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夏 × ビール × リディア

 クルアンの街中をレネとフィオ、二人と共に歩いて行く。

 すっかり陽が高くなり、町の気温は一気に上昇した。頬を撫でる風は悉くが生暖かく、薄手のローブを羽織ったレネがさっきからずっとうめき声を発している。

 隣で汗を滲ませるフィオが甲斐甲斐しくも木の板で仰いでやっているが、送る風すら温かいんだからどうにもならない。


「もぉ歩き゛だぐな゛あ゛あいよおお……っ」

「うお!? しがみ付くなレネ、余計に熱いだろうがっ」

「ロンド兄ちゃが来いって言うから来たのにいいいいっ」


 泣きべそを搔いた大きな幼児を抱きかかえることになり、更に暑苦しさを増した俺達は、周囲を行く子どもらに笑われながらようやく目的地へ辿り着いた。


「ぁ…………っ」


 隣でフィオが身体を強張らせるのが分かった。

 レネが反応して目を向けるが、すぐにしがみ付く腕を強めて首元にぐりぐりと顔を押し付けてくる。足をがっちり後ろに回して来てるし、ぶら下がってくるから、さっきから尻を掴んで支えるしかなくなってるんだがいいのかお前は。

 庇護者にしがみ付いて離れない生き物と化しているレネをどうにか宥めつつ、緊張するフィオへ声を掛ける。


「そう怖がらなくても、普段は物静かで怒ったりしない奴だ」


 目的地、フィリアの酒場の前には既に人だかりが出来上がっていた。

 まだ開店はしていない。開くのは夜になってからと聞いている。ただ、その前にフィリアが招待した客だけで楽しもうと昼過ぎから集まる事になっていたんだ。

 そんな訳で、共同出資者であるリディアもここへやって来ているのだが、それがまさかこんなことになっていようとは。


 店から突き出して伸びる広いウッドデッキと、そこに並べられたちょっとお洒落な机と椅子。同じく突き出した屋根で頭上は覆われているものの、屋内に比べれば解放感のある場所で、リディアが一杯やっていた。


 白い頬にほんのりと浮かび上がる朱色。

 手にしているのはなんと、透明なガラス製のジョッキだ。そこへ注がれた黄金色の酒こそ、この店独自の手法で生み出されたキンッキンに冷えたラガービール。ジョッキの表面に浮かび上がる水滴を見ているだけで生唾を呑み込みたくなった。

 このうだる様な暑さの中、リディアはそれを口元へ運び、一口、二口と飲んでいく。

 白い喉が波打ち、うっとりとした表情で酒を堪能した美女がほうっと息を付く。

 瞳は潤み、すっかり彼女がラガーに魅了されていることが分かった。

 神官は普段、滅多な事では衣服を緩めたりはしない。それは戦いへ挑む上でより仕える神々からの力を授かり易くする為らしいのだが、今はあくまで平時だ。そう、掛かる残暑を前にリディアはほんの僅かに服を緩めていた。

 首元の留め具一つ、広さで言えば指二本分程度の範囲に過ぎないが、その隙間から見え隠れする肌が、暑さと酒でじんわりと汗ばみ、ほのかに紅潮している。

 そこで俺は遅ればせながら気付いた。

 今のリディアは髪を軽く纏め、結っている。

 神官としての彼女は常に髪をそのまま垂らしている。衣服同様、髪型などにも意味があるからだ。あくまで質素に、派手さを抑えながらもほんの僅かな華やかさを添える様に編み込まれた髪が後ろで纏められ、静かに揺れている。そうすることで普段は目に付かない耳元とうなじが、こちらもほんのりと朱色に色付いて晒されている。

 平時の無表情は保っている筈なのに、酒が入ったことで僅かに緩み、柔らかくなった印象もあった。

 なのに妙な艶めかしさを感じるかと思えば、どうやら衣装が駄目な代わりに口紅を塗っているらしい。薄く桃色の差した唇は平時より艶を増していて、それが透明なガラスのジョッキに跡を残す。

 飲み終えた分が数個、そのまま下げられず机に残っているのは敢えてだろう。


 その、全方位に発散される色気に道行く人々が脚を止め、思わず見入っていた。

 凄まじい光景だった。

 前に一刻ほど苛め続けた後で、さあここからだぞと覆い被さった時に見たのと同じ目をしている。

 表情はあの時ほどあからさまに変えてはいないのに、神官リディア=クレイスティアとして振る舞っているせいか、被った清楚さの内側から漏れ出す雰囲気が凄い。


 ふと隣へ目をやれば、同姓でリディアを怖がっていた筈のフィオまでも頬を染めて視線を釘付けにされている。


 と、リディアの隣で誰よりも顔を赤くしたトゥエリが座っていることに気付いた。

 どうやらお目付け役というか、リディアがいつもの調子で暴れないよう見張る為に付いて来たと思うのだが、当の本人がお上品に飲みつつも異様な色気をまき散らしているとあって目を回していた。

 アレを近距離で受け続けるのはまずい。

 一欠けらの魔力も使っていないが、精神系に効果のある何かだ。


「いかがですか、ロンド様」


 後ろから声を掛けられて振り返ると、フィリアが得意げな顔をして立っていた。

 どうやら人込みに紛れて反応を伺っていたらしい。


「エロいな」

「でしょうっ」


 そのまんまな感想を告げると、益々彼女の得意顔は濃くなった。

 だが今回はいいだろう。

 えっちな衣装は頓挫したが、発想一つでこうも変わるものだと感心した所だ。

 おそらくは慎重にリディアの拒絶する間合いを測りつつ、神官服という真面目で落ち着いた服装を土台へ据える事で認識を曖昧化させた。そう、制服とはほんのちょっと見方を変えるだけでエロいのだ。


 困ったことにリディアは神官服のままではさせてくれない。

 大抵が地下酒場で合流してからになるから、そもそも着ていないことが殆どなんだが、時折村クエストを手伝って貰った後でも、あの中古の神官服ですら絶対に脱いでしまう。

 大事な戦闘服でもあるから分からないでも無いんだが、もう一着購入を検討するべきなんだろうか。実に悩ましい。


「あっ……本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 俺が悩みの深い場所で彷徨っていると、フィリアに気付いたフィオが進み出て挨拶をした。フィリアも快く応じてくれる。


「こちらこそ。今後とも良いお付き合いが出来ればと思いますわ」

「よろしくお願いします。ほらっ、姉さんもそんな状態でいないで挨拶を」

「うっふふ。今日はロンド様のご友人として招待していますから、あまり気を張らずとも良いのですよ。職人に独創的な方が多いのは承知しておりますので」


 とはいえ、いい歳をしながら往来で男にしがみ付いている生き物であることを許し続けている訳にもいかないと思い直し、俺はレネを地面の生き物に戻した。


「はい、お礼」

「あーがとましたー」


「はぁい。うふふ、貴女がフォルムス宝石店の後継者ですのね。お爺様とは多少、懇意にさせていただいていました。今度改めてお話しましょうね」


「あーい」


 実に適当だが、レネなりにちゃんとフィリアと向き合ってはいるんだ。

 自分の判断が日々甘くなっていることに気が付きながらも、とりあえずは置いておく。そこら辺は後でフィオと相談してどう締め付けるかを決めるとしよう。


「試飲会はデッキで行っていますので、お好きな席で始めて下さいませ。料理が欲しければベルを鳴らして人を呼んでください。全て無料で提供させていただきますわ」


 なんとも豪気なフィリアの言葉に気持ちを昂らせつつ、これも宣伝の一つかと納得する。

 既にリディアだけで十分過ぎる気もするが、ああも真昼間から飲んでいられると今から仕事上がりが楽しみで仕方なくなる。しっかり夜に開店することも人を置いて口頭で宣伝させているようだし、こりゃ初日は大盛況になるだろうな。


「兄ちゃ、暑ぃよぉ……」

「そうだな。俺達は目立たない所でのんびりやるか」


 フィオがレネの乱れた服を正してやっている傍ら、ふと通りを行くエールワイフを見た。近くの農村から自作のエールを持ち込んで酒場へ売りつける、ちょっとした職人みたいになってる奴の事だ。

 女の方は知らない顔だったが、話し掛けられている方に覚えがあった。

 小柄な、編み籠を持った少女。

 ギルドでも見た、ホップの採取クエストをこなしていた冒険者だ。エールワイフと呼ばれるエールを売り歩いている女が何やら交渉をし、あの苦い奴を購入しようとしているらしい。


「いこぉ……」

「ん? あぁ」


 腕を引かれ、背を向けた。

 エールといえばハーブや木の実などの爽やかな味わいを愉しむ酒だ。果物なんかも使われるし。一部苦みを加えたものもあるが、一般的には変わり種として扱われている。

 にしてもアレは苦過ぎるだろうに。

 香りはまあ、悪くなかったが。


 俺はすぐに興味を無くし、二人を連れてフィリアの酒場へ入っていった。


 入口でトゥエリに挨拶をし、すっかりラガーに夢中となったリディアに苦笑い。

 小綺麗な格好の店員が寄ってきて、人目に付かない所へ案内してもらう。

 表からだとリディアばかり目立っていたが、既に何組かが集まっていた。おそらくは商会絡みの人間と、食材を卸している農園主って所か。


「……………………」

「…………兄さん?」


 フィオにレネを預けて席へ向かって貰う。

 少しばかり息を落とし、俺は声を掛けてきた男へ向き合った。


「よお。お前が……親父まで居るのは意外だったよ」


 遠巻きにこちらを睨んでいた男がすぐ手元に意識を戻し、酒を煽る。

 昼間から酒とは、少しは丸くなったかと思ったが、この場合は仕事上の付き合いか。


「ここに食材を卸してるのか」

「うん。困ってたみたいだからさ」

「あちこちの商会からつつかれただろうに」

「そんなことしたら余計に父さんは意地張って卸すよ」

「っはは、相変わらずだな」


 職人気質というか、黙って仕事をするのが当然と考えてるというか、昔ながらの農園経営を止めずによく今日まで生き残って来れたもんだと呆れる。


 俺が冒険者になると言った時、猛反対して大喧嘩をした親父。

 以来、農園絡みをクエストを受けた時なんかで稀に様子を見に行ったりはしていたが、結局一度も話す機会を持てずにきた。


 当時は俺だってとんがってたけど、今じゃあ親父なりのやり方に納得もしてる。

 特に、飢饉であちこち食料が値上がりしてる時も、普段通りの値で供給し続けていたことなんかはな。転売に利用されない様、しっかり意思疎通の取れた店へ流すことで、あの時は多くの人が助けられてた。

 冒険者が町の人達の役に立つ為に生まれたなら、農園だって皆を食わせる為に生まれた仕事だ。

 良いものを作って、当たり前に供給する。

 親父の仕事がそういうものだったんだって、あの時は思ったな。


 それでも俺は冒険者に憧れた。

 奴隷も買わずに昔からの親族だけで経営しているちっぽけな農園だが、その後継を弟へ押し付けて飛び出したんだ。

 親父が俺に怒るのも当然。


 けどまあ、折角会えたんならと思っていたら、向こうから席を立って寄ってきた。


「帰るぞ」


 掠れた、隙間風の感じる声だった。

 髪に白いのが増えた。皴が濃くなってる。背、少し縮んだか?


「え、でも兄さんも居るし、久しぶりに三人で」

「土の匂いがせん奴と飲むつもりはない」


 ここで追い縋って喧嘩にでもなったら、それこそフィリアに迷惑だ。

 浮かんだ幾つもの言葉を呑み込んで、けれど。


「親父」


 脚を止めてくれた。


「元気そうで良かった」


 返事はなく、すぐに歩き出す。

 まだこっちを気遣わし気に見ている弟へ、気にせず行けと手で示しつつ、その背をじっと追い掛ける。

 熱い日差しを当然のように浴びて、しっかり地に足を付けた、もう老人と呼んでいい筈の男が背筋を伸ばして歩いて行く。はは、農作業してりゃ背は自然と丸まっていくもんだ。けど胸張って歩くのは、俺が見てたからかねえ。

 意地っ張りの頑固爺。

 生まれて今日までずっと、土と共に生きて、食物を育ててきた人。

 俺の尊敬する男だ。


「またな」


 万年シルバー。

 未熟者。

 そんなままじゃあ顔向け出来ないって思ってたけど、今度帰省してみるのもいいかもな。喧嘩になるならそれでもいい。殴られるなら甘んじて受けよう。その上で、俺も俺なりに頑張って来たんだってことを、ちょっとくらいは知って欲しい。


 新しく店へ案内されて来た男に道を譲り、俺も改めてレネ達の所へ向かった。


 まだまだ昼下がり。

 騒いで飲むにはちと早いが、飲みたい気分でもある。


 溺れるんじゃなく、景気付けでな。


 レネもフィオも最初からそう長居はするつもりも無かったそうだし、俺もちょいとじっとはしていられない気分になった。

 まあでも、まずは一杯。


 冷たいラガーでも尚、この熱が消えないでいてくれるのなら。


 そろそろゴールド昇格、しなくちゃよ。







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