無知
テラスから下を眺めると、麓へ通じる道の脇にリリィが立っているのが見えた。
屋敷から出ていけ。
そう命じられ、従う彼女は、けれど主への忠誠か、想いからか、言葉に背かない範囲で近くに居続けることを選んだらしい。
曇天の空を仰いで、無性に酒が飲みたくなる。
逃げてる場合か、クソが。
意を決して部屋へ戻ると、長椅子で膝を抱いて座るラウラが居て、俺はその隣へ腰掛ける。
「リリィとちゃんと話せ。なんださっきの滅茶苦茶は」
俺とリリィは話していただけだ。
そんな光景、今までだって何度も見てきた筈。
どこに切っ掛けがあった。
何に気付いた。
「……嫌」
ラウラは俯いたまま、俺を見ようとはしない。
代わりに、抱いた膝に爪を立てて、赤く滲ませている。
いつもの傲慢な態度はどこへやら、いじけた子どもみたいな事を言って目尻に涙を浮かべていた。
「言った事を後悔してるなら、取り消せばいい。そいつが許される程度の関係がお前達にはある筈だろ」
どちらにせよ、そう長くは続かないだろう。
「リリィはずっと、屋敷の外からお前を守り続けるつもりだぞ。だがこのままじゃ」
ほら。
と。
「…………リリィが死ぬぞ」
冬の終わりに、冷たい雨が降る。
※ ※ ※
せめてと思って外套を持って行くと、俯いて固まっていた表情が僅かにほころぶ。
安堵か、嬉しさか。
本当に男が喜ぶ反応をしてくれる。
どれだけ観察しても嘘が見付からず、胸の内がざわついちまう。
けれど、リリィはすぐに表情を改めた。
「近付かないで下さい。会話もしません。それも……すみません、必要無いものですから」
「この寒さの中で雨に降られると、本当に死ぬぞ」
「……構いません。主人に背いていたのは事実ですから」
「それなら俺も同じだ。ここに立ってればいいのか」
言うと彼女はまた少し嬉しそうに頬を染め、
「ふふ。ロンドさんは本当に甘いですね。好きになっちゃいますよ」
「それは……」
「受け入れる覚悟も無いのなら、そんな行動を取らないで下さい。貴方の甘さも、優しさも、厳しさも、弱った心には毒です。抜け出せなくなる檻みたい。中途半端に揺れ動いて、それに苦しんでいるから、つい許したくなってしまう」
そんな風に見えていたのか。
最初から嫌われても構わない、その方が楽だと思って、嫌がらせみたいに行動していたが。
難しいな、この手の仕事は。
仕事、は。
そっと息を落とすと、もうリリィは俺を見ていなかった。
腰に佩いた剣の柄尻に手をやって、振り続ける冷たい雨へ目を向ける。
濡れた前髪が額へ張り付くのもそのままに、自身を晒したまま立ち尽くす。
そしてまた、揺らいで。
問いが来る。
「どうして私を抱いたんですか」
「……お前が、魅力的に思えたからだ」
正直に答えた。
すると彼女は笑う。
「そういう所ですよ」
「なら、どうしてお前は俺に抱かれたんだ。こんなクズ野郎、好んでいた訳でもないだろう」
雨に濡れる。
身体の芯が冷えていくのを感じながら、言葉を待った。
「私はそういう生き物です。そっか………………化け物は、父ではなく……」
吐息は白く、声は濡れていた。
流れ落ちる雫が何なのか、もう判別することは出来ない。
リリィは、その名の通り百合花として己を改め、一度だけ俺を見た。
「何とも思っていない男性に、何度も抱かれる内に、その想いや欲望をぶつけられるだけで、好きになってしまうこともあるのだと思います。まして私は何度もその様子を見せ付けられ、感じ取っていた。貴方の手に触れられて乱れるラウラ様を見る内に、同じようにされる自分を妄想して、慰めていたこともあるんですよ」
彼女はまた雨を見詰め、けれど小さく呟いた。
「あぁ、このまま死ねるなら、それでいい。だからもう、行って下さい。ラウラ様の元へ。そして彼女と、一度でいいからちゃんと向き合って下さい」
※ ※ ※
屋敷へ戻ると、その様変わりっぷりに寒気を覚えた。
散らばる調度品に撒き散らされた衣類。
蹴倒されたんだろう椅子や机が部屋の隅で横転していて、中でもリリィの使っていた椅子がガラスに突き刺さって壊れている。
「あぁ、ロンド」
破壊の中央に立つラウラが振り返る。
まるで初めて恋を知った乙女のように頬を染めて、大きさの合っていない服を着ている。
それは、リリィの服だった。
彼女のように髪を結い上げ、手には短剣。
きっと剣の代わりなんだろう。
剣術なんて一欠けらも知らないラウラの手つきは危なっかしくて、腕に這わせて血を流した。
「あの女との逢瀬は終わったの? なら、次は私を愛して」
その言葉に強烈な拒否感を覚えながらも、俺はラウラの元へ歩いて行って、手にする短剣へ手を伸ばす。
「やだ」
「寄越せ」
「やーだ」
「殴るぞ」
「どうぞ」
嬉しそうに両手を後ろに組んで、顔を差し出してくる。
ため息が出た。
そうだ。
それに快楽を与えてきたのは俺だ。
コイツは最初からずっと、痛みに強烈な興奮を覚え、求めてきた。だが歪だったコイツの内面へそれが快楽であると擦り込んだのは俺で、都合が良いからと放置してきた。
堪らず背を向けると、追い縋って腕を掴んでくる。
「どうして殴ってくれないの!? もう私は要らないの!? 飽きちゃったの!? あの子が新鮮で純粋だからっ、そっちがいいから捨てるの!? こんなに好きにさせたくせに!!」
抱かれ続けるだけで、愛情が芽生えることもある。
一方的に快楽を貪って、放り出していく男とは違って、女は行為そのものが物理的にも相手を受け入れるものだ。
叩き付けられる欲望で感情が揺れ動くのはそう間違いでもないのかも知れない。
ただの興味本位、遊びで始めた情夫との性交が、初めての体験であったなら尚更。
「ねえっ、ロンド!!」
叫びだけで己を傷付けられるのなら、ラウラの求めは内側から裂けんばかりのものだった。
「アナタは私を壊したかったんでしょう!? 初めて会った時のアナタの目、それがとても印象的で、忘れられなかったの! あんなにも大きな感情を向けられたのなんて初めてだったの! もう頭の中がアナタで一杯になったわ!! アレが愛情だったんじゃないの!? 重くて、黒くて、粘つくような感情をいつも私に向けてくれていたじゃない!! なのにアナタは……なんで、なんでリリィにはあんな目を向けたの。あんなの、だって、おかしいじゃない! あれじゃあまるで、アレが、本当の、じゃあ……アナタが私に向ける感情は、一体…………、っっ!!」
俺はずっとお前を殺したかった。
ディトレインの仇。
あのアラーニェを作り出し、放流した某国の錬金術師。
メイリーに刺客を放ち、一度ならず死へと追い詰めた張本人達の一人。
愛せる訳が無い。
例えそれが、国なんていう大きなものを動かす為に出た、些細な被害であったとしても、あの雪山で死んだディトレインは生き返る事が無い。
未来があった。
可能性があった。
アイツなら、きっと自力でミスリルにだって手が届いただろうさ。
それを奪っておいて……!!
「壊していいのよ。アナタなら、私を壊していいの。ロンド、ねえ。どうして? どうして壊してくれないの?」
俺の受けたクエストが、お前の暗殺ではなく、研究資料の確保だったからだ。
屋敷の中は全て調べた。
地下室も、ラウラの自室も、潜り込んでみたら馬鹿みたいに無防備で。
その上で最近、ようやく資料の隠し場所が分かった。
「この刺青が駄目なの? アナタを壊そうとした父親と同じ、この刺青があるから私を抱けないの? だったら斬り落としてくれれば良かったのに」
「できるか、そんなこと」
一度遠巻きにフィリアに確認させた。
彼女の出した結論は、自分では無理、とのことだった。
オリハルコン級の魔術師にすらそう言わせるほどの天才。
どう考えても俺の手には余る。
だが状況確認をしていたある日、リリィと共に都市へ買い出しに来ていたラウラと俺が遭遇してしまった。
彼女は何故か俺を気に入り、減った小間使いの代わりと言って雇い入れたが、あの時既に俺の感情は知られていたんだろう。
矛先も、意味も、取り違えたまま。
「出来るのよ。ほらっ」
着ているリリィの服をめくり上げ、腕を晒す。
刺青なんざ一度入れたら元には戻らない。肌を抉って、神官に回復させる手段もあるにはあるが、途轍もない痛みを伴うと聞く。
それが僅かに光を帯びたかと思えば、刺青が蠢いて集まっていく。不気味な光景だった。まるで身体を大量の虫が這いまわっているみたいで、気色の悪さに眉を潜める。
そうして数瞬の後に、ラウラの手に大きな本が生み出された。
分厚い研究資料。
時折、小さな形で外へは出していたが、完全な状態は初めて見る。
刺青が全て消えていた。
「とっておきの秘密よ。錬金術の合成獣を作る要領で、自身の身体に本を分解して取り込んでいたの。私が死ねば本はそのまま。誰も私からコレを奪うことは出来ないわ。だから」
あぁそうだ。
だから、フィリアもお前には手が出せなかった。
分解、された本を逆算して取り出すこと自体は可能だと言われた。
例えるなら一度焼き上げた目玉焼きをぐちゃぐちゃに潰して、全てを元の配置にし直す様なものらしいが。完全な無作為では収納も取り出しも不可能だから、その為の法則性、つまりラウラの思考さえ追えれば、不可能ではないと。
だがどれだけ急いでも二年か三年。
その間、死体は腐って中身が駄目になる。
まさしく完璧な隠し場所だった。
後はもう、ラウラ自身に望んで本を出させるしかない。
大勢が裏で関わって、ようやく取り出されたソレを見て、けれど俺はすぐさま彼女を殺すことが……壊すことが出来なかった。
『ロンドさん……私達は、やり直していくことが、出来るでしょうか』
出来る訳がない。
ラウラは、この二人は、恨みを集め過ぎた。
そこにどんな経緯があったかなんて関係無い。
どれだけの国が滅んだ。
どれだけの人が巻き込まれ、命を落とした。
故郷を失ったまま未だに戻れない者が押し掛け、都市では毎日のように避難民同士でいがみ合って、死人が出る。
寒い土地だ。
食料も豊富とは言えない。
状況の改善にやってきた冒険者は優遇され、豊かな生活を送れるが、ここ最近ではそれも怪しくなってきたらしい。
敵対行為には報復が絶対の『スカー』が、一部の被害には沈黙を守っているほどだ。
別に二人が死んだところで解決はしないだろう。
暴れているのは、生み出した錬金術師の手からも離れた暴走種だ。
どうにかしろと言って、どうにか出来るのなら、とうの昔にやらせている。
研究資料だって西の貴族が欲しがっているだけで、中身が知れたところで合成獣を一掃出来る訳じゃない。
そういう安全装置が存在しないことも、某国の連中を散々に拷問して吐かせている。
二人の生死はもう、この北域の抱える問題には何ら関与しないものだ。
それでも、人々は彼女らを赦さないだろう。
メイリーの時と同じだ。
大本を絶やさなければ延々と狙われ続ける。
この、北域でラウラの存在を知る全てを殺し尽くすか、死を偽装するか。なんて、出来る筈もないのにな。
今回が偶然暗殺依頼では無かっただけで。
この先ずっと、二人の命は狙われ続ける。
だったら。
だったら?
『彼女と、一度でいいからちゃんと向き合って下さい』
俺を見詰める女を見る。
必死に、己の全てを懸けて求めてくる。
お前のその、無邪気な信頼が苦しかった。
仲間の仇を抱き続ける日々に気が狂いそうで、苛立ちをぶつける様に暴行した。嘘で誤魔化し、薬を使い、リリィを利用し、分断出来ればと画策した癖に、いざ成ったら動揺して手を止めた。
憎しみを愛情と取り違えるほど、何も知らずに生きてきた?
だからどうした。
そんな悲劇一つで許せるのか。
なのに。
目の前の彼女を壊してきた罪悪感が、既に俺の中で芽生えている。
コイツの中にあった大切なもの、リリィとの信頼関係を、この手でぶっ潰した。
見てきた筈なのに。
短い間だったが、二人のささやかな日々を、この目で。
頭の中はとっくにぐちゃぐちゃだ。
殺したい。
なのに、先を見てしまう。
殺して、ただ終わらせていいのかと疑問する。
ほんの一息、本人だって望んでるんだからと言い張って、腰の短剣を抜いてやれば全て終わる。
楽になれる。
正しい事をしたんだと皆が言ってくれるさ。
多くの恨みを背負って、そいつを果たしたんだ。
オリハルコン級の冒険者すら諸手を挙げたクエストを果たせる。
なのに、俺は。
『にゃっはははははははは!! 困ってる人を助けるのがっ、冒険者にゃあ!!』
馬鹿野郎。
本当に。
どうしようもない。
けど、そうだよな、ディトレイン。
俺がようやく手を伸ばした時、ラウラの瞳には喜びがあった。
ただ俺から何かを向けられるだけで嬉しいのか。殺意であれ、情欲であれ、なんでも。どうしてそんなにも飢えている? 分からないさ、知ろうともしてこなかったんだからな。
その頭へ手を乗せる。
きょとん、と俺を見返してきた。
行動の意味が分からないらしい。
きっと誰かに頭を撫でられたことがないんだ。
俺の隠しきれなかった殺意を見て、自分へ向けられる強烈な感情を愛だと勘違いしたように。
だから、壊されたがったのか。
それが愛だと思ったから、傷付けられて、苦しめられる事が嬉しかったのか。
どうしてこんなことになった。
何故ラウラは国民を合成獣へ変えた。
戦争へ投じ、敵国を滅ぼし、挙句自分の居場所すらも滅ぼして、こんな所へ逃げ込んで。
頭を撫でられることの意味すら分からない、無知で無垢な少女が、どうしてここまで壊れてしまったのか。
その一端を、間違いなく俺が担ってしまっている。
膝を付いて、ラウラを抱き寄せる。
頭を抱いて、背に手をやって、落ちつけよと撫でてやる。
そうして困惑する彼女の頬を撫で、顔を寄せる。
目元に浮かんでいた涙を親指で拭った。
震える唇が、何かを言おうとして、けれど何も言えず、引き結ばれる。
目が閉じられた。
その意味だけは知っていたんだよな、お前は。
決して俺が触れようとしない意味をどう考えてきたのかは分からない。
だとしても、今。
己の全てを投げ打って求めてくるラウラへ、初めて俺の方から口付けた。
今まで繰り返してきた行為からすれば児戯にも等しい触れ合い。
なのに、お互い今までのどんな行為よりも興奮して、心が掻き乱された。
「……今のが愛情だ。分かるか」
「……うん。これが、愛情なの? こんなに柔らかで、温かくて、でも、なんで、こんなに胸が痛いの……? っ、あぁ、ロンド……駄目、身体が裂けちゃいそう」
「裂けやしない。でもそうだな、一番いい方法がある」
もう一度、ラウラに口付ける。
甘く、小さな唇を食んだ。
されるがまま、何も出来ずにいる彼女の頬が染まっていく。
「…………もっと苦しくなった」
「そういうこともある」
「困ってしまうわ」
薄く苦笑いをする彼女の頭を撫でると、嬉しそうに目を細めた。
どうやら、その意味を知ったらしい。
だけど。
「……ちゃんと、リリィと話をして欲しい。裏切りというのなら、俺は最初からお前を裏切って来た。許せないのなら、俺を責めろ。アイツはいつだってお前の為に頑張ってきたじゃないか」
雨が強くなってきている。
この寒さだ、体力はとんでもない速度で奪われる。
手だって碌に動かなくなり、最悪指を斬り落とす事にもなりかねない。
ラウラはぐっと瞼を閉じて。
それから俺を見て。
叱られた子どもみたいに不安そうな顔で、必死に。
縋ろうとしたけれど、最後には自分の脚で立つことを選んだ。
「うん。話す。リリィと、ちゃんと話す。友達、だから」
言葉すらたどたどしく、けれどしっかりと俺を見た。
ただ、不安そうに手を握ってくるから、つい笑って握り返す。
そうだな。
大事な友達だ。
初めての喧嘩、その仲直りくらいは手助けしてやろう。
思ってようやく立ち上がった時だ。
「…………あれ?」
呆けた様子のラウラ。
彼女の呟きに、俺もまた寒気を覚えた。
「侵入者……いつの間にか結界が破られて、そんな、あの子達は…………もう、死んでるの?」
強烈な雷鳴が轟き、屋敷前を光が貫いた。
魔術。
誰が。
いやそれはいい。
ただ雨の中だ。水浸しの地面。使い手だって影響を免れない。だからその攻撃は決死を意味する。
攻撃。
「っっ、リリィ!!」
テラスへ飛び出していくラウラを追って、俺も外へ出る。
そして見た。
この冷たい雨の中、十名以上の人間に囲まれているリリィの姿を。
片腕が真っ黒に焼け焦げていた。
利き腕だ。あれじゃあ左に佩いた長剣を咄嗟に引き抜けない。
だからもう、戦いは一方的なものとなる。
駆け付ける事さえ絶望的な距離の先で、彼女は。
防ぎに入った腕を胸ごと貫かれ、脚を射抜かれ転倒し、組み伏せられて、首に槍を突き立てられ、絶命した。
その瞬間を。
ラウラは見てしまった。
「あああああ、あああっ! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ、ああああああああ!!!!」
屋敷が、いや山が激震する。
連中も気付いた。
フィリアですら諸手をあげた、数多の国を滅ぼした錬金術師が、絶望の叫びをあげて全てを曝け出す。
大地に目が浮かんだかと思えば、固まっていた連中を大きな口が一飲みにした。
屋敷の形が歪み、頭に角を生やした巨獣となって襲い掛かる。降りかかる豪雨の中、紫電を漲らせて男達を振り払い、けれど反抗の光を受けて頭部が切り裂かれた。
庭の植物が急激に成長し、吹き上がる泥の様に伸びて連中を襲う。
炎がそれらを焼き払い、炭化しながらも雪崩れ込んで一人を攫った。
流れる川から飛び出した水球が男の頭部へ跳び付いて、真っ赤に染まる。
悲鳴と、怒声と、それを纏め上げる落ち着いた声。
連中は冒険者だ。
だが、ウチの人間じゃない。
ここら一体は『スカー』の仕事中だって、他のギルドは近寄らないことになっていた筈なのに。
「許さないっ、許さない、許さない許さない許さない!! リリィっ、リリィ……! 私の、大事な、あの子は、私の……っっ! 皆殺しにしてやる!!!!」
森全体が襲い掛かるような猛攻を受けて、けれど初手の奇襲を潜り抜けた冒険者達は冷静だった。
確実にラウラの手を潰し、一つ一つ丁寧に、時に下がり、時に時間を稼ぎ、時に猛攻を仕掛けていく。
相当な熟練者の集団だ。
ミスリル以上。
あるいは、アダマンタイトだって参加しているのかもしれない。
そうして俺は、何一つ出来ないままそれを見送った。
トン――――と、後ろから忍び寄った女盗賊がラウラの背中を貫く。
「っ!?」
まるで気付けなかった。
この状況で一番の有効打がそれであると分かっていた筈なのに。掻き乱された思考が痺れを伴って鈍化する。
女は手にしていた短剣を捻り、隙間を作った。
血が流れだし、空気が混じる。
殺し慣れている奴の手管だ。
「あぁいや、先を越されちまったか」
唐突に声がして振り返った。
奇妙な恰好をした男だった。羽織物を身体の前で合わせ、紐で結んでいるだけの服。手にしているのは細身の剣で、僅かに切っ先が湾曲している。
「よおボウズ、テメエの仕事だってのは分かっちゃいるが、どうにもチンタラしているってんで、ウチの依頼主がぶち切れててよ。一刻も早くクソ二人の命を終わらせろと、その為なら天下の竜殺し『スカー』との戦争も辞さないんだと。っへ、参加してる馬鹿共も同じ気持ちだぜ」
倒れていくラウラを抱き留める。
女は、既に居なくなっていた。
残った老爺は興味深げに俺を眺めて、顎を擦る。
「変な気は起こすんじゃねえぞ。もう人間同士の殺し合いはうんざりだ。テメエもまさか、ソイツらが自由に生きていけるなんざ思っちゃいなかった筈さ。なあ、そうだろう?」
だとしても、せめて終わり方を選ぶことくらいは出来た筈だ。
ようやく、知ったばかりだったんだ。
これからもっと知っていくことが出来たかもしれないんだ。
赦されることはなくとも、罪と向き合って、贖罪をし続けていく事だって。
あまりにも自分勝手な言葉ばかり浮かんで、俺はただ沈黙を守った。
それを眺めていた老爺は雨音のような声で言う。
「……俺らの仕事は抹殺で、それだけだ。後の事はそっちで好きにやりな。文句があるならギルドを通して。俺らは『ベリアル』。ここいらじゃ一番幅を利かせてる、元はただの弱小ギルドだったんだがなぁ……他が潰れて人が雪崩れ込んで、ぶくぶくと太っちまった。なんもかんも、そのお嬢ちゃんに滅茶苦茶にされた、元の自分がどうだったかも忘れた合成獣みたいなギルドさ」
ラウラを抱き上げて、背中の傷を強く抑える。
「ぁ…………ろ、ン……ド……」
「喋るな」
「リ、リ……ィ…………」
「分かった。アイツの所に行きたいんだな。しっかり意識を保ってろ」
二階のテラスから飛び降りた。
見ていた男が笑い、両脚が軋みをあげるが、今は時間が惜しい。構わず駆けた。仲間の死体を回収していた冒険者が嫌悪感を剥き出しにして俺を睨んでくるが、無視した。
リリィは、完全に絶命していた。
助かる余地はない。
死者の蘇生だけはアダマンタイト級の神官だって出来やしないんだから。
「リリィ」
もう声にすら空気が混じって、伸ばした手が彷徨う。
目が見えていないのか。
リリィの手を取って、ラウラに握らせてやる。
「ぁ…………いた。ふふっ」
大切そうに頬擦りし、けれどもどかしそうに身を捩る。
止めろ。もう、血が殆ど残っていないんだ。
「やだ。ちかくに、いたいの」
「……分かった」
背中から手を離すと、血が一気にこぼれ落ちた。
構わず隣に横たえる。
俺はそれからリリィに手をやって、瞼を落としてやった。首に刺さっていた槍はもう抜かれているが、服が半ば焼け焦げていて、彼女なら気にするだろうと思ったから、自分の上着を掛けてやった。
頬の血を、拭い取ってやる。
そうして、腰を落とした。
後はもう二人の時間だ。
冒険者達が去っていく。
抹殺が目的であるのなら、もうやることはないと思ったんだろう。あるいは俺ごと始末したいと考えた者も居ただろうが、さっきの老爺が尻を叩いて追い払ってくれた。
残されたのは、俺達だけ。
雨音に交じって、空気の混じった声がする。
「ごめんね、リリィ」
ラウラの手が、彼女の頬を撫でた。
「こわかったの。ゆるせなかったの。ほかの、だれかなら、っっ、どうでも、よかったけど……あなただったから、ゆるせなくて。だけど、ね。わたし、あなたのことが、いちばん、だいじで、だいすきで」
手が落ちた。
だらりと寝転がる。
もう身体の感覚だって無いのかもしれない。
それでも、これだけは伝えたいと、何も知らなかった少女が言う。
「ひど、い、ことを、した」
最後にしっかりと息を吸って。
「ごめんなさい。ゆるして、くださ、い…………」
ラウラは、死んだ。




