上がると携帯を取り出した。

 あれからミツルはどうしているだろう。

 元カノの存在に拗ねてしまった自分が恥ずかしくなった。

 なんで?どうして?

 そんなの聞かなくてもわかるから。

 だからミツルを選んだの。



「はるかちゃん」

 呼び出し音の後すぐにミツルの声が聞けた。

「良かった。家帰ったんだね。」

 いつもと同じ声。

 私達は変わらない。

「ミツルくん、今度ハンバーグ食べにおいでって両親が。」

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