森の支配者
「すみません、遅くなりました」
ちゃぽん、と水音を響かせてドライアドの腹の内へと踏み込んで来たマルサルが、裸で重なり合う俺達を見て固まる。
トロけた顔で俺の舌をしゃぶっていたクィナがややあってその事実に気付き、ゆっくりと顔が真っ赤に染まっていく、俺の舌をしゃぶったまま。
「っ、きゃああ!?」
俺も俺で忘れてた。
いつの間にか姿が見えなくなったし、何の言葉も発してこなかったから、つい。
そんな彼が、初めて会った時と同じ真冬みたいな厚着した格好でこちらの状態を認め、帽子のつばを下げて目を逸らした。
「すみません、急いでいるので十五分ほどでよろしいでしょうか」
「生々しい時間を指定してくるんじゃない」
「はっはっは。お若いお二人ならあっという間でしょう」
なんなんだ、この人間の性事情に詳しいスライム野郎は。
というか、
「お前、そこで溶けてたんじゃ」
「アレは私ではありますが、私ではありません」
よく分からんが、とりあえず分かってることが一つある。
マルサルが現れたのはヨルダが出入りをしていた場所だ。
このドライアドの腹の内は地下深くにあるらしく、本体の誘導が無ければ辿り着けないって話だったが。
「どうにか触指を避けて道を作ってきたのですが、少々間が悪かったようで。私は外していますので、どうぞ」
「先を促すな。というかありがとう。おいクィナ、すぐに服を着て出発だ」
「……え?」
まだちょっと名残惜しそうに俺の胸元を撫でているから、ついムラっと来ちまうが、そんな場合じゃない。
「しっかりしろ。あぁいや、お前はここから逃げる訳じゃないのか」
だが腹の中になんて残り続けてると、間違えて消化されちまうんじゃないのか。
ヨルダの指示があってから、ここはむしろ息を吸っているだけで身体が力を持つような環境に変わっていたが、変化があればどうなるかは分からない。
一先ず一緒に出た方がいいだろう。
「マルサル、そのままでいい。あいや、一応後ろを……向いてくれてるな、すまん」
「いいえ、お気になさらず」
妙なやり取りをしつつ服を着て、久しぶりに人間らしい恰好へ戻った俺は、クィナが髪を纏めるのを手伝ってやってマルサルの元へ行く。
横目でチラリと見たクィナの頬に、先ほどまでの行為の名残りだろう、髪が張り付いていてちょっと艶めかしかった。
「えっと、どうした、ら、いいですか?」
幾分呆けた様子の彼女へ、マルサルが出入口の先を示す。
…………なんか、謎のスライム空間が広がっていた。
俺も迷宮で奴らの通常の状態は何度も見てる。
それと全く同じ様子のスライムが通路を満たしていた。
「ここを通って地上へ出ます。あぁそれと」
「どうした」
「失礼」
《《腕を口の中へ突っ込んで来た》》。
忘れてたわけじゃないが、あまりにも人間としての擬態が様になっているから、流石に嫌悪感や拒否感で吐きそうになったが、問答無用とスライムが一気に体内まで侵入してきて、そのまま出て行った。
「ごほっ、ごほっ、っ、おまえ、いきなり……っ」
「体内の蜜を排出しました。ついでに妙な種が沢山残っていたのでそれも」
俺には強引に腕突っ込んで来た癖に、クィナにはコップ入りスライムを渡して平然と言い放つ。
スライム製コップを手にしながら青ざめた顔でなみなみ注がれたスライムを見詰めるクィナの肩に手をやった。諦めろ、飲め。そう頷いて見せると彼女は涙目でスライムを飲んで、吐いた。
なんなんだろうな、やっぱり魔物って関わっちゃいけない気がしてきた。
常識が次々と壊され過ぎて正気が分からなくなってくる。
「あぁ、因みにこの通路を通る際、老廃物なども除去しますので、綺麗になりますよ」
言われて俺達は互いの有り様をつい確認しちまった。
いやだってここ、風呂とかないし。
それにお前、除去って実質食べるってことだろう……?
羞恥に身を縮めるクィナを可愛らしく感じつつも、ひしめくスライムにやや顔を引き攣らせる。
「……肩コリ腰痛にも効能があるかもしれません」
「ははは。スライム風呂を売り出さなくても平気だよ。ただな、俺も冒険者としてお前のお仲間の厄介さは身に染みているというか、普通に体内へ取り込んで消化しようとしてくるのも居るし、ドライアドの腹の中からスライムの腹の中へ移動するのも似たようなもんと言えば似たようなもんなんだが、通っている間にもうちょっとってつまみ食いとかしませんかしませんよねでもちょっと不安がどうしても――――」
強制的に触手に絡め取られ、俺達はスライム道へ取り込まれた。
案外心地良くて、常識がヤバかった。
それと、ここしばらく悩まされてた腰痛がすっきり治った。
※ ※ ※
出てきたのは、村から少しばかり距離のある森の中、水の湧き出る場所からだった。
放り出された際、つい右手を付いちまったが、ふとその手首が硬質なスライムで覆われて保護されているのに気付いた。
囚われた際、ヴィラルによって骨を折られ、ずっと難儀していたが。
指先はどうにかなる。
ただ、やっぱりこの手で武器を握るのは無理か。
固定してくれただけでもありがたいが。
「わっ!?」
遅れて飛び出してきたクィナを受け止める。
互いに清潔感の増した状態でつい抱き合い、胸元に頬擦りしてくる彼女の頭を撫でていたら、全く別方向からマルサルが現れて気まずそうな顔で目を逸らされた。
「すみません、お邪魔しました」
「い、いえ……っ、こちらこそっ」
「すみません」
「いえすみませんっ、すみませんっ」
お前、本当に人間臭いよな。
瞬く間に乾いていく服を感じつつ、一先ず状況を確認することにした。
「この湧き水、確か北へ抜ければ関所の町に行ける所だよな」
「はい。行きに通って来た岩場まで結構隠れていけますよ」
クィナから聞いた情報が生きている。
周囲の薄暗さと、木々の葉に当たる静かな雨音を聞きながら地図を思い浮かべた。
後方、村のある方向には多少の騒がしさがあった。
逃げたのがバレたか。
居場所までは特定出来ていない様子だが。
「あー……出てから言うのもなんだが、クィナ」
「はい?」
「一緒に来るか? 俺は、あのドライアドを討伐出来れば状況は良くなると思うんだ。抱えてる問題は他にもあるけどな、これ以上、誰かを犠牲にして生きる必要はなくなる」
この辺りの地形に詳しいクィナが居れば、戦いの計画を立て易くなる。
また、村民達にも話を通せるなら戦闘から退避させるのも容易になるだろう。
「現地に残っていざという時に補助して貰うって手もある。お前があくまで、今のままを望むのなら、その上でどうにか出来る方法を考えていくつもりだが……」
腕が伸びて来て、俺の頭を抱く。
口付けを受け入れて、母の様に微笑む彼女を見た。
「あの子達を置いてはいけません……」
するりと抜けていく手を掴む。
困った顔をする彼女は、けれど。
「なんて、今更ですよね。とっくに私の手を離れた子達。育て親の所でこれまでだってちゃんと生きてきたんです……必ず会いに来ます。もう誰一人苦しませることのないように。力を貸してくれますか、ロンドさん」
「当然だ」
そうと決まれば急がなくちゃいけない。
餌の問題があるからな。
ヨルダはクィナに甘いが、その子どもにまで情が向けられているかは不明だ。
ドライアドがハラヘッタ、なんて言えば、誰かを犠牲にしなくちゃならなくなる。
関所を抜けて、都まで戻って、準備を整えてここまで来る。
何日掛かる?
どれだけの準備が要る?
搔き集められる戦力は?
この国からの支援は受けられるのか、あるいは妨害されてしまうか。
抑えに回す政治的な手段だって必要かもしれない。
ここはクルアンじゃない。
『スカー』の支部はあっても、あそこほど精強じゃない。
どころか、地元の繋がりを優先して裏切られる危険だって。
それらを思考しながら、いち早く皆と合流する。
まずはそれでいい。
「…………ちっ」
だっていうのに。
「ヘンな流れがあるかと思って来てみれば、珍しい顔もあるもんだなあ」
「ヴィラル……っ!」
村とは逆方向から現れた男の姿にクィナを庇い立つ。
「グランドシルバー、っはは!! すげえな、感動したぜ! 女を誑かして脱出成功とは、本当にヴィンセントの再来なのかもなあアンタ!!」
「テメエは魔物を狩る冒険者だろうが!!」
怒る俺へ、軟派な野郎は呆け顔の後、肩を震わせ笑い始めた。
次第に大きく、声が雨の森に響き渡っていく。
「あはははははははは!! 冒険者が魔物狩りをするなんて、誰が決めたんだあ!? 法の外を歩く者、少なくともこっちじゃそういう認識だぜぇ兄弟。第一テメエだってスライム野郎を連れてるじゃねえかっ」
あぁそうかい。
つまり。
やっぱりお前は最初から承知でヨルダに与してたってことかよ。
「おっと勘違いしてくれるなよ? 俺が贔屓にしてるのはあの女じゃねえ。ドライアドさ。一目見た時から痺れたね。獣の美しさも、虫の機能美も、アレの足元にも及ばない。植物ってのはどんな生命よりも貪欲で、己に忠実なのさ。静かに静かに動くから、ちゃんと見ていないとうっかり見落としちまうんだけどよオ、俺はあの美しい生き方に心底惚れたのさ。地上の人間全部が、アレに取って代わられたらいいのにって思うくらいにはなア!?」
ドルイドの男が腕を振るう。
ここは森の中。
自然と共に生き、自然を操り戦う奴にとって、最高の戦場だ。
「さあ腹の中へ戻れよニンゲン!! 気持ち良く溶かされてっ、地上全てを彼女の花で埋め尽くそうじゃないか!!!!」
来る。
容赦なく。
怒涛の如く。
森を支配するドルイドが、襲い来る。