亡国の血は砂塵に埋もれて
馬車に揺られて荒れ地を行く。
着た時はそれなりに観光気分だったが、流石に今回ばかりはお気楽なままじゃ居られない。
港町ハイフリスに現れた魔王マルサルとの戦い、そいつをどうにか収めたかと思ったら憲兵隊に捕まり、三日間の監獄入りにされた。
ところが二日目も終わろうって時に班の一人が金の窃盗をしたと訴えられ、俺達は独房へと押し込まれ……意識を失った次の瞬間には、俺の目の前で誰とも知れない女が燃えていた。
何故。
その言葉ばかりが浮かぶ。
監獄へ入って以来、どうにも俺を誘惑してきていたらしい獄長ヨルダは、さしたる調査もしないままその場で俺を女を焼いた犯人だと決めつけ、死刑を言い渡してきた。
実際俺はあの女を焼いたのか。
違うと断言出来ないのは、その時の記憶が完全に欠落しているからだ。
着火の為の道具は?
そもそも何であんな勢いで燃えた?
結局アレが誰だったのかも分からず終い。
当初ヨルダであると勘違いしたクィナが決死の覚悟で鎮火を試みたが、女は死んで、彼女は大火傷を負った。
……その傷を、今ドルイドの男が馬車上で治癒している所だ。
「どうだい? 神官ほどの速度は出ないが、ドルイドの力は自然と同調し、本来ある力を引き出して治療する。負荷も殆ど無く、じっくり癒えていくのさ。僕くらいになると痕跡一つ残さず綺麗にしてあげられる」
クィナの手を取り、中年に差し掛かりつつありそうな男がぐいっと顔を寄せる。
「あ、ありがとうございます……」
ちんちくりんは完全に引いていた。
とはいえ治療を受ける身、律儀にもお礼をして逃げ出しはしない。
だからこの手の男は調子に乗るんだ。
「なんてことはない。ただ一つ問題があってね。君の肌を丁寧に丁寧に癒して差し上げるつもりなんだけど、見えない状態では限界がある。これは医療行為さ。だから安心して欲しい」
「えっと、つまり?」
「今すぐとは言わないよ。だけど心に決めたら、僕の部屋へおいで。くまなく君の身体を元通りの美しさにしてあげよう」
「っ、私結婚してるんですけどっ! 七人も子どもがいるんですっ!」
「…………なんだって?」
とまあ、随分と軟派なドルイドだが、そこそこ腕は立つらしい。
冒険者ギルド『グリモア』所属、ランクはシルバー。ゴールドだったこともあると、さっき死刑囚の俺へ自慢して来た。
『グリモア』ってのはクルアンにある三大冒険者ギルドの一つだ。
『スカー』と並ぶギルドの冒険者を引っ張って来たのは、やっぱりエレーナ達の襲撃を警戒してか。
そもそも刑期が終わるまでは大人しくしていてくれと話したから、まだ何も伝わっていないと思うんだが。
「……はぁ」
クィナに言い寄るドルイド野郎、ヨルダ獄長から容赦の無い鞭が飛び、聞きたくもない男の悲鳴にため息が出た。
俺だってむざむざ死にたくはないよ。
そもそも罪を犯したのか、自分ですら分からないってのに。
いっそのことゼルディスでもいいから助けに来て欲しいくらいだ。なんなら口付けの一つくらいはしてやってもいい。命が懸かっているからな。
「大変そうですね」
対面から他人事みたいに言ってくるもう一人の死刑囚が居る。
魔王マルサルだ。
馬鹿みたいな話だが、コイツが魔王ってことを俺はもうあんまり疑っていない。シシリーの言う事だから、話十分の一くらいで聞いておけばいいかと思っていたんだが、監獄で過ごした二日の内に確信を深めた。
本来コイツは俺の件とは関係無かった筈なんだが、いざ話が決まって輸送される時に軽く警備を抜けて会いに来た時だ。
『……つまり、記憶がないのにやったかどうかも分からない罪で死刑になると? それは困りましたね』
なんて言って、次の瞬間には獄卒を数名殴り飛ばしてやがった。
『はい。これで私も死刑囚になりました。ご一緒しますよ、ロンドさん』
いつの間にやら名前まで憶えられてて、どうしたもんかと思ったよ。
だが本来監獄にまで付いていった目的、マルサルの監視を考えるなら、同行してくれるとやりやすい。
明日には死ぬかもしれない身で何を心配しているんだと思わなくも無いが、人間追い詰められた時ほど日常へ縋りつく。
コレで結構焦ってるってことさ。
「これは例えばの話なんだが」
「はい」
ちゃぽん、と彼の身体から飛び出した金魚が手の平へ呑み込まれて見えなくなる。
久しぶりに見た気がするよ。
流石に監獄では自由に泳がせてやれなかったって所か。
「……もし貸しを返してくれと頼んだら、ここから俺を逃がしてくれるか?」
「はい」
手の平から少しだけ顔を出した金魚がこちらを見てお口をぱくぱく。
「今すぐやりますか? 証拠も残しませんよ」
「いや、いざという時に残しておくよ」
助けてくれそうな奴がここにも居る。
それが分かっただけでも十分だ。
「そういえばマルサル。シランドの血族ってのを知ってるか?」
馬車を囲む騎馬隊の中には、獄長ヨルダが居る。
ただの色黒美人かと思っていたら、槍や弓も扱えるらしい。
どおりで俺の背中をいたぶるのが上手かった筈だな。
あれは確かに気持ち良か……いやそうじゃなくて。
ドルイドの兄ちゃんに治して貰った背中に僅かな痒みを覚えつつ、凝り性のマルサルへ問いを投げた。
コイツ、俺がやられてる所をしっかり観察して、自分でも上手く再現してやがったからな。
「シランドの血族、ですか」
「あぁ。チラチラと耳には入っていたんだが、覚えのない名前だったから流していたんだ」
最初はクィナが現れた時。
確か、宣誓に使われていた。
最初はこの地特有の神の名かと考えた。ところがあの監獄の中で、そんな名を口にする奴が幾人か居たんだ。
概ねが嫌悪。
そして、大抵が獄卒らに反抗的な囚人がその名を呼んでいた。
黄金を穢した血。
乾いた砂に良く馴染む。
なんて。
「私が人間の歴史について、人間である貴方へ語るというのも妙な気分ですね」
「知ってるのか?」
「はい。比較的新しい名ですよ」
数百年生きてる奴らの新しい、は何処まで参考にしていいんだかな。
苦笑いする俺へ、マルサルは気怠げな声で続けた。
「その名が最後に登場したのは、この南洋にて解放戦争と呼ばれる戦いがあった頃になります」
海賊ヴィンセントが奴隷解放を訴えて王国と戦った戦争だな。
ここ最近頻繁に聞くから、流石に俺も覚える。
マルサルは色のない瞳でじっと流れていく荒野を眺めていたが、ふと落ちた影に目を向けた。俺も一緒になって仰ぎ見る。
あの塔だ。
解放戦争で王国側が使用したとかいう、魔術の兵器が設置されていた場所。
今はもう打ち崩されて本体そのものが排除されているが。
ふと視線を向けた騎馬隊が、揃って胸に手を当て、塔を仰ぎ見ていたことに気付いた。
馬車で治療を受けているクィナも、その姉のヨルダも同じだ。
妙な雰囲気が続く中、どこ吹く風とマルサルは言った。
「シランドの血族とは、かつて解放戦争で奴隷解放の英雄によって打ち倒され、今やこの国で唯一排斥される身分となった、元王族の呼称の一つですね」
亡国の血族。
それが今や子育てもままならない程に酷使され、囚人の監視役なんぞをやらされている。
立場が入れ替わっても、その立場自身がやる事は変わらないか。
あるいは当初は理想を追い掛けていたのかもしれないが、時が流れる内に身近な者同士での仲良しこよしが大切になっちまったか。
いや、政治なんぞ冒険者の語ることじゃないな。
まさしく明日をも知れぬ身なれど。
仮に死ぬのなら、冒険者らしく夢に向かって、笑って死にたいよな。
開き直って拘束された両手を頭の後ろへ回し、馬車の上で横になった。
案外道はなだらかで揺れは少ない。
黄金時代の名残なんだろうか。
大きな欠伸を一つ。
もしかしたら残り僅かかも知れない時間。
ここは贅沢に昼寝と行こう。