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秋の亡霊  作者: 山口遊子


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第14話 交渉


 シャリアールがバハディンへの手紙をハルールに託して20日が過ぎていた。数日以内に手紙が届いたかどうかわかるはずだ。手紙が届いたのなら、バハディンがバカでない限り必ずこのサルヴ・エ・ゼリンに現れる。それも弱みを持って。

 その間、ガザルは手紙についてシャリアールに聞くようなことはなかった。


 シリーンと会うことも何度かあったが、特に話すこともなかったが、シリーンの瞳は以前と変わらない光を宿していた。


 その翌日の午後。

 ガザルの部屋で、その日の計算をしていたら、扉の先からハルールの声がした。

『ハルールだ。入っていいか?』

「入んな」とガザルが答えた。

 旅支度のままのハルールが部屋に入ってきた。

「手紙は確かに届けたぜ。これが受け取りだ」

 そう言ってハルールは、バハディンが印章を押した紙切れをシャリアールに渡した。

「それじゃあな。また何かあれば言ってくれ」

「ありがとう」


「ハルールは仕事だけはきっちりこなす男だ。ナシール、うまくいってよかったな」

「ガザルさんのおかげです」

「あたしは何もしてないさ」

「それでもです。ありがとうございました」

「じゃあ、その分きっちり働いておくれ」

「はい」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 バハディンだが、実は、ハルールと同じキャラバンでイスファハーンに到着しており、先ほどサルヴ・エ・ゼリンに宿を取ったところだった。

 ただ、ハルールから受け取った手紙には連絡方法など何もなく、ただサルヴ・エ・ゼリンに来いと書いてあっただけなので、ある意味途方に暮れていた。

 部屋に大きな荷物を置いたバハディンは仕方ないので、日暮れまで目立つところに立っていれば、先方の目に入るはずだと考えて、中庭の水場の傍に立っていることにした。


 そうやって2時間ほど立っていたら日が沈んでしまった。暗くなると同時に肌寒くもなってきた。仕方ないので、部屋に帰ることなくそのまま食堂で食事をとろうと食堂に向かって歩いていたら、前の方から左頬に大きな切り傷のある男がやってきた。

 そして、その男はバハディンの正面に立って冷たい声を上げた。

「バハディン」

 バハディンはその声に聞き覚えがあった。

「その声は、シャリアール、公子?」

「ああ、わたしは刑場から護衛たちの決死の働きによって九死に一生を得たシャリアールだ。お前がここに立っているということは、『そういうこと』でいいんだろ?」


「……」


「まあいい、わたしについてくるんだ」

 シャリアールはサルヴ・エ・ゼリンを出て、少し離れた路地の突き当りにバハディンを連れていった。左右の建物から漏れる光でわずかにお互いの表情を読み取ることができる。

「バハディン、お前のやったことは弑逆しいぎゃくだ。唆されてやったのだとしても許されるものではない。特にわたしにとってはな。そして、唆したのが今の大公であろうと帝国の前では無力だ。分かるだろ?」

 バハディンはわずかに頷いた。

「お前には証人になってもらう。証人になるなら、わたしがバフラームを断罪して正規の大公となった時、恩赦をくれてやることを約束しよう。お前がわたしを裏切った場合、手紙が帝国のしかるべきところに届くようになっている。カシュマールは帝国に介入の口実を与えることになる。そうなった後のことはお前でも理解できるだろ?」


「……」


「とはいえ、わたしも死にたくはないし、カシュマールを滅ぼしたいわけでもない。おまえも自分の家族とかいるなら、損得を考えたほうがいいんじゃないか? 確実な破滅か、希望に賭けるか」

「わたしは何をすればいい? いいんですか?」

「このままカシュマールに帰って、そのまま仕事を続けていろ」

「バフラームなら本当にお前を消すかもしれないから、家族だけはどこかに逃がして、自分もいつでも逃げられるようしておけ。そうだな、家族はサルヴ・エ・ゼリンに預けておけ。バハディン、わたしから逃げようと思うなよ」

「はい」

「それと、御用商人のミーサークも一枚かんでいるんだろ?」

「その通りです。公子の部屋にある薬学の本や器具など逐一バフラームに伝えていたうえ、最後の毒薬はミーサークが用意したものです」

「ミーサークが毒を用意したことが分かる証拠は何もないのか?」

「証拠になるかどうかわかりませんが、最後の毒、『秋の亡霊』の使用法というか取り扱いの注意についてのメモがわたしの家にあります。ミーサーク自身が書いたものかはわかりませんが筆跡がもし同じなら証拠になります。内容が内容ですからおそらくミーサークの自筆だと思います」

「なるほど。それなら、ミーサークが自筆で書いたものを探し出してもらおうか?」

「なんとか用意します」


「ところで父が体調を崩したのは、バフラームの指図でお前が遅効性の毒を盛っていたってことだな」

「申し訳ございません」

「許しがたいことではあるが、先ほどの言葉は守ってやるから安心しろ。

 いや待て、バフラームに毒を盛れ。お前がわたしの父に盛った遅効性の毒だ。それをバフラームに盛れ」

「それは……」

「出来ないわけではないだろ? 機会を見て一服盛れば、そのあと具合が悪くなり、毎日薬が必要になる。父と同じだ」

「分かりました」


「話はそれだけだ。行っていいぞ」

 バハディンは逃げるように駆けだしていった。

 そのあとをシャリアールはゆっくり歩いてサルヴ・エ・ゼリンに戻っていった。



 サルヴ・エ・ゼリンに帰ったバハディンだが、食欲もなくなってしまい、そのまま2階の部屋に戻った。

 寝台に上がり、毛布にくるまって目を閉じたものの眠れず、先ほどのシャリアールとの会話について考えた。


――わたしの証言があれば、シャリアール公子がバフラームを追い落として新たな大公となることは間違いないだろう。


――公子が大公となった時、果たして約束通り自分を許してくれるのだろうか?


――このままバフラームに仕えていれば、いずれ処分されることは十分あり得る。逃げ出すか、公子に賭けるしかないのか? 逃げ出すといっても、帝国内ではいずれ捕まるだろう。家人たちを連れて帝国以外の国で生活できるのか? それより老いた母親と子どもたちが遠国まで旅ができるのか? 到底長旅は無理だ。やはり、シャリアール公子の言った通り、サルヴ・エ・ゼリンに母と子どもたちを預けるしかないだろう。


――大公に最初飲ませたあの薬は少量なら何の問題がないどころか、確かに体調不良にも有効だ。ただ量を間違えれば毒になる。弱ってしまった大公に最後の『秋の亡霊』だ。あの毒を盛らなくても大公はあと一カ月ももたなかった。全てはシャリアール公子に罪を着せるためのものだった。


――わたしは一体何のためにあんなことをしでかしてしまったのだろう? バフラームの金に目がくらんだのは確かだ。娘のために東方由来の薬湯用の茶が欲しかった。あの金でその茶を買うこともできたし、娘はそのおかげで、今では体も人並みになった。


――今から考えれば、大公に事情を話せば金を貸してもらえたのではないだろうか? 何年かかろうがまじめに働いていれば必ず返せたはずだし、借金を返しながらでも何不自由のない生活が送れただろう。母も子どもたちも幸せに暮らせたはずだ。


――とにかく、シャリアール公子に誠意を見せるしかないだろう。まずはミーサークの自筆の何かを見つけることだ。家族はしばらく大都会であるこのイスファハーンに住まわせればいいだろう。10日の徒歩での移動は母や子どもたちでは厳しいが、ロバを2頭を購入して召使を一人つければ何とかなるだろう。


――準備が整えば、バフラームに例の薬を盛ろう。ことが露見しても自分一人が死ぬだけで済む。


 そこまで考えて、バハディンは考えるのを止めてしっかり目を閉じた。



 翌朝。荷物をまとめたバハディンは、カシュマール行のキャラバンを見つけ、彼らについてサルヴ・エ・ゼリンを後にした。


 シャリアールはサルヴ・エ・ゼリンから去っていくバハディンの姿を、2階から眺めていた。




 その日から10日経った。バハディンは無事カシュマールの自宅に帰りつき、家人たちにイスファハーンのキャラバンサライ、サルヴ・エ・ゼリンにしばらく身を寄せるよう言った。そして召使の一人に、ロバ2頭を購入して3人について行くように言いつけた。

 バハディンの母親は何かを悟ったように頷き、子どもたちの旅支度を始めた。


 翌日。バハディンの母と二人の子ども、そして召使の4名がバハディンの家を出ていった。彼らを見送った後、バハディンはカスレ・サルヴ館に出仕した。


 カスレ・サルヴでは20日ほどの不在理由を大公であるバフラームから聞かれることもなく、いつもの仕事に復帰できたが、バハディンにはバフラームの細い目や薄い唇が今までと違って見えた。

 そして、その日その日の仕事をこなしながら、バフラームに毒を盛る機会を待っていた。



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