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終末の魔物

 降りしきる雨。

 揺れる大地。

 そして地面から染み出してきた、大量のスライム。

 井戸から、川から、小さな裂け目や植物の根を伝って。

 そんな小技が必要なのかと笑えてくるほどに、町全体がマルサルの指先未満に呑み込まれていった。


 もう随分と前の話な気もするが、シシリーがこいつを都市喰いと呼んでいた意味がようやく分かった。

 こんなのが本気で人間を滅ぼしに掛かってきてたんじゃあ、アーテルシアも苦労したんだろうよ。


 瞬く間に水位を上げていくスライムに身体が呑み込まれた。

 クィナの悲鳴が鈍く伝わる。

 そんな彼女も足元から崩れ落ち、俺へ手を伸ばしながら身体を震わせた。

 抵抗も、逃げる事も間に合わない。

 やがて全身が沈み込むと、その頬が赤く染まっているのが分かった。

 いや、彼女だけじゃない。

 広場に居た全て、誰も彼もが、気が狂ったようにスライムの中で喘いでいる。

 声は聞こえないのに、足掻く様からその理由が見て取れる。


 こんなの、どうにもならない。

 いや、このままじゃ俺達だって。


『ご安心を。私はサレナさんほど雑ではありませんから』


 まるで海の底へ沈んだみたいな浮遊感を得て、ふと体内の毒が失せているのに気付いた。

 いやだからってこんな回復速度は異常だ。

 腹に詰められたスライムが原因か……。


 俺の体調が劇的に回復していく一方で、近くで溺れるみたいに足掻いていたクィナが幾度も身を震わせていた。

 拙いな、と思って手を取ったら、それだけで身体が強張っていやいやと首を振る。

 きっと抱き締めたらあの数日間でも味わった事の無い感覚に襲われて気絶でもしてしまうだろう。


 俺達の周囲を満たしたスライム、魔王マルサルが鼓膜を揺らして語り掛けてきた。


『人間は存外痛みに強い。絶望を与えても抗ってくる。その一方で、楽や快感にはとても弱い。分かりやすい死が迫る中でも、苦しみ続けて逃げるより、足を止めて楽な死を選ぶ者の方が圧倒的に多いんですよ。だからサレナさんや私のような魔物は、人を襲う時に恐怖や痛みではなく、安心と快楽を与える機能を得ました。上手く保存すれば、百年以上は持つんですよ』


 分かった。

 分かったけど一つ言わせろ。


『はい』


 つまりコレってお前がクィナの身体弄り回してるってことじゃないのか?

 つまりお前、彼女に手ェ出してるってことじゃないのか?


『……………………』


 …………意地でも胃袋の金魚消化してやるぞ。


『すみませんごめんなさいゆるしてください』


 どんだけ金魚大事なんだよ、って今更言うのも野暮だろうが。

 マルサルは町を包んだスライムを可能な限り素早く再浸透させ、俺達を解放してくれた。


 あと正直、クィナはいいんだが、レネのそういう所見るのは罪悪感が凄かったんだよ。見ない様にしたけど、滅茶苦茶暴れてたし、楽とかそういうのに弱そうだもんな、アイツ。


 ようやく踏んだ地面に安堵というより不安を覚えつつ。


「……っ、はあっ! くそっ、あぁなんでか体調が戻ってる事実をあんまり認めたくない気がする……!!」


 気付けば空は晴れ。


 口から耳から傷口から尻の穴まで、なんなら毛穴からだって染み込んで来てやがったスライムのおかげで驚くほど健康体になった俺は、身体の気持ち良さを追い出そうと肩を回したり筋を伸ばしたり。

 ヤバいなスライム保存、百年以上持つって話は嘘や吹かしじゃなさそうだ。


 流石に折れた骨まではどうにもならないみたいだが、そっちも外側はずっとスライム製の包帯で固定してくれてるんだよな……。


 周囲の暴徒が揃って倒れていやがる。


 おそらくだが、俺やクィナ達はかなり手加減された。

 本気で消化されかかった連中の味わった快感ってのは洒落にならないもんだったろうよ。


「さて、急いで逃げましょう」


 帽子を被り直し、マルサルが広場の北側へ向けて歩き出す。

 俺もクィナを支え、酷い感じになってるレネを起こして続こうとした。


 天を掴もうと伸びていたあの樹椀が、一斉にこちらへ降り注いで来なければ。


 マルサルが引き潰される。

 弾け飛んだスライムを貪るみたいに腕が掴み取り、瞬く間に吸収していく。

 だけじゃない。

 先ほど彼が染み出してきた井戸、川、土や草木、僅かな裂け目に至るまで、飢えた獣みたいに襲い掛かって都市を喰らっていく。


 そのまま俺達も巻き込まれて死んじまうのか思ったが。


「どうどうどう!! ったく暴れやがって! 無理に食ったってお前、過剰生育で壊死しちまうしっ、この辺りの土地枯らしちまうだろうが!! はぁぁっ、あまりの執着ぶりに妬けちまうなぁオイ……!」


 聞きたくもない声が降って来た。

 傍らに樹肌の少女を伴いつつ、シルバーランクのドルイド野郎が樹椀の一つに乗ってこちらを睥睨してきた。


「よおグランドシルバー。さっすが熟練の冒険者はしぶといねえ」


「ヴィラル!!」


「さっきのは正直ビビったぜ。あのスライム、とんでもないヤバさだ。まあこっちも似たような成長ぶりなんだがな」


 勢いこそ止まったが、今度は散らばった血肉を舐める様に漁り始めたドライアドの樹椀に舌打ちする。

 マルサルよりよっぽど直接的で、嫌悪感が強い。


 倒れて痙攣していたレネをどうにか引き起こし、クィナと一緒に逃がせないかと思案するが。


「無視すんなよ、悲しいじゃねえか。俺にとっちゃアレだ、数少ない性癖を暴露出来た友達みたいな感じなんだからよお。ちいっと語らせるくらいさせてくれてもいいんじゃねえの、色男?」


「バラして楽しむ趣味には理解が無くてな。一人寂しく森の中へ引き籠って、一生樹に股座押し付けて擦り上げてろ」


「っっっっははははは!! 流石次々と女をたらし込んで来た奴は言う事が違うねえっ」


「で、どうするんだよ植物趣味の変態野郎。ここまで派手に暴れちまったら、俺達を潰そうがどうしようが、大規模な討伐隊が組まれて遠からず狩られるぞ」


 マルサルもこのドライアドも馬鹿げたデカさだが、地中に沁み込んで雨にまでなって移動するスライムと比べて、樹はどうしようもなく目立ち過ぎる。


 確かに脅威さ。


 俺なんかじゃどうにもならない。


 けどクルアンには強い冒険者がごまんと居る。

 ザルカの休日による魔物群の大侵攻に慣れた連中なら。


「あぁ、俺もそこは悩んでたんだけどよォ。案外何とかなるんじゃないかって思っててよ」


「……ほう、聞かせて貰いたいもんだな」


 時間稼ぎ。

 様子見。

 情報収集。


 そういう思考を読まないじゃないだろうに、身に余る力と一緒に居るせいでか、野郎は余裕を見せて語り出した。

 どうにも、幾らかドライアドは奴の言う事を聞くらしいからな。


 性癖の暴露に忙しいクソ野郎は、意中の女の肩を抱いて質問を投げかけてきた。


「お前、朝見草って知ってるか?」

「……魔物を誘引し、殺した奴の腹に種を植え付けて走らせる植物型の魔物だな」


 前にプリエラから教えられ、ルークらと一緒に探したことがある。

 種、というか果肉付きの実ごと酒に漬け込めば、その手の趣味人からとんでもない値段で買い取って貰えるとか。


「ほぉ流石だねぇ。まあ俺なりに彼女を研究した結果なんだが、どうにもコイツはその朝見草の原種に当たる種族らしいんだ。というか、あっちはただの劣化品。多分だけど、太古の時代から狩られ続けて、比較的危険度の低い奴が生き残ったんだろうなあ」


 ドライアドはクィナによれば、船の墓場へ流れ着いた一本の枝から成長したって話だったな。

 マルサルも幽海を抜けて魔境から流れてきたんだろうと言っていたが。


 いや、待て。


「俺にとっても予想外だったんだよ。コイツ、喰った相手を能力も記憶もそのままに再現出来るんだ!」


 ついクィナを振り返って見た。

 状況に付いていけていない彼女は訳が分からないと首を傾げているが。


「つまりよ。この町一つ喰い尽くせば、そのまま全てが俺の戦力になる! っははは! 奴隷扱いされてた俺みたいなのが、もしかしたら国だって手に入れられるかも知れない!! どうよ、こんな大出世他にあるかあ!?」


 待て。

 それ以上は。


「ただ食餌を誤魔化す為の、それと新しい餌を誘引する為の能力かと思っていたんだが、これは流石に驚いたぜ……! ともすればよ、大昔に居たっていう都市喰いの再現さ! いや都市一つなんてケチな話じゃないよなあ。国一つ、大陸丸ごとだって喰い尽くせるかも知れねえ!!」


 《《ヨルダが現れない》》。

 あの村の族長である筈の彼女が、この期に及んで顔一つ見せない。


 そもそもヴィラルは余所者の筈だ。


 ドライアドが居る事を知っていて、その生態について研究までしていて、こうして動きを制御しながら驕り高ぶってやがる。


「…………ああ? なンだよその顔は。まさか気付いて無かったのか? おいおいそりゃあ無いぜッ。だったらなんでテメエ、監獄で食餌しようとしたヨルダを燃やしやがったんだ? 予定外の事で慌ててもう一体作ったけどよお、記憶の呼び出しが半端で、幾分若い頃のアイツになっちまったんだぜ」


「ロンド、さん?」


 クィナが首を傾げながら俺へ問いかけてくる。

 意味が理解できない。

 何の話か分からない。

 マルサルの指先も、目の前のドライアドも、今の彼女には思考の外だ。


 それを目敏く見付けたヴィラルが笑みを濃くしてドライアドへ身を寄せる。

 ご自慢の彼女を紹介しますとばかりに手で示し、頭部を撫でると、その樹肌が色付いて変化した。


「ははっ、どうしたんだいクィナさん? 君が十数年もずっと一緒に居たお姉さんじゃないか。そうだそうだ。君が居た。君なら分かってくれるだろう? この子とだって愛情を交わす事は出来る。なんたって君は、ずっとずっと、ずぅぅぅっとこの子の産んだ花を姉と呼んで慕ってきたんだからさあ!!」


 ヨルダはとうに喰われていた。

 もしかしたら、枝が成長を始めたその日の内に。


 そうして産んだ種から花が咲き、人型を取って擬態してきた。


 本体はあんなにもあからさまな形をしている癖に、新たな餌を誘引する為の花はどこまでも精巧で、人間そのものの思考すら持っているように見えた。


 いや、

 いやっ、

 まだ。


 これ以上は。


「ヴィラル!!」


「あぁ……ぁ、ぁぁぁ………………っ」


「君の作ってくれた食餌はさ、どれも美味しくて堪らなかったって、いつも感謝していたんだよっ!!」


 クソ野郎が……!!


「八人目が楽しみだねえっ!! その為に生かしてやったんだ! 種馬野郎とせっせと作ったその中身、とっとと喰わせてくれよって泣いてるんだよこの子がさあ!!」


 包み込む様に迫る樹椀。

 怯え竦むレネと、放心するクィナを庇い立つ。


 武器も、術も、何もない。


 役立たずの万年シルバーが、クソみたいな意地を張って立っているだけ。

 何も出来ない。

 何か。


 何か、何か、何か何か何か何か何か何か何か……!!


「ヴィラル」


 僅かに、動きが止まった。

 息を吸う。

 意味はない。

 間を取るのに自然なだけだ。

 そうして奴を見て、お望みのまま怒りを見せてやる。

 この世の底辺に居たらしい元奴隷の男は、それだけで満足そうに笑い。


 そして、


「そこまでよ外道!! 魔力を回しなさいッ、マルサル!!」


 広場へ駆け込んで来たシシリーが矢を放つ。

 毒々しい紫色をした矢が呆気無く樹椀の一つへ突き刺さり、その樹肌が瞬く間に汚染されて崩れ落ちる。

 更には無数の渦が彼女の周囲へ展開されたかと思えば、そこへ飛び込んだスライムが細く強烈な水流と化してドライアドを切り裂いた。


 途方もない絶望を前に。


 かつて都市喰いと呼ばれた魔王を相手に戦ってきたのだろう、千年以上を生きる長耳長寿の女が高々と腕を振り上げた。


 空には再びの暗雲。


 そこから叩き付けられた数えきれないほどの雷撃が、ドライアドに無数の火の手をあげさせた。


「チィ……!!」


 ヴィラルを守ろうと樹椀が殺到するも、強烈な水の刃と化したマルサルによって切り裂かれ、降り注ぐ矢がドライアドの身体を汚染する。


 ふっと、腕に熱が籠もった。

 折れていた筈の骨が繋がっている。


 アイツ……神官の術まで使えるのか。


「下がりなさい!! ここはもう尋常な戦場じゃないわ!! その子達を連れてっ、早く!!」

「分かった!! 恩に着るぜシシリー!!」

「当っ然!! 高いから後で覚悟しておきなさい!!」


 最高の加護を貰った。

 呆けるクィナを背負い、レネを立たせて、背中を支えられながら走り出す。


「お前は……!!」


「私もすぐ逃げるわ。このドライアドはね、ちょっと撫でた程度じゃ駆除出来ないくらい厄介なのよ!」


 なるほど、お知り合いか。


「こいつは魔王サレナレア。魔王マルサルと並んで、いいえ、三災厄の中でも最も醜悪で怖れられた、国食いのドライアド!! 見付けるのが遅かったら、手遅れになっていた所よッ!!」


 つまりコレでまだマシな方だってのかよ。

 いや、今は少しでも遠くへ逃げて、態勢を立て直さないと。


『……クィナ。クィナ』

「っ、っ!?」


 駆け出した背後から声が響いてい来る。

 背中のクィナが震えた。

 手放していた心が、受け入れ切れずに壊れかけていた心が、呼び掛けに応じて軋みをあげる。


『お母さん』『待って』『どこ行くの』『おいて行かないで』『ママ、どこぉ』


「ああっ、ああああああああ……!!」

「クィナ!! 頼むっ、俺の声を聞いてくれっ!! クィナ!!」


『あああああっ、ああっ、あああああっ』

『あーっ、あああー! まーま!!』


 赤ん坊の泣き声が聞こえる。

 それが擬態であろうと、彼女が母足りえた全てがクィナを求めて呼び掛けて来て、無視なんて出来る筈も無かった。

 軋む声が絶え間無く背中を叩く。

 その腹を痛めて産んだ、七人の声が彼女を呼んで。

 確かにあった筈の幸せから引き剥がしていく。


 クソみたいな話だが。


 今彼女の足が矢傷で動かないことに感謝した。

 そうでなければきっと、この声に応じて駆けて行ってしまっただろうから。


 本当に。


 そんな考えに縋って走り続ける自分が、嫌で嫌で仕方無かった。


 泣き叫ぶクィナを背負い、追い縋る子と姉と、ずっと共に暮らしてきた家族同然の村民らの声に引き摺られながらも、俺達はようやく関所の町から逃げ出すことが出来た。


 背後、この世の終わりみたいな巨大樹と雷雨の戦いは、どこまで駆けても見えなくなることはなく。


 その日。


 一つの町と一つの村が、消滅した。







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