3 移送
「はいお兄様、立ってください。わたくしの腕はこれ。……進行方向に向かって歩きますよ、良いですか?」
ベッドに座っている兄を、安全にテーブルまで連れていく。
これがシャロンの第一のミッションだ。
「後3歩歩いたら止まってくださいませ。3、2、1……。はい、ではお兄様の左手の辺りに椅子がありますから、気をつけてお座りになって。」
慣れたように案内するシャロン。
オルフェウスの介助をするのはシャロンだけだから、自然とどういうふうに言えば彼が分かりやすいか身についてしまった。
席に着いたオルフェウスは、さりげなく机の縁をなぞる。
「今日もありがとう、シャロン。君がいないと私は何も出来ないね。」
オルフェウスは苦笑を浮かべる。
兄として、妹に頼ることしか出来ないのは歯がゆいことだった。
「いいえ、お兄様。お兄様のことは、わたくしが面倒を見ないと。他の人たちは信じられませんわ。」
それに、頼ってくれないと困る。
(お兄様が頼るのは、わたくしだけで良いの。わたくしに依存して。わたくしだけが家族だって言って?)
シャロンはブラコンなだけでなく、兄限定のヤンデレでもあった。
いじめられている兄を守ってやれるのは自分だけ。
目が見えず、自分の部屋すらほとんど出ない兄の世界の全てになっているという優越感。
兄も自分を無条件に信頼してくれている安心感。
全てが麻薬のようにシャロンを支配しているから、義理の家族からの扱いがひどくても、望まぬ婚約をさせられていたとしても耐えられるのだ。
「お兄様、パンはここ。10時の方向に冷製スープがありますから、お気をつけなさって。今日はカボチャのスープですわ。」
しばらく兄の介助を続ける。
「シャロン。毎日ありがとう。こんな不甲斐ない兄ですまないね。……そういえば、君が王子妃になる日はいつなんだい?」
「お兄様が気にやむ必要など一つもありませんわ!それと、その話はしないでくださいませ。……わたくし、本当はフィリップ殿下の妃になどなりたくはないのですから。」
シャロンは思わず低い声を出してしまい、オルフェウスは肩を震わせた。
(ああ、違うの。お兄様を怖がらせるつもりはなかったのに…!)
「ごめんね、シャロン。心優しいシャロンがそんなに嫌がるなんて、第二王子殿下はよほど君の好みから離れているのだね。」
パンをちぎりながら謝るお兄様は、それだけで絵になるほど美しい。
「……。そうですわね、あまり良い方とはお世辞にも言えませんわ。それに、わたくしはお兄様と結婚したいのに。」
「……シャロン。それは言ってはいけないことだ。私たちは実の兄妹なのだから。」
「でも!お兄様は、わたくしのことが嫌いなの?」
意地悪な問いだということは、シャロンにも分かっていた。
「まさか。私は君のことを愛しているとも。お兄様がシャロンを嫌いだったことなんて一度も無いよ。」
なら、わたくしと結婚してくれたって良いじゃないですか。
その言葉が否定されるのは分かりきっていたから、シャロンは喉まででかかった言葉を飲み込んで「まぁ嬉しい!わたくしもお兄様のことが大好きです!」と言った。
(大好きで、愛しいお兄様とずっと一緒にいたいわ。)
◆◆◆
ガタン、ガタッ!
馬車が石を踏んだのか、車体が大きく揺れる振動で、シャロンは目を覚ました。
「シャロン、大丈夫かい?」
隣に座るオルフェウスが、シャロンの腕を掴みながら心配そうに尋ねてきた。
「ええ、大丈夫ですわお兄様。石か何かを踏んだようですわね。……それに、わたくしはお兄様さえいてくだされば、大丈夫じゃないことなんて一つもないのです。」
「ふふ。シャロンは頼もしいね。」
オルフェウスが美しい顔を綻ばす。
時は戻って、シャロンが衛兵に腕を掴まれた後。
シャロンは馬車に押し込まれ、実家であるスノーリナベル伯爵家に一度送り返された。
もちろん、逃げないように衛兵がついている。
(こんなに仰々しくなくても、わたくしは逃げたりしないのに……)
婚約破棄のうえ国外追放ということは、大嫌いなフィリップからも家族からも離れられるということだ。
むしろ喜んで罰を受けたいところである。
伯爵家の玄関には待ち構えていたように、父・スノーリナベル伯爵が小太りな体をふんぞり返らせて立っていた。
傍らにいる家令が持っているのは、小さなスーツケース。
(もしかして、わたくし着の身着のままで出ていかなくても良いの…?)
シャロンの心の中に少しだけ希望が湧いてくる。
シャロンは冷静そうに見えるが、実際はとてつもなく緊張している。嬉しいのは事実だが。
たった17歳の少女がいきなり濡れ衣を着せられ、国外追放を言い渡されたのだから。
気を抜いたら立てなくなって泣いてしまいそうなのを、必死にこらえているだけ。
(濡れ衣のあげく死刑にならなくて本当に良かった…!)
シャロンが玄関まで護送されると、父である伯爵が小太りの体を揺すり真っ赤な顔をしてシャロンを怒鳴りつけた。
「……この恥さらしが!王命で結ばれた婚約をこんな風にダメにしやがって!メーニャが代わりに入らなければ、我が伯爵家は赤っ恥をかくところだったわ!」
「……申し訳ありません。ですが、わたくしは断じてやっておりませ……」
「やったかやっていないかは問題では無い!『証拠付きで事実として出された』、これが問題なのだバカが!お前とは縁を切ってこの恥も無かったことにする、全くフィリップ殿下が国外追放の刑にしてくださって助かったわい……」
どうやら、父はわたくしを捨てるらしい。
なんとなく分かってはいたが、肉親の情なんてものは存在しないのだろうか。
「それで、だ。」
アーダルベルトはしばらくシャロンを怒鳴っていたが、家令に「これ以上は血圧が……」と言われようやく静まった。
「お前はもう伯爵家の人間ではない。罪人だ。だが、ワシは慈悲深いのでな。お前に手切れ金をやろう。」
(自分で「罪人に施しをした」と自慢したいからでしょうが……)
半ばシラケた気持ちになるが、貰えるものは貰っておきたい。
「ありがとうございます、お父様。」
家令からスーツケースを渡される。
(……思ったより、入っているかもしれないわ。)
恐らく、浪費家の父は相場が分からなかったのだろう。
価値観の違いがこんな所で裏目に出るとは。
シャロンは心の中でニヤリと笑いながらスーツケースを軽く上げ下げした。
「ゴホン。それと、もうひとつ。お前に手切れ金がある。」
シャロンがスーツケースを見つめていると、父・アーダルベルトがわざとらしく咳をした。
それを合図に、玄関のドアを開けて、使用人に連れられた人物が姿を現した。
「……!お兄様!?」
閲覧いただきありがとうございます。
もしよろしければ、評価やリアクション等頂けると大変励みになります。




