第10話 復讐相手
シャリアールがサライ、サルヴ・エ・ゼリンの帳簿係となった当日。
午後に入り、人夫頭のクタイバがガザルの部屋にやってきて、キャラバンの到着を告げ、受け取った代金をガザルに渡した。
「クタイバ。これからはナシールに受け取った金を渡して、キャラバンの責任者の名前を教えてやってくれ」
「へい。ナシール、偉くなったな。これが代金だ。キャラバンの責任者の名はメルブのハーシムだ」
「はい」
シャリアールは新しい帳簿用の紙に横線を定規で引き、告げられた名前をその線の上に書き込み、代金を勘定してから、名前の横に金額を書き込んだ。
それから、2回ほどクタイバがやってきて、シャリアールに代金を渡し、キャラバンの代表者の名を告げた。そして最後に「今日のキャラバンはこれで最後だ」と言って部屋を出ていった。
帳簿に書き記し、それからしばらくして、人夫たちが日当を貰いにガザルの部屋に順番に入ってきた。ガザルに言われた名前通りの金額をシャリアールが人夫たちに渡していった。
人夫たちのあと、サライの雑役婦たちがやってきて、同じように日当を渡していった。
日が沈み部屋の中が暗くなったところで、ガザルがランプの灯をともした。
「ガザルさん、食事はいいんですか?」
「厨房の連中が日当を受け取りに来るとき食事を持ってきてくれる。それから1時間くらいしたら厨房頭のオシムが今日の上がりを持ってきて、食器を片付けてくれる。それで今日の仕事は終わりだ。ナシールの食事も届けるように言っているから、あんたもここで食べな」
「ありがとうございます」
「朝食は、外で食べなくていいから、食堂の中で食べな。もちろん金を払う必要はない」
それから30分ほどして、厨房係がガザルの食事をトレイに載せてガザルの部屋にやってきてトレイをガザルの前に置いた。そのあと、ガザルが告げる名前通り、表を見てシャリアールが日当を手渡した。
ガザルはすぐに食事を食べ始めた。ガザルのトレイの上にはジョッキが置かれていたので何かの酒が入っているのだろう。
次に入ってきた厨房係もトレイに食事を載せていて、そのトレイをシャリアールの前に置いた。その厨房係にも名前の通り給金を渡した。シャリアールのトレイの上にもジョッキが置かれて、中には薄めた葡萄酒が入っていた。
……。
厨房係の最後になったシリーンにも日当を渡した。シャリアールがそこに座っていることにシリーンが驚いていたが、何も言わず日当を受け取って部屋を出ていった。
シャリアールも食事を始め、残さず食べ終えて、最後にジョッキに入った薄めた葡萄酒を飲み干した。
食事の間ガザルは何もしゃべらなかったので、シャリアールも無言で食べている。
食事を終えて、30分ほどしたところで、厨房長がやってきて、今日の代金だといって、シャリアールに小袋を渡して、二人の食器をまとめて二枚重ねたトレイの上に載せて帰っていった。
その日の最後の入金額を確認して、それを帳簿に書き込んで、残高と、帳簿の金額を確かめた。
「終わりました。帳簿の金額と、残高は一致しています」
シャリアールは、帳簿と硬貨が入った袋をガザルに手渡した。
「ナシール、今日はご苦労さま」
「こちらこそ」
「そういえば、お前さんの寝床だが、この部屋の左隣を使ってくれ」
「分かりました」
シャリアールは、1階の雑魚寝部屋に戻って荷物をまとめ、2階に上がりガザルの部屋の左隣の部屋に入った。
扉を開けて、外の星明りで見たその部屋は空っぽで細長い部屋だったので、シャリアールは背負い袋の中から毛布を取り出して床に敷き、マントを羽織ってその上に横になり目を閉じた。
馬匹の臭いはわずかにしたが、厩舎の糞尿の臭いが漂っていないことに、目を閉じて初めて気づいた。
翌日。目覚めたシャリアールは朝の支度を済ませて食堂に入っていき、席についただけで、食べ終わった食器はそのままでいいと付け加えて、食事がテーブルの上に届けられた。人夫のころに食べていたものと同じもののほか、羊の肉を焼いたものまで載っていた。さらに、薄めたブドウ酒までついていた。
朝食を終えたシャリアールは2階に上がり、ガザルの部屋に行き、自分のギャッベの上に座った。ただ、午前中にはそれほど仕事はないので、自由にしていいとガザルから言われてしまった。
部屋の中にいても仕方ないので、シャリアールは部屋を出て散歩することにした。
中庭では、人夫たちがキャラバンのロバや馬に荷物を載せる手伝いをしたり、厩舎を掃除した汚物などを運んでいた。
しばらく彼らを眺めていたら、シリーンが桶を持って厨房から出て、水場に歩いていくのが目に入った。
特に用事があったわけではないが、彼女がハサンの妹であることが分かった以上、何かの手助けがしたいと思い、困っていることなどないか、聞いてみようという気になり、彼女の方に歩いていった。
「あら、ナシール。あなた、知らない間にずいぶん偉くなったみたいね」
「ガザルさんに、読み書き計算ができないかと聞かれて、出来るといったら、それで帳簿係になったんだ」
「へー、そうなんだ。わたしは読み書きは何とかできるけど、計算は苦手だから、無理ね」
「きみは、どこの出身なんだい?」
「わたしは、……。どうせ分かることだし、カシュマールよ。わたしってイスファハーン生まれに見えなかった?」
「実は俺もカシュマール出身だから、何となく分かったんだよ」
「そうなんだ。わたしが読み書きができるってことは、それなりの家の出身って分かるでしょ?」
「分かる。そしてきみが一人でここで働いているってことで、事情があるってことも分かる」
「ナシールだって読み書き計算できるってことは、それなりの家の出身で、事情持ちってことじゃないの?」
「その通りだよ」
「どういう事情かは分からないけれど、何か問題があるようならお互いに協力したほうがいいと思わない?」
その時シャリアールはシリーンの瞳の裏側に宿る炎を垣間見た気がした。その炎はナシールが隠し持っている炎と同じものだとシャリアールは直感した。
「きみの言う通りだ」
「とはいっても、今のわたしはしがない雑役婦だから、できることは少ないわ。結局のところ、あなたに頼ることの方が多いと思うけどね」
「それでもいいんじゃないか」
「あなたがそれでいいというなら、わたしにとってはありがたいわ。そろそろ行くわね」
そう言ってシリーンは水を汲んだ桶を持って厨房に帰っていった。
シリーンがまた桶を持って外に出てくるかもしれないと、シャリアールはそこで少し待ったが、シリーンは現れなかったので、ガザルの部屋に戻ることにした。
翌日。
昨日と同じような時間にシリーンが桶を持って中庭に出てきたので、シャリアールは昨日の話の続きをした。
「きみに頼みたいことは、カシュマールのうわさ話を聞いたら、なんでもいいから教えてもらいたいんだ」
「そんなことでいいの?」
「うん。俺が君を手伝えることはない?」
「誰にも言わないでよ」
「もちろんだ。しかし、俺を信じていいのかい?」
「あなたも事情持ちだし、わたしの秘密を知って誰かに漏らしても、あなたにとって得になるとは思えないから」
「なるほど」
「実はわたし、ある男を探しだして、殺そうと思っているの」
「復讐?」
「そう。それがわたしの秘密。それを誰かに漏らしたところで、あなたにとってあまり意味はないでしょ?」
「そうだな」
「相手の名前は言えないけれど、非力なわたしじゃ、何もできないから、毒薬を探してるの。そんなものどこに売っているかも分からないし、いくらくらいするかもわからないでしょ? ということで、もし分かるようなら毒薬の入手先を教えてもらいたいの」
「俺も毒薬がどこに売られているかは知らないけれど、分かるようなら教えるよ」
「うん。お願い。それじゃあ。もう行くわ」
シリーンの頼みが意外だった。彼女の復讐相手は誰だろうと考えたが、彼女がハサンの妹であることしか知らないシャリアールでは、まさか自分がその相手であることなど夢にも思いつかなかった。
ただ、昨日、シリーンの瞳の裏側に宿る炎を垣間見たと思ったのは気のせいではなかったと知った。
もちろんシャリアールは毒薬などどこに売っているかなど知らないが、シャリアールに薬学の試料や器材を納めていた御用商人のミーサークなら知っているだろう。現に、シャリアールは毒薬の材料になる試料をミーサークから買い付けている。
シャリアール自身、試料と器材がそろえば、「それなりの」毒薬を作ることは可能だ。バザールの中を探せば、そういった器材も手に入るだろうし、ガラス器具など売っていなくても、どこかにガラス職人はいるだろうから注文してもいい。シリーンが毒薬を探していると言っていたが、自分の復讐のためにも毒薬を用意して損はないので、真剣に探してみようとシャリアールは考えた。




