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魔王

 天を掴むように伸びる無数の樹腕。

 降り注ぐ雨は徐々に勢いを増し、けれど関所の町に広がる混乱はまだ続いている。


 暴徒共の纏まりは薄く、クィナ達の村を襲撃に出ていた者が居たかと思えば、金持ちそうな家を片っ端から襲撃して街中を荒らし回るのも居る。便乗か、そいつなりの正義があるのかは知らないが、はた迷惑なことこの上ない。


 俺は街中で偶然合流したレネと共に、足に矢を受けたクィナを背負って騒ぎから遠ざかる様にして北を目指していた。


 北方には都がある。

 レネを連れて来てくれたというシシリーの姿は見えないが、アイツも元はミスリル級の冒険者だ、最悪単独でもここを脱する事くらいは出来るだろう。

 非戦闘員を二人連れての逃走中、流石に探し回っている余裕はない。


『アハハハ、アハ、ハハハハハハハハハハハ!!』


 魔物の声が良く響く。

 樹の肌を持つ、少女の姿をしたドライアドが、暴徒の襲撃に反応してか身を隠すことも放り投げて笑い続けている。


 クィナの震えが止まらない。


 十年以上もアレの餌を求めて働いていたってんだからな、いつ気紛れを起こして自分や家族や友人達を喰われるかも分からない……そりゃあ恐怖の対象になるのも無理はないか。


 ヴィラルとの戦闘が始まるまでは一緒だったマルサルの行方は知れぬまま。

 まさか、あの程度で死んだなんてことはないだろうが。


「はあっ、はあっ、はあっ……!」


 身体に毒が回っていくのが分かる。

 手足の動きが曖昧になって転びそうになる。

 解毒しなくちゃならないってのに、それらしい店も見当たらなければ走り続けるしかないんだから、そりゃあ回るのも早くなるってもんだな。

 最初に仕掛けてきた暗殺者、もうしばらく姿を見せていないが、上手く撒けたんだろうか。


「大丈夫、っ、通って!」


 レネが首飾りを翳して倒壊していた建物を一時的に元通りにする。

 海賊ヴィンセントの遺産を蘇らせた、その偉業を讃えてやる暇もないとはな。


 抜けた先の通りで、背後の建物が音も無く崩れた状態へ戻るのを確認しつつ、周囲を警戒する。


 騒ぎからは遠退いている。

 北側の壁がもうすぐそこだ。

 慌てるな。

 おそらくそちらにも暴徒が集まっていて、門周辺を抑えている筈だ。

 さあどうやって抜ける。

 手札には何がある。


「レネ、っ」


 崩れ落ちそうになったのをどうにか堪え、荒い息を整えきれないまま問い掛ける。

 こちらを見たレネが不安そうにするが、すぐに気を入れ直して頷いてくれた。


「うん。なに?」

「その首飾り、どの程度前にまで戻せるんだ?」


 ここまで何度も見ていれば性質は分かる。


 あれは『回帰』とも言うべき力を持っている。

 いつかあった形を今へ呼び込み、再現する。

 一時的なものだ。

 だが、そいつを活かせるのなら、もしかするとあの壁が無かった過去を呼び込んで通り抜けられるかもしれない。

 冗談みたいな話さ。けど現実に起きている。

 石を投げて、そいつが飛んでいく放物線の理屈が何ら理解出来ていなくとも、慣れていけば相手にぶつけるくらいは誰でも出来るだろう。


「そこは、まだ……ごめん」

「いや。けど調整はどうなってる? 場所によっては数日前からああだった場所もあるし、今日崩れた場所だってあった筈だ」

「えっと……気合い?」


 あんまりにも似合わない……いや流石に悪いか、けどつい理解が遅れるような単語が出て来て笑っちまった。

 不満そうにするレネを撫でてやりたいが、生憎両手が塞がっててな。


 っ、あいてて、右手が相変わらずキツいな。

 背中も、まあなんなら両脚も左腕も、耳も目も、全部キツいんだが、そうも言ってられない。


「多分、魔力量とか、投射距離とか、そういう感じだと思うんだが……やってみるだけやってみるか」


 整い切れない呼吸を呑み込み、さあ北へと踏み出した時だ。


 本当に、馬鹿みたいな偶然の間で、向かう先にあった建物の扉が開いた。

 ぞろぞろと出てくるのは首に灰色の布を巻いた一団。


 あぁ。


「レネ、クィナを頼む」

「ん、ぁ……にーちゃ」

「頼む、っ! もう膝が限界なんだ」


 震えながらもクィナを背負ってくれる。

 自分で歩きますと言ってきたが、まともに脚が突けないんじゃどうにもならない。


 連中が俺達に気付いた。


 もう敵味方の判断も無いのか、それとも暴徒同士でそういう首巻きが無いと駄目なのか、誰かが指をさしてこちらへ駆けてくる。

 手には血の付いた、安っぽい槍。

 遅れて屋内から出てきた野郎が、血塗れの男を引き摺ってやがった。


 こりゃあ強盗やってる連中だな、最悪だ。


「行けっ! 頼んだぞっ、レネ!!」


「っ、っっっ!!」


 ずっこけそうになりながらも走り出したレネを見て、野郎共がそっちに足を向ける。


「テメエらクソが手ェ出していい女じゃねえんだよ!!」


 震える脚を地面へ叩きつけ、折れた右手を強引に振り抜く。

 頭の中で何かがぶちぶちと千切れて、視界半分が赤く染まった。


 だがありがたいことに痛みが無い。


 後でどうなるかなんて知ったことか。


 今ここで二人を逃がせなかったら、俺は死んでも死に切れねえだろっ!!


「このっ!」


 後ろから腰を蹴られた。

 よろめいた所に槍を叩き付けられる。

 はン、せめて突いてみやがれってんだよっ。


 後ろ手で叩き付けられた槍を掴み、打撃直後の弾みを受けた手指を、上手くほぐして奪い取った。右手はもう使えない。一歩を下がりつつ手の中で槍を回し、相手へ矛先を向けて中程を握る。

 身構える暇も与えず喉を突いた。

 固定が甘い。

 引き抜きつつ更に二歩下がり、今度は槍を腕に沿わせて別の奴の胸元を突いた。

 振り上げる様にすれば少しは固定も様になる。


 ただ、更に半歩を下がった所で足元から崩れた。


 槍の構えは解かない。


 相手は所詮素人の集まりだ、二人がやられ、怯え竦んでいやがる。

 少しでも時間を稼いで、それで、


「……ぁ、ぁぁ…………」


 睨み合っていたのは十秒もない。

 だが、動きの無かったその間にどんどんと身体が震えを増して、血の気が逆流したみたいに頭が冷えていくのが分かった。


 立っていられない。


 膝を付いて、頭が揺れて、それでも槍を地面に突き立てて身を起こし続ける。

 歯を食いしばれ。

 意識を保て。

 誰を背負ってると思ってやがる。

 怯えた表情でクソ共が下がっていくのが見えた。

 そうだ、それでいい。

 なんて思ってたら、二人が弓を持ち出してきやがった。


 一射目は両方外れ。


 槍が届きそうな距離だってのに、手が震えて狙いが定まっちゃいない。

 払い除けろ。

 踏み込め。

 ちょっと小突いてやればもう崩れる。


 二射目でようやく片方が掠めた。


 放った奴へ目を向けると、それだけで怯えて数歩を下がった。

 ヤジが飛ぶ。

 当てろ。

 死にぞこないだ。

 言いつつ誰も俺へ踏み込んでは来なかった。


 三射目が来る。


 後ろで誰かの悲鳴が聞こえた。

 あぁ、くそ。

 誰か回り込んでやがったのか。


 来る。


 流石にもう外してはくれないよな。

 俺を呼ぶクィナとレネの声を聞きつつ、視界が何度も暗転し、


『アハハハハハハハハ!!』


 化け物の笑い声を聞きながら、限界を迎えて倒れ伏した。


    ※   ※   ※


 荒れた地面を引き摺られていく。

 連中、その場でオタノシミを始めるかと思いきや、ようやくあの化け物へ対処する気になったらしい。

 ところが合流した暴徒同士で派閥争いでもあるのか、意見が纏まらずどんどんと奥へと連れて行かれる。


 意識が絶え絶えで、周囲の状況も曖昧だが、まだ死んでいないのなら。


 呼吸を。


 ゆっくりと。


 毒が回り、意識を、命を刈り取ろうとしてきても、そいつを整えれば少しは症状がマシになる。

 根本的な解決にはならないけどな。


 麦束みたいに背負われているクィナと目が合った。


 怯え切った表情で、けど俺がまだ生きていると知って嬉しそうに涙する。


 けど悪いな。流石にもう限界だ。声の一つも出やしない。


 そうして連れて行かれた先で、連中は俺達を闘争の手柄だとか抜かしながら広場の中央へと引き摺って行った。


「この女はあの村の人間だ! コイツを人質にして化け物を下がらせよう!!」

「やっている暇があるか! 今すぐ逃げないと!!」

「どこに!?」

「いやソイツは村長の女の関係者だっ、何度か一緒に関所を通るのを見た!!」


 どこかで見覚えのある野郎が言うと、周囲が沸き立ってクィナへ注目が集まる。

 彼女が今にも死にそうなくらい青ざめてやがるのも何ら構わず、縛り上げろ、いや先ず痛めつけろ、なんて下らない事を口々に叫ぶ。


 どうやら連中、村からの反撃を受けて逃げまどっているらしい。


 最初の襲撃に加わっていた奴らは……全滅したか。


 あの化け物相手だ、そのまま餌として取り込まれた可能性も高い。

 しかもドライアドはもう積極的にこちらへ侵攻してきている。

 それなりに戦えそうなのは居るってのに、纏める奴が居なくて何一つまともな抵抗が出来ていない。


「もう一人捕えてきたぞ!! こいつもそこの野郎と同じ死刑囚だ!!」


 ぼやけた意識で状況を探り続けていたら、今度は蔦で簀巻きにされたマルサルが俺の近くへ投げ込まれた。

 派手に転がり、手前で止まる。


 お前、何やってんだよ。

 仮にも魔王だろうが。


「……おや、また会えましたね」


 殴られ蹴られ、ボロボロにされているが、それが全て擬態だと知っていれば心配する気にもならない。

 ただ……あぁそうか。

 お前。


「き……、ん、…………ょ」


「いやはや、ドルイド相手は難しい」


 体内の金魚を守ろうとする以上、完全にスライム形態となって戦うことは出来ない。

 最初に俺がやったみたいに、マルサルから離れた位置で金魚を捕らえた場合、流石の魔王も安全確実に助けることは出来ないんだな。

 だからヴィラルにしてやられ、囮に使われた、って所か。


 騒ぐ連中の声が遠退いた。


 もう意識を保つのも難しい。


 終わりか。

 どうにも今回、頭が緩んでいた気がするよ。

 マルサルの監視に監獄へ付いていったまでは良かった。

 そこからヨルダの術中にハマり、記憶を飛ばして死刑囚にまでされた。情に引っ張られて逃げ時を失い、魔物の腹の中にまで放り込まれ、クィナと。


 …………いや、そもそもどうして俺はあの時、


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………難しいものですねぇ」


 思考をひたひたと塗り潰すようなマルサルの声に、僅かに残った意識が向いた。

 なんだよ、今何か見えかけたってのに。


「私、昔からものぐさで、出来れば働かずに生きていたいとずっと願ってきました。理想を言えばですね。適当な穴に満ちて、定期的に動物とか虫とかが落ちて来てくれればお腹は満たされるじゃないですか。そういうの、出来ないかなっていつも考えているんですけど、中々上手く行かなくて、精々五十年とか七十年くらいで終わってしまうんです。あぁ面倒くさい。だらだらと眠っていたい。だけどそうして困るのは明日の私です。今日少し苦労して、明日きっと楽になると、そう信じて来たんですけどねええええええ」


 雨が酷くなってきた。

 不思議とヌメりを感じる雨粒が頬を打ち、口の中へ流れ込んでくる。


 心底疲れ切った顔をしたマルサルが、裂けた皮膚の内側にある肉や欠陥や、骨や内臓や筋肉まで忠実に再現してみせながら、臭いため息を吐いて洟を啜った。


「テメエなにごちゃごちゃ言ってやがる!!」


 彼をここまで連れてきた男の一人が、こちらのぼやきに気付いてマルサルの髪を掴む。ぶちりと数本が抜け、背中を蹴られると苦しそうに咳込みさえする。


 そんな、男の仕打ちを何ら意に介さず彼は続ける。


「出来れば私は、指先一つ動かしたくないんです。疲れます。大変なんです。ですけど、どうにも難しい事が多くて困りますね」


「黙れって言ってるんだよジジイが!!」


 殴り付けた男の腕が――――そのままマルサルの肉体へ吸い込まれた。


「ああああああああああああああああああ!?」


 慌てて引き抜いた、いや、身を離したが、既に男の腕は存在しなかった。

 突如の大声に揉めていた連中へ注目が集まり、一部から悲鳴が上がる。

 だが誰一人として事態の本質に気付いては居なかった。


 転がる擬態をしてみせたマルサルの形が一瞬崩れ、身綺麗な立ち姿に変形する。

 今更過ぎる悲鳴と恐怖を何ら意に介さず、彼は普段と変わらない気怠げな表情で、町へ迫るドライアドを仰ぎ見た。


 ちゃぽん、と小さな水音がして、マルサルの脛から飛び出してきた金魚が水溜まりへ飛び込む。水溜まりはすぐに寄り集まって必要な深さを確保し、そのまま俺の口元へ流れてくる。


 おい。

 待て。


「これで借りがまた一つ増えましたねえ。いやはや困った困った」


 まったく困って無さそうな、いっそ楽し気な声で言って、スライム男は最大の弱点を俺の胃袋へと押し込んできやがった。


 それと同時に、尋常じゃない程の揺れが町を襲う。


 地震によって家屋は倒壊し、悲鳴が押し潰され、けれど鮮血が飛び散ることは無い。なぜならこの場に居る誰もが浴びているからだ。ずっとずっと降り続けていた、この不自然なほどヌメりを帯びた雨を。


「ははは。言っておいてなんですが、この程度の量では指先一つ分にも達していませんね、お恥ずかしい。折角周辺からかき集めたのですが」


 指先一つ。


 声にならなかった声を、俺の胃袋にあるスライムが汲み取った。


「はい。《《指先一つ分未満》》、ですがこの町一つを制圧するには十分でしょう」


 直後、大地から染み出してきたスライムが関所の町を丸ごと喰らい。

 水底へ沈んだ町の中に、ただ静寂だけが訪れた。






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