オタクに優しいギャルなぞ存在しない
ギャルへの想いが溢れてつい書いてしまいました。どうかご賞味下さい
オタクに優しいギャルなんてものは存在しない。
オタクなんてものは外見が良いでもなければ基本的に忌避されるものだ。
ブヒッとわざとらしい鳴き声は気持ち悪いし言動も気持ち悪い。価値観の押し付けは人を大いに不快にさせる。
自分の好きなものが全人類が好きでないと許せない。布教と名のついた気持ち悪いトークを一生続け理解されなければ悪態を吐き暴言を吐き、理解した様に見せてはいや、俺の方がそれのこと知っているからとマウントを取りたがる。更に言えば同担拒否とか言って他の人間を敵視したがる。
どうしようもない生き物、他人の好きなものを逆に否定するし貶す。本当にウザい生き物がオタクという存在だ。
そんなオタクの外見的特徴を真似ているのが俺、捨石小鉢だ。
と言っても脳内でこんな貶している通り俺はオタクが嫌いだ。本当ならこんな格好したくない。
けれど今の俺はとある契約により少なくともこの学校を卒業するまでは続けなければならない。
実はこの学校は裏社会、しかもファンタジー的な秘密組織が経営していて、俺はその組織に拾われた孤児…なーんてことは誰にも知られてはならないからだ。だからこの役割を羽織る必要がある。
「ねぇオタクくん!」
俺の役割はこの学校の平和を守ること。
…違うな、この学校を設立した存在の思い通りになる様なクラスを作ること。だからこそあまり目立たない様にこんな格好をしている。ぼっちというのは役割を羽織る者にとって都合の良い配役だからだ。
「オタクくんってば!!」
「…な、なんですか…? 篠宮さん…」
だからこそ目の前の存在が憎くて仕方がない。目立ちたくない俺にとって邪魔にしかならない存在。
「昨日やってたマジすく見た!?」
オタクに優しいギャルなぞ存在していいわけがないのだ。
「見ましたけど…」
「今回の話めっっちゃよくなかった!! あたしもう最初から最後までずっとドキドキしちゃってサァ〜!」
彼女の名前は篠宮みくる、可愛らしい名前に違わず外見は美少女、そしてギャルだ。
ギャル、ギャル…おぉ、ギャルと言えばオタクの敵、嘘告白とかイジメとか様々な手を使ってオタクを苦しめる存在…その後に断罪されてしまうというちょっと可哀想な役柄。
……ちょっと前まではそうだった、けれど最近では彼女の様な優しいギャルが生まれてしまっている。
そもそもの話、ギャルというのは案外いい人間が多いのだ。それを隠キャが的を得ない恐怖心を抱き陽キャは怖いと断定したことによりギャルは悪いイメージを持たれる様になった。
しかし奴等は気づいてしまったのだ。
『あれ? 案外ギャルっていい人多くない?』と。
その結果、ギャルのキャラクターは大きく舵を切った。オタクに優しい、オタクだけに優しい存在。そんな俺だけに優しいギャルという存在は隠キャ共の悦楽を満たすには持ってこいの存在だった。
ギャルはエロいという偏見からすぐさま筆下ろしされるという展開。
オタクの独占欲が強いからと処女で初心という設定。
ダウナーで自分だけに頼ってくれるという都合のいい鏡像をギャルに押し付けた。ぶっちゃけそういう展開は嫌いではないがご都合主義すぎると大いに叫びたくなる。
それもこれも全て自分が劣っているから周りにいる美少女により自分の価値を上げたいという見え透いた魂胆、それによる都合のいい自分だけに優しいという存在を作り上げようとする危害が気に入らない。その考え方の一番の被害者がギャルだ。もしくは学園一番の美人とかだ。
「ねぇオタクくん聞いてる〜?」
「き、聞いてますよ。めちゃよかったですよね、あの戦闘」
ただ優しいだけで好かれるなんてものはあり得ない。優しさなんてものは誰だって持っているものだからだ。それ以外の付加価値をどれだけ持っているかによって人の好きが決められていく筈なのだ。
顔面、金、体。他には趣味が合っているかどうかなどetc…その付加価値の相性がどれだけ良いかによって人は好みを相手を決める。
よくあるクズ人間が好きと言う存在は前提である性格を引いてもその人の付加価値、例えば金持ちとか顔が良過ぎるとかを優先してそれ以外を落としているだけ。そいつが変わっているだけなのだ。
優しさなんてものしか持ってないから、他には何の自信もないからそれを持ち上げる。持ち上げに持ち上げて不可解な俺だけという存在を作り上げる。もしくはそれ以外の存在を過度に落として自分の価値を相対的に上げていく。そんな思考がオタク共にはあるのだ。
ちゃんちゃら可笑しい。なぜ金持ちとかイケメンとかを性格ブサイクにするのだろうか。常識的に考えて金持ちは心持ちが穏やかで優しいしイケメンはチヤホヤされるのに慣れていてその環境を崩したくないから周りに敵を作らない、裏でも何でもしない、普通に優しい存在だ。
そんな破綻している様な性格クズがいるわけがない。むしろ不細工でデブでチビの方が偏屈で他人の全て妬んでいるから性格がクズな存在が多い。無論、そういった人達にも優しい人がいるというのはわかっている。むしろ上限値的にはこちらの種類の方がいい人間の方が多い。だが分母が多いせいでどちらの数も増えていくと言うだけのことだ。
勝てないから被害妄想をして自分の唯一の強みを突出させるしかない。その突出のさせ方が異常過ぎるから嫌い。周りの排除の仕方も異常過ぎるから嫌い。これはそう言う話だ。
「やっぱり〜! オタクくんもそう思うよね〜っ!!」
「は、はは…」
だから、こんな存在がいていいわけがない。こんなオタクに優しいギャルなんてものは存在してはいけない。
過度なスキンシップも、その人の良い笑顔も。他のクラスメイトには見せない特別な表情も俺に向けられるべきではない。
こんな存在がいるからオタク共は勘違いをする。オタクに優しいギャルはいるんだと余計にギャルという存在を自分勝手に改造していく。
これはオタクに優しいギャルなんかじゃない。誰にでも優しいギャルなんだってことに何故気づかない。どうしてそこまでして自分の価値を外付けで上げようとする。自分以外の存在を酷使しようとする。
「………っ」
たった一度…たった一度助けただけじゃないか。
本当はそうするつもりはなかった。たった一度だけ自分の領分から過ぎる行為をした。
単なるクラス内の揉め事、単なるよくあるイジメ。
猿山の大将のように自分達が作り上げたグループ、それを一番にするために見せ様の様に自分よりも優れている人間を吊り上げた。
そんなのは単なる子供のお遊び、本人にとっては辛く苦しいこと、優越感に浸るための催しなのかもしれないが俺には関係ない。転校するなりそのまま耐えるなり、様々な対処法があった。それを俺が手伝う義理はない。むしろ越権行為になってしまう。
俺はこの学校に活かされている。この学校が崩壊する様な事象にしか手を出すことが許されていない。…だから、俺は篠宮を助ける必要も義務もなかった筈なんだ。
……けれど。
あの優しい笑顔が。
その場では気丈に振る舞っていたとしても、誰もいない教室で見せたあの顔が…。
鞄の中がぐちゃぐちゃになり、親に作って貰ったであろう弁当が見るも無惨な状態になり。そこでようやく流したその涙が脳裏に刻み込まれてしまったから。
何にも悪くないのに、母親に対してごめんなさいと謝って涙して。美しいと、素敵だと思っていたあの顔を歪め、ポタポタと地面に落としてしまっていたあの残響が…俺を越権行為走らせた。
必要がないのにクラスに崩壊の兆しがあると報告した。その主犯格がいる限りクラスの平和は保たないと報告してそいつを潰した。
今ではきっとそいつは地下の研究施設に送らされ最悪な目に遭って、そうして商品として今頃何処かに売り飛ばされているだろう。
記憶処理をしてそんな人間はいないことになった。もうあの事を誰も覚えている筈がない。
元の日常…退屈で最悪で鬱屈で、それでも側からその顔を眺められたならそれでいいと思える様な日々に戻れる筈だったのだ。
けれどどうしてかあの頃とは違う様な関係性が構築されてしまっている。何故か俺と彼女が友達ということになってしまっている。
偶々彼女が俺のスマホ画面を覗いていて、偶々彼女が俺と同じゲームをしていて、そこからキャラクターの好みが共に同じで、何故だか近くいると互いに心地よくなっていて…そんな関係俺は望んでいなかった。
オタクに優しいギャルなぞ存在しない。オタクに優しいギャルなんて存在しちゃいけない。
だって、そうでなければ惨めになるだろう? こんな夢みたいな状況を味わって仕舞えばもっと辛くなるだろう?
最終的に、主人公である彼女と敵対するであろう俺にとって、それは地獄よりも辛いことだから。
憎い、憎くて仕方がない。
オタクに優しいギャルなんて概念があるからいけない。誰にでも優しい存在を改変してオタクだけに優しい存在にするなんて間違っている。
彼女は、彼女はもっと…それこそ俺の様なカスみたいなオタクなんて存在じゃなく…もっともっと凄い人間と関わるべきだから。俺と関わる時間なんてものは無駄なのだから…。
だから、オタクに優しいギャルなんてものは存在してはいけない。オタクにも優しいギャルにしなければならない。
嗚呼、なんて惨めなのだろう。
─
きっと、今は最終決戦とも呼べる時だ。
走馬灯は終わり、場面は移る。…こんな日もあったなと思い出に耽る。
「これで、貴方の悪事は全て暴いた。…もう何をしても無駄だよ」
彼女は俺の正面に立っていた。数人の仲間を連れて、威風堂々と…正しく主人公の如く俺達の前に立ち塞がっていた。
精巧な顔付き、幾つも困難を乗り越えただろう。彼女の表情はあの時とは少し違って逞しくなっていたけれど、それは彼女の美しさを際立たせることにしかならなかった。
「いや、違うな…ここで君達を消せば全ては元通りだ。無かったことに出来る」
俺を拾った張本人、ボスがそう言う。横から見たら小悪党にしか見えないがその実単体だけの性能で見ればこの場の中でも一番か二番程度には強い。
俺ら悪党側というのは個の力が無ければ成り立たない。その逆の立場は和の力が無ければ成り立たない。
強者とは常に悪意ある存在に成り果てる。過ぎた力が身を滅ぼすとはこういうことだ。
和の力に頼った時点で個のしての力は死ぬ、個を突き詰めるためには和が邪魔だからだ。
突出した個は悪意しか運ばない。…ボスはその典型的な例だろう。
「そんなことはさせない。絶対にさせないんだから」
「応とも、お前はここで終わりだ。絶対に潰す」
「……今まで聞いてきた悲痛な声、その声に今報います…!」
覚悟を持って彼女の仲間達が声高々に叫ぶ。…本当に眩しくて仕方がない。アコガレてしまう。
内心で鼻で笑う。何を言っているのか、本当はそんなことこれっぽっちも思っていない癖に。
憧れはきっとある。けれどもそれは彼らの立場を思ってのことじゃない。
俺はあんなにも正義には酔えない。他の誰かの犠牲に報いることなんて出来ない。
…そう、俺が憧れているのは立場だけだ。彼女の側、それだけが俺の欲しいものだった。
「…絶対に負けない。貴方達を許すことなんて絶対に出来ないから…だから、倒す…!!」
「………」
…勿論いるよな。
彼女が主人公だとするのならその対は絶対に存在する。
彼女と共に歩み、彼女と共に成長する…そんな格好の良い主人公が、きっと。
…そいつは冴えない男だった。普通の顔で普通の体型。普通の体格に普通の男…けれどもやる時はやるであろう正しく主人公。
いろんな挫折を経て成長し、多くのヒロインを手にする…そんな主人公がそこにいる。
「…はっ」
思わず空気を吐き捨てる。気に食わなくて仕方がなかった。
その姿は俺が表で過ごしていた格好そのままだった。…そういう目立たない存在こそが誰よりも主人公の席に座ることが出来る。
それこそ、俺だけの何かがあるからだ。他の存在よりも上位の何かがそいつにはある。
下らなくてつまらない物語の主人公がそこにいた。イライラして仕方がなかった。
「ボス、ここは俺にお任せを…アレを起動する為にもここは撤退すべきでしょう」
「勿論そのつもりだ息子よ。お前ならそう言ってくれると思っていたよ」
調子のいい男だ。どうせそのつもりで拾った癖にいけしゃあしゃあと。
だがどの道俺に選択肢はない。俺の命の使い所はここだと決まってしまっている。
「俺以外の奴はボスを護衛しろ。死んでも守れ」
ボスの側近にそんな命令を出す。そいつらは何も言わずに俺に従った。
そうしてボスは背後の隠し扉から逃げ出し、それに俺以外の側近が付き従う。
「させるかッ…!」
彼女の仲間の一人が飛び出る様にボスに殴り掛かるがそれを黙って受け入れる事はできない。
「馬鹿が」
懐から拳銃を取り出して数発撃つ。アホだな俺は、顔面を狙えた筈なのにわざと急所を外してやがる。殺す気はあるのだろうか?
「うぐッ…」
「何の為に俺が残っているかわかってねぇのか? 目先の利益に飛びつくから無防備に当たるんだよ間抜け」
結果は分かりきっている。個の力は和によって滅ぼされる。俺はどうあってもこいつらに負ける。
例え俺が強化手術を受け入れた強化人間であろうとも、ボスが施すありとあらゆる実験に耐えたこの場で最も突出した個であったとしても…結局は負けてしまう。
「よくも仲間を…ッ!」
「脳味噌湧いてんのか? 俺はお前達の敵だぞ? 敵は排除する。向かってくるなら殺す…ほら、分かりやすい関係値だろ?」
そもそもコイツらは個としてもそこそこ強い。
よくわからないファンタジー的な能力を用いて手から火を吹き出したり周囲を凍らせたり…はたまた重症人の傷を癒したり出来る。
こいつら以外には一応ボスもそういったことが出来る。当然俺には出来ない。俺の体は100%科学の代物だ。こいつらみたいな特別なんかじゃない。
どうあっても端役、やはり物語の根幹は奴等とボスであり、俺はその道具にしかなり得ない。少しの役割を与えられた単なるモブだ。
「この場で尻尾巻いて逃げるってんなら見逃してやるよ。一旦ここではボスに逃げられるがまた追い掛ければいい。俺がいない場所でボスと相対すればお前らみたいなチッポケな連中でもボスを倒せるかもしれないぜ? どうだ、悪くない提案だろ」
「何を馬鹿なことを…! 見逃せるわけないだろう!! 奴がどれだけ悲惨な光景を作り出したと思っている…! 今見逃せばまた多くの悲しみが溢れる…ッ!」
ずるいよな、回復って。
まだ少しの時間しか経っていないのにもう動ける様になっている。
回復出来たから動きます。お前が倒れるまで回復し続けますなんてされたら堪ったもんじゃない。こっちは一つの命でどうにかやり繰りしているのに相手は無限に使い潰してくる。リソースの差で圧殺される。
…わかってる。それにも対処法があるって。
さっさとその回復役を潰せばいい。俺なら出来る、今すぐ出来る。奴等の回復手段を潰せば俺ならこんな有象に勝てる。
…彼女が、その回復役なんかじゃなかったら一瞬でこの場を殲滅出来ただろうな。
「…マ、そうだよな。それしかないもんな。…ははっ、やるしかねぇか」
「──ッ…!」
俺は負ける。だってそんなことは出来ないから。俺には彼女を傷つけるなんてことは出来ない。いずれジリ貧となり血溜まりに沈む。
だがそれも悪くないだろう。敵である俺にはその最後がお似合いだ。
なら、最後に八つ当たりだけさせて貰うとしようか。
身につけていた鉄仮面を深く埋め込み覚悟する。
俺が羽織っていた役割を、俺がなりたくてもならなかったその役割を担っている者を…そのヒーローに何の正当性もない怒りをぶつけるとしよう。
「掛かってこい主人公共、俺が最後の番人だ」
戦いの火蓋は切って落とされた。結果はもう決まり切っている。
奴等は逃げたボスを追う為に過剰な火力を用いて俺に攻撃した。その殆どはいなせたが多少は被弾してしまう。
ファンタジー的な攻撃…魔法とか超能力とか、そういう主人公陣営にしか扱えない力が俺を襲う。
それに対して俺は強化された身体能力、手持ちの兵装でしか抗えない。…最も、回復されなければ十六回は壊滅に出来たであろう打撃は与えたが結局は無意味。
放った銃弾がヒーローの胸に突き刺さる。あの位置は心臓、即死はしないでも数秒経てば死に至るであろう致命傷。そんな傷でも一瞬で治されてしまう。思い描いていた通りの戦闘が始まった。
暴れる、暴れる。…暴れて暴れて…どんどんと体の動きが鈍って来る。奴等はゾンビの様に這い上がって来る。
それこそ主人公の物語、悪役には許されない不屈を持って結局俺は敗れてしまう。
「…く、そが──ッ」
忌々しい主人公共、何度も潰して何度も捻って、それでも巨悪は見過ごせないと這い上がって来やがる。その不倒の意思は遂に俺の膝を折り曲げさせた。
「──っ!! 今がチャンスだ、畳み掛けよう!!」
主人公の号令、それ一つだけで他の仲間達は一気に強きになる。
希望に魅せられ調子に乗りやがる。…ムカついてムカついて仕方がなかった。
「───舐めるなよ主人公共ガァッッッ!!!」
最後の悪あがき、碌に洗練されていない動きで暴れ回る。
奴等の多くがその悪あがきに引っ掛かり傷を負うだろう。吹き飛ばされるだろう。
…でも、それだけだった。
「………畜生め」
俺に主人公の様な不屈は許されない。悪あがきは許されたとしてもそれは続かない。一時的な反逆は遂に終わりを遂げた。
「……俺の役割はテメェらを縫い止めること、もう今頃ボスは地上へ逃げ出してるだろうな」
嘘だ、こいつらの脚なら間に合う。俺の脳内に埋め込まれた機械がまだ時間を稼げと命令している。
「…殺せよ。もう俺は一歩も動けん。楽に倒すなら今のうちにだぜ」
だがそんなことは知ったこっちゃないとその命令を握りつぶす。違反した罰則で眼球が一つ潰れる。もうどうせ見たいものもないのだからどうでもいい。
「勿論、そのつもり──」
「待って!!」
…そこで、彼女の声が轟いた。
「…今はその人にトドメを刺す時間すらも惜しい筈だよ。こんなことをしているうちにアイツはここから逃げ出そうとしてるんだから」
彼女の言葉は一見すれば合理的だが、その実意味のない提案だった。
だって今の俺の状態なら命を刈り取るのに十秒もいらない。頭から上を吹き飛ばせばそれだけで済む話だ。
「甘ちゃんか? 今俺を仕留めないといつか寝首を掻かれるぜ」
「そうだとしても…無抵抗になった人にトドメなんて私は刺したくない」
「…ははっ」
「…っ! やっぱり…」
やはり変わっていない。彼女は優しくて誠実で…心が清らかなままだ。思わず笑みを浮かべる。
「…だが、それはお前だけの話だろ? 後ろの連中は今も憎々しげな顔で俺の首を狙ってるぜ?」
「そんなことはあたしが絶対にさせない」
確固たる意思がある様だ。それは後ろの連中もわかっていた様で……。
「…今はそんな議論をしている暇はない。早く先に進もう。先に元凶を打ち倒さなきゃ」
主人公がそう音頭を取った。実にらしい選択だ。
「……チッ!」
仲間の一人がその言葉に舌打ちで返す。先程から交戦的な奴が殺意剥き出しに俺のことを睨みつけて来る。
こいつはきっとボスに何かされたのだろう。可哀想に、憎い相手を殺す自由が無いなんてな。
「待ってて、今治すから…」
「おい! そんな奴を回復させてやる義理はねぇよ!」
彼女が俺の体を癒そうとする。すかさずその恨みを持った奴は彼女の行動を止める。
「気でも狂ったか? 敵に情けをかけるなんざ…自殺志願者としか思えねぇなァ」
「ううん、全く。…これは私のしたいことだから」
そう言って彼女は俺の顔に手を翳す。…すげぇな、破裂した目がすぐに治ってしまった。
「おいッ!! 止めろって!」
「ねぇ、傷を治す代わりに教えて欲しいことがあるんだけど」
彼女は仲間の怒号に屈せず俺に質問を投げかける。俺は降参のポーズをしながら相槌を打った。
「君、本当は私達のことを全滅させれたでしょ。どうしてそうしなかったの?」
「……何でだろうナァ」
「私達の誰一人も敵わないほどの近接能力があって、遠くを狙撃する銃も持っていて…無防備な私を狙い撃ちする瞬間なんていくらでもあったのに、どうしてそうしなかったの?」
…その答えはたった一つしかない。
君を傷つけたくなかった。本当にそれだけの理由しか俺にはない。
「さァな…気でも狂ったんだろ」
それは今も続いている。その返答を誤魔化したまま手を動かす。
ぬぷりと潰されなかった方の目に指を突っ込む。そして強引に引っこ抜いた。
「──ッ! 何してるの!?」
「おら、使えよ。ボスを追うならコイツが必要になって来る」
この組織の中でも限られた存在しか持たされてない生体認識端末、その一個が俺の目だ。所謂扉を開くのに欠かせない鍵。
「俺はボスの生き死なんてどうでもいい。そしてこの世がどうなろうとも知ったこっちゃねぇ」
あの日から俺の優先順位は全て彼女だ。…こうやって負けて、ようやく認められたからこそ彼女の手助けが出来る。
「結局俺は野良犬だ。孤児だった頃と何も変わらん。拾われたから使われてやったが、そいつが打ち倒されるってんならまた野良犬に戻るだけ…なら最後に散々体を弄られた恨みをちっとでも晴らさねぇとなァ」
脳が焼ける様に熱い。段々と意識がボヤけてくる。
きっとボスの仕業だ。俺が裏切ったことに気付いたのか? 案外早くにバレるもんだな。
「行け…早く行けよ。これ以上俺を惨めにさせるんじゃねぇ」
「ね、ねぇ! 君も一緒に…!!」
「おい! もう本当に時間がねぇ! もう傷は充分治しただろ! もう行くぞ…ッ!!」
だが無駄さ、ヒーローは必ず勝つ…これはそういう物語さ。
もう意識は保てない。幾つもの足音がこの場から去る様に鳴っている。
その時だ。
「…………くんっ!」
最後に、悲痛な声で誰かが叫ぶ。
アレは一体、なんて叫んでいたのだろうか?
─
「…あ?」
グラグラと建物が揺れている。それに伴っているのかどうかはわからないが段々と意識が鮮明になって来た。
「あー…死に損なったか」
体は全快とは全く言えない様な…ぶっちゃければ最悪なコンディションだが…動けはする。
「俺が今も生きてるってことは…そうか、ボス、死んだか」
あれ程苦痛を与えた脳の痛みがさっぱりと消えている。きっと主人公連中に打ち倒されたのだろう。
建物が揺れているのもそれに付随したものだ。悪役は派手に死に、置き土産をするものだからな。
「このまま埋まって死んでやるのが王道なんだろうが…ま、エンディングを見るぐらいは許されるだろ」
そう思い再び立ち上がる。彼等の描いたエンディングがどうなるのか気になったからだ。
「私をここまで追い詰めたのは褒めてやる。お前達が初めてだよ。私の完璧な計画をここまで台無しにしたのは」
ボスはまだ死んでいなかった。やはりラスボス、しつこいぐらいに生き残る。
俺が解放されたのは余裕がなくなったからか…どうやらそれほど切羽詰まっている様だな
「だが私は負けん、例え人の身から外れた存在になろうともなぁッッ!」
あるあるの展開、どうやら最終強化状態になる様だが…これはおそらくイベント戦、もう終わりは決まっている。
それにこういう変身は負けフラグでしかないからな、勝つ可能性があるとするならその一個前の戦闘だったな。
ボスの体がどんどんと醜く膨れ上がっていく。この変身途中に叩けば楽に倒せるのだろうがそれは野暮って話だ。周りの連中は神妙な面持ちでその光景を眺めている。
「え、いや…今攻撃を畳み掛ければよくな──」
彼女のそんな言葉が虚空へと消え…ボスは急にその身体を爆散させた。
「まさかの自爆エンド…いや、違うッ!」
これはそう…自爆と見せかけてこの場から逃走するラスボスの十八番! 続編への伏線!
「貴様らは必ず私が殺す! この醜き姿に戻らされた屈辱はいつか晴らす! 覚えておくがいい! いずれ全盛の力を取り戻し、貴様らを滅ぼしてくれる…ッッッ!!」
「…まさかの俺達の戦いはまだまだ続くエンド、というわけか…」
見ている側としてはモヤっとする終わり方だ。そして当事者としても当然モヤりにモヤりまくるエンドだろう…。これじゃあエンディングとして締まらない。
「…仕方がない、最後に人肌脱いでやるとするか」
だけどどうすればこの現状を変えられるのだろうか…エンディングに介入するのならなるべく劇的な終わりを演出したいものだが…。
そんな時だ、ふと彼女の様子が気になり目線を向けたのは。
「…………ぁ!」
彼女はこちらを見ていた。じーっと、瞬きもせずに。
そして、にぃ…と可愛らしく口角を曲げる。それこそギャルが悪巧みするかの様に。
ちょいちょいっと彼女に手招きされる。さっきあんなことがあったから会いにいくの正直気まずいが…。
「……………! ………………っ!」
「……へいへい」
そんなふうに唇を動かされれば行かざるを得ない。俺はいつだって彼女のお願いに弱いのだ。
…というかどこで気付かれたんだ?
「一応、俺さっきまで敵だったんだぜ?」
そうぼやきつつ音を殺して彼女の下へ向かう。
彼女は他のメンバーから少し離れた位置へ向かい、俺と合流するや否や…。
「っっ…!! きゃぁぁぁぁぁ!!!」
悲鳴を上げた。俺の腕を勝手に動かして何故か人質の様になっている。
というか、さっきから体の制御が効かないんだが? 何が起きてるんだ??
「みくる!!!」
主人公がいち早く駆けつける。それに釣られて他の連中も。
「…ッッ! 貴様、さっきの!」
「…演技してね」
「……へい」
奴等がやって来るなりぼそっと彼女が囁く。…何が何だかわからないが言う通りにしよう。
「み、みんな! こっちに来ないで!!」
「こっちに来ないでって…そんなこと出来るわけがないだろうッ…!!」
なんとなくでいいから筋書きを読む…取り敢えず話に乗っておこう。後はアドリブでなんとかする。
「はっ! さっき言ったよナぁ! さっさとトドメを刺さないと寝首を掻かれるって…この甘ちゃん共がよォ〜」
「……クズ野郎が…っ!」
俺の腕が勝手に彼女の首をキリキリと締め上げる。…もしや、ボスから俺の制御装置をパクったのか?
「……この場所から逃げよ?」
「…うっす」
小声でボソッと…よし、そういう方向か。
「ボスをヤってくれたのは感謝してやる。お陰で自由に体が動く…まァでも? それはそれとしてさっきやられた痛みの仕返しはさせてもらうけどな」
足が勝手に動く。…この場所は崩壊する建物の屋上、その端の方へと俺と彼女は歩みを進めた。
「この女は俺に屈辱を与えた。自分達が強いと思い込み勝手に同情した。その甘さのツケは今払ってもらう。後悔するんだなぁ!!」
とっとっと、からタッタッタ…と、足音がだんだんと早くなる。自分の体のことなのにここまで他人事の様に思えるとはな…不思議な感覚だ。
「み、みくる!!」
主人公が俺を追いかけようとしているが…悲しいかな、強化人間である俺に足の速さで敵うわけもなく。
「…みんな、ごめんね。ばいばい」
そんな白々しい台詞と共に俺と彼女は屋上から飛び降りた。
「みくるーーー!!!!」
飛び降りた直後、そんな悲痛な声が耳に届き…。
「よっしゃ!」
そんな声とは真反対な声が近くで響く。
そして彼女はあろうことか手榴弾をポイポイと空中に投げ捨てる。……うーん。
ドーンと幾つもの手榴弾が起爆し辺りに爆風を撒き散らす。まるで俺が彼女を巻き添えに自爆したかの様だ。俺に自爆機能とかはないのだが。
「着地お願いねっ!」
「あいよ」
そこまで来るとようやく俺の体に自由が戻って来る。
この程度の高さなら俺なら楽に着地出来る。強化人間様々だな。
どーんと土煙を出しながら派手に着地する。無論両者共に怪我はない。
「よいしょっと…取り敢えずこの場から離れよっか、あいつらに見つかるとめんどいし」
「うい」
俺の体から降りた彼女がそう提案をする。特に拒否する理由もないのでその通りにした。
なーんか、さっきから精神がふよふよしている感覚がある。命令されていた立場から解放された反動だろうか。
「…ほんとうに久しぶりだね、オタクくん。…世界がこんなんになっちゃってたから…大体三年ぶり?」
「敵としてはちょくちょく会ってたけどな、オタク君としては…確かにそんぐらい振りかもしらんな」
そこら辺を歩きつつ世間話に興じる。…さっきまで敵同士だったとはまるで思えない。
「学校が急にあんなになっちゃって、急いで逃げて…ふと周りを見ても君はいなかった。あたし、すっごく怖かったんだからね? オタクくんが死んじゃったのかなって…すっごくすっごく悲しかった」
「別にアンタが悲しむ必要はないだろ。単なる知り合いの一人が死んだだけの話だろ?」
「知り合いって…せめて友達って言ってよ〜」
うりうりと彼女は俺のわきに指を刺して来るが、以前の様に過剰な反応はしてやれない。くすぐったいという感覚が今の俺にはないからだ。
「…それに、知り合いでも友達でも…仲の良い人が死んじゃったら悲しいって」
ずん…と彼女は暗そうな顔になる。
「最初は周りの人達が言ってた様に君が死んじゃったかもなんて思ってたよ? …でも、どうしても諦められなかった。君は死んでなんかないってそう思いたかった…だから、あたしは彼等に着いて行ったの。君を探すために」
「……ダミーの死体でも用意すりゃよかったか」
「ひどーい」
これは単なる照れ隠しだ。
まさか、まさか彼女の戦う理由が俺だなんて…そんな可能性は全く想像すらしていなかった。
「ふふ、でも君を見つけられた。まさか敵の組織のNo.2だとは思ってなかったけどね」
「別にそんな大した役柄じゃねぇよ。ボスにとって俺は単なる使い潰しの道具。程のいい駒だ」
「その割には強すぎない? あの人達めっちゃ苦戦してたんですけど」
「そりゃあいつらが雑魚だっただけだ。お前さえいなければ楽に倒せ…」
「倒せ?」
「……や、なんでもない」
思わず本音を言いそうになった。というかほぼ言ってしまったがなんとか誤魔化す。…誤魔化せてなくない?
「…アイツらに着いて行かなくてよかったのか?」
「ん?」
茶化される前に話を変える。彼女は最初その言葉について掘り返す気満々だったが、その誤魔化しに乗ってきてくれた。
「ほら、最後めっちゃ叫ばれてたろ。いいのか?」
「別に、あの人達とあたし全然仲良くないし、あたしオタクくんを探す為に彼等に着いて行っただけだし。見た感じあの人達まだまだ戦うつもりなんでしょ? ムリムリもう着いて行きたくない」
「……薄情な奴め」
多分向こうは仲良いと、俺達には断ち切れない絆があるんだぞって思っていると思うのだが…悲しいかな、彼女にとってはそうじゃなかった様子…。
「だって見るからにあの人達の空気感重いじゃん。やだよ復讐の為に戦うとか。そもそもあたし戦うの好きじゃないし動くのもイヤだし、これから厳しい戦いがもっと続いていくんでしょ? もームリ、絶対着いていかない、ヤダ、面倒」
「本当に薄情な奴だなぁ…」
逆に感心する。まぁそうだよな、好き好んで戦う奴になんて着いて行きたくないよな…わかるわかる。
「あたしの目的はもう果たしたし、ここからは私の為に時間を使いたいっ! オタクくんもヤでしょ? 私が戦うの」
「………」
そのイタズラな顔は有無を言わせてくれなかった。言えるわけがなかった。
「…どうして」
「ん?」
全くもってその通りだ。
彼女に戦ってなんて欲しくない、彼女にはもっと安全で平和な場所に居てもらいたい。
…だからこそ思う。
「どうして、そこまで俺に関わろうとする。俺のことを考えたりする。…そこまでする必要はお前にはないだろう」
「んー…ま、確かにそうカモね」
彼女はしょうがない奴でも見るかの様に数歩だけ早歩きして俺の前に真正面から立ち上がる。
歩いている道が少し坂道だったからか、身長差を覆して今は俺が彼女を見上げる形になっていた。
「理由を言えって言うなら言えるよ? 経緯もモチロン言える。例えば…そうだな、あたしの記憶はもう元に戻っている…とかね?」
「………」
彼女は軽くウインクをした。それはつまり、俺が彼女にした行為がバレたというわけである。
だがそれだけだ、たった一度助けたくらいで死にそうな目に遭えるわけがない。
彼等の戦いは苛烈にして過酷。一歩間違えば死んでしまう可能性もままあった。
たった一度クラスのイジメから守った…なんてその戦いと比べれば軽すぎる。
「モチロンそれだけじゃないよ。言葉にしてみれば、事実を言うのならいっぱい理由はある。…けど、そんなことはやっぱりどうでもよくて…伝えたいことはたった一つだけなんだ」
いつの間にか山々に生え備わった森の中に入っていた。一瞬の空白があったからか漸く何処を歩いているのかに気付いた。
森の中は鬱屈としている。周囲の大気の温度を下げ、陽光の祝福を全て遮っているからだ。暗い雰囲気が辺りを包んでいた筈だった。
だが、急に…彼女の周りに光が差し込む。
風に揺られているからか、それとも偶々その周辺にだけ葉が満ちていないのか…もしくは何らかの存在が彼女の背を押しているからか。
「───っ」
俺にはその姿が神々しく見えた。
「いろんな理由をひっくるめて、その全部を費やして…きっと、この想いが私を走らせたんだ」
さっきまでは気付かなかった彼女の様子。彼女は今、赤面している。
恥ずかしいと思っているのだろうか、それとも怒りを抱いているのだろうか…。
…いや、違う。そんな感情であんな顔は出来ない。
「…オタクくん、…実は、名前も教えてもらったこともないんだなって今気付いたけど、ごめんね? 今はとにかく伝えたいの。受け取って欲しい、受け入れて欲しい」
陽光が照らすその表情は…正しく。
「…あたし…私、オタクくんのことが好き。恋人として私と付き合って」
それは正しく、ヒロインがヒーロに告白する表情だ。
「…わけがわからん。お前が俺を好きになる? 恋人として付き合って? 理解不能だ」
「そりゃそうでしょ。他人の勝手な想いを理解なんて出来るわけないじゃん。理解されたら逆に怖いし」
思わず閉口する。そんなにすぐ、きっぱりと言い返されるとは思わなかったからだ。そしてその理由を聞いて思わず納得してしまった。
「私がどんな考えを持って、どういう経緯を持ってオタクくんのことが好きになったなんてどうでもいいんだよ。それをキミが理解する必要はないし理由を考える必要もない。…キミが考えることはたった一つ、私のこの想いを受け入れてくれるかどうか…だよ?」
なんて傲慢な言い方だろう。なんて自信満々な顔をしているのだろう。
答えなんて決まりきっているものだ。だって俺がそうだ、俺だってそう思っていた。理解されなくていい、ただ想えればそれでいいと、そう思っていた。
彼女と俺が違かったのはたったの一つだけ…それを言葉にして伝えたかどうかというだけ。
俺にはそんな勇気はなかった。敵側にいる俺にそんな権利はないと、そう思っていた。
ただ、陰ながら彼女を見守れたらそれでいいと思っていただけだった。
時間が過ぎて行く。祝福は未だに続いて彼女を…そして俺の周りを照らし出す。
その光の道に導かれる様に彼女は留まってしまっている俺の前まで歩き出した。
陽光が、俺達を包んだ。
そして彼女は沈んだ俺の顔を持ち上げる様に、掬い上げる様に…小悪魔と形容するしかない上目遣いを俺に送り…。
「…ネ、一生のお願いっ! …ダメ?」
そんな、ダメ押しをして来た。
完全に俺の負けだった。
「………勝手にっ! …しろ」
「はーい♡ 勝手にするね〜っ♡」
彼女はぎゅっと俺の腕に抱きつく。
柔らく、そして温かい。…手に入らない筈だったものを受け入れる様に、その宝物を一度たりとも手放さないように…その温かさを受け入れる。
どうやらオタクに優しいギャルはいる様だ。
もっとも…そのオタクに俺を該当させていいかは甚だ疑問だがね。
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理由なんて知る必要はないと言ったけれど、やっぱり理由というものは存在する。何も無しに個人を好きになることなんてないからだ。私は一目惚れなんてものを信じない。
運命の神サマはきっといると思う。けどそれは誰かの運命を勝手に決めたり、運命の人を決めたりするものじゃなくて…ほんの小さなキッカケをくれるものだと私は思っている。
そんなキッカケ一つでこんなに大きくなるなんて思ってもいなかった。…キッカケというのは小さくても少なくてもやっぱり大事なものだと再認識する。
私のキッカケはそう単純なものじゃない。そもそも私はつい最近までそのキッカケを覚えてすらいなかった。
記憶の改竄…というよりも、記憶の封印。
彼のことに関する記憶は一年ごとに、もしくは何か大きな出来事があったら消去させられていた。それはあの学校を箱庭として悪事を働いていたあの組織にとって必要不可欠なことだったのだと思う。
その組織の尖兵として潜んでいた彼…目立ってはいけなかった彼は誰の記憶に残らない存在でなくてはならない。でも、私は記憶が消されても毎回彼に話かけていた。
全ての記憶が正常になったから理解出来る。
最初は何となく気になって、ついつい話かけて…そこから話が弾んで彼と関わる様になる。別のクラスだとかそんなのは関係なく、彼の下に向かってしまう。
理由はわからない、わからなかった。ただ話したかった。彼と一緒の空間にいたかった。彼と関係を持ちたかった。何でもいいから彼と関わりたかった。
私はこれを毎回一目惚れだー! って思って、その度にん? って頭を傾げたていたけど、実は違かった。ただ、最初の種火が消えていなかっただけなんだ。
キッカケはそう、入学式。
私は俗に言うオタクだ。真のオタクとは言えない様な浅くも深くもない普通のオタクだ。
漫画も買うしなんなら描くし、ラノベも買うしなんなら書くし、コスプレしたいなと思って衣装を自作してたしフ◯ゲーを全作品やるくらいにはオタクだ。その他のゲームも色々と嗜む程度のオタクだ。
性格は陰気で根暗、髪はぼさっともわもわ。仲がいい人は近くにいるオタク友達だけで他の人からは全く相手にされない。中学生の時の私はそんなオタクだったのだ。
よくある話、それまでの自分が嫌で高校生からは心機一転イメージチェンジ。
吃音を治して性格を治して流行りのファッションを勉強して、髪色を黒髪から金髪に染め上げた。コスプレをしていたからメイクはそこまで練習していないけど、女子高生らしいものはなんでも調べた。
そんな努力の末、私は憧れのギャルになった。ここから私の華々しい高校生活が始まるんだとウキウキしていた。
でも私は失敗した。理由は私がドジったから。
お守り代わりにと鞄に入れていたラノベを転んでまんまとぶち撒けてしまった。運の悪いことにカバーが外れ、更に運の悪いことにその光景を一人の男子生徒に見られてしまった。
オタクは馬鹿にされる。特に高校デビューをしたオタクは更に大きな声で馬鹿にされる。
目の前の男子生徒は正しく不良、もしくはイケイケの男子と言ったところ…それも相まってそんな固定観念に染まっていた私は転んだ姿勢のまま絶望していた。
あっ、終わったと。私の高校生活終わったぁ…と。
お前高校デビューしてやんの馬っ鹿らしぷぷぷ、そんなことして恥ずかしくねぇの? だははと嘲笑されると、そう思っていた。
『…おい、転んだが…って色々落ちてんぞ、大丈夫か? 怪我は?』
『うぇっ!』
勉強したギャル言葉が全て飛んで、思わず素で聞き返してしまった。
『あ、あの…』
『ったく、気ぃつけろよ? …って、お? なんだこの本』
今度の今度こそ終わったと思った。自分の失敗を悔やんだ。
さっさと起き上がって回収すればバレなかったのに…。
そんな後悔をしてももう遅い、と言われる側になった気持ちで断罪の沙汰を待っていた私に、彼は唸る様な声を出した。
『んー…質問してもいいか?』
『うぇっ、は、はい…どうぞ』
反射的に返事をする。彼は全く私を馬鹿になんかしなかった。
『済まんが俺はこういった本…まんが? だっけか? こういうのを人生で一度も読んだことがなくてな…これって面白いのか? 最近の若い奴はこういうのが好きなのか?』
『あ、あの…これはマンガじゃなくて小説で…更に言えばライトノベルと言いまして…』
『そうなのか? すまんな間違って…で? 流行っているのか?』
『うぇ、え、えと。…一部の人には刺さるというかなんというか…好きな人は好きだと思います…』
『ほぉ…』
びくびくと怯えながら質問に答える。そこから沈黙が流れた。
その男子生徒は興味深げに私の持って来ていたラノベを見ている。…つい、恐ろしかったからか、この空気感に耐えきれなかったからか、もういっそのこと馬鹿にしてくれた方がマシだと思ったからか…私は逆に彼に質問を返した。
『……あの』
『ん? あ、悪いないつまでも持っちまって。今返すな』
『そうじゃなくて…えと、その…』
『? おう』
直した筈の吃音がぶり返した様に溢れ出す。彼はそんな私を疑問に思いながらもゆっくりと次の言葉を待ってくれた。
『ば! …馬鹿に、しないんですか…?』
『馬鹿に? 何を?』
『そのっ! …こ、こんな本を持ってて、そんな格好してるの恥ずかしくないのか…とか』
『ん〜…?』
彼は不思議そうな顔で頭をぽりぽりと指で掻く。その後、苦笑をして困り顔を浮かべた。
『わり! 言ってることがよくわからん。なんで急に馬鹿にするしないの話になったんだ?』
『エ、だ、だって…可笑しいでしょう? こんなオタクが、こんな明るい人の様な格好をするなんて…』
『別に可笑しくはないだろ。馬鹿にする理由がまるで見当たらん』
あっけらかんと彼はそう言う。
『お前、コレが好きなんだろ?』
そう言って、彼は手に持った小説を指さす。
『そして、その格好も好きなんだろ? だったら別にどっちも好きでいいじゃねぇか。別に排反する理由も必要もないと思うけど?』
そんなふうに、軽く言ってくれた。
『むしろ人の好きなもんを馬鹿にする奴の方が阿保だろ。そんな奴の言うことなんか聞く必要はないぞ、人のシュミは自由だ、誰かに枷を掛けられるもんじゃない』
私の不安の全部を吹き飛ばしてくれた。
『自分の好きなモンなら胸張ってそう言やいいんだ。理解されなかったらそれでいいし、理解してくれたらそれでもいい。自分で自分の好きなもんを貶めんなよ、そんなの辛いだけだろ?』
『…ぁ』
私の心のしこりを全て弾き飛ばしてくれた。
その時に私は救われた。この世界に感謝した。
私にも救いはあるのだと、オタクに優しいギャル男が実在することに感謝した。
『それによ』
すっかり救われた気持ちになって、心が軽くなって…ようやくその人の顔を直視する。
美形だなって、私の好みとは少し違う…ワイルドな感じな人がそこにいた。
『似合ってるよ、その格好。この本に書いてある女の子にソックリだ』
『かひゅ…っ!』
撃ち抜かれた。
『…でも、ちょっと違うな。この本だと髪の内側が別の色になってる。…お前も、こう言う感じにしたらもっと可愛くなると思うぜ』
『ふぁひぃッ!』
撃ち抜かれて、穴だらけになった。
『それじゃあこいつは返すぜ、色々と参考になった。あんがとな〜』
『あ、ぁひ…』
……その時、完全に堕ちちゃったんだよなぁ。今ではすっかりキミの顔だけがタイプになっちゃったし。
「……ふふ」
染め上げたインナーカラーの部分を指に絡めながら回想を終える。私のキッカケはこんなものだ。
たった一つのことを肯定されただけ、そして可愛いって言われただけ、小さなと言えば小さなことでしかない。
「どうした?」
でも、それが膨らみ続け、成長して…記憶を消されても消えない程のものになった。
…勿論、キミはそんなこと覚えていないだろうけど。でもそれでいい、キミが覚えていなくても私だけが知っていればいいのだ。
「ううん、なんでもない♡」
キミのカッコいいところは私だけが知っていればいいのだから。キミの全部を私は独り占めしたいのだ。
「ネ! これからどこに向かおっか」
「そうさなぁ…一先ず近くの安全な街かなぁ…ここら辺はまだボスが支配していた影響で荒れてるし、この周辺はさっさと抜けて方がいい」
これからは自由に行き先を決めることが出来る。別に何処に向かってもいいし、どんなに寄り道をしたって構わない。
「まぁ危険があろうがなかろうが俺が守ってやるから安心しろ。今まで出来なかった分、百億倍に返してやるよ」
「え〜そんなに〜? 私のこと好きすぎぃ〜♡」
「っせ! 悪いか!」
「ううん! 全然っ! 私も好き!! だ、い、す、き〜♡」
「…くぅ〜っ、恥ずかしげもなく堂々と言いやがって…っ!」
「えへへ♡」
掴んでいる腕をもっとぎゅっと掴む。離れない様に、…逃さない様に、私だけのものだと主張する様に。
「…じゃあ、守って貰う代わりに…あたしは君を癒してあげるね…?」
「……ああ、頼んだ」
今ではすっかり反転した関係、元を正せばどちらも同じ。
私は彼から優しさを学んだ。勇気を貰った。それを誰かに繋げたいと思っただけ…案外優しい人間ソレになれば割とポンポン実在するものになる。
それ即ちオタクに優しいギャル。
"だけ" というわけにはいかないけど、それでも絶対にいるものだ。
そっと、彼の耳元に顔を寄せる。
「ネ、安全なところに行ったら…いっぱいイチャイチャしようね…?」
「……っっ!?」
囁いたその言葉によって彼は大きく私から退こうとする。けど掴んでいる腕は外れないし外さない。その赤面顔をじっくりと眺める。
やっぱり大好き、ずっと大好き。これからも永遠に好きって言うし愛し続ける。
「きゅ、急にそんなこと言うんじゃねえ! 誰か聞いてたらどうする…!」
「え〜別にいいじゃん。…それに…」
…オタクに優しいギャルはいる。けど、実を言うと私はそうじゃない。
「…こんなこと、君にしか言わないよ…♡」
私は、君にだけ優しくしたい…そんなギャルなのだから。
ギャル、いいよね。




