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終業式と損な性分と照れる同級生

 「――以上! よい夏休みを!」

 バンッと岡崎担任教諭が教卓を叩く音と共に、わあっと歓声があがった。僕、藤岡樹木ふじおかいつきはその声を合図に荷物を素早くまとめ、教室脱出の構えを取る。上手くタイミングを見計らわねばならない。極力目立たないように行動するには、意外とコツがいるものなのだ。


 「夏休みどこ行く?」「プール行きたい!」「えー水着やだよ」「大丈夫あんたの体なんて誰も見てないから! 見たくないから!」「インターハイ勝つぜ! 今年こそ優勝だぜ!」「暑苦しい黙れ応援部」「俺補習だ……」「赤点取ったどー!」「お前明日からどうすんの」「ハワイ」「よし、お前の手荷物として格安でついて行ってやる」「じゃあ航空機の窓から捨てていくから」「!?」「やだなあ、命綱無しのバンジージャンプみたいなものだよ」「そうか……?」「もしくはパラシュート無しのスカイダイビング」「それ楽しそうだな! 是非頼む!」「……夏休みを利用して脳外科に行くことをお勧めするよ」


 皆頬をちょっとだけ赤く染めていて、語尾が弾んでいる。夏休みの開放感からか、意味が分からないものも混ざっているけど、総じて楽しそうだ。それらの合間に涙声や乾いた笑い声が聞こえたような気がするのは、多分気のせいだろう。窓を全開にした教室に、ぎらぎらした日光と夏の青臭い風が迷い込む。

 「お前ら宿題やれよ!」という岡崎担任教諭の声が聞こえているのかいないのか、教室の中は蜂の巣をつついたような大騒ぎ。華の高校二年生、青春真っ只中のクラスメイト達は明日から始まる夏休みの話題で持ちきりのようだ。

 今だ!

 僕はなるべく目立たないように周囲を警戒しながら、鞄を抱えて教室の扉をくぐった。よし、成功成功。

 一人でにやにやしていたら、無性に悲しくなってきた。閉められた扉を一枚を隔てているだけなのに、まるで水の中にいるように笑い声が遠く感じられる。なんか友達いない人みたいじゃないか。浅く広い交友関係を目指す、人畜無害な真面目生徒なのに。

 実を言うと、目立たないように教室を出る事に大した理由はない。強いて言えば、夏休み(アンド補習のお知らせ・通知表)でテンションの上がったクラスの皆さんに絡まれると面倒だからだ。

 僕のジジくさい――というかお節介で損ばかりする――性分は大人気で、弾けんばかりに青春を謳歌するクラスメイト達からしょっちゅうからかわれるのである。僕自身は全く話した記憶が無いのに、尾びれや背びれや胸びれをたっぷりつけた『藤岡樹木の損な性分エピソード』がまことしやかに語られていたりするのだ。これだから最近の若いもんは……。

 こちらも全ての窓が全開の廊下を抜けて校舎を出ると、どことなく浮き足立った雰囲気が一気に遠くなったような気がした。涼しげな緑陰を選んで歩きながら、空を仰ぐ。くっきりとした明るい青に、コントラストが鮮やかな白い入道雲。もうすぐ八月になる真夏の空だ。羽音と共に姿を現したセミが、目の前の桜にとまっ――

「藤岡くん!」

「ぐえっ」

 視界が茶色一色になり、バタバタと慌しい音を立ててセミが逃げていく。ひんやりと湿った土が頬に心地よい。

 どうやら転んだらしいと気付いたのは、僕が十六歳にもなって何もないところで転ぶという醜態を晒す事となった、その張本人の手を借りて起き上がった後だった。

「だ、大丈夫? ごめんね」

 ようやく立ち上がった僕の目の前で、目を白黒させて謝りまくっているショートカットの女の子――鈴原文乃すずはらふみのさん。僕のクラスメイトだ。「ごめん、ごめんね!」とぺこぺこ頭を下げ続けている。

 ちなみに彼女と僕の接点はほぼ無い。というか、接点は同じクラスだというくらいで、今まで話したことが何回あるか微妙なところだ。もしかしたら二桁いってないかもしれない。

 急にどうしたんだろう。忘れ物を届けに来てくれたって感じでもないみたいだ。

 紺のスラックスについた土を払いながら立ち上がると、口の中がじゃりじゃりした。帰ったらうがいしよう……。

 どうやら鈴原さんが駆け寄って来た際に、勢いあまって僕を押し倒してしまったらしい。心配そうに僕を覗き込む大きな瞳はほんの少し潤んでいる。わわっ、泣かないで!

「いや、大丈夫だよ。ちょっと気持ち良かったし」

「へ……」

 目を逸らすな。さり気なく一歩後ろに下がるな。別に女の子に転ばされて喜ぶとか、そういうことじゃないから。

 い、いや、本当ですよ? 土が予想外に冷たかっただけだから。お願いだからさらにもう一歩下がらないで!

「あ、ご、ごめんね。藤岡くんはそういうの好きっていう噂が流れてるから、ほんとだったんだなぁってちょっとびっくりしちゃって」

「うん、僕もびっくりだよ」

 ほんとじゃないよ。ていうかどんな噂だよ。根も葉もないよ。

 申し訳なさそうにキョトキョトと視線を揺らす鈴原さんは、小柄な体躯もあって小動物っぽい雰囲気があった。顔立ちも可愛いし愛想もいいので、けっこう男子から人気があるんだけど、僕は彼女のそういう浮ついた話を聞いたことがない。

 関係の無い情報を頭を振って追い出してから、僕は気を取り直して鈴原さんに向き直る。

「で、僕に何か用?」

「うん。その、えっと、ね……」

 何故か、もじもじと手を組んだりし始める。恥ずかしそうに色白の頬を染め、横を向き、薄い花びらのような唇をちょっと尖らせる。

 ……照れてる?

 何で?

「あのね、ふ、藤岡くん……」

「あ、フミちゃんばいばい!」

「……ばいばい」

 クラスの女子三人組だ。鈴原さんは背伸びまでして大きく手を振り返してから、僕のほうに視線を戻す。よく見ると、がっくり肩が落ちている。

 何で残念そうな顔をしてるんだろう?

「場所、移してもいいかな」

 正直なところ全然事態を把握できていない僕は、とりあえず頷いて、桜の根元に放り投げられたままの鞄を手に取った。

 ああ、アルバイト先の上司に遅れるって連絡しておかないと。


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