子を知らぬ母
港町ハイフリスの近辺は比較的豊かそうに見えたが、内陸部は結構荒れている場所が多かった。
いや、ハイフリスも旧市街が壊れたまま放置されているんだったな。
砦宿から見えていた景色を懐かしみつつ、俺はのんびりと通りで演説をぶっている男を眺めていた。労働がどうとか、立ち上がるべきだとか、さっきから随分と熱心だ。
ここは関所のある町で、西側を険しい山が、東側を荒れ放題の岩場が道を塞いでいる。一応東側は石切り場になっているらしいから、少しは道らしい道もあるそうで、街中には石造りな建造物が多い。
「っ……こんな所で足止めを食うなんて!!」
ヨルダが甲高い声で怒り散らしている。
さっきの関所での件が原因だ。
「姉さん、落ち付いて」
「貴女だって分かっているでしょう!? 私達は急がなければいけないのっ! なのに関所の奴らがあんな……!!」
妹クィナの宥めもむなしく、怒れる獄長様がキッとこちらを睨み付けてきた。
今俺とマルサルは部屋の隅で座らされている。
そこに窓があるから日当たりは良好、鉄格子の一つもなく、監視する獄卒様達と部屋を共有しているときた。
明日をも知れぬ死刑囚、なのに管理がこのザマと来たら、逃げて下さいと言わんばかりの状況だ。
「余計なことは考えないことね!! 逃げる素振りを見せたらその場で殺してやるからっ!!」
監獄で見ていた時よりずっと人間らしい。
あそこじゃあ物言わぬ人形みたいに見えていたからな。
「へいへーい」
「はい」
とはいえ怒れる女は恐ろしい、適度に応じて、適度に逃げるのが大切だ。
※ ※ ※
関所の野郎共とヨルダ達は関係が劣悪らしい。
馬車で通り抜けようとした彼女らを下卑た顔した連中が囲い、この先で崩落があっただの、魔物が出ただのと適当こいて邪魔をしてきた。
どうにもヨルダ達は俺達を処刑する為この先へ行きたいらしいが、見た所他に関所を通る者は居ない。
挙句書類に不備があると言い張り、確認の為ここでしばらく待機することになった。
本来囚人をこんな形で拘束しておくことはしないだろう。
けれど町にある牢を使わせても貰えず、宿の一室へ押し込んで直接監視する始末。
この国で唯一排斥を受ける身分、シランドの血族、元王族って話は確かみたいだな。
「この先には何があるんだ?」
怒れるヨルダをどうにか別室へ連れ出し、ややあって戻ってきたクィナへ問いを投げた。
一応、彼女が監視だ。
他数名の男達も付き従っているが、さっきから一言も喋らず不気味極まりない。
クィナは最初素直に応じようとして、けれど何か迷ったような素振りの後、静かな声で言った。
「…………私達の故郷です」
「それじゃあ俺達は今、里帰りに付き合わされてるのか?」
死刑囚を連れて?
そもそも監獄で処刑すれば良かったものを、何故連れ出す必要がある。
最初はこの国特有の事情が絡んでいるのかと思ったが、だとすると関所の役人共があんな態度を取る意味も分からなくなる。
多少の《《おいた》》は別としても、場合によっては死刑囚が暴れたり、脱走したりするだろう。
その責任がヨルダ達へ降りかかるとしても、手段を選ばない奴が街中に放り出されて困るのは奴らも同じ筈。
「いえ…………はい、そう、なります、ね。ははは」
自信なさげなクィナの言葉。
「せめて自分がどうやって死ぬのかくらいは知っておきたいな。こっち方面だと船の墓場も近かっただろ。海に沈められるのか、あの高い山から蹴落とされるのか、それとも獄長様かアンタに気持ち良く身体を刻まれるのか」
言うほどに青ざめていく。
それで獄卒なんて務まるのかねえ。
実際やっていたんだから、出来てはいるんだろうけど、正直言ってクィナは他の囚人からも舐められていた。
常に暴動や反抗の危険がある監獄で、それは致命的なほどの危険と言えるだろう。
「…………死んだ奴の身元は分かったのか」
聞いた途端、明らかに表情が強張った。
「おい」
「っ、現在、調査中です……」
「そうか。分かったら教えてくれ」
自覚は無いが、本当に俺がやっていた可能性もある。
ならせめて手を下したことについて、ちゃんと背負うべきだろう。
そうじゃない可能性について、もっとしっかり調べて欲しくはあるんだがな。
「それで」
死刑囚ってのは暇だ。
何かすれば脱走を企んでるなんて言われちまう。
だから繰り返す。
関心ごとといえばやっぱり決まってるからな。
「俺達はいつ、どこで、どうやって死ぬんだ? それを知る権利さえ奪われるのか?」
いざとなれば逃げ出すつもりで居るが、どうにもキナ臭くてな。
仮にだ。
俺があの女を焼いたので無いのなら、俺をハメようとした奴が居るって事になる。
当たり前だよな?
そもそも金の窃盗からしておかしかった。
選別役の爺さんはもう何十年もあそこにいるって話だ。
外へ出るアテも無いのに、金なんぞ持ってて何の意味がある。
獄卒を買収するにしたってもっと上手い方法があるだろう。
ならあの事件を起こして、野ざらしであちこちから視線の通る場所じゃなく、独房っていう隠された場所へ連れ出すことが目的だったとしたら?
その後、何らかの手段で俺の意識を奪い、あの部屋へ連れ去って、同じ空間連れ込んだ女を燃やした。
そうなると問題は誰がやったか、と、何故俺が狙われたかだ。
「あのヨルダって女は何者なんだ」
最初の質問には答えて貰えなさそうなので、次の関心事を振ってみた。
「姉さん、ですか?」
「あぁ。とんでもない美人だからな」
「そうなのですっ!」
おっと。
「姉さんは素敵でっ、とっても美人なんですよ! 勇敢で頭が良くて、わあ凄いなあっていつも感心しています! それに私達シランドの血族の族長をしているんですっ!!」
何か妙な所に点火しちまったらしい。
目を輝かせたクィナが次々と姉への賛辞を口にし、にっこりと笑う。
「まあ、そんな完璧な女なら引く手数多だろうな」
「それはもうっ。村の男達は揃って姉さんに夢中ですっ。本来なら……姉さんが一族の、この国の未来を担う母王となる筈だったんですが……」
また妙な言い回しが飛び出して来たな。
未来を担う母王。
王、か。
それはシランドの血族がこの国を支配していた頃の名残りか?
ヨルダはその候補だったが、成れなかった。
そういう意味なのか。
「解放戦争以前、この国を治めていたのは女王でした」
ふとマルサルが補足をくれた。
力強く頷いたクィナが更に言う。
「母王とは、国の母たる存在です。よく私達は差別的だったと言われますが、当時は身分の別無く出世が可能で、力が認められた者は母王と交わり優秀な血を残す事が許されていました。そうして国中の力ある者を一つの血族として束ねるのが母王の務めなんです!」
「つまり、優秀になれば国の王とヤレたってこと……?」
「っ、それは、その通りなのですが……もうちょっと品のある言い方をして欲しいですっ」
「あぁ、すまなかった」
なんというか、思っていた以上に奔放なんだな。
だがかつてが黄金時代と呼ばれていたことも分かる気がするよ。
優秀な者を次々と血族へ取り込み、国中で親族による支配を行っていたってことだからな。身分の低い者でも出世が可能となれば……何より天の上の存在を抱けるなんて言われたら、男共は張り切ったことだろう。
母王自身がどう思っていたかはしらないがな。
「逆に、能力のない者、肉体の機能に障害を抱えた者は差別され、奴隷として扱われたのがかつての時代です」
「それは……、はい。当時は今ほど穏やかな土地ではなかったと聞いています……」
マルサルの言に落ち込むクィナ。
自分の誇る栄光が、それだけでないことをしっかり自覚しているんだろう。
あんまり偉そうに言える立場でもないがな、俺なんざただの冒険者だ。
「つまり、その母王っていう風習を未だに続けている訳だ」
こんな関所の奥にまで押し込められても、かつての栄光が忘れられないか。
「はい。今は皆、巣立ちを喜んで自由を謳歌していますが、元よりこの地は母王の慈愛によって満たされていた胎内です。いずれ、外の苦難に疲れ果て、母の腕に戻ってくるものと……姉さんはずっとそう言っています」
※ ※ ※
死刑を宣告され、処刑場とやらまで輸送されているらしい俺達二人。
両手を縄で縛られ、宿に断りもせず壁へ打ち込んだ鉄杭に繋ぎ留められて、部屋の隅に押し込まれている訳だが。
「はい、お口を開けて下さい」
なんだか楽しそうなクィナに言われるまま口を開けると、匙を差し込まれて口の中にじわりと滋養が広がった。
中々に美味い。
「いかがですか? お料理は得意なのです」
「あぁ、美味い。監獄での食事が嘘みたいだ」
隣で眠るマルサルをちらりと見つつ、彼女は手にしている皿からもう一匙掬って差し出してきた。
「監獄は……あくまで罰を与える場所ですので。ですけどお二人の罰は……もう別の形と定められましたから、これくらいは」
死ぬ前に美味い食事を味合わせてくれるってことか。
と、中身がこぼれた。
「あらあら」
なんて笑ってクィナが口元を拭いてくる。
本当に、おかしなくらい嬉しそうだ。
「餌付けが好きそうだな」
「えづけ? えっと」
「食わせるのが好きだなって言った」
「そう、ですね。好きだと思います」
「七人も子どもが居るしな。そういやもうじき会えるんだよな」
軽い雑談程度に聞いたら、僅かに表情が曇った。
笑顔を貼り付け直して、もう一杯掬って差し出してくる。
「実は……子育てをしたことがないのです」
「ん、っ、どういう意味だ」
山ほど子を産んで、育てた事が無い?
いやそもそも、子沢山の身でここまで働いているのも妙なんだ。母王といい、変な風習があるからその辺りが絡んでいそうだが。
「そのままの意味ですよ……一度たりとも、我が子にお乳をあげたことがないんです」
「…………貴族の女は子育てしないとかいう奴か」
「中原でもそうなのですか?」
マリエッタも育ててくれたのは乳母だと言っていた。
貴族社会じゃ珍しくもないことらしいし、王族ともなればな。
「おかしな話ですよね。母親を名乗っておいて、お乳をあげたこともないなんて。今でも時々張ってくるんです。痛いくらいに……あの子達に飲ませてあげたいって、ことなんでしょうか」
言って、彼女は苦笑いしつつ頬を赤らめた。
「ごめんなさいっ、変な話しちゃいましたね。はは……男の方にする話ではありませんでした、すみません」
「いや、男なら多分に興味をそそられる話だ」
真面目な顔して言ったらクィナの瞼が半分落ちた。
「……ロンドさん、初日でのことでもそうでしたけど……結構えっちな人ですよね」
男は皆えっちなんだよ。
「初日のアレは忘れてくれ……俺もどうかしていた」
「いえ……別に私、結婚もしていますし、あの程度どうということもないといいますか」
「言い訳でしか無いが、監獄へ入ってからどうにも調子がな」
クィナは柔らかく微笑んで、俺の頭を撫でてきた。
見た目はちんちくりんだが、母性ってのを確かに持っているらしい。
なんとなく、安心するよ。
この歳で頭を撫でられたいとは思わないけどな。
「仕方ないですよ。監獄は普段居る場所と違い過ぎます。同じ様に態度が急に変わってしまう方は他にも居ましたし。怖かったんでしょうね……それで、つい甘えたくなったんですよ」
アレを甘えと言われても困るんだが。
まあ、許して貰えるのなら有り難い。
「よーしよし。じゃあ残りを食べたら、今日はねんねしましょうねぇ」
「俺を赤ん坊の代わりにしないでくれ」
「ふふっ。なんならお乳を飲んでみますか?」
「……何かに目覚めそうだから遠慮しておく」
冗談だったんだろう、俺をおちょくって来たクィナが笑みを濃くして、匙を差し出してきた。
ちょっと近くなった距離は、それだけ警戒が薄れたからか。
口の中の食事を味わいながら、一応念押しで言っておく。
「俺、婚約者が居るからな」
「え!?」
物凄く驚かれ、クィナは青ざめた。
「それは…………そう、ですか」
匙を落とし、震える手でどうにか皿を机へ置いて。
拾い上げるのにすら何度も失敗し。
今までの誤魔化しの雰囲気がすっかり掻き消えた部屋で、彼女はしばらく口元を抑えて俯いていた。
あぁ、俺は死刑囚だからな。