とても和やかな一日
洗濯屋に溜まっていた衣類を預け、鍛冶屋に装備の調整を依頼し、拠点としている宿の地階で注文しておいた料理を受け取って部屋へ上がる。
今日は快晴、洗い物は明日には乾いて受け取りに行けるだろう。
装備類も出来る限り自力でやる方針だが、職人に任せるべき部分はある。
昨夜の内から陰干ししておいた遠征用の天幕を脇目に机へ向かい、木窓の向こうに見える街並みを眺めながら食事を摂る。
「うん、うまい」
食いでのある食事をエールでぐびりと流し込み、喉の奥から湧いて来た欠伸と一緒に伸びをする。
ここ最近では珍しいくらいののんびりとした始まり。
道を駆けていった子どもらの笑い声を追い掛けて目を向けると、通りの向こうにエレーナの姿を見付けた。
よお相棒。
なんて思って見ていたら、向こうもこちらに気付いて手を振ってくる。
見慣れた神官服ではなく、普段着なんだろう上質そうな服を着ている。多少派手さは感じるが、可愛らしい雰囲気もあり、なんというかエレーナに似合っている。
※ ※ ※
「やっほう、おじさん!」
「おう。今日も元気いいな」
「へへぇんっ」
部屋まであがり込んで来たエレーナを迎え、とりあえず空いた皿や陶杯を棚の方へ移動させる。サッと吹き上げて席を案内すると、広げていた天幕を丁寧に折り畳んで元の場所へ収納。
それを興味深そうに見ていた彼女だが、すぐ何かを思い出したみたいに鞄を漁り、取り出した。
「ねえねえっ、コレ一緒にやってみない?」
エレーナが机に広げていくのは、勇者と魔王、なんて捻りの無い名前で呼ばれる駒取り遊戯の道具だ。
過去幾度も洒落た名前が考案されるも、その名前で浸透してしまったのもあって結局そのまま残っているという、結構古くからある遊びだな。
「初めてか?」
真新しい駒と盤を見ながら言う。
「うん」
新しい玩具に興奮気味なエレーナが、駒の動きや性質などを記した木板を取り出しつつ頷いた。
「おじさんはあるの?」
「冒険者をやってりゃ、どこかで触る遊びだからな。パーティ組んだ後の親睦会とかで、大抵一人二人は盤を持ち込んで大会が始まる」
微妙な顔をするエレーナの頭をがしりと掴み、頬を膨らませた彼女につい笑う。今日は冒険って感じじゃ無いし、髪を整えてあるから触るだけだ。
まあお前は環境が特殊だったからな。
これからだよ、これから。
「俺はここ数年、魔王側じゃ負けなしだ。挑戦してみるか?」
「うん、やる。でもちょっとは手加減してよ?」
「あぁ。こっちの駒は削った状態でやろう。慣れてきたら徐々にお互い駒を増やしていくんだ」
この遊戯は最大四人が参加可能で、一人が魔王となって残る三人の人間側と戦うちょっと特殊な形式となっている。
魔王側は駒が優秀な代わりに駒数が少なく、人間側は駒の質は低いものの駒数が多い。
参加する人間側の王全てを倒すか、特殊駒である勇者を倒せば魔王側の勝利。人間側は魔王を倒すか、勇者を魔王と隣接させることが出来れば勝利という、中々に不平等な仕様となっている。
「どっちが面白いの?」
「そうだな……」
攻めっ気の強いエレーナなら人間側がいいだろう。
「俺が魔王役をやるから、お前はまず人間側で試してみるといい。ほら、勇者の駒もお前のもんだ」
人間側がどれだけ増えても勇者は一人。
どんな駒でも一撃で倒す最強の駒だからな。人が増えれば神官と魔術師の駒も使えるが、あんまり手札が多くても分からなくなるから、最初はこれだけでいい。
手早く駒を並べて、遊び始めた。
「そういえばさ」
説明書となる木板を睨みつけながらエレーナが話を振ってくる。
「ゼルディス様が魔境行くって言ってるじゃん?」
「あぁ、魔竜狩りをしたいんだろ?」
「おじさんは行った事ある?」
不用意に進めてきた駒を容赦なく取る。
あっ、と漏らすが、すぐ自分の駒に視線を落として勝ち筋を探し始めた。
「少しだけならな。前線の砦と、その少し向こうまでだ。荷運びのクエストで護衛付きだったが、結局魔物には遭遇しなかった」
クルアンの町が出来て以来、この周辺の魔物は徐々に駆逐されていった。
更に二つの砦が東に出来て、今じゃあ迷宮から湧き出した奴らを見るくらいか。
時折、北東側から流れてくるってのはあるが。
「ずっと向こうに大魔王が居るんだよね」
「そういう噂だな。見たヤツは居ない。生憎と勇者ってのも拝んだことはないが」
吟遊詩人は好き勝手に話を盛る。
メイリーの事もあるから悪し様には言うつもりもないが、話し半分くらいで聞いておくのがちょうど良い。
「迷宮と魔境ならどっちが怖いかな?」
駒を進めてくる。
今度はちゃんと考えて、簡単には取らせてくれない。
「そりゃあ、魔境の方がキツいって聞くな。迷宮の深層は俺も知らんが、低層第三層までは半日も掛からないし、中層も突破するだけなら一日程度だろ。行って帰る難度を言うなら、魔境は底なしだ」
前回帰って来た竜殺しのアイツも、年単位で活動して結局魔王城は見なかったってんだからな。
「深層は怖いか」
「……うん。物凄く怖い。最近、それをもっと感じるようになった。あそこに自力で行けるようになるっていうのがちょっと想像出来ないかなー」
「学べるものを、今の内にたっぷり学んでおけばいい。お前はまだまだ若い。成長はこれからだよ」
言った途端、予想外の手で詰めてきた駒に俺の駒が窮地になった。
「一緒に行くの。言ったじゃんか」
なるほどそんな手が。
「ははっ。楽しみにしてるさ。あぁ当然、俺だって自分に見切りをつけた訳じゃないからな」
「あっ!?」
手傷は負ったが、備えておいた駒で攻め手を潰す。
後は一方的だ。
この盤遊びは人間側の陣形が極めて重要で、一度崩されると一対一では立て直すのが難しい。一対三ならある程度余裕も持てるんだが。
数手で状況は完全に決した。
俺の勝ちだ。
「もう一回!」
「おう。受けて立つぜ」
駒を並べ直していると、また新しい来客があった。
ノックも無しに部屋の扉が開け放たれる。
「兄ちゃー」
「姉さんっ、勝手に入っちゃ失礼だよっ」
レネとフィオだ。
※ ※ ※
四人で盤を囲い、俺が魔王側として三人の攻めを受け止める。
レネは経験者だがフィオは初めてだ。ただ、基本を呑み込むのが早くてすぐ手強くなった。正統派で捻りはないが、搦め手が多い代わりにポカもあるエレーナと組めば意外に相性が良かった。
「レネ、今こっそり隠した俺の駒を返しなさい」
「えへへー」
えへへじゃないよ、油断ならないな。
受け取った幹部駒を元の位置に戻し、別の駒を下げる。
「よっし、一個取った!」
勢いよく上がってきたエレーナの勇者がこちらの駒を掻っ攫う。
さっきから随分と楽し気だ。
「罠だよ」
レネが指摘する。
「えっ?」
慌てるエレーナ。
「大丈夫、それには備えてるから」
そこへフィオが自分の駒を進めてくる。
確かにその位置に陣取られると踏み込めない。魔王側の駒は強力だが、人間の駒複数に囲まれるとあっという間に落ちるからな。
「ふふっ、ありがと」
「いいえ」
にっこり笑い合う二人を見て、なんというかほっこりする。
なるほどエレーナはギルドじゃまだまだ鼻つまみ者だからな。ゼルディスの賑やかしをやっていた頃の印象は強く、他の若手からは嫌遠されている。なまじキャリーでミスリルランクになっているのもあって、長年そこへ辿り着けず停滞してる層からはやっかみもあるだろう。
だからこそ、気兼ねなく話せる同世代の友人は居なかった。
同郷のトゥエリには苦手意識があるみたいだから、俺から話を通したりもしていない。
「あ、こちら、もっとどうぞ」
「っ……うん、ありがと」
フィオが持ち込んだ菓子をエレーナへ勧める。
彼女も彼女で派手に遊んでいた時期はあるものの、それは聖都でのことで、クルアンの町じゃあレネ以外に絡める相手も居なかった。
お互いやらかしてた時期があるだけに、気兼ねなく接する事の出来る友人は希少だ。
レネは……まあ平常通りの大欠伸だが。
口元からこぼれた菓子屑をフィオが甲斐甲斐しく回収して手拭いに包んでいく。床に落としたりしないのは、流石貴族相手の商売を展開していただけある。
「ロンドさんもどうぞ。沢山ありますので」
「おう。甘い菓子なんて贅沢、久しぶりだ」
「喜んでいただけたなら何よりです」
なんと南方からの流入品で、この菓子には砂糖が使われている。
果実なんかの甘みはそれなりに得られるが、この強烈な甘さは砂糖ならではだ。
「それにしても、結構凝ったのを作るんだな」
「兄ちゃに食べて貰いたいって、朝からバタバタしてたからー」
「姉さんっ!?」
しれっとキツめの位置に駒を進めたレネが緩んだ顔でこちらを見る。その横でややも興奮した様子のエレーナと、慌てるフィオが居て。
「ロンドさんには姉さんの道具を買い戻す時に色々とお世話になったからっ。まだまだお金も返せていないけど、ちゃんとお礼しなくちゃ駄目でしょっ」
「今までは煌びやかで派手な相手ばかりに惹かれて来たけど、次は落ち着いていてー優しくてー、包容力のある人がいいなーって言ってたよ」
「お、おー……!」
「エレーナさんっ、ちがいますからっ」
確かにあの時は、一緒だった男があっさり自分を捨てて逃げた直後だったってんで、それなりに気を遣ってたが。
「そうだぞレネ。フィオはまだまだ若いんだから、俺みたいなのとそういう話にされると嫌な気持ちになったりするもんだ」
一瞬固まって、大きく息をつくフィオ。
うん?
流石に違うよな?
「違います」
「あぁ、分かってる」
俺達のやりとりを眠そうに見ていたレネが、飽きた玩具を足元へ落とすみたいに視線をエレーナへ向けた。
「そっちは?」
「え? 私?」
フィオからの視線を受けつつもエレーナはこっちを見て。
「おじさんのことは大好きだよっ!」
にっ! と嬉しそうにはにかんだ。
※ ※ ※
三人と連れ立って部屋を出る。
「ふっふっふー。おじさんの店選びが楽しみだなあーっ」
上機嫌なエレーナと、
「ふわぁ…………ふ」
欠伸をしているレネに、
「あの……すみません、そんなご無理は為さらないで下さい、ね?」
恐縮するフィオを連れて。
何度も遊戯を回す内に初心者だった二人も慣れていって、ある時エレーナが勝利の報酬が欲しいと言い出した。
『詩の中だと魔王を倒した勇者は王様になったりするでしょ? だったらおじさん倒したらご褒美がないとさあっ』
『さんせーいっ』
そこへレネが即座に乗って、なんだかんだと大賭けするの好きなフィオも無言のまま便乗した。
『ほう? じゃあ人間を滅ぼした魔王は何が得られる? そっちだけじゃあ不平等だろ』
『うーん、おじさんが勝ったら肩もみをしてあげる!』
『そ、そういうのでしたら』
今度はレネが無言で逃げようとしたが、フィオが率先して同意したことで賭けは成立した。
まあ、結果から言うと俺が負けたんだが。
憐れ人間に滅ぼされた魔王は、三人の勇者パーティに食事を奢ることになったのでした、完。
「フィオの気遣いに甘える訳じゃないが、俺がこないだまでシルバーだったことを忘れるなよ。貴族や高ランク冒険者向けの店なんざ知らんからな」
そうして案内したのは下町の食事処だ。
長屋の一室を改造した、傍目には店があるとは思えない様な場所で、小人族の親父が出してきた料理に四人で舌鼓を打つ。
「……え、すごく美味しい。ゼルディス様に連れてって貰った所よりも」
「ほんとです……、貴族相手の接待で行ったお店よりもずっと美味しい」
「だってよ、大将」
一人黙々と食べるレネを脇へ置きつつ、少女二人の賞賛に店の親父は快活に笑った。
「ここの親父はそういった店が出来る前の、大本の店で厨房を取り仕切ってたこともあるからな。今じゃ引退して、下町の連中相手に安くて美味い食事を出してくれてる」
しかも使っている食材だって普通の、安く手に入るものばっかりだ。
派手で煌びやかなものはないが、誰でも幼い頃に何度も口にしてきた、当たり前で慣れ親しんだ、優しい味の料理で溢れている。
お金は掛けずに手間掛けて……それだけで料理は美味くなる。
「どうだ勇者御一行。ここが魔王の厨房だ」
なんて言ってたら親父に叱られたが、皆で笑って美味い食事をいただいた。
しばらくやっていると仕事あがりの労働者が増えてきて、あっという間に店が埋まる。俺達は店の親父に礼を言うと、金を払って店を出た。
「驚きました。こんなお店もあるんですね……今度商売の会食に使えないかな……」
「そういうのは止めてやれ。昔、店の評判が上がり過ぎて、その手の話だけじゃなく、きな臭い談合やら政治やらに利用されすぎたってんで、大将はひっそりやることに決めたんだ」
「ぁ…………」
言うとフィオは思っていた以上に落ち込んで、口を閉ざしてしまった。
その頭にポンと手をやる。
ちょっと気安過ぎたか、なんて反省をしつつ、見上げてくる幼い目を迎え入れる。
「失敗は誰にだってある。少しづつ学んでいけばいいんだ。それで、ちゃんと自分で納得出来る道を見い出して、それに誠実であればいい」
道は一つじゃない。
金儲けが大好きで、真っ直ぐ突き進んでる奴だって居るしな。
フィオとレネは、前回それらが上手く噛み合わず、大切なものを取りこぼしたって話だ。
何も俺が認めるものだから正しいって訳じゃない。事実、効果は薄くとも、フィオが造形を作った護符を好んでくれたヤツも居た。
誠実に。
多分、そこが大切なんじゃないかと思う。
一過性の成功に自惚れて、落ちぶれない為にもな。
騙して成功することも確かにあるが、誠実であれば失敗した時に助けてくれる奴は結構居る。見落とされてしまうこともあるから、絶対になんて言えないけど、その時は視野を広げて優しくなればいい。
少なくとも、俺はそういう奴が大好きだ。
はは、矛盾してるけど、まあ気にすんな。
なんかこう、楽しいだろう?
「はい。ありがとうございます」
「おう」
夕陽に染まるフィオの顔が、くしゃりと笑顔を作った。
「んーっ、兄ちゃー、おんぶー」
そんなことをしている後ろからレネがしがみ付いてきて、前を歩いていたエレーナが振り返る。
「私がおんぶしてあげよっか、レネ!」
「んー? わーい」
ばっ、と両手を広げた十八歳へ駆けていく十九歳。
妖怪ナマケモノは大喜びでおんぶされ、殴り神官は何故か満足げに笑っている。多分、友達と絡んでいるのが楽しいんだろう。
「おんぶしてやろうか、フィオ」
「え!? あっ、私はっ、そんな! ……………………いいんですか?」
最年少を甘やかしてやろうというのだ、全く構わん。
そうして気恥ずかし気にするフィオを背負った所でエレーナが叫んだ。
「よーい、どんっ!」
「あっ、待てこらズルいぞ!?」
なんとも馬鹿馬鹿しくも和やかな競争が始まり、俺達はフォルムス姉妹を背負って下町を駆け抜ける。
「ふ……っ、あはははっ、ふふっ、おかしいっ。ふふふっ、ははははははは!」
「むにゃむにゃ……」
笑うフィオに、眠るレネ。
背負った俺とエレーナは互いに負けじと鬩ぎ合う。
夕焼け空の見える坂道を駆け上がり、笑いながら応援してくる町民らに見送られて、頂点へ達する。
「よっしゃあっ、私の大勝利ー!!」「あいた」「あーっ、ごめん!?」
「あはははははは!」
バンザイした所でレネが落っこちて、フィオが涙を流しながら大笑いしていた。
和やかな一日。
そういう日があってもいいじゃないか。
なあ?




