調味料と鉄拳制裁
商館の荷捌き場で話し込んでいたら、上の方から怒鳴り声が聞こえてきた。
ついでに、聞き覚えのある悲鳴も。
「すまん。通して貰ってもいいか?」
相手は仕方なしといった様子で応じてくれた。
状況が上手く転がればいいんだ。そう心配しなくてもいい。
肩をトンとノックしてすれ違うと、彼は苦笑いしつつ他の者を避けさせた。
武装を身に付けたまま入り込んで来た俺へ幾人かはぎょっとした様子だったが、こんな土地で商売を続けているような場所とあって肝の据わった奴も多かった。
そうして辿り着いた部屋の扉を、俺は遠慮なく押し開く。
「っっ、このクズが!! 納期に間に合わせろといつも言ってあるだろう!!」
怒鳴る男と、大きな身体を縮こまらせるベラの二人だけ。
他には誰も居ない。
男は特に大きな机を前に椅子へ腰掛けていて、でっぷりと膨らんだ腹を見るに、相当儲けているらしいことが伺える。
他にも多数、金の掛かった調度品や絨毯などが飾られていて、特に目を引くのが割れて粉々になった陶器だろう。
ベラは額に傷を得ていた。
赤い血が目元を掠め、首元まで汚している。
「……誰だ貴様は。誰が通していいと言った!」
男が俺を認める。
肩を竦めながら歩を進めると、奴は少し怖気付いたみたいに身を引くが、手元のベルを鳴らして人を呼ぼうとした。が、誰も来ない。
「そう怖がらなくていい。俺は彼女の護衛として雇われているんだ。少し遅かったみたいだがな」
訝し気に開けっぱなしの扉へ目をやっていた男は、けれど俺を見て、ベラへ視線を移し、吐き捨てる。
「なるほど。一丁前に男遊びなんぞ覚えおって! 貴様のような人間のなり損ないを使ってやっているだけでも感謝すべき所をっ、この俺の信用を裏切って遊び惚けていたとはなあ!!」
「ベラ、こいつで傷を拭け。額の傷は浅くても結構な血が出るからな」
「ロンドさん…………すみません」
野郎が机を蹴った。
ガキか。
ため息交じりに向き直ってやると、さぞ自分は偉いんですよという顔で俺を見下していた。
「アンタがベラの雇い主だな。話には聞いているよ」
「……冒険者風情が粋がるな」
視線が俺の首元、ゴールドのランク章を撫でた。
シルバーだったらもっと態度が悪化していたことだろう。全くゴールド様様だな。
向き合って薄く笑みを浮かべてやる。
「そう嫌ってくれるなよ。俺ならアンタにいい話を持って来てやれると思ったんだ。俺はクルアンの町の所属だ。興味はあるだろう?」
表情は流石に動かない。
ただ、沈黙を守っているのは興味を持っている証拠だ。
「ベラ。少し離れていてくれるか?」
「え? はい……」
言うと彼女は素直に壁まで下がり、俺の渡した手拭いで額の傷口を抑えた。
そいつをしっかり確認してから声を潜め、机の向こうへ話し掛ける。
「ブツの中身について、俺はもう見当を付けている。アンタ中々のやり手だろ。あんなもん、神殿のお膝元で捌ける奴はそう居ない」
喋らない。
「別に揺すって小銭を貰おうってんじゃないんだ。アンタが手にしているパイを、もっとデカいものにしてやれる、だからその分の分け前を貰えないかって話をしてる」
沈黙は肯定だ。
いつでも引き返せるように前のめりになっていても足を残すのは商人らしい。
まあそもそも俺は信用されていない。
「俺はこれでもクルアンじゃ裏のギルドとも繋がりがある。アンタのその腕前と、ブツがあれば、すぐにでも商売を始められるだろう。こんな枯れた土地でせせこましく小銭を集めて回るよりも遥かに大きな商売だ。興味はあるか?」
「……冒険者風情が」
鼻で哂いつつも、初めて応じてきた。
ただ、男は話に乗るでもなく、別な部分を突いてくる。
「この時期にこんな所までやってくる冒険者などそうは居ない。居るとしたら、冬の間に小銭を集めて回る貧乏人か、何かをやらかして町に居られなくなった間抜けのどちらかだ」
「………………」
「ゴールドのランク章。それは本物か?」
「確認してくれていい」
渡してやると、男はじっくりそれを眺めた。
「『スカー』の者か。あそこは外からの攻撃に過剰なほど煩いことで有名だ。同時に、身内相手にやらかした者へも容赦はしない。はン、大口を叩く前に自分達の評判くらいは知っておくべきだな」
肩を竦めた。
もう降参ですって感じでランク章を取り返すと、机の上に座って男との距離を詰める。
「連絡手段を寄越せ。それで北へ逃げる算段くらいは付けてやる」
「冗談だろ。俺だってまだあっちに伝手は残してある。そうでなきゃ、こんな話は持ち込まない」
「証拠も無しに言われてもな。ならせめて、同僚冒険者の首でも持って来い」
哂った。
「そんなことをしたら、連中は首の所持者であるお前ごと食い散らかしにくるぞ。せめてコレくらいで我慢しておけ」
取り出したシルバーのランク章を机の上へ放る。
年季の入ったランク章だ。細かい傷が幾つも残っていて、こんなもの使い回せないとアリエルから突き返された。どうせまた必要になるでしょ、なんて言ってきやがったが、珍しい所で役に立つ。
野郎はそれを見て勝手に解釈を広げたらしい。
ほくそ笑む。
あぁ分かるよ。
得体の知れない男との交渉なんて誰でも慎重になるさ。
けど弱点の知れた相手なら?
自分の手の平で躍らせると感じたなら、有利の蜜に大抵の者は溺れてしまう。
「前金は」
「そんなものくれてやるか。成果を持って来い。すべてはそれからだ」
「ちっ」
苛立った様子で机から飛び降り、けれど机の上にあった無地の紙と、ペンを奴の前へ置く。
「契約書を作ろう。後になって止めた、なんて言われたら思わずこの商館ごと燃やしたくなるからな」
「ふんっ、思い上がるな。芸もしない犬にやる餌はない」
目線を合わせた。
じっと野郎の目を見詰める。
瞼が、眉が、こめかみが震えても尚離さない。
やがて不健康そうな白い額から脂汗が出るほどになってようやく、俺の方から視線を外した。
「あまり舐めるなよ。契約書は作る。それは絶対だ」
「…………っ、分かった」
二枚、同じ内容のものを作らせた。
これは商人が契約を交わす時の常識だ。
一枚だけなら、保有している側が好きに書き替える事が出来てしまう。だから二枚用意し、署名の段階で契約書に記載内容が同じであることを確認しておく。後から何かを描き加えたり、誤魔化したり出来ないように。
「物品の名前を明記しろ。後になって本当に粉だけ流されたら堪らんからな」
「危ない橋なんだぞっ」
「それはお互い様だ。ほら、俺の署名は終わった。後はお前だけだ」
野郎は必死な顔で契約書を睨み付け、何度も何度も読み返してからペンへ手を伸ばす。
一つ目にようやく署名したかと思えば、二つ目でインクが切れた。
壺を寄せてやると素直に手を伸ばしてくる。
その手を俺のパイクが貫いて机へ縫い留めた。
気色の悪い悲鳴があがる。
血が広がり、暴れた先から机上の書類やらが飛び散るが、一枚目の契約書だけはしっかりと確保した。
「あああああああああっ! ああっ! ああああああああ!!」
俺はしっかりと手が固定されているのを確認してからベルを手に取り、音を鳴らす。
振り向いた先ではベラが顔を青褪めさせ、俺達を見ていた。
「…………悪い」
「いえ…………」
どういうことか、彼女はやっぱり理解していないらしい。
だから簡潔に、分かりやすく答えを渡すことにした。
「ベラ。お前が運ばされていたのは調味料じゃない。周辺の領地全てで製造と販売が禁止されている薬物だ。コイツはお前に何も知らせず運び屋をやらせていた」
さぞ都合の良い駒だったことだろう。
気弱で、ちょっと怒鳴ればすぐ言うことを聞く。なのに腕っぷしは強く、周囲から孤立していることから情報漏洩の危険がほぼ無い。過酷な労働にも文句を言わず耐えて、確実に納期を守ってくれる。
今回は、俺の相手をしていて予定が遅れてしまったが。
「最初にお前と寝た時、記憶が飛んだのもコナが原因だ。お前は善かれと思ってやったんだろうが、中身は人間の精神をぶっ壊すほどの威力がある薬物……おかげで俺は綺麗さっぱりお前との記憶を失い、村人は翌日でもまたクスリが残って呆けてやがった」
効果に差があるのは耐性と体格が原因だろう。
小柄な者と大柄な者とでは効き目に差が出る。また普段からコナを背負っていたベラは微量ながら触れる機会があったろうし、このガタイだ。
俺も俺で毒類には多少慣れがある。
この手のものは酒精と同じで、身体から抜いていける力があればまあ、ほんの少しくらいは回復が早まる。
本格的な毒物ともなれば錬金術師にでも聞いてくれって話だが、アレはあくまで人間が摂取して楽しむためのものだからな。
「精神が……、それじゃあっ」
「一度や二度じゃ効き目は薄い。身体に慣れるほど激しく飛ぶ種類の奴だな」
とはいえ、無自覚にクスリを盛ったことには変わりない。
今度顔を出した時には、派手に飲み食いして金を落としてやるこった。
ベラを大きな身を縮め、俯いた。
「すみません……私、なんにも知らなくて」
「悔しいか」
「……はい」
「だったら、知識を身に付けろ。商人でも冒険者でも、そいつは大きな武器になる。取引をする上でも市場の価格さえ知っていれば身を守れる。逆に、知らない事で無自覚に誰かを傷付けることもある」
確かに彼女は知らなかったんだろう。
だが騙され利用されていたとはいえ、やったことの結果としてクスリが売買されてしまっている。
通常ならば同じく罪に問われても仕方のない事だが。
「はい…………ちゃんと、勉強、します」
それが言えるのなら十分だ。
「あぁ、それで誰かを助けることだって出来るんだからな」
話していた所で数名が駆け込んできて、机の上が血まみれになっているのに気付いて青褪める。
彼らは商人だ。
商売上での胆力はあっても、荒事はまた別だろう。
ようやく現れた援軍に、野郎が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ソイツらを捕えろ!! 八つ裂きにしてくれるッ、クソがあ!!」
潰された蛙みたいな声だった。
ただ、連中は動かず、戸惑いながらも後ろの者に道を開けた。響く足音は硬く、軽妙で。
「あぁ、これはこれは。その机、結構高いんですよ、ロンドさん」
「そこまでは配慮出来ん。ほら、証拠品だ」
「…………確かに」
契約書を渡すと、眼鏡を掛けた男がそれを確かめ、満足そうに頷く。
蛙男はそれを呆然と眺め、青褪めた。
「当商会にこのような蟲が湧いていたとは……心底残念です。お世話になったロンドさんのお話とはいえ、流石にと思っていたのですが」
「よく言う。派閥争いで邪魔になっているから都合が良いと、さっき話してただろうに」
「はははっ、相変わらず真っ正直で羨ましいですね。冒険者はそれで良くとも、商人は違います。私は商館付きに、貴方はゴールドになったのですから、倉庫番時代の話は酒の席だけにしましょうよ」
この商会はクルアンの町を本拠とするもので、ウチとは繋がりも深く、頻繁に旅団護衛やら倉庫番やらの仕事をくれる。
彼は若い頃、その倉庫番担当をやらされていた悪戯小僧だ。
十年も経てば成長も出世もするもので、こっちへ移転することになった時は二人で飲み明かしたもんだな。
「さて、お話は概ね聞かせていただいていますが、そちらが運び屋の方ですね」
「ベラは知らなかった」
「申し訳ありませんが、それについてもこちらで改めて調査する必要があります。無論、契約書に名前のあるロンドさんも」
「まあ仕方ないな」
誘いの為とはいえ無茶をした。
「ベラ、取り調べには付き合ってやろう。安心しろ、この悪戯小僧が悪さをしたら、最悪『スカー』との戦争になる。そこまでは、流石になあ?」
「ははは。たった一人のギルドメンバーの為に、玉座にまで乗り込んで王を脅した方々が言うと冗談に聞こえませんね。えぇ、取り調べはすべて記録を残し、公正なものにするとお約束しますよ」
「長旅で身体が冷えてるんだ。温まる食事を付けてくれないと、暴れちゃうからね」
「はいはい。僕からの奢りで勘弁してくださいよ、ロンドさん」
笑い合って、拳を打ち付け合う。
一度は冒険者に憧れたが、こっちはこっちで遣り甲斐があるらしい。
再会した時には随分と畏まってやがった癖に、すっかり昔の表情が出て来ている。
邪魔者を排除出来たならいよいよ商館主も見えてくるか? 羨ましい限りだよ。
と、後ろで動く気配があった。
なるほど、ここまでのし上がって来ただけの胆力はあるらしい。
男は縫い留められていた俺のパイクを引き抜いて、血走った眼でこちらを捉える。俺というより、商売敵となる悪戯小僧を目標に定めているが、直線状の壁になる位置をさっきから俺が保持しているからな。
誰かが気付いて、声をあげる。
片手を血まみれにし、息を荒げた男が駆け出す。
「っっっふざけるなああああ!!」
素人だ。
だが単純な突進は、護衛対象が居る中では完璧に防ぐのが難しい。非戦闘員も多いし、多少は傷を貰う事を覚悟して受け止めるのが一番、そう考えて身構えた所に。
「ロンドさんに手ェ出すなあああああああ!!」
血走った目で飛び込んで来たベラが、その逞しくも繊細な腕で男の顔面をぶち抜いた。
面白いくらい綺麗に飛んで、木窓のすぐ横の壁に蛙男が突き刺さる。
全員が目を丸くしていた。
「だいじょうぶですかあ!?」
ベラは涙目になって俺へ縋りつく。
その、あまりもの落差に俺はつい笑うが、後ろの連中は違ったらしい。
ではこちらへ、なんて言おうとしていた商会の事務員は顔を真っ青にし、悪戯小僧も流石に頬を硬直させていた。
だから俺はニヤリと笑ってやった。
「取り調べは丁重に頼む。分かるな?」
はい、という返事が返ってくるまで、俺はベラの頭を撫でて、落ちつけよとあやしてやった。




