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それぞれの背景

 気が付いた時には、何か甘い蜜のようなものに浸かっていた。

 身体が動かせない。

 どうやら蔦で地面に固定されているらしい。


 右の手首はくっ付いているが、骨の支えが無い分まともに動きそうになかった。

 そして刻印の欠け方を見れば、あの短剣が丸ごと奪われている状態なのが分かる。


 身体は気怠く、頭の中は馬鹿みたいに冴えている。


「…………おはようございます」

「……よお」


 後頭部を短剣でぶっ刺されて、血を噴き出してた凝り性のスライム男マルサルと、


「なんでお前まで居るんだよ」

「……あはは、なんででしょうね」


 泣き腫らした目のクィナが少し離れた所で座っていた。


 ぼんやりとした灯かりは壁面の苔からか。

 ここはどうやら、樹の中って感じだが。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」


 ほんの僅かづつだが、体内の熱が吸われていくのが分かる。

 俺達三人、あの魔物に取り込まれて、消化中ってことなんだろう。


    ※   ※   ※


 時間はいくらでもある……って訳じゃないが、ここまで来たんだから、相応に話くらいは聞いてもいいと思う。


「マルサル」

「はい」

「ここがお前の目的地か」


 言えば、スライム男はコクリと頷いた。

 やっぱりか。


「どの辺りで気付きましたか」

「はっきりしたのは魔物が出てきた時だ。お前がヒト捜しって言ってた相手、人間より魔物の方がしっくり来る」

「ほう」

「妙に纏わり付いてくると思ったが、クィナやヨルダにあの魔物の匂いとか、そういうのがあったんじゃないか。それで俺に便乗してここまで捜しに来た」


 大人しくクィナに捕まったのも、目的の魔物を感じたのなら納得出来る。

 更に監獄で俺が死刑囚となって連れて行かれると聞いて、なにか感付いたんだろう。

 一緒に行けば、あの魔物に会えるかもしれない、ってな。


「知り合いか」

「はい」

「けどこの歓待ぶりを見るに、友好的って感じじゃないよな」

「ははは。彼女には気付いても貰えませんでしたからね」


 気楽に笑うマルサルにため息が出る。


 いくら魔王とはいえ、相手も魔物、こうして捕まっているのならコイツも一緒に消化されちまうってことか?

 それともまだ、変身して強くなったりするのかねえ。


「目的は」

「連れ戻そうとしたんです、魔境へ……私も久しぶりに帰ろうと思っていた所でしたので」


 そうして気配を追っていたら、アーテルシアと同等か同質か、強い神官であるリディアの存在に気付いて様子を見に来た。


 なるほどな。


 マルサル側の事情はなんとなく分かった。

 あんな気色の悪い奴、さっさと連れ帰って欲しい所だが。


「それで、クィナ」


 声を掛ければ、離れた位置に居る彼女が身を強張らせた。


 まあ、妥当な反応だな。


 そういえば前にマルサルは魔物だって伝えたが、信じてくれてなかったもんな。だが今、後頭部をぶっ刺されて死んだ筈の奴が、しれっと元通りになってそこで座ってるんだ、信じざるを得ない。

 むしろ、あんなのと一緒に暮らしてきたのなら理解も早いだろう。


「お前らの事情はある程度聞いたが、どうなんだ?」


「……ええと、どう、とは?」


「いつからだ。あの魔物が棲みついてるのは」


 クィナは視線を彷徨わせ、笑うのに失敗したみたいな表情で応じてきた。


「私が子どもの頃です。最初はただの綺麗な枝だったのが、いつの間にか大きくなって……あんなことになってしまって」

「枝?」

「それは何処で」


 マルサルが質問を被せた。

 この樹の中は音を吸収する。

 反響の薄い空間で、僅かな水音を立てながら、俺は浅く息を落とした。


 少し、呼吸が辛くなってきたか。


 今まさに消化されている最中だと思うとぞっとするね。


「……船の墓場です。今思うと、あの枝は魔境のずっと向こうから流れてきたんでしょうか。誰も立ち入ることの出来ない幽海からも難破船が流れ着く場所ですから」


「おそらくはその通りでしょう。本来は魔境からもこちらへ渡る事が出来なくなっていますが、冬のごく一時期はアーテルシアの力も弱まりますから」


「アーテルシア? シシリーの姉さんは幽海にまで絡んでるのか」


 問い掛けるとマルサルは懐かしむような顔をした。

 本当に器用な奴だ。

 いや、実際に感情があるんだから、やっぱり人間と変わらず表情を動かすのもおかしくはないのか。


 あのドライアドは猿真似もいい所だったがな。


「その話は後でも良いでしょう。クィナさん、貴女のお話を聞かせて下さい」

「っ、は、はい……」

「ははは。調子狂うよな、そこのスライム男」

「ははは、昔よくそう言われました。人間って難しいですね」


 とまあ、そっちの話は脇に置こう。

 少し馬鹿みたいなやり取りがあって、落ち付いたクィナが続きを話し始めた。


「最初はとても便利な子だって、皆喜んでいたんです。珍しい薬草の種を増やしたり、食物の改良とかもしてくれて、それを売って村は豊かになりました。ただ……」


 手放せなくなってから、要求をする。

 なるほど、そういう生態なんだろう。


「しばらくは……村の老人が生贄になっていました。だけど足りなくなると、奴隷を購入してきて。それでも回せなくなったら、皆でくじを引いて…………けど、姉さんがある時、廃鉱になってる金鉱山を買い取ってきて、国の認可を受けて監獄として運用する様になったんです」


 それで死刑囚を餌にすることにしたと。


 自分達の誰かが喰われるくらいなら、別の誰かを。

 言い訳の通る相手であれば尚更罪悪感も薄れたことだろうな。


 罪は消えない。

 手元に刻まれた印が消えたからって、忘れられるものでもない。


 少なくともクィナは、そいつを分かっていて続けてきた。


「ごめんなさい。私達の事情に巻き込んでしまって。本当は…………本当は、私が食べられる筈だったのに。ずっと、ずっとそれを先延ばしにしてきたんです」


 憐れみは感じなかった。

 励まそうとも思わなかった。

 適当な言葉を吐いて、気持ちを楽にしてやろうだなんて、思いもしない。


 ただ、


「だったら覚悟を決めて続けてみろよ」


 死が怖かったのも本当だろう。

 けどそれだけじゃない。

 そうじゃないお前を俺ですら見たってのに。


「子どもらを守る為だろう? 嫌な言い方だが、人を増やせる年頃の女を犠牲にするのは、こんな集落にとっちゃ最終手段だ。年寄りが権力握ってる場所ならありうるが、族長はヨルダで、村には女の姿ばっかりだった。ならよ、次に危ないのは子どもだ。ある程度まで育った子なら大事にされるが、そうじゃないのなら」


 子種は外部から取り込める。

 母王なんて風習を残しているのなら、それこそ。

 未だに顔一つ出さないクィナの旦那について思う所もある。


 クソみたいな話さ。


 けど世の中、クソに塗れないと生きていけない環境だってあるんだろう。

 絶対に同意なんてしないけどな。


「お前はそうやって、何人も孕んで、産んで、それで生贄探しまでやって、自分の子を守ろうとしてきたんだろ。ここで投げ出したら、次に死ぬのはソイツらだぞ」


 だから出て行けと。


 どうせ、ここに居るのだって勝手にやってることだろうが。

 あれだけ大事そうにしていたヨルダが簡単に手放すとは思えない。

 生贄に決まった妹を守る為、監獄まで作って餌を引っ張ってくるような女だぞ。

 身勝手極まりないし、歪み切ってるが、それでも姉妹としての愛情はあるんだろ。


「……でも」

「ここで一緒に喰われたって、今まで死なせた奴らは生き返らない。出来ればもうこんな事は止めて、ギルドに駆除を依頼して欲しいがな」


 ヨルダの言葉が本当なら、この件は国なんつー連中まで巻き込んでいるんだろう。

 だが『スカー』ならやってくれる。

 利権? 恩恵? 知った事か。

 人間を魔物サマの餌にして得られる利益なんぞ、それを認めて私服を肥やす連中なんぞ、魔物と何が違う。


「……守るものがあるのなら、必死に生きてみろ。あとなあ、俺だってこのままむざむざ喰われるつもりはないんだぜ」


「――――それはとても興味深いお話ね」


 突如割り込んで来た声に全員が目を向けた。

 左右に開いた木の壁を抜けて、見覚えのあり過ぎる女がやってくる。


 獄長、ヨルダ。


 いいや、ここは魔物の犬のヨルダとでも言うべきか。


「その状態で何をするのか、初めて貴方に興味が出たわ」

「よく言うぜ。初日に俺の股間を撫で上げてきた痴女が」

「っ、そんなこと私は……!」


 言って、しばし彼女が俺を睨み付けてきた。

 今更清純ぶったって遅いだろ。

 鞭打ちであんなにも楽しそうにしてたんだ、監獄で男の二・三十人くらい食ってたって驚きやしねえよ。


「…………まあいいわ」


 そうしてクィナを睨む。


「居ないと思ったら、こんな所に来ていたなんて。子ども達がお母さんは戻ってこないのって言ってるわよ、早く顔を出してあげなさい」

「私には無理です」

「クィナ、聞き分けなさい」

「人殺しの顔なんて、あの子達に見せられる筈ありませんっ」

「私の言っていることが聞こえないの」


「姉さんこそっ!! 私の言葉が聞こえないの!?」


 ぞわりと、この場の空間が嫌な湿り気を帯びたように感じた。

 身体が急激に冷えていく。

 まるで、何かと呼応するみたいに樹木の魔物が消化の勢いを上げているみたいだった。


 クィナは服の裾を掴んで、涙を流しながら訴える。


「もう止めよう……っ、こんなの、続けるべきじゃないかったの! アレは魔物なんだよ。人間を食べたい、食べたいって言ってくる、怖い魔物なんだよっ。そんなのと一緒に生き続けるなんて出来ないよっ。私達がするべきだったのは、その場しのぎの犠牲者を探す事じゃなくてっ、誰か助けてって訴えることだったんだよ!!」


「一体誰が助けてくれたっていうのよ……!!!!」


 叫びと同時に手先の感覚が失せた。

 喰われた気がする。


 呼吸がキツい。


 本当に、これ以上は拙いな。


「マル、サル……」

「……すみません、彼女と私では相性が悪くて」

「マジかよ」

「樹は水を吸い上げる。スライムとしての性質は彼女の餌としてとても都合が良いのですよ」


 叫び合う姉妹を余所に、どうにか浸かってる蜜から抜け出そうとしたが、力が入らずにむしろずり落ちていった。

 首元まで浸かり、濃密な……どこかで覚えのある甘い臭いに意識が塗り潰されそうになった、その時に。


「ロンドさん!!」


 姉の叫びも無視して駆け付けたクィナが助けに来てくれた。


 何故か、この樹内の空洞そのものが鼓動している。

 いつのまにか手足の蔦が溶けて崩れ、自由になった身を蜜の無い場所まで引っ張り上げると、俺の顔を覗き込んで来た。


「蜜を飲んじゃってる……吐き出してっ」

「クィナ!!」


「ぁ……う、ぁ…………」


 舌が痺れて上手く喋れない。

 なんだこの蜜……口の中から溶けていくみたいだ。

 なんとか飲み込まないよう舌の根で抑えているが、その支えすら難しくなって。


「ごめんなさい」


 クィナが口付けて来た。

 半開きだった口の中に彼女の舌が侵入し、蜜を舐め取っていく。

 近くに吐き捨て、また口付けて、その心地良さに不思議と身体が熱を取り戻して来ていた。いや、これも蜜の影響か。そういや、初日にヨルダから漂ってきたのはこの匂いだ。あの時は近くに感じただけで股間が膨れ上がったってのに、こんな直接的な感触まで与えられたら。


「っ、っはあ! っは、ぁ、っ! はあ、はあ……」


 俺の口内にある蜜を舐め取ったからだろう、彼女もまた同じ様に興奮した様子で息を乱し、けれど再び口付けて。


 その舌に自分のものを絡める。


 意識が朦朧としていた。

 これは単なる吸出し、治療行為だ。

 なのに、俺の動きにクィナまで合わせてくる。

 喉の奥を僅かに残った蜜が通り抜けていく。

 少量ならいっそ、あの匂いと同じ効果を齎すらしい。


 イカれた頭で唇を押し付け合い、舌を絡ませて、ただただ湿った音を響かせる。


「……おほん」


 正気に戻れたのは、離れた場所でマルサルが咳払いをしたからだ。

 ひょろい老人の姿をしたスライム男が、ややも気まずそうな顔をしており、ふと反対側を見れば驚愕の表情で固まっているヨルダが居る。


「っ、あっ、すみません!?」


 いつしか俺に跨っていたクィナが慌てて降りる。

 その際に脚が俺のブツを掠めてイキかけた。


「不意打ちは……」


 少しは喋れるようになってるな。


「え!? あ、すみませんっ!?」


 そうして離れた彼女の元へ、物言わず歩み寄って来たヨルダが俺ごと静かに見降ろしてきた。

 気付いたクィナが再び俺を守ろうと腕を広げ、退きませんと主張する。


 色の無い瞳で彼女を見詰めていたヨルダだったが、やがて大きく息を落としたかと思えば、カタカタと笑ってみせた。


「そんなにその男が大事なの」

「……それは、そういう意味ではないですけど、大事です」

「そう」


 なら、と俺の膨らんだ股間を嫌悪感たっぷりに見詰めた後、族長ヨルダが言い放った。


「クィナ、八回目の結婚よ。その男は消化に悪いって不満も出ているのよ。それなりに優秀そうではあるから、血族へ取り込むというのなら生かしてあげる」


「おい、そりゃあ……」

「…………」


「代理の母王として、その男の子種を孕みなさい。それが終わったら、ここから出してあげる」






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