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死刑囚

 独房に血の匂いが充満していた。

 俺の血の匂いだ。


 暑くて湿気もある場所だからすぐに虫が寄って来て、さっきから背中が痒くて仕方ない。拘束されたままの両手でどうにか姿勢を変え、背中を擦ると、猛烈な痛みが沸き上がる中で痒みが引いていく。

 どうにもならない。

 毒やクスリには多少耐性を持ってる方だが、蛆に肉を食われる痒さだけは耐え難かった。


 離れた独房からはまだ選別役の爺さんが泣いているのが聞こえる。

 他も似たようなもので、酷く気怠い空気がこの独房棟には漂っていた。


 遠く、何かを言い合う声が聞こえるも、痛みと痒さで気が狂いそうで内容が頭に入ってこない。


 ほんの少し前まで、結構上手くいってた筈だ。

 浸水の激しかった採掘場所が何故か上手く乾燥を始め、マルサルの言うままに掘削してみれば抱える程の金塊が転がり出てきた。

 皆で少ない酒を分け合い、飲んで、謡って……だってのに。


 あの爺さんが本当に金をくすねたのか。


 正直分からない。


 たった二日だ。

 口さがない爺さんで、弱い者を見れば当たり散らし、けど自分に余裕があれば喜んで酒を分かち合おうとしていた。

 所詮は囚人。

 けど、飲んでる時は本当に楽しそうで、それは一時的なものかもしれないが、だからこそ素直な感情だった筈だろ。

 それが全部嘘で、演技で、金目的にこの監獄で暮らしているって言われたら、確かにそうかもなんて思えちまうが。


 硬い足音が近付いてくる。


 分かる。


 なんでか、初めて顔を合わせた瞬間から、俺はあの女のお気に入りらしい。

 甘い香りがする。

 酩酊を呼ぶ、どこか知っているようで、抗い切れない何か。

 もう何度も嗅がされて、身体が敏感になっちまってる。


 クスリにも種類はあるが、使うほどに耐性の出来ていく奴と、効果が増していく奴がある。

 これは明らかに後者だ。


 理性がトンじまう。


 他の奴らはどうして平気で居られるんだ。

 こんな濃密な臭いを嗅がされたら――――目の前に現れた女を問答無用で犯してやりたくて仕方なくなってくる。


 扉が開いた。

 女が現れる。


 そこから、記憶は一時的に途切れた。


    ※   ※   ※


 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 頭の中にこびり着いていた泥が弾け飛ぶ。

 頭蓋をぶち抜いて飛び出していく、吐き気を催す悪臭にまず吐いた。


 そして気付く。


 目の前で女が燃えていた。

 悲鳴を上げて、助けを呼びながら、どうしようもないほど燃えて、炭化していく。


 何が起きてる。

 俺は何をしていた。

 ここは……、


「姉さん!?」


 背後で扉が開け放たれ、小柄な人影が飛び込んでくる。

 真っ暗な筈の夜で、その表情は不思議とよく見えた。


 はは……なにせ、部屋の中にとんでもねえ灯かりがあるんだからな。


「っ、ぁ――――いやあああああああああああああっ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 悲鳴をあげたクィナが必死の形相で燃える女へ飛び付く。

 火を叩き、自らが焼かれるのも構わず消化しようとするが、到底収まる火力じゃない。


 彼女の奮闘を見ながら、俺は不思議と醒めていた。


 今、クィナは《《アレ》》を姉と呼んだ。

 ヨルダをそう呼び掛けていたのを一度だけ見た覚えがある。

 姉妹で、だからああやって必死に助けようとしている。けどそれは無意味だ。あんなになった人間は生きていられない。

 そもそもどうやってあんなに燃えている?

 途方もない熱に晒されたら人体が勝手に燃え出すってのを聞いたことはあるが、それこそ火吹き竜みたいなのでも居なければ、他には…………。


「駄目っ、やだっ、姉さんっ! 姉さん!!」


 ヨルダは燃えながら尚も苦しみ続けていた。

 とっくに死んでいてもおかしくないのに、まだ苦しみ続けている。


 まるで。


 まるで。


 …………やがて騒ぎを聞きつけた獄卒が数名駆け付け、大量の水を浴びせた事でようやく鎮火し、酷い火傷を負ったクィナが何処かへと運ばれていく段階になって、気付いた。


 俺は服を着ていない。


 何がどうなってやがる。

 繋がらない記憶と気色の悪さに頭へ手をやっていたら、担架に乗せられたクィナと目が合った。


「………………」

「………………」


 何も言えなかった。

 言える筈もなかった。


 焼け死んだ女と、たった一人同室に居た裸の男。


 あぁでも……あの匂いは消えている。

 頭の中を擽られ続けていたような気持ち悪さも。


 代わりに、窓から差し込む月明りが綺麗で、ついほっとした時だ。


「――――酷い臭いね」


 硬い靴音を鳴らして声が来た。

 その場に居た全員が凍り付く。

 だってそうだろう。

 《《じゃあアレは誰なんだ》》。

 クィナを治療しようとしながらも、事が収まってからは誰も触れようとはしなかった焼死体。髪も焼け落ち、服も無い、真っ黒なアレは、アレがヨルダじゃなかったのか?


「囚人がどうして私の部屋に居るのかしら。しかも金の窃盗があって独房に入れられている筈の男が、いつの間に抜け出して……」


 獄長ヨルダが普段と変わらない恰好で現れて室内を睥睨する。

 月明かりから一歩引いた場所で、乾燥した視線が俺を撫でた。


「女の死体ね。この監獄に女は獄卒だけよ。つまり」


「姉……さん…………」


「この囚人は女の獄卒を誑かし、室内へ自分を招かせて、始末しようした。あるいは脱獄しようとしたのを止められて逆上したか……どちらにせよ囚人による獄卒への暴行は極刑よ」


 伸びる妹の手に気付かないまま、ヨルダは淡々と告げた。


「明朝、この死刑囚を特別安置所へ移送します」






クィナ編、完。

 次はヨルダ編。

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