第7話 サルヴ・エ・ゼリン(黄金の糸杉)
シャリアールが泊まったサライの名はサルヴ・エ・ゼリン(黄金の糸杉)という。カシュマールにはカスレ・サルヴ館(糸杉の館)など糸杉にちなんだ名が多い。また、シャリアールの護衛隊長だったハサン・サルヴァザールの家名であるサルヴァザールの意味は聖なる糸杉の火という意味だ。
カシュマールとこのサルヴ・エ・ゼリンの間に何か関係あるのかと思ったが、カシュマールの息がかかっているかどうかは調べてみないと分からない。ただ、シャリアールはカシュマールの公子であったとき、サライへの資金提供は領内だけで、イスファハーンのサライに資金提供しているという話は誰からも聞いていなかった。
とりあえず、サライで働く人夫なり、食堂の給仕にでも話を聞いてみればある程度のことは分かるだろう。
ということで、さっそく、キャラバンのための厩舎の掃除をしていた人夫に話をしてみた。
「ちょっといいかな?」
「なんだい?」
「このサライのことなんだけど、サルヴ・エ・ゼリンって名前だろ?」
「その通りだ、それがどうした?」
「いや、俺はカシュマールの出身なんだが、サルヴ(糸杉)ってカシュマールにゆかりがあるんだ」
「そのことか。それはな、このサライの主が昔カシュマールで傭兵の隊長してたから、そういった今の名前を思いついたんだと」
「じゃあ、カシュマールの大公から金が出てるってわけじゃないのか?」
「そこまでは知らないが、たぶんそうなんじゃないか? カシュマールの大公が勝手にイスファハーンのサライに金を出せないだろうし」
「言われてみればその通りだ。ありがとう。勉強になったよ」
「それはそうと、お前さんのその顔の傷、まだ新しいようだが、どうした?」
「キャラバンに同行してここに来る前に盗賊に襲われて、それで」
「ほう。逃げずに戦ったわけだな」
「まあな」
「それでどうした?」
「俺を傷つけた相手は、胸を一突きして倒した。そのあと、もう一人の盗賊の首を刈ろうと剣を振ったら、狙いが外れてこめかみを割ってしまった。その時、短剣が折れたけれど、相手は倒れた。今持っているこの剣はその時盗賊が持っていた剣だ」
「ほう。すごいじゃないか」
「ここって、人手が足りないってことはないか?」
「人手はいつも足りないよ。おまえさん、働く気があるのなら、ここの主のガザルさんの所に行ってみな。ほら、2階のあの部屋がガザルさんの部屋だ」
人夫が指さした部屋を確認したシャリアールはその人夫に礼を言って、マントを背負い袋にしまい、サライの主、ガザルの部屋に向かった。
「ガザルさん、いらっしゃいますか?」
『いるよ』
「お願いがあってやってきました」
『扉は開いてるから、入りな』
シャリアールが扉を押し開いて部屋の中に入ったところ、甘く、どこか気だるい香りが部屋に充満していた。その部屋の奥に隻眼の老婆がギャッベ(厚手の絨毯)に片膝を立てて座り、その上に置いた水パイプでハシーシュ(大麻)を吸っていた。
老婆のいかにもな貫禄を目の当たりにしたシャリアールは先ほどの人夫が言っていた、かつてカシュマールで傭兵隊長だったというのは事実なのだろうと考えた。
「そこに座りな」
老婆が向かいに座るよう勧めてくれたので、シャリアールは荷物を下ろしてそこに胡坐をかいて座った。
「それでどういった話をしてくれるんだい?」
「このサライで働かせてもらえないでしょうか?」
「ちょうど、人夫が欲しかったところだけど、……。
その向こう傷、どうしたんだい?」
「キャラバンに同行してカシュマールからここに来る途中、アルボルズ山地で盗賊に襲われて、それでこの傷を負いました」
「なるほど。それで相手は?」
「胸を一突きして倒しました」
「なかなかやるじゃないか。お前さんがここにいるってことはキャラバンは無事だったわけだな?」
「はい。でも4人いた護衛の一人が亡くなりました」
「ふーん。あんたは護衛として雇われてたのかい? 今の言い方だとそうじゃなさそうだが」
「同行を許してもらっていただけでした」
「それでも戦ったわけだ」
「見ないふりはできませんし、相手の数は10人。キャラバン3隊での移動でしたが、盗賊が狙ったキャラバンはわたしが同行していたキャラバンで、隊列の最後列でした。前方2隊の護衛が駆けつけてきてくれていましたが、間に合いそうもなかったので飛び込んでいきました」
「なるほど」
「そのあとわたしがもう一人盗賊を倒したところで、味方の護衛が駆けつけ、盗賊たちは逃げていきました」
「すごいじゃないか。その向こう傷がなければ優男で、とても腕が立ちそうに見えないが、たいしたものだ。
それはそれとして今日から働いておくれ。寝るところと、朝昼の食事付きで給金は1日20フィルス、1ディルハムだ。日暮れ前に仕事は終わるから、ここに給金を受け取りにやってきな。そのあと、厨房へ行けば食事が出る。朝も一緒で、夜明けになったら厨房に行って食事を貰いな。まあ、みんなの後を付いていけば間違いない」
「分かりました」
「名前を聞くのを忘れてたが、なんて名だい?」
「ナシールといいます」
シャリアールはとっさに偽名を名乗った。
「ふーん、ナシールか。ところでお前さんの話し方だけど、とても人夫をするような人間の話し方じゃないが、いいところ出のおぼっちゃまなのかい?」
ガザルのこの問いに、一瞬偽名とバレたかとシャリアールは思ったが、だからといって何も言えず、黙っているしかなかった。
「人それぞれだから言いたくないなら、それもいいさね。
それじゃあ、ナシール。人夫頭に紹介するから、ついてきな」
「はい」
シャリアールは先に立つガザルについて、中庭に下りた。
「クタイバ。ちょっと来ておくれ」
「へい」
少し先で、人夫たちの仕事ぶりを眺めていた大柄な男が駆けてきた。
「クタイバ、今日から人夫として働くことになったナシールだ。かわいがってやっておくれ」
「へい」
「ナシール。クタイバの言うことを聞いて仕事してくれ」
「はい」
「クタイバ、ナシールに寝床を教えてやっておくれ。それから適当に仕事を与えてやっておくれ」
「へい」
「それじゃあ、ナシールついてきな」
「はい」
クタイバに案内されたのは厩舎の隣の部屋で、毛布が適当に並んでいた。
クタイバはその中で中庭側で一番奥の一角を指示した。
「お前さんの寝床は、そこにしな。荷物を置いていても平気だ。ここで盗みをするヤツはいないから安心しな」
「はい」
明り取りの窓から隣の厩舎からの糞尿の臭いが漂ってきている。
シャリアールは手に持っていた背負い袋をクタイバに言われた場所に置き、剣帯を吊るしていた剣ごと背負い袋に突っ込んだ。金が入った小袋だけはしっかり懐に入れたままだ。
「それじゃあさっそく仕事してもらおうか。
まずは隣の厩舎の掃除だ。道具は厩舎の隅の方に置いてあるからそれを使ってくれ」
「掃除が終わったらどうすればいいですか?」
「次は、わらを厩舎に敷いて、それが済んだらエサ箱にエサを入れてくれ。わらとかエサの場所は俺に聞いてくれてもいいし、そこら辺の人夫に聞いてくれてもいい」
「はい」
そこまで指図したクタイバが部屋から出ていった。
シャリアールは糞尿の臭いが立ち込める隣の厩舎に行き、壁に吊るされていたほうきを手に持って、厩舎の床に散らばった寝藁や排泄物を一カ所にまとめていき、スコップですくって大型の桶に入れた。その大桶を抱えて外に出そうとしたが、桶の周りが汚れていてそのまま抱き上げれば着ている服が汚れてしまう。
何か上っ張りになるようなものがないかと見回したがそんなものはなく、諦めたシャリアールは桶を抱き上げて、厩舎からいったん外に出し、それから近くにいたクタイバにどこに運べばいいか尋ねた。
「教え忘れてたな。こっちだ」
クタイバについていった先は、サライから外に出た一角で腰までの仕切りで仕切られた場所だった。そこにはすでにそれなりの量の家畜の糞尿で汚れたわらくずが積まれていた。
そこに向かって大桶の中身を空けたシャリアールは、また厩舎に戻って大桶の中に糞尿で汚れたわらくずを入れ、そしてまたわら捨て場にいって中身を空けた。
それから都合4回、大桶を持って往復して厩舎の中は片付いたので、新しいわらの場所をクタイバに尋ねた。
わら置き場と一緒にエサ置き場も教えられた。シャリアールが与えられた仕事を終えた頃には日は中天に差し掛かっていた。
「ナシール。午後になったら、キャラバンがやってくるから、その時は荷下ろしの手伝いだ。それまでは休んでていいぞ」
「はい」
シャリアールは掃除で汚れて汚物の臭いの沁み込んだ上着を脱ぎたかったが、どうせこれからも汚れるのでなるべく気にしないでおこうと思い、とりあえず、水場で手だけきれいに洗い、サライの建物の軒下にいき、そこで腰を下ろした。
そうやって1時間ほど休んでいたら、最初のキャラバンが中庭に入ってきた。
シャリアールと同じように休んでいた人夫たちが立ち上がりキャラバンに群がって荷下ろしを手伝い始めたので、シャリアールも急いで駆け寄り、荷下ろしを手伝った。
ロバから降ろされた荷物をキャラバンの人夫と一緒になって彼らにあてがわれた部屋に運んでいき、その仕事が終わったころ、また新たなキャラバンが現れたので、荷下ろしの手伝いに駆け寄っていった。
それから2隊キャラバンがサライに到着して、その都度荷物運びを手伝った。
日が暮れようというところで、クタイバが、
「今日の仕事はここまでだ。みんなご苦労さん!」と大声を出したところで、それまで庇の下で休んでいた人夫たちが立ち上がり、サライの2階にあるガザルの部屋に向かったので、同じように休んでいたシャリアールも立ち上がり、彼らの後について行った。
人夫たちは順番にガザルの部屋に入っていき、そして、出ていった。
シャリアールは最後に入って、ガザルから日当の20フィルス、ディルハム銀貨を1枚手渡された。
「仕事はどうだった?」
「何とかやりおおせました」
「明日も続けられそうかい?」
「大丈夫です」
「慣れていないと、足腰が痛くなるが、すぐに慣れる」
「はい」
荷物運びは結構な重労働で腰に負担がかかったが、たしかにそのうち慣れるのだろう。問題は本当に慣れてしまった後のことだが、それは今考えても仕方がない。
「じゃあ、下に下りて食事にありつきな」
「はい」
シャリアールはガザルの部屋を出て、1階に下り、人夫たちが軒下で横並びで食事している脇を通って厨房の中に入っていった。
「今日から人夫として働いているナシールです」
「ナシールか。ほらよ」
丸パンが一つと木製の深皿の中に具がたくさん入ったスープ。スープにはスプーンが差してあった。
「食べ終わったら、洗わないでいいから食器を持ってきてくれ」
「はい」




