第17話 復讐
バハディンの自宅で打ち合わせを終えたシャリアールは、通りに出てキャラバンサライに戻り、荷物のこともあるので2泊するよう部屋を取った。サライにはハンマーム(蒸し風呂)があったので、そこで垢を落とし、すっきりして食堂で夕食を摂った。その際アルコールは摂らなかった。
翌朝。
身支度を整えたシャリアールは仮面をかぶった上にターバンを巻いてバハディンの自宅に向かった。武器は荷物と一緒に部屋に置いている。専属薬師が同行しているといっても見ず知らずの者が武器を携えて大公の前に出られないからだ。
午前10時にはまだ時間があったが、小さな荷物を手にしたバハディンが門の前で待っていた。バハディンの会釈に答え、シャリアールはバハディンに前を行くように言い、二人はカスレ・サルヴ館に向かった。
バハディンは打ち合わせ通り、シャリアールの身分を異国の薬師であると門番に偽った。そして、顔の傷を隠すため仮面をつけていると門番に告げた。
シャリアールはバハディンの言葉に合わせて顔に巻いたターバンを取り、さらに仮面をずらして左頬の傷を見せたところ、門番は何も言わず、二人を通した。
シャリアールは仮面を元に戻して、バハディンの後について館に入っていった。
そして玄関ホールから二人は、バフラームが伏せている後宮に向かった。
兵士が立つ後宮入り口でもシャリアールは仮面をずらして傷跡を見せたところ、型通りの身体検査だけで奥に進むことができた。
バフラームの寝所には、侍女が2人ほどいて厚手の絨毯の上に横たわったバフラームの世話をしていた。
「殿下。殿下のお体に特効のある薬を持つ異国の薬師を連れて参りました。彼はこの国の言葉が分かりません。それと顔に傷があるため殿下の前ですが仮面をつけています」
バハディンの言葉で、バフラームの顔がシャリアールたちの方を向いた。
バフラームの顔は痩せて、落ちくぼんだ目には生気はなかった。シャリアールはその顔を見て病床であった父の顔にそっくりだと思った。
そのバフラームが口を動かしたが、声にはならず、何を言ったのかはシャリアールには聞き取れなかったし、読み取ることもできなかった。
「それではお薬をお作りします」
バハディンはそう言って、手にしていたカバンの中から、小さなグラスと、おそらく酒精の入った小瓶を取り出し、小テーブルの上に置かれた水差しとグラスを脇にずらして、その上に置いた。
それを見てシャリアールは懐から『秋の亡霊』が入った小瓶を渡した。
バハディンは小瓶から酒精をグラスの3分の1ほど注いだ。おそらくその酒精は独特の匂いからアラクだろう。
バハディンはシャリアールから受け取った『秋の亡霊』を受け取り、慎重に小瓶の蓋を開け、荷物の中から取り出した小型のスプーンで中の粉末を少量掬ってグラスの中に入れ、かきまぜた。使ったスプーンはハンカチにくるんだうえ、荷物に戻した。『秋の亡霊』が入った小瓶はシャリアールに返した。
「殿下、どうぞお飲みになって下さい」
バハディンが侍女に会釈したら、侍女は二人ががりでバフラームを抱き起こした。
手前の侍女がバハディンから受け取ったグラスを片手で持ち、空いた手でバフラームの後頭部を抑えて、それからグラスをバフラームの口に当てて、ゆっくり薬を口に注いだ。
一度、バフラームはせき込んで薬を噴き出したが、残りは全部嚥下した。
侍女はグラスをバハディンに返し、タオルでバフラームの口元や衣服に付いた薬を拭きとってやり、ゆっくり寝かせた。
しばらくバフラームの様子を見ていたら、いきなりバフラームが目を見開き、そのあと、病人とは思えない勢いで跳ね起きて液体状の赤い何かを盛大に吐き出した。
「押さえつけるんだ!」
いきなりの病人の動きで固まってしまっていた二人の侍女は、バハディンの言葉でバフラームを抑えようとしたが、病人のどこにそんな力があったのか分からないが、絨毯の上で暴れるバフラームを抑えることはできなかった。
そのうちバフラームの動きが鈍って、力も弱まってきたところで二人の侍女はバフラームを抑え込むことができた。バフラームの目は見開かれたままで、シャリアールを睨んでいるようだった。
シャリアールはそこまで見届けて、侍女たちに抑え込まれたバフラームに近づいていき、ゆっくりと仮面を取った。
「兄さん。シャリアールだよ」
「ウ、ウウウ」
「特効薬はよく効いたんじゃないか?」
「シュ、シュ、シュリ……」
「シャリアールだよ。兄さんに嵌められた。
二人とも、ここはもういいから、館の中にいる重臣たちをここに集めてくれるかい?」
「は、はい、シャリアール公子」
二人の侍女は逃げるようにバフラームの寝所から出ていった。
「苦しいかい? 父さんのことも思い出せたんじゃないか? 同じ毒で死ねるんだ、良かっただろ?」
「……」
「このシャリアールが兄さんに代わって大公になる。兄さんの子どもたちはちゃんと兄さんの元に届けるから安心していい。よかっただろ?」
どかどかと部屋の外から音がして、兵隊たちと一緒に重臣たちが部屋に入ってきた。
彼らはシャリアールの姿を見て立ち止まった。
「みんなご苦労。先ほど、前大公を弑した大逆犯は死んだ。
バハディン、みんなに説明してやってくれ」
バハディンは打ち合わせ通り、バフラームとミーサークが結託して、自分をだまして前大公に毒を盛らせ、さらにその罪をシャリアール公子に負わせたことを説明した。そして、その証拠として、ミーサークが自書した、猛毒の使用法が記されたメモと、ミーサークが書いた納品書をバハディンは包みから出して重臣の一人に手渡した。
重臣たちが考え込んだところで、シャリアールは畳み込んだ。
「病弱で今にも死にそうな大公。そして大公の子はまだ幼く、後継者すらいない。帝国が見逃すとでも思っているのか!? 一刻も早くこの国には正当な大公が必要ではないのか?」
その言葉で、重臣たちの中の一人がシャリアールに跪いた。彼に続いて兵士たちも含めて全員が跪いた。
その日のうちに、バフラームの遺体から首が切り取られ、バフラームの子どもたちも斬首され館前の広場に大逆人としてさらされた。バフラームの妃、妾妃などは許されたが、館から放逐された。
館での凄惨な現場を逐一目撃したバハディンは、自宅に帰ったらそのまま妻子がいるイスファハーンに逐電してしまおうと考えた。
バハディンは逃げるように館から門から出て、広場に出、群衆が囲むバフラームとその子どもたちのさらし首の傍を通ったところで、後ろから駆けてきた兵士によって拘束され館に連れ戻された。
バハディンは館の大広間に連れていかれ、二人がかりでそこに跪かされた。バハディンの正面にはシャリアールが座っていた。
「わたしに嘘をついたのか!?」
シャリアールは何も言わず、椅子の隣の小型のテーブルの上に置いてあったグラスを脇に控えていた兵士に渡した。
「飲ませてやれ」
バハディンを抑え込んでいた兵士が無理やり彼の口を開けさせところで、グラスを持った兵士がグラスの中身をバハディンの口に流し込み、口をしっかり閉じた。
しばらくそうしていたら、バハディンは鼻から赤い液体を噴き出したので、兵士たちはそこから離れた。
バハディンはその場でうめき、吐きながら、赤い吐しゃ物の中でのたうち回っていたが、そのうち動かなくなった。
大公となったシャリアールは手紙と一緒に1000ディナールをサルヴ・エ・ゼリンのガザルの元に送った。
その手紙で自分の本名を明かし、サルヴ・エ・ゼリンでの厚恩への感謝のほか、カシュマールの大公になったことを知らせている。そして、厨房で働くシリーンの身の上も書き加え、カシュマールに戻るよう説得してくれるよう頼んでいる。
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ハサンの部下のうち、ハサンの計らいでただ一人生き残ったケマルは、老母を連れてカシュマールからイスファハーンに逃れた。一週間ほど体を休めたのち、さらに移動して帝国の地方都市で落ち着いたが、長旅の疲れが災いしケマルの老母は他界してしまった。
ケマルは母を弔った後、イスファハーンに移動して、サルヴ・エ・ゼリンとは違うキャラバンサライで門衛の仕事にありついた。
ケマル自身、ハサンの妹については気にはなっていたが、ハサンからは彼女について何も言われていなかったので、彼女の状況はまるで分からなかった。
サルヴ・エ・ゼリンから、シャリアールがカシュマールに向けて発った数日後。
シリーンは、食堂掃除を終えたところで、厨房頭のオシムにことわって、日用品を購入するためバザールに買い物に出た。実はカシュマールから逃げ出すとき持参した『ガラスの鏡』が割れてしまい、代わりの鏡を購入するためだ。手持ちの金ではガラスの鏡は買えないので、青銅の鏡を買うつもりだ。青銅の鏡では映し出される顔色が黄ばんでしまうのであまり好きではなかったが、背に腹は代えられない。ちなみに、割れたガラスの鏡はシリーンの亡き母の形見だったものだ。
鏡を探してバザールの中を歩いていたのだが、なかなか見つからない。そこらの店の人に聞くならなにがしかの買い物をしないわけにはいかないので、シリーンは自分で探そうといろいろなところを回っているうちに、ほかのキャラバンサライの前にやってきてしまった。
そのサライの門の前に立つ若い男の門衛が、自分の方をじっと見ていることに気づいた。少し怖くなってその場から離れたのだが、先ほどの男の顔をどこかで見た覚えがある。
誰だったのか、思い出せなかったシリーンは気になって、再度そのサライの近くに戻った。
そうしたら、その門番がシリーンの方に駆け寄ってくるではないか。
逃げようとしたら「サルヴァザール隊長の妹さん?」と声をかけられた。それでシリーンはその門番が、何度か自宅にやってきたことがある、兄の部下の一人だったことを思い出した。
シリーンはその場で立ち止まり振り返ったところ、やはりそうだった。
「お名前は憶えていないんですが、兄の部下だった方ですよね?」
「はい。ケマルといいます」
「兄の部下の人たちは兄ともども全員亡くなったと聞いていました」
「申し訳ありません」
そう言って、ケマルは自分だけ生き残ったいきさつをシリーンに話し、それからこうしてイスファハーンにいることも話した。
「そうだったんですね」
「お嬢さまは、どうされているのですか?」
「今はこの先のサルヴ・エ・ゼリンというキャラバンサライで雑用係として働いています」
「お嬢さまが、ですか?」
「はい。ほかに取り柄がないものですから」
「大したことはできませんが、何かわたしにできることはありませんでしょうか?」
「特にはありません。お心遣いありがとうございます。そろそろ帰らないといけないので失礼します」
「失礼します」
シリーンは思いがけない人に会ったことと、兄がどういった気持ちでシャリアールを助けたのかをケマルに聞いたことで動揺し、鏡を買うことなくサルヴ・エ・ゼリンに戻った。
仕事が終わったその日の夜。水場で夜空をぼんやり眺めながらシリーンはケマルに聞いた話を思い出していた。
「……でも、シャリアールが兄を見殺しにしたことは変わらない。シャリアールさえいなかったら兄さんは今も生きていて笑っていたし、わたしもカシュマールで何不自由なく暮らしていた」




