第15話 次の手紙
バハディンを脅すことで前大公殺害の証拠は手に入った。しかし、証拠があるからといってのこのこカシュマールに戻ることはできない。そんなことをすれば、逃亡犯として捕まり即刻処刑されるのがオチだ。いや、処刑などと面倒なことはせず、その場で殺されるだろう。
誰にも邪魔されない形で公然とカシュマールに行き、重臣たちの前で証拠を突きつけて糾弾するしかない。
一つの方法は、帝国に頼み込む。ただ、これをしてしまうと、バハディンに伝えた通りカシュマールが帝国に飲み込まれてしまう可能性が高い。
シャリアール自身はカシュマールの大公になりたいわけではないが、カシュマールの民にとって帝国に飲み込まれることがいい選択とは思えない。
――自前で傭兵を募ってカシュマールに戻るのが一番ではあるが、そんな金はない。今の手持ちで雇えるのはせいぜい数名だ。事情を話せば資金提供してくれる人間はいるかもしれないが、その人物の傀儡に成り下がってしまう。それでは帝国に泣きつくのと同じだ。
――しかし、早いうちに行動を起こさなければ、バハディンを脅した内容が事実となって、本当にバフラームがバハディンを消すかもしれない。
――バフラームさえ殺してしまえば、何とでもなるのではないだろうか? その前に、ミーサークをどうにかしていないと、足をすくわれるかもしれない。
ミーサークを取り除くいい手はないか?
――儲け話をでっち上げて、のこのこ出てきたところを盗賊に襲わせる。
ないし、前大公殺しの毒を薬屋から手に入れたことで脅す?
少なくともミーサークには護衛が付いているわけだからうかつには近づけない。
うーん。
――そうだ! バフラームに偽の手紙を読ませて、ミーサークを疑うように仕向けてやるか。内容は『大公殺しをエサに』カシュマールを帝国に売る。十分あり得る。カシュマールが帝国に併呑され、新たに太守が送られて来ようと、カシュマールの御用商人の地位は安泰だ。それ以上に帝国の覚えがめでたければイスファハーンでの商売もやりやすくなるし大きくなれる。
手紙の文面はこうだ。
『ミーサークに注意せよ。ミーサークはカシュマールの秘密を帝国に売り渡す』
あまり詳しく書いてしまうと、自分とバハディンが疑われてしまうので、この程度の漠然とした内容の方がいいだろう。手紙の渡し方だが、キャラバンにカスレ・サルヴ館の番兵に届けてくれるよう頼めば、バフラームに届くはずなので、ハルールのような配達人に頼まなくても普通にキャラバンに頼んでいいだろう。
ガザルの部屋の机に着いて、そこまで考えていたら、クタイバがその日の最初のキャラバンからの上がりをガザルの部屋に持ってきたので、シャリアールは金額を確認して記帳した。
シャリアールは仕事の合間をみて、バフラームへの手紙を書き終えた。
うまくすれば、ミーサークを疑ってバフラームがミーサークを処刑する。ミーサークは商人だからそういった『臭い』には敏感だろうから、逃げ出すかもしれないが、その時はその時。少なくともバフラームからミーサークを引き離すことはできる。その時ミーサークへの復讐はバフラームへの復讐を終えた後で十分だ。
翌朝。バザールで封筒を購入し、手紙を入れ封をして、この日カシュマールに向かうキャラバンに『カシュマールの大公あての手紙なのでカスレ・サルヴ館の番兵にそう言って渡してくれ。それで大公に届く』と言って相場の1ディルハム銀貨と一緒に手紙を託した。
10日後にはカシュマールに手紙が届く。もし、それらしい異変がカシュマールで起これば、カシュマールからやってくるキャラバンから噂を聞けるだろう。
どういった形であれ、ミーサークをバフラームの周辺から排除し得たころには、バハディンがバフラームに盛った毒で弱っているころあいだ。最後に『秋の亡霊』で止めを刺す。
一人そうやって妄想を膨らませていたら、ガザルに、
「ナシール、何かいいことでもあったのかい?」と聞かれてしまった。
「いえ。昔の楽しいことを少し思い出したものですから」
「いい思い出は大切にしないと。あたしもこうやって水パイプでハシーシュを吸っていると若いころのことを思い出すよ。あの頃は苦しいこともつらいこともあったけれど、いい時代だった」
「いい時代だったと、あとから思えるような生き方は素晴らしいですね」
「そうなんだよ」
「今でも、昔の仲間と飲む機会とかあるんですか?」
「ああ、今、連中はイスファハーンで傭兵団をやっている。年に1度、彼らと飲むのが楽しみさね」
「いいですねー」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
シャリアールが、着々と復讐に向けて手を打っている間、シリーンは、時間があるときにはバザールで毒を探して薬屋を回っていた。しかし、薬屋で堂々と人を殺すための猛毒を売ってくれ、というわけにもいかず途方に暮れていた。
シリーンはシャリアールが『秋の亡霊』を手に入れた薬屋にも一度入ったものの、店主に何も言うこともなく、そして店主からも何も言われず、結局店の中を眺めただけで店を後にしている。
毒薬が手に入りそうにない以上、やはり、自分のこの手でシャリアールを斃すしかないとシリーンは思い始めた。不意を突いて相手の首筋を切り裂けば、女の細腕でも斃すことは難しくない。
そう思ったシリーンは、身を守ることはあきらめ、護身用の丈夫なナイフより、よほど鋭利なナイフをバザールで購入した。仕事を終えて就寝前の暗い部屋の中で、手になじむようそのナイフを持ち、見よう見まねで突いたり振ったりしていた。
そういった動きをしているうちに父と兄が自宅の中庭で剣のけいこをしていたことを思い出し、シャリアールへの憎しみを新たにしていた。
シリーンはあからさまにいじめられているわけではなかったが、同僚が陰口を言っていることは知っていた。
おそらく、シリーンが個室をあてがわれてガザルに特別扱いされていることと、彼女の口調が平民出のほかの使用人たちから敬遠されたのだろう。だからこそ、シャリアールに対する恨みが日々募っていった。
そういったこともありサルヴ・エ・ゼリン内に話し相手はナシールしかいなかった。そのナシールにせよ、たまに水場で立ち話をするくらいだった。
その日、シリーンが桶を持って水場で水を汲み、厨房に帰る途中でちょうどナシールが向こうから歩いてきた。
「ナシール、おはよう」
「おはようシリーン」
「ねえ、ナシール、あなたナイフは使える?」
「短剣ならある程度使えるけれど、ナイフはあまり使ったことはないな」
「そうか」
「ナイフがどうかした?」
「わたしもバザールで毒を探したんだけど、全然見つからなくて。それで諦めてナイフで仇を討とうと思ったの。女のわたしでも不意を突けば斃せるはずだし」
「そうかもしれないが、しくじればそれまでだぞ」
「それは覚悟の上。わたし、仇が討てれば自分がどうなってもいいの」
「それならそれまでだけど、シリーンが仇を討つことで、君が考えている人が喜ぶかな?」
「それは分からない。だって、その人はもう死んでるんだから」
「それでも?」
「それでもなの」
「うまく相手を斃したとして、その後はどうする?」
「周りに誰もいなければそのまま逃げるし、もし人がいたら、相手は処刑場から逃げ出した男だから、ここの官憲に引き渡せばいいと思っている。そうすれば、カシュマールに引き渡されるんじゃないかな。面倒にはなると思うけど、仇が討てたんだから、どうってことはないわ」
「なるほど」
今の状況ではシリーンを翻意させることは難しそうだ。
「そういえば、最近カシュマールがらみのうわさって聞いていない?」
「あるわ。長話できないから、その話は今度ね。わたしそろそろ行くね」
「うん」
そして、その翌朝。
「ナシール。昨日の話なんだけど、カシュマールの今の大公って、このところほとんど政務をせずに後宮に引きこもってるんですって」
バハディンがバフラームに遅効性の毒を盛り、効果が出始めたのかもしれない。これはいいことを聞いた。
「後宮にこもるくらいどうってことないんでしょうが、カスレ・サルヴ館を改築するとか言って、バザールの税金を上げたそうよ。そして、国内のキャラバン・サライへの補助金も絞っているんですって」
「そんなことをすると、商人が困るだろう。挙句の果ては商人がカシュマールに見切りをつけてしまう」
「わたしもそう思う。前の大公の時はそんなことはなかったのに、カシュマールはどうなっちゃうのかしら? 今のわたしには今更の話なんだけどね」
「大公が適任者に変わった方がいいんじゃないか?」
「今の大公の子どもはまだ5歳くらいじゃなかった?」
「そうかもしれない」
「今の大公の代わりになるといったら、逃げだした弟は罪人だし、ほかに兄弟はいなかったはず。あとの候補は前の大公の兄弟だけど、どうなんだろう? あまり聞いたことがないんだけど」
「もういないんじゃないか」
「そういうことか」
シャリアールの父の兄弟、すなわちシャリアールの叔父たちはシャリアールが子どもの頃には全てシャリアールの父の手によって殺されている。殺すべき正当な理由があったのかもしれないが、おそらく何もなかったのだろう。そういう意味では、シャリアールの兄バフラームは彼らの父の血を色濃く継いでいるともいえる。シャリアール自身にはそんな考えはなかったが、自分が大公にならなければ、殺される。と考えれば競争者を陥れることは当然かもしれない。だからといって、もちろんそれで免罪されるわけではない。




