第12話 秋の亡霊
イスファハーンのイマーム広場に続く大バザールの中にも、毒薬を扱っている薬屋があるということをガザルから聞いたシャリアールは、翌日から、ガザルに断って午前中30分から1時間ほど使って、バザールの中の薬屋を探して歩くことにした。
その前にシャリアールは、今の長剣では街中や屋内で取り回しが悪いので、その剣を売って新たに短剣を購入している。ハサンが用意してくれた短剣はあっけなく折れてしまったので、シャリアールが求めた短剣は肉厚でいかにも頑丈そうな一振りだった。もちろん、見た目通りそれなりに重い。
バザールをそういった目で歩いたところ、表に現れた薬屋は3軒あり、どの薬屋でも各種の薬草からちゃんとした粉剤などを扱っていたが、雰囲気からして毒を扱っているようではなかった。
その代わり、表から一歩奥まったところに店を構えていた薬屋とも思えないような佇まいの店を偶然見つけることができた。
扉を開けて男が出てくるとき、その先に、薬屋らしいガラス瓶の陳列棚が見えたからだ。
時間がそれほどなかったので、その日はそこまでで、シャリアールはサルヴ・エ・ゼリンの仕事場、ガザルの部屋に帰っていった。
翌朝。
シリーンに会ったシャリアールは、昨日の薬屋について話をしておいた。
「バザールの裏道でそれらしい薬屋を見つけることができた」
「ほんと!?」
「まだ、見つけただけで中に入っていないんだ。今日これから行ってみようと思っている」
「もし、そこで毒薬が手に入るようだったら教えてね」
「ああ」
「値段も聞いておいて」
「分かった。しかし、シリーンはその仇を見つけたとして、どうやって毒を盛るつもりなんだ?」
「まだ考えていないけれど、飲み物に混ぜればいいんじゃないの?」
「飲まないかもしれないし、飲んだとしても味に気づいて吐き出すかもしれないぞ」
「飲まなければ、仕方ないから、ナイフに塗って後ろから傷をつけるとか。一口でも飲めば死んでしまうような毒なら吐き出してもいいんじゃない?」
「そういった毒は高価じゃないか? それに売ってないかも知れない」
「そうかもしれないけれど、その時はその時よ」
「それもそうだな。その薬屋で毒を売っているかすらまだ分からないんだしな」
「そういうこと。それじゃあ。ありがとう」
「ああ」
シリーンと別れたシャリアールはその足で例の薬屋に向かった。
間口の狭い店の扉を開けて中に入ると、奥の方に初老の男がギャッベの上に座っていて、シャリアールが店の中に入ってきても何も言わず、水パイプでハシーシュを吸っていた。
シャリアールは男に近づいていき、
「この店で、ネズミ捕り用の薬を売っていませんか?」と聞いた。
男は、黙ったまま薬瓶が並んだ棚に向かって顎をしゃくった。
そこに置かれた小箱に入った殺鼠剤を手にしたシャリアールはその小箱を棚に戻して、
「うちのネズミはすごく大きくて、このネズミ捕りの薬では殺せないんです」
そこまで聞いた店の主人は、水パイプの吸い口から口を外し、
「何が言いたい?」と聞いていた。
「大きなネズミを殺したいんです」
「誰から聞いた?」
「誰からも。わたしも少し薬学をかじっています。その勘でしょうか」
「フン。どういったものが欲しいんだ?」
「ひとなめで殺せる」
「高いぞ」
「おいくらでしょうか?」
「10ディナールだ」
「それには口止め料も入っていますか?」
「もちろんだ」
シャリアールは懐から小袋を取り出して、店主の水パイプの隣にディナール金貨を10枚重ねて置いた。
男は金貨を懐に収めて、立ち上がり、一度奥の部屋に隠れてから、右手に陶器の小瓶を持って戻ってきた。
「飲み物に混ぜてもいいし、飲み口に塗ってもいい。大きなネズミでも一舐め、耳かきいっぱい分飲んでしまえば10分ほどで死ぬ。イヌサフランから抽出した猛毒だ。名前は『秋の亡霊』。黄色い粉末だ。この瓶にはどんな大ネズミでも10匹は殺せる量が入っている」
「解毒剤はあるんですか?」
「あるかもしれないが、儂は知らん。蓋を開けるとき粉が飛ぶかもしれないから気をつけろ、万が一手に付いたときは水でよく洗え。あともう一点。水に溶けないわけじゃないが溶けにくい。その代わり酒精には良く溶ける」
シャリアールはその小瓶を受け取り一緒に懐にしまった。財布代わりの小袋はまだ手の中にある。
「ところで、この店にカシュマールから大ネズミ用のネズミ捕り薬を買いに来た者はいませんか?」
そう言ってシャリアールは、小袋からディナール金貨を10枚取り出して店主の水パイプの隣に置いた。
「お前さん、商売人には見えないが、商売がうまいな。4カ月か5カ月前に客が来たが、カシュマールから来たかどうかは分からない。ただ、大きな金の指輪をしていてその指輪には正面を向いた獅子が刻まれていた」
「ありがとう」
「もういいのかい?」
「それだけ聞ければ十分です」
「それじゃあな。長生きしろよ」
店を出たシャリアールはサルヴ・エ・ゼリンへの道すがら、獅子が刻まれた指輪のことを考えていた。
――ミーサークは確かに大きな金の指輪を右手の人差し指にはめていたが、そこに獅子が刻まれていたかどうか、意識したことがなかったので定かではない。それでもシリーンはあの男の近くまで行っているわけだから、指輪を見ているかもしれないし、店の主人が覚えていたくらいだから覚えているかもしれない。明日、シリーンに聞いてみよう。
――先ほど手に入れた薬はどうしよう? 薬を扱ったことのない人間がうかつに触れば事故が起こる。シリーンには渡さず、薬屋のことも勘違いだったと言ったほうがいいだろう。
翌日。その日、シャリアールはシリーンに会うことができなかった。
気をもんだが、その翌日。シャリアールはシリーンに会うことができた。
「シリーン。一昨日例の薬屋に行ってきたんだ」
「それで、どうだった?」
「俺の聞き方が悪かったのかもしれないが、そういったものは置いてないと店主に『きっぱり』言われてしまった」
「まあ、そんなもの売っていると役人に見つかったら、タダじゃ済まないものね」
「そういう意味だと、そういったものを探していることが役人に知れたらそれはそれで危ないけどな」
「ナシール、あなたは大丈夫なの?」
「もうあの店に行くこともないし、俺がどこのだれかなど店の主人が知りようもないから大丈夫と思う」
「そうね」
「それはそうと、シリーンが言っていたカシュマールからのキャラバンの商人なんだけど、印章用の指輪をしてなかった?」
「そうね。人差し指に大きな金の指輪をしてたの覚えているわ」
「その指輪の紋章とか見えなかった?」
「覚えている。指を洗ってあげた時良く見えたから」
「それで、どういった紋章だった?」
「獅子が正面を向いた図柄だった。ナシール、あの商人がどうかしたの?」
「どうかしたって程じゃないんだけど、印章に興味があったんだ。俺もここの帳簿係になったから、印章を作った方がいいとガザルさんに言われているから」
「そうなんだ」
「獅子の図柄が使われているようなら、別なのにしないとな」
「それはそうね。でもそういったそれっぽい図柄は誰かが使っているわけだから、かぶらないことはないんじゃない」
「そうかもな」
「そろそろ、わたし行くね」
「ああ」
とにかく、あの店で毒薬を購入したのがミーサークであることが分かった。一歩前進した。
それはそうと、シリーンをごまかすために印章用の指輪を作ると言ったが、確かに印章くらい持っていた方がいいかもしれない。カシュマールにいた時はちゃんと公子としての印章を父に用意してもらって持っていたが、それと同じものを作るわけにもいかないので、そのうちちゃんと考えないといけない。




