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途上

 腰元に手をやった所であの芳香がやってきた。

 アラーニェの持つ、男を誘惑し、幻覚に堕とす最悪の特性。

 以前はそれでまともに戦えもしなかった。


 それを、


「祓います!!」


 トゥエリの放った闇払いが押し流していく。

 汚染されてからの対処となる浄化ではなく、魔の放つ悪しきものを強制的に祓い除ける神聖術。

 使えるようになっていたとはな。

 さっきチラっと見えたが、ランク章がアイアンからシルバーに変わっていた。

 神官は昇格が早いとはいえ、しっかりと実力を付けてくれている。


 俺は腰元の気付け薬から手を離し、パイクを握り込んだ。


「加護は少しでいい」

「はいっ」


 身体に受けた熱を伴い、正面で威嚇しているアラーニェへ駆け出す。

 魔法が来た。

 障壁が張られる。

 極端な傾斜を付けたソレはアラーニェの放った魔法を跳ね飛ばし、後方の建物を崩すが、俺もトゥエリも構わなかった。

 コイツの魔法は強烈だ。真っ向から受け止めるには無理がある。リディアであれば分からないが、俺達はまだまだミスリル未満。なら、取り戻せる被害に拘泥して選択を狭めることは出来ない。


 障壁を潜り抜け、撒き散らされた魔力の残滓が蛍火のように消えていく中、一直線に肉薄する。左へ、一歩の距離を直前でズラした。

 アラーニェの前足が、槍の様に鋭い先端部を突き出してくる。

 そいつは木の盾で受けた。

 貫通するが、半ばで止まる。

 以前はあっさり抜かれて腕も身体も刺し貫かれたが、今はもう奴の構造を把握している。


 アラーニェの脚先は、長い前指と短い後ろ指で構成されている。

 攻撃を放つ時は後ろ指を収納して貫通させようとするが、完全には収納出来ない。真正面から受け止めれば脚の力で強引に抜かれてしまい、前のようになる。だが一部でも浮いている部分があるのであれば、そこへ引っ掛けるように盾受けしてやれば受け止める事は可能。基本的には矢受けの技術と同じだ。

 更に、捩じる。

 抵抗されたのを感じたら即前へ。

 相手が引っ張ってくれるんだ、遠慮せず抱擁されにいってやろうじゃねえか。


 もう一本の足は出遅れた。

 直前に左へズレたからだ。

 本能的に向き直ろうと脚を踏み変えて、反応が遅れている。


 そうして俺はパイクを突き出してアラーニェの人型部分、その心臓を貫いた。

 と同時に、勢いのまま胴体を押し込む。


 この魔物は蜘蛛から派生した化け物だ。

 種類は様々だが、さっきの足先の形、アレは本来巣を張って、巣糸の上を移動することに適応している。前指と後ろ指で糸を掴んでいるんだ。

 ただ先端が針のようになっている為、リザードマンのように地面を掴めるほどの柔軟さがない。

 要するに、踏ん張る力が弱い。

 複数の長い脚で耐える事は出来ても、強引に押され続けると殆どの脚がそれだけに集中してしまう。


 厄介なのは脚の中でも腕としての役割を持てる、左右の二本だが。

 後ろから俺を刺し貫こうとしてきたその脚を、トゥエリの放った光の鎖が抑え込んでいるのを視界の端で確認しつつ、パイクを手放し、短剣を握り込む。

 ラウラとリリィのくれた、新しい力。

 そいつで妊婦みたいに膨らんだアラーニェの腹部を裂く。

 腕を突っ込んで、二つ目の心臓を握り潰し、ついでに寄生していた雄を引き摺り出した。


 放り捨て、脚で潰す。


 まだ多少の痙攣を残していたアラーニェから、一歩、そうしてまた一歩下がり、盾から脚を引き抜いて、パイクを回収する。手の甲には紋章が戻ってきていた。


 崩れ落ちる。

 と、手首に少しの違和感があったかと思えば、温かな光に包まれて癒えていく。トゥエリが回復してくれているんだろう。


 トドメ確認、良し。

 状態は良好。

 なら次はどっちだ。


「左を!!」


 見まわそうとした視線を左へ固定する。

 同時に走り出していた。

 頭の中が綺麗に掃除されていく。


 残るアラーニェは二体。状況は不明。だが、トゥエリが見てくれているのであれば左の一体に集中出来る。


 楽だな、と感じた。

 俺が指揮を執っていたなら、動き出すまでまた少し遅れただろう。

 だからこそ掴めた機会が目の前に転がって来た。


 そいつは派手に魔法をまき散らし、冒険者達を追い散らした後で飛び上がって距離を詰めた。


 構える。

 パイクを逆手に持ち替えて。

 距離は。

 十分。

 なら。


 着地したアラーニェはその不自然に突出した人体部分に引き摺られて身体が前傾する。

 思いっきり前跳びをした人間のように、屈んで、起き上がってくる、その位置を。


 正確に読み切った。


 投じる。

 投げ放たれたパイクはアラーニェの頭部を貫き、上部を行動不能にする。


「雄を探せ!! 拳程度の大きさの奴が居る筈だ!!」


 叫びながら肉薄した。トゥエリのパーティメンバーが矢を放ち、打ち払われたソレが俺の方へ飛んでくる。盾で払いつつ、ダマスカス鋼の短剣を引き抜く。

 まだアラーニェは身体の制御が混乱している。

 人体と、蜘蛛部分とで二つの心臓を持つ化け物だから、片方が死んでももう片方が身体を動かし生存を続ける。時間を掛ければ脳や心臓だって再生するのかもしれない。

 けれど片方が死んだ直後は肉体が混乱して隙だらけになる。

 その間に仕留めてしまうのが一番だが、もう一つ問題がある。


「背中だっ!」


 盗賊らしき女が叫んだ。

 あぁ見えた。

 死んだ人体の後ろ、背中に張り付いてやがる。


 どう崩すか、なんて考えている脇から光の鎖が伸びて来て、アラーニェの脚を絡め取って引き摺り倒す。

 なんとも豪快な戦いぶりに笑みが漏れる。

 肉体の混乱と、強烈な揺さぶりとでまともに動けないでいたアラーニェの背へ飛び乗って、雄を刺し殺す。


 よし、これで!


 こちらを刺し貫こうとする脚がトゥエリの障壁に阻まれたのを確認しつつ、脇腹を抉るようにして人体部を破壊した俺は、そのまま内部の心臓に短剣を突き立てた。

 飛び降りて、距離を取る。


 急所を二つ、人体と蜘蛛、それぞれを潰した。

 心臓と頭とで違いはあるが、仕留めるには十分だったらしい。


 トドメ確認、良し!


 残るは!!


 思った所で悲鳴があがった。


    ※   ※   ※


 アラーニェと呼ばれる魔物は雌で、雄からの精を受けて卵を産む。

 雄は握りこぶし程度の大きさしかない。

 十分気色の悪い大きさだとも思うが、こいつの厄介さは雌が死んだ後になる。

 雄自体は雑魚だ。身体が柔らかく、ちょっと撫でれば簡単に手足を引き千切れる。だからこそ小さな隙間にも入り込んだり、雌の体内にも寄生出来たりするらしいんだが。


 残る一体が脚を振り回して大暴れしていた。

 雄を仕損じたらしい。


 それなりに優秀な人員が揃っていただけに、トゥエリのパーティよりも善戦し、アラーニェを仕留めたんだろう。


 そう。

 雄の厄介な所は雌が死んだ後、その身体を操って大暴れする所にある。

 既に死んだ雌の身体が自壊するのも構わず暴れ、逃走し、卵をまき散らしていく。最終的に生き延びれば、雌の身体を餌に子蜘蛛を育て、いずれ自身も喰われて死ぬ。

 実に魔物らしい、気色の悪い生態だ。


 雪山でディトレインを死なせてから、機会があれば調べ、聞いて回った。

 特に迷宮でフィリア主導の開拓をやっていた時なんかは色々聞けた。

 また戦う機会があるかなんて分からない。

 だが知らないまま無視も出来なかった。

 細かな身体の構造は、それこそ雪山でトゥエリの世話をする傍らで回収された死骸を解体しながら学んでいった。

 どうすれば勝てたか、俺の力で、本当に対抗する手段は無かったのかと、必死で考えたさ。


 残るは一体。

 出来れば避けたかった暴走状態だが、この時点でもう魔法は使えなくなっている。暴れているだけだ。そして、身体の構造上の弱点は変わらない。


 俺は木の盾に装着(マウント)していた爆裂のこん棒を引き抜いて、距離を詰める。


 口笛を吹いて注意を引いた。


 こん棒を差し出す。

 警戒して払い除けようとするが、アラーニェの脚先ではそいつを掴み取る事は出来ず、つつく形になる。

 だから、起爆する。

 多めに力を込めたから、結構な規模になった。

 蜘蛛部分とは違って剥き出しの肌を晒している人体部はそれだけで焼け焦げたが、問題は雄が驚いて身を縮めたこと。

 基本的に弱い生き物だから、臆病だ。

 縮こまって生きたいだけの化け物相手に何を怯える必要がある。

 俺は数歩を詰めて、アラーニェの側面を足蹴にした。

 踏ん張れない蜘蛛はあっさりを姿勢を崩し、背中を見せたそこへ改めてこん棒を叩き込む。

 人体部分が腰元から吹き飛んで、脇腹の肉だけでだらりと垂れ下がる。

 腹の中で一緒に潰されていた雄を確認しつつ、距離を取る。


 トドメ確認、良し。


 誰かが口笛を吹いた。

 魔物を引き付ける為じゃない、単なる賞賛で。

「マジかよ。あの二人で殆ど仕留めたようなもんだぞ」

「グランドシルバーはともかくとして、神官の子もやるぞ。しっかり俺達も保護してくれていた」

「十人規模の神官仕事か。女王陛下ほどとは言わないが、キレてるぜ」

 盛り上がるのは構わないが、やるべきことはまだある。


 それにこの程度なら、


「あの雪山に比べれば容易でしたね」

 仲間の回復に駆け寄って来たトゥエリが溢す。

 俺も小さく答えた。

「あぁ、子蜘蛛も居ないし、寒さもない。抑えに回せる人員だって居た」


 なにより今回は知識があった。

 未知の敵と遭遇した時、それを一方的に叩き潰せる実力には届いていない。


 要するにまだまだってことだ。


「掃討戦は続くぞ! 俺達はアラーニェの侵入経路を辿って子蜘蛛が潜んでいないか確認しつつ、卵を捜索して潰していく!」

「私達は引き続きこの防衛線の巡回を! ルーナ神の時間まであと少しですっ、守り切りますよ!!」


 応、と叫ぶ仲間に頷き合い、互いに背を向ける。


 ただ、


「……悪かったな」


 一言を残して。


「いいえ。アナタのおかげです」


 交わし、行き過ぎる。

 お互いまだまだ止まってはいられない。


 誇らしさを胸に、この先へ。


 ここはまだ途上なんだからな。


    ※   ※   ※


 程無くしてルーナ神の裁きが始まり、外に残っていた魔物は全て焼き尽くされた。

 屋内及び月明かりの届かない場所に潜んだ魔物の狩り出しは続けられたが、それも神殿からの協力を得て大いに捗り、深夜へ入る前には落ち着いた。


 突如として始まったザルカの休日。

 そして、東方からの魔物の大侵攻。

 市壁が抜かれた事で付近は大きな損害を受けたが、未だ冒険者の町は生きている。


 生きている。





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