口説きごっこ
グロースの奥さんの名は、カトリーヌという。
初対面でも気風の良さはすぐ分かったが、更には結構話の分かる人でもあった。
「それはそれは……寂しかっただろう?」
「そうだねぇ。でも、アナタみたいな人が近くに居てくれると、なんだか安心出来るよ。でもいいのかい? アタシはもう子持ちだよ」
「俺もそういった経験は無かったんだが、これはこれで悪くないんじゃないかと思えてるよ」
「本当に?」
「嘘かどうか、試してみればいい」
「ふふっ、やだなんだか恥ずかしくなってきたよ」
「始めてしまえば、こんな程度じゃ済まないぜ?」
「経験豊富そうだもんね、ロンドさんは。ウチの旦那は童貞だったからさあ」
「そうなのか? なら俺に任せてくれればいい。今まで知らなかった事を沢山教えてやれる」
「きゃーっ、何されちゃうんだろうっ。ねえ、ア・ナ・タ!」
睦言の途中で嬉しそうに立ち上がったカトリーヌが入り口の脇でシミになっていたグロースの元まで駆けていく。
奴の顔色は青を通り越して虚無だった。
「おうグロース、居たのか」
既にリアラは眠ってしまっている。
朝からずっと俺とカトリーヌに遊んでもらって、今日は終始上機嫌だった。
「結構前から居るが」
あぁ知ってるけどな。
「カトリーヌが中々口説き落とされてくれないんだ。旦那からコツを教えてもらいたいもんだねぇ」
「駄目駄目っ、コレにそんなの期待したって無駄さァ。結婚の申し入れだって延々もじもじしているから、我慢し切れずアタシの方から言っちゃったもんねっ」
因みにコレは口説きごっこだ。
俺もカトリーヌも全く本気じゃない。
彼女のノリがいいからつい興が乗ってな。
というか、リアラが寝付いた頃を見計らってグロースがやってきたら必ずカトリーヌの方から振ってくる。意図が分かるので、俺もグロースの前では調子に乗ってガンガン口説くことにしていた。
ようするに帰ってこない旦那への当て擦りだな。
こいつの効果は抜群で、ここしばらく家を空けがちだったり、冒険者仲間の付き合いで飲みに行っていたグロースが可能な限り帰ってくるようになった。
遠征中でもリディアから加護を貰って突っ走って帰ってくるくらいだ、余程心配なんだろう。
「結局旦那からはまだ言われてないんだよねぇ、結婚しましょうって。愛してるって」
「そりゃ酷い。俺なら毎日でも言うぞ。目覚めた時、食事の時、片付けの時、出掛ける時に帰った時、子どもを寝かし付けた時、一緒に寝台へ入る時、入った後はそれこそたっぷりとな」
「わあっ、そんなことされたら滾っちゃいそう!」
「試してみるか?」
「どうしようかなぁー。ねえアナタ? やってみて貰ってもいいかな?」
じっと二人してグロースを見る。
言葉の途中で旦那の膝上に乗ったカトリーヌが首に両腕を回し、にやにやと笑いながら見詰めている。俺も似たようなもんだ。まあ、あんな愛情たっぷりじゃないけどな。
「…………ぁ、いや……駄目、だ」
対してグロースは真っ赤だった。
戦いの場じゃ頼れる戦士も、惚れた女の前じゃこのザマか。
愛してる。
その言葉一つ満足に言えないでいる。
だから不満、って言うほど不満でも無いんだろうが、言って欲しいって願望はあるもんだよな。
「駄目だってーっ。ロンドさんはどう思う?」
「こっちに来いよ。可愛がってやるぞ」
「きゃーっ、どうしようっ。ねえねえ、どうしたらいい?」
おちょくり回されてグロースはもう目を回している。
普段ここまでされることはないらしい。
というか、これ一つ見ても夫婦仲は万全なのが分かる。カトリーヌは間違いなくグロースに惚れ込んでいるし、逆も然り。
娘への愛情も確かなもので、入り込む隙間は無い。
だから余計に安心して遊べるんだが。
「まあ、夫婦仲はそれぞれとはいえ、一度くらい言ってやったらどうだ。今じゃない。リアラの気が済んだ後で、家で二人っきりになった時とかな」
「えっ、言ってくれるの? 本当ッ? 嬉しーっ。じゃあ待ってるからねっ」
「どうだグロース。ここまで期待させて言わないつもりか?」
「…………俺は何も言ってないんだが……勘弁してくれ」
勘弁しません。
「嫉妬しまくって毎日のように通ってくる癖に、それくらい腹を括れば言えるだろうに。口説き落とすぞ、いいのか?」
ミスリル級冒険者が頭を抱え出した。
その頭を膝に乗ったカトリーヌが抱き込んで、奴の耳が赤く染まる。
どうやら彼女の側も俺に煽られて普段より大胆になっているらしい。
あんな目で見られたら俺だって堪らなくなる。
羨ましい限りだよ。
「ねえロンドさん」
「おう分かった。リアラはこっちで見といてやるよ」
先に堪らなくなったカトリーヌがグロースを引っ張って行った。
今からちょいと、第二子を作るので忙しくなるんだそうだ。
※ ※ ※
少ししたらリアラが起き出してきた。
最近は散々遊び倒して二度も昼寝をかましているから、こういう半端な時間に目を覚ますこともある。
「ママは……?」
「パパと仲良ししてる」
「パパ、今日も来たんだ」
「あぁ。リアラのお叱りがよっぽど効いてるらしい。どうだ? そろそろ許してやるか?」
寝ぼけ眼を擦りながらちょっと考えて、そっぽを向く。
ふっくらほっぺが更に膨らんでいた。
「まだ駄目」
だけど。
「……もうちょっと」
だそうだ。
俺が手招きすると素直に寄ってくるから、その頭を撫でた。
するとリアラの方から膝にしがみ付いて来たので持ち上げて乗せてやる。
「……ママが可哀想なんだもん」
「ふっ、そうだな。でもリアラだって寂しいだろ? パパと遊びたくなってきてるんじゃないか?」
言うとちっちゃな手が俺の服をぎゅっと握り込んで来た。
ほっぺが膨らんでいる。
指でつついてやったら、その手をぺしぺし叩かれお叱りを受けた。




