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秋の亡霊  作者: 山口遊子


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第16話 帰還


 シャリアールがカシュマールの御用商人ミーサークをバフラームから遠ざけるために、手紙をカシュマールに送って1カ月が過ぎた。


 シリーンとサルヴ・エ・ゼリンの中庭で出会ったシャリアールは、このところシリーンに出遭うたびに聞いているカシュマールで何か変わったことは起きていないか、と尋ねた。

「ナシール。会うたびにそれを聞くけど、何かを待っているの?」

「まあ、あるんだよ」

「そう。わたしにも言えないこと」

「そのうち話せるようになれば、話すよ」

「つまり、あなたの個人的な事情がらみってことよね?」

「そうだな」

「意地悪なこと言ってごめんなさい。カシュマールの御用商人のミーサークっていたでしょ?」

「ああ」

「あの男、カシュマールの大公の勘気に触れて手討ちにあったそうよ」

「店はどうなった?」

「没収されたんじゃないかな。家族と護衛と召使はミーサークが大公に殺された話を聞いてなんとか逃げ出したんですって」

「勘気に触れたって何をしたのかな?」

「前の大公が毒殺されたことに絡んでたんじゃないかって聞いたわ」

「何をしたんだろうな? 大公殺しに絡んでいたとなると、本人だけの問題ではなく一族にも累が及ぶから、逃げ出したわけか。逃げたということは、関係があったと認めるようなものだろうけど」

 実際は、認める認めないに関わらず、逃げ出すだろう。

「わたしもそう思う。つまり、逃げた公子と何らかのつながりがあったって事じゃないかな?」


 あくまでシリーンは、逃げ出した公子が悪人と思っていることにシャリアールは少し落胆したが次を続けた。

「それで、大公はどうしてるのかな?」

「どうなんだろう? その話は聞けなかった。それじゃあ、そろそろわたし行くね」

「シリーン、ありがとう」



 ガザルの部屋に戻ったシャリアールはギャッベに座り、今日の仕事が始まるまで、先ほどシリーンから聞いた情報について考えた。


――ミーサークをバフラームの手で討ち取ることができた。このことで、バハディンまで疑われてはまずいが、バハディンの場合、ミーサークと違い、カシュマールからイスファハーンに移動する機会はあまりないから、ミーサークほど疑われることはないだろう。とはいっても疑われないとは言い切れない以上、疑われるまでの使い捨てと思っておこう。


――バハディンがバフラームに薬を盛っていると思うが、バフラームの状態を知りたいところだ。


――噂か何かが流れてくれば、そろそろというところで、特効薬があるという触れ込みで、仮面をかぶりカスレ・サルヴに乗り込み『秋の亡霊』で止めを刺してやる。そして、仮面を取って自分こそは正当な大公であると宣言する。


――筋書きは荒いがそれほど齟齬があるようには見えない。


――待っていれば、バフラームはいずれ死ぬはずだが、その前にカシュマールに行かなくてはならない。とはいっても父のこともあるし、早くてもまだ何カ月も先の話だ。じっくり待っていよう。その時のために仮面は用意しておかないと。幸い、自分には左頬の傷がある。顔の傷を隠すための仮面と言えば怪しまれにくいだろう。



 それから、2カ月ほど経ったある日。サルヴ・エ・ゼリンの中庭で出会ったナシールにシリーンも方から話しかけた。

「ナシール。カシュマールの大公なんだけど、どうも病気で寝てるみたい」

「そうなんだ」

「後宮に引っ込んでいたっていうのは、病気だったからみたいね」

「そうなんだろうな」

「これで大公に何かあったらカシュマールはどうなるんだろう?」

「大公の子はまだ小さいんだから、重臣が跡を継ぐかもな」

「それしかないよね」

「あとは、逃げ出した公子が舞い戻って跡を継ぐ」

「それだけはないでしょう。親殺しの公子を誰も認めないわ」

「そうかもしれないが、もし、逃げた公子が無実だったらあり得るんじゃないか?」

「万が一無実だったとして、証拠がなければ何もできないわ」

「証拠があったら?」

「それは……」

「本当の犯人が今の大公で罪を弟に着せたとしたら?」

「そんな。でもナシールは何でそんなに逃げた公子の肩を持つの?」

「そういう可能性がないわけじゃないと思ってな」

「そう。もし、そうであっても……。いえ、なんでもないわ。そろそろ行くね」


 水桶を両手で持ったシリーンは駆けるようにして厨房に入っていった。


――バハディンはうまくやっているらしい。薬と称して毒を盛る。これ以上確実な暗殺はないだろう。ただ、バフラームの最期を見届けるのはこのわたしだ。



 一方、シャリアールとの先ほどの会話についてシリーンは食堂の掃除をしながら考えていた。


――ナシールが言っていたことが本当だったのなら、公子の護衛隊長だった兄さんはシャリアール公子が無実であることを当然知っていたはず。無実の罪で処刑されようとしていたシャリアール公子を兄さんは部下を集めて公子を救った。それに公子を陥れた今の大公が、公子の護衛隊を放っておくとも思えない。そういう考えもあるかもしれない。


 でも、


――兄さんを見殺しにしたのはシャリアール公子。これは変わらない。今のわたしと、兄さんにとって悪いのはシャリアール公子。今の大公が大元だろうと、それだけは変わらない。


 でも、


――もし、わたしが兄さんの仇を討ったとして兄さんは喜ぶ? 自分と部下たちが命を懸けてまで救い出したシャリアール公子を自分の妹が殺したとして兄さんが喜ぶだろうか? 分からない。わたしはどうすればいいんだろう?


――わたしのことは分からなくなってしまったけれど、ナシールっていったい何者なのだろう?




 それからさらに2カ月が過ぎた。

 シャリアールはガザルの部屋で帳簿仕事をして、空き時間に、今の復讐計画について考えていたら、計画の穴に気づいた。


――跡継ぎが未定のまま、カシュマールの大公が病床で明日をも知れないとなると、帝国の干渉が十分あり得る。


――あと半年とか悠長なことを言っている時間はない。さっさとケリをつけなければ。


 今まで世話になったガザルにちゃんと事情を話してから、サルヴ・エ・ゼリンから去ろうかとも思ったが、大事を取って、真相を話すことは止め、カシュマールに行くので1カ月の暇をくれるようガザルに頼んでみることにした。


「ガザルさん」

 シャリアールの口調に何かを察したガザルは、口にくわえていた水パイプの吸い口を離した。

「何だい?」

「1カ月ほど、お暇をいただけないでしょうか?」

「あたしは、あんたに今いなくなられちゃ、すごく困るんだけど、そういうことみたいだから、仕方ないね。いつ発つんだい?」

「明日にでも」

「分かった。しっかりおやり」

「ありがとうございます」


 その日シャリアールはきっちり仕事をこなし、帳簿のつけ方のメモまで作っておいた。少々心配だったができることはやった。無事仕事が終われば、改めてガザルに礼をしよう。

 そう心に決めて、シャリアールは帳簿仕事用のもろもろを片付けてガザルの部屋を出た。



 その日のうちに荷物をまとめたシャリアールは、翌朝、カシュマール行のキャラバンを見つけて同行させてもらう約束をした。それからバザールにおもむき仮面を用意した。シャリアールがバザールで購入した仮面は、顔全体を覆う真っ白なマスクで、両目用の穴と鼻の穴が二つ開いているだけの簡単なものである。

 最後にガザルに挨拶してサルヴ・エ・ゼリンを後にした。



 今回シャリアールは最初から仮面をつけてキャラバンに同行している。キャラバンリーダーは、シャリアールが同行を求めてきたとき、左頬に残った大きな傷を見ているので、その仮面を奇異な目では見ていない。


 キャラバンがカシュマール領に入ってからは、キャラバンサライが有料になっており、その都度利用料を払っている。シリーンからカシュマール領のサライには国からの補助が絞られていると聞いていたが、実感することになってしまった。



 シャリアールが同行したキャラバンは何事もなく10日の行程で、カシュマールのサライにその日の午後3時ごろ到着した。シャリアールはキャラバンリーダーに礼を言ってサライを後にした。


 仮面をかぶって街中を歩くことは、さすがに人目を引きすぎるため、シャリアールはターバンを目元だけ出すように頭から首までぐるぐる巻いた。そういったターバンの巻き方は街中ではあまり見かけないが、全く見ない格好ではないため、奇異の目で見られることはなかった。


 その足でシャリアールは、カスレ・サルヴ館の門の近くまで行き、そこからいったん距離を取って、門からバハディンが現れるのを待った。


 午後5時少し前に、バハディンが門から出てきた。シャリアールは、バハディンを見失わないよう彼の後をついて行き、彼が門を抜けようとするところに急いで近づいていき声をかけた。


「バハディン」


 その声で門を抜けようとしていたバハディンの動きが止まり、振り向いた。

「うまくやっているようじゃないか」

「はい。言われたことはやっています」

「家の中には誰かいるのか?」

「召使が一人だけいます」

「家の中で大事な話はできるか?」

「書斎なら大丈夫です」

「じゃあ、案内してくれ」


 シャリアールは、バハディンの後について家の中に入っていった。

 玄関に入ったところで、召使が現れたが、バハディンはその召使に書斎には近づかないよう一言言ったことで、召使は一礼して行ってしまった。


 案内された書斎の中で勧められたギャッベの上に座り、シャリアールはバハディンに計画を伝えた。


「大公が病床の上、後継がいないことを帝国が知れば。帝国はおそらく干渉してくるだろう」

「はい」

「わたしも、悠長に構えていられないと思い、カシュマールに帰ってきたわけだ。

 ミーサークが討たれた今、お前もバフラームに疑われ口封じされる可能性が高まっているのも事実だ」

 そこで、バハディンは頷いた。

「それで、明日のことだが、わたしをカスレ・サルヴに同行して、『秘薬』を持つ異国の薬師を連れてきたと言って、バフラームにわたしを紹介してくれ。わたしはカシュマールの言葉が分からないという設定だ。それとわたしはこの仮面をつけておく」

 そう言ってシャリアールは足元に置いていた背負い袋の中から例の仮面を取り出した。


「顔のあざを隠すために仮面をつけていると説明してくれればいい」

「分かりました」

「そうしたらわたしからお前に『秘薬』を渡すから酒に溶かしてバフラームに飲ませてくれ。耳かき1杯を盃に入れて飲ませれば10分もしないうちにバフラームは死ぬ。父が死んだ時と同じだ。おまえも知っているだろ?」

「まさか『秋の亡霊』!?」

「そうだ」

「分かりました。酒精はわたしが用意しましょう。しかし、それだけではただの殺人になりませんか?」

「そこで、わたしは仮面を取って正体を現し、死にゆくバフラームを糾弾する。

 館にいる重臣たちを呼び出すから、そのときお前が全てを話すんだ。そうだな、バフラームとミーサークが全てを仕組んでお前は騙されていたことにすればいい。ミーサークが口封じのためバフラームに殺されたこともいい材料になる」

「分かりました」

「そして、わたしは騒ぎに集まった連中に帝国の脅威とカシュマールの危うさを説明し、正統な後継者の必要性を説く。

 ここまでのことだが、これはわたしがわたしの都合で考えているだけのことだ。バフラームに疑われて、思ったようにことが運ばないかもしれないし、重臣たちがわたしを拒否するかもしれない。その時はお前も覚悟してくれ」

「はい」

「明日は何時ごろ出仕する?」

「午前10時に家を出ます」

「分かった。そのとき門の前で待っている。明日はうまくやってくれ。わたしだけでなくお前の命もかかっている。カシュマールの民の将来もかかっていることを忘れるな。それじゃあ」



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