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秋の亡霊  作者: 山口遊子


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第5話 シャリアール、イスファハーンに

『沙漠行3』https://youtu.be/FvxYiZhcTI4 音楽AI、sunoで作った中東風インストルメンタル。ループ再生すれば作業用音楽にいいかも?


 カシュマールのはずれから一番近いキャラバンサライまで距離にして8ファルサフ。健常者が休まず歩いて8時間の距離だ。足さえもってくれれば今夜中にはたどり着けそうだと、シャリアールは安易に考えていたのだが、行けども行けども前方の山並みは近づくどころか遠ざかっているように見える。

 それでも、シャリアールが進んでいた道が街道に合流したことで、かなり遠方ではあるがキャラバンらしき姿が見えた。だからといって、彼らに追いつくことは無理だろう。


 そこで道の脇に寄り、腰を下ろして荷物から水袋を取り出して、ゴクゴクと二口飲み、荷物に入っていた干し肉を一切れちぎって口に入れ、そしてもう一口水を飲んだ。

 荷物を片付け、麻袋の中からマントを取り出して羽織り、麻袋を担いで歩き始めた。


 それから体感時間で2時間ほど歩いたところで再度休憩した。日はだいぶ傾いてきている。

 そこから1時間ほど歩いたところで、キャラバン用の野営地に到着した。

 まだ、日は暮れてはいない。

 野営地には、カシュマールを出発したキャラバンやカシュマールに向かうキャラバンが複数野営準備をしていた。

 マントだけ体に巻き付けたまま実質上半身裸のシャリアールは黙って野営地の水場まで歩いていき、水袋に残っていた水を捨てて新しい水で満たした。キャラバンの人たちの奇異の目を無視して、野営地から街道に戻ったシャリアールは西に向かって歩き始めた。



 日が沈み、星明かりの下をシャリアールは歩いていく。

 見上げれば、数えきれないほどの星が空に瞬いていた。

 近衛兵たちは、カシュマールの中を捜索しているのか、追手は街道に現れていない。安心はできないが、それでも少しは気が楽になる。


 それより、夜の冷気が気になり始め、寒さで体が震え始めた。

 それに前後して奥歯が寒さで震えてカチカチ鳴り始めたので、シャリアールは奥歯をかみしめて黙々と歩いた。指先の感覚もなくなりかけ、手のひらに力を込めたり緩めたりしてみたがあまり効果はなかった。


 腰を下ろしてしまえば立ち上がれなくなるかもしれないと思い、シャリアールは歩きながら荷物をまさぐり、荷物の中にあった干しナツメが入った小袋を取り出して口に入れた。独特の甘みが口に広がって、実際はどうか分からないが、わずかに元気が出たような気がした。気が付けば、奥歯は鳴っていなかったので、体が温まったのかもしれないと考えたが、10粒ほど干しナツメを食べて、小袋を荷物にしまったら、また歯が鳴り始めた。


 星明かりの下、奥歯を食いしばり、震えながらも一歩一歩先に進み、時間間隔もなくなったころ、前方に明かりが見えてきた。キャラバンサライだ。


 そこから1時間ほど歩いてやっとキャラバンサライに到着したものの、サライの出入り口は閉じられていて中に入ることはできなかった。


 シャリアールはサライの庇の下で腰を下ろし、腰の短剣はそのままに、マントの内側にして荷物を抱いて目を閉じた。足の先は何時間も前から感覚がない。冷たくなった体で眠ることは危険なため、目はつむったが、寝ないように自分に言い聞かせてじっとしていた。


 何時間そうやって座っていたか分からないが、周囲が明るくなってきた。そしてさらに周囲の気温が下がってきた。鳴りそうになる奥歯を食いしめていたら、サライの扉が開く音が聞こえた。


 壁にすがるようにして何とか立ち上がったシャリアールは、扉まで歩いていき、奇異な目を向ける扉を開けたサライの男に「服を売っているところはないか?」と震える声で尋ねた。

「売店が開くのはあと一時間先だ」

「食堂は開いているか?」

「開いている」

「ありがとう」


 サライに入っていくと、馬とロバの独特な臭いが漂う中に、食欲をそそるパンを焼く匂いが漂っていた。


 シャリアールはその匂いに釣られて歩いていき、半開きになっていた扉から食堂の中に入っていった。

 空いた席についたシャリアールは、荷物を下ろし、手先を洗うための水差しと桶を持って立ち働く男に朝食の定食を頼んだ。そうしたところ、アゴで厨房の方を指示された。どうも配膳口のようなところに置いてある大鍋から自分で皿に盛って席に運ぶようだ。その大鍋の隣にはそれより一回り小さい、それでも大きな鍋が置いてあり、スープが入っているようだった。さらにその隣には丸パンが盛られたカゴが置いてあった。荷物の中から金が入った小袋を取り出したシャリアールは、代金をどうやって払うのか気になったが、誰も払っているようではなかった。よく考えたら、カシュマールからイスファハーンまでのサライは全て王族や大公、大商人などからの寄進で運営されているため宿泊料、食事代は無料ということを、彼は後になって思い出した。


 配膳口まで行き、料理を深皿に盛って先にテーブルに持っていき、次にスープとパンをテーブルに運んで食べ始めた。テーブルの上の小さなかごから木製のスプーンを取って最初にスープを掬って口に運んだ。焼けるような熱さで味は分からなかったがとにかく飲み込んだら胃のあたりが温かくなった。今度は良く覚ましてもう一匙口に運んだら、今まで口にしたどのスープよりおいしかった。


 何が入っているのか分からないごった煮も実においしく食べることができた。

 シャリアールは監獄での食事はまるで味がしなかったことを、そこで初めて思い出した。


 食べ始めた時は、右手の指先が震えて食べにくかったが、食べ終わった頃には、すっかり体も温まって体も自由に動くようになってきた。

 水差しと桶を持って食堂の男がやってきたので、指先を洗って礼を言っておいた。


 食べ終わった皿はテーブルの上に置いておけば店の男が下げるようだったので、シャリアールは麻袋を手にして立ち上がり、食堂から中庭に出た。


 朝の日差しを浴びて、中庭の真ん中の水場まで行きそこで、顔を洗った。顔を拭く布がなかったので、マントで顔を拭いた。ほかにも顔を洗っていたが、彼らはマント下はズボンだけのシャリアールを見て、少し距離を置いた。

 シャリアールも彼らの気持ちが痛いほどよくわかったので、店が開くまで、他人ひとから離れた日向ひなたで立っていることにした。


 30分ほど日向ぼっこをしていたら、サライの中庭に面した店が次々と開き始めた。

 布地を商う店や、仕立て屋などがあったがその中に古着屋もあったので、麻袋の中の金が入った小袋を一番上に置いて、それから古着屋に行き、店先に並んだシャツとチュニックを購入した。値段は銀貨7枚。7ディルハムだった。支払った後、店の男が、値切らないでよかったのかい? と聞いてきた。

「うっかりしていた」と答えたら、銀貨を1枚返してくれた。

 次に靴屋を探したところ、ちゃんとあった。これも店先に並んだ靴の中で自分の足に合ったものを一足購入した。靴は1ディルハムと4フィルスだったが、ここでは価格交渉をして1ディルハム、銀貨1枚に負けてもらった。

 靴を履いてシャツとチュニックを着てマントを羽織った。


 顔を拭くまともな布もなければ毛布もないので、布地を売っている店に行き、ターバン用の布と顔を拭くための布を買い、毛布をどこかに売ってないか尋ねたら、ここでも売っているし、古着屋でも売っているといわれた。新しいものがいいに決まっているが、収入の当てがあるわけでもないので古着屋に舞い戻って、毛布がないかと聞いたところ、主人が奥に引っ込んで毛布を持ってきてくれた。

 毛布の値段は銀貨5枚。5ディルハムだったが銀貨4枚。4ディルハムにしてもらった。

 毛布はもう麻袋には入らなかったので、背負い袋がないか尋ねたら、また店の奥に引っ込んだ主人が背負い袋を持ってきた。これも銀貨5枚。5ディルハムだったが銀貨4枚。4ディルハムに負けてもらった。

 毛布を背負い袋にしまい、ターバンを巻いたところで見た目だけは人並みの旅行者になることができた。あとは、どこかのキャラバンに同行させてもらえれば、イスファハーンにたどり着ける。


 しかし、カシュマールから一人でイスファハーンに向かっていることはいかにも不自然だ。シャリアールが逃亡したのは昨日の話だし、キャラバンは通常、1日の行程で4ファルサフごとに街道沿いにある野営地とキャラバンサライを交互に進んでいくので、ここにいるキャラバンはそのニュースを知らない可能性がある。幸い、シャリアールの顔は市井で知られているわけでもない。一か八かではあるが、とりあえず、荷物をロバに積み終わってこれからサライを出ようとしているキャラバンに話してみることにした。


 話しかけた相手は、偉そうに人夫たちに指図している中年の男だ。キャラバン・サロール(隊商長)だろう。

「済みません。このキャラバンはイスファハーンに向かうのですか?」

 男はシャリアールを上から下までざっと見て、

「そうだが」と答えた。

「よろしければ、同行させていただけませんか?」

「立派な短剣を下げているようだが、腕はあるのか?」

「そこそこは」

 シャリアールはそう答えたものの、それほど腕に自信があるわけではなかった。

「まあ、いいだろう。一人でこんなところにいる以上何かの訳があるようだし。適当についてくるんだな。もし盗賊に出遭ったらちゃんと戦ってくれよ」

「もちろんです」


 思っていた以上にすんなりと同行を許された。


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