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つめたいナツ  作者: 無明
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序幕

腕時計がキラリと反射した。その眩い光に葉介は目を細めた。その祖父の形見の時計は午後1時半を示していた。

葉介が母方の祖母に会いに行こうと思ったのはちょうど3日前のことであった。理由など特にない。が何となくゴミゴミした街中から逃げ出したくなったから……とでも言ったらいいのか。とりあえずふと行きたくなったのだ。

祖母の住む町は町と言うにはあまりに規模が小さく、緑の多い、空気の澄んだ場所だった。昔はよく母の岬に連れられ来たものだ。行けば必ず祖父母は葉介を可愛がってくれたし、葉介もそれをそのまま喜んで受け入れた。

いい思い出がそこに確かに存在した。

ただ一つ、嫌なものがあるとすれば、その家の、建物の雰囲気である。築100年は悠に超えるであろう、年季の入ったその建物は外から見ても中から見ても不気味そのもので小さかった葉介にこれでもかというくらいに恐怖心を植え付けた。

ふとズボンの太ももに微弱な振動を感じた。葉介は懐かしい微睡みからハッと現実に戻された。そして、しばらくそのバイブレーションをそのままにした。葉介の携帯電話はバイブレーションのパターンを着信してくる人別に変更ができた。このときもバイブレーションのパターンから誰から着信、あるいはメールが来たのか探った。葉介はその誰かがわかったらしく、憂鬱そうな、気だるそうな表情をして、バイブレーションが鳴り止むのを待った。

しばらくするとバイブレーションは止み、違うパターンのバイブレーションが再び彼の太ももあたりを揺すぶった。葉介はそれにも反応しないで窓の外に視線を遣った。

出発した直後のコンクリートジャングルから一変して、深緑の木々たちが窓のすぐそこにまで枝を伸ばしていた。葉介には何故かそれが歓迎のために両手を伸ばして来ているように見えた。そして、その感覚は葉介を一瞬の安堵へと導いた。

再び左の太ももが揺れた。葉介はグッと忌まわしそうに眉間に皺を寄せた。そして、そっと携帯電話を取り出し、着信を切り、電源を切った。

「神楽町、神楽町です」

録音されたアナウンスが葉介の降りるバス停の名前を読み上げた。ゆっくりと座席を立つと葉介は何気なく車内を見渡した。祖父母の住む地域は過疎地で年々の人口減少が問題となっていた。そのせいかバスの中も閑散としていた。

バスが停車すると葉介はポケットからあらかじめ用意していた小銭を取り出し、運賃箱に放り込んだ。

バスから降りるとそこには延々と続く田園風景が広がっていた。

夏特有のまとわりつくような熱気が湿った風と共に葉介を包み込んだ。冷房で引いていた汗が再び全身の毛穴から吹き出した。

「暑さも変わらないな……」

葉介は玉のような額の汗をタオルで拭うと祖母の家に続く一本道を歩き出した。

道の両脇にはひたすらに田園風景が広がっている。夏の風に乗って、湿っぽい泥の匂いが鼻腔を突き抜けた。懐かしい心地が葉介の胸を満たすのには十分な風だった。昔はこの田んぼでおたまじゃくしやザリガニを取った。それを持ち帰り、虫嫌いの母親に大目玉を食らったことも思い出した。

「本当に懐かしいな。中学生以来だもんな……」

高校に上がり、バドミントン部に入ってから夏休みも返上して練習していたのだ。親に連れ添って田舎に行くなどできるはずもなかった。さらに高校3年生になってからは受験勉強もあり、結局今日まで足が遠退いていた。結局受験は第一、第二志望と落ちて、第三志望の行く気もなかった大学しか受からず、そこに入学したのだが。長い間会わずにいた気まずさもあったし、第一志望にも受からなかったうしろめたさというか、恥ずかしさもあったのだ。


そんなもの思いに耽っていたら、いつの間にか立派な構えの門に突き当たった。表札には『草壁』という文字が彫られていた。祖父が亡くなってからも祖母は頑なにここを出ようとしなかったといつか母に聞かされた。その門も一人きりで暮らしている祖母の手の行き届かない場所の一つなのだろう。壁や柱には蔦が這い回って、瓦の隙間から雑草が飛び出ていた。

一目見ただけでは、この中に人が住んでいるとは思わないだろう。

葉介はその門をくぐり、同じ敷地なのかと疑うほどきれいに磨かれた玄関までの敷石を踏んだ。あまりに綺麗なのでふと見下ろすと、目線の先に虫の死骸に群がる蟻を見つけた。敷石の端の、これまた鬱蒼と茂った雑草の森から、一筋の列を作って、彼女らに課された労働を黙々とこなしていた。

「あら、葉ちゃん。なにしてるの? 暑いでしょ」

引き戸の玄関が開き、葉介の耳に懐かしい声が響いた。少し歳を重ねたからだろうか、多少嗄れているように聞こえた。労働者の列からはっと顔を上げ、葉介は律に笑顔を向けた。

「ただいま、ばあちゃん」

「おかえり。少しやつれているねえ。大学は大変かい?」

精いっぱいの笑顔のはずが、すぐに見透かされてしまったようだった。

「ああ、ちょっと課題が大変で」

適当にごまかして、律の脇をすり抜ける。靴を脱ぎ捨て、奥の居間へ進んで行った。そんな葉介の後を、祖母は何も言わずについていった。

「お布団はいつもの寝室に用意してあるから。疲れてるなら一眠りしてらっしゃい? 本当に顔色が悪いから」

そこまで言うほどやつれた顔をしているのか。葉介は自分の頬を摩りながら、首を傾げた。

「ありがとう。じゃあ、少し横になることにするよ」

そういうと、葉介は重い腰を持ち上げて、着替えなど、諸々を詰め込んだカバンを引きずるようにして寝室へ向かった。

寝室の畳には真っ白い布団が一つ敷かれていた。おそらく律が開けていたであろう窓からささやかな風が入り込み、白いレースのカーテンを揺らした。

布団が陽射しを反射させ、その白さが一層増していた。

葉介はカバンをその場に下ろすと、掛け布団も除けずにそこに倒れこんだ。

目を閉じれば、あとは微睡みに身を任せるだけだった。


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