下世話な電話と縁結びの神様と赤い糸
夏休み初日。僕は『伝言サービス』の事務所にやって来ていた。京子さんと茜崎さんに電話をかけたり、買出しに行ったり、掃除をしたり、フランに昼食を作ったり、フランの服を洗濯したりするためだ。
デスク横のラックの上にあるレトロな黒電話を手にとり、素早くダイヤル。現代のボタンを押すだけの物とは違い、ちょっとだけ手順が面倒なのだけれど、もうすっかり慣れてしまった。
「お電話ありがとうございます、茜崎探偵事務所です」
「もしもし、『伝言サービス』の藤岡です。いつもお世話になっております」
「あ、藤岡さんこんにちは! 紗宵です! こちらこそいつもお世話になっております」
朗らかに澄んだ声がはずんでいる。茜崎さんの助手、紗宵さんだ。(茜崎さんが面倒臭がってやりたがらない)事務仕事を全般的にこなしている。僕自身が直接会ったことは無いけれど、茜崎さん曰く『渋谷マルキューの前で立っていたらスカウトの連中がうじゃうじゃ寄ってきて行列を作る』ほどの美人なんだそうだ。僕と同じ十六歳なのにめちゃくちゃしっかりしている。
「こんにちは、紗宵さん。茜崎さんいるかな」
「はい、今ソファで寝てますよ。起こしますね」
楽しそうな声が電話口から遠くなる。直後、水の入った柔らかい袋を思いっきり殴打するような音が三発ほど響いた。微かに漏れてくるうめき声は怖いので聞かなかったことにする。
「もしもし、電話かわりました茜崎ですぅ……」
「イツキです。こんにちは」
「おう……久しぶりだな……」
三日ぶりだよ。全然久しぶりじゃないよ。
しこたま殴られて一時的に記憶が飛んでいるんだろうか。
「大丈夫ですか?」
「ああ、今ちょっとさよグフッ……がッ……」
今の何の音? サンドバック?
「……大丈夫そうですね」
大丈夫だ。大丈夫過ぎるくらい茜崎さんは大丈夫だ。うんうん。
――手の震えが止まらない。
気を取り直してうめき声が続く受話器を持ち替え、メモ帳を開く。
「仕事の依頼があるんですけど」
「おう。何だ? ようやくイツキにも赤い糸を結んで欲しい相手が出来たのか? まさか紗宵か」
ドスッ!
「いえ、違いますから」
茜崎さんは、人の『縁の糸』を司る能力を持っている。『縁の糸』とは、人と人との間に何らかの繋がりが出来たときに両者間で結ばれる、僕やフラン等他の一般人には不可視の糸。それを視たり、触れたりすることが出来るのが、茜崎さんと助手の紗宵さんである。
世間的によく知られている『縁の糸』の代表が、小指の赤い糸なのだ。おかげで彼と話をするときは、必ずと言っていいほど縁結びの話題が出る。随分と即席な縁結びの神様もいたものだ。大してありがたくもない。
茜崎さんはそれらを選り分けて辿ったり結んだり、その糸で繋がっている人間を探し出したりして、主に人探しを中心とした探偵業を行っている。あとは浮気調査。やたらと楽しそうなのだと紗宵さんから聞いたことがある。
「新しい依頼が来たんです」
「へえ」
鈴原さんからの依頼を、丁寧に順を追って説明していく。茜崎さんは時折相づちを打ちながら聞いていたが、話が終わるころ、ふいにぼそっと呟いた。
「忙しくなるな」
「え? ……ああ、はい、すみません」
「いや、そういうことじゃなくてな」
悪いな忘れてくれ、と軽く笑う。なめらかな低音が耳に心地良い。
「分かった、下準備はしておく。日時が決まったら連絡してくれ」
「分かりました。よろしくお願いします」
そのまま電話を切ろうとしたら、呼び止められた。
「なあイツキ」
「はい?」
「結局お前の本命、フランなのか? 紗宵か? それともクラスメイトで依頼主の文乃って娘か?」
いきなり何を言い出すんだ。ループかよ。
「違いますよ、全員」
途端に声のテンションが跳ね上がる。かなり早口だ。
「何ッ? 全員だと! 大人しい顔してやるなお前。でも縁を結びきれねえ一人に絞れよ。それにデートの日付かぶったら大変だぞ」
「全員ってそういうことじゃないです」
言う順番を間違えた僕も悪いけど。すると茜崎さんは一気にトーンを落とし、シリアスな口調になった。
「イツキ、先輩として一つ忠告しておく」
何の先輩ですか。
「そのメンツにコワい京子も追加したらお前あっという間にあの世行き」
「失礼します」
それ明らかに経験談じゃないですか。何やってんだこの人。
「待て紗宵誤解だ俺は未遂で」
ドシャッ!
「では」
なんだか馬鹿馬鹿しくなってきたので、最後まで聞かずに電話を切った。 ふー、肩が重い……。
疲れと脱力感が抜けないまま、次は京子さんに電話をかける。ちなみに京子さんは事務所を構えていないので、連絡するときは基本的に携帯電話。
「もしもし、『伝言サービス』の藤岡です」
「はい京子です。お疲れさま、仕事かな?」
「はい。依頼が来ました」
毎度の事ながら、この人は察しがいい。誰かさんと違って話がスムーズだ。
京子さんはいつも和装だけど一体どこに携帯電話を入れているんだろう、なんて関係のないことを考えながら、先程茜崎さんに話したように、丁寧に説明していく。
「――そうかぁ」
僕が話し終えると、相手が電話口の向こうで溜息をついたのが分かった。
「フランが受けるって言ったんだね?」
「はい、そうなんです」
僕は胡散臭いと思ったんですけど。
「了解。準備しておく」
「ありがとうございます」
挨拶をして受話器を置こうとしたら、茜崎さんに続いて京子さんにまで呼び止められた。こちらも真剣な口調で、心なしか声が低められている。
「気をつけなよ。よく考えな」
「え……?」
何をですか、と言う前に京子さんのからりとした明るい声が響いたので、僕は質問のタイミングを失ってしまった。
「じゃあね」
「よろしくお願いします」
言い終わる前に、通話は修了していた。
何のことだろうか。申し訳程度に生ぬるい風が吹き込む事務所で、ソファに座り、一人考える。
今、事務所にフランはいない。大方コンビニにでも行っているんだろう。僕は女じゃないから分からないんだけど、あんなひらひらしたゴシックロリータを着てコンビニに行ったりして恥ずかしくないものなんだろうか。
いやいや、集中しろ僕。無理矢理軌道を修正し、引き続き考える。
それにしても、『気をつけろ』なんて言われたことが無い。何に気をつけろというんだろう。気をつける標的すら言わないなんて、言葉が足りなさすぎる。
二人の言葉やフランと鈴原さんの会話を思い返してみても、決定打となりそうなものは見つけられなかった。
フランの商談成立宣言と髪をかき回す癖、流れるように自然すぎて不自然な鈴原さんの回答、茜崎さんの呟き、京子さんの警告……。
何も描かれていない真っ白なパズルピースが頭の中をぐるぐる回る。枠にはめて形にしようにも、どこから手をつけていいのか全く分からない。
よく考えろ――か。
とにかく油断はしないこと。どんな事態にも対処できるように、万全の用意をしておくこと。そのときに出来る精一杯のことをこなすこと。それを肝に銘じるくらいしか、今の僕には出来なかった。
一つ息をついて、立ち上がる。デスクの上に放り出されていた業務日誌に情報の断片を書き込んでから、一旦廊下に出て、隣の部屋へ。
給湯室である。
「よっし、やるぞ!」
今出来ることを精一杯やるべく、僕は気合を入れてシンクを磨き始めた。