忍び寄る
夜中、小便に立って川で用を足していたら、ちんまい足音が近寄って来た。
「何をしているんですかっ」
クィナだ。
こんな夜中までご苦労なことで。
俺は激しい水音が収まるのを待って、ちゃんと仕舞ってから振り返った。
「御覧の通りだ」
「っ……、そうですか。失礼しました」
腰元にはサーベル。
松明と、川の下流にある脱走防止の格子沿いに見張り台。
だらりとしている様子だが、ちゃんと石弓を握ったまま俺を監視していた。
対してクィナは緊張をまるで隠せていない。
荒事向きじゃないのは明らかで、本人がこんな場所の仕事を望んだとも思えない。しかも憲兵隊の支部長までやってるんだよな。
不釣り合いな仕事と、掛け持ち、どうにも妙だ。
「クィナ、って言ったか」
「……はい」
さっさと寝床へ戻れと言ってもいいだろうに、ご丁寧に応じてくる。
だからこっちも、言いそびれていた事を伝えよう。
「初日の件はすまなかった」
彼女へ迫り、下半身を擦り付けた。
明らかに怯えていたのに、俺はそいつを止めようとは思えなかったんだ。
何を言っても都合の良い言い訳に思えて、どう伝えるかは悩んだが、やっぱり真っ直ぐがいい。
あの時はどうかしていた。
「いえ……こちらこそ、もっとちゃんと取り調べをするべきでした」
「あぁ、喧嘩で三日間監獄送りってのは初めて聞いた。クルアンじゃあ喧嘩なんざよくあることだしな」
「ほ、法律ではその通りなのですが……あんな風に怒ってくれる方が居るのなら、何か理由があったのかなと…………」
そいつを言っても責めるだけ。
どの道あと二日だ。
ちょいと過酷な宿屋とでも思えば済む。
なのにクィナは言い募って来た。
真っ直ぐなんだな、と甘い事を考えちまう。
「どうして、あそこで喧嘩を為さっていたんですか?」
「マルサルは魔物だ」
「………………………………えっと?」
正直に言ってみたが、やっぱりそうなるよな。
「それは……魔物の様に狂暴だったってことでしょうか? お爺さんです、よね?」
「冗談だ」
「っ、それはいけない冗談ですっ。そうですよっ、貴方最初、あの方を地面に這い蹲らせて謝らせていましたよねっ、そんなことをしてはいけませんよ。故郷のお母様が泣いてしまいます」
「いきなりだな」
まるで子どもへする様な注意を受けてつい肩を竦める。
しかし彼女は納得せず、更に踏み込んで来た。
「いいですか。お年寄りには親切にして差し上げましょう。マルサルさんはとても温厚な方に見えましたが……となると喧嘩の原因がよく分からないんですが……、どうして喧嘩してたんですか? 話して見て下さ……何を笑っているんですかっ」
「いや……っ、すまんな。そのナリで母親ぶって言われると、つい笑いが、っ」
これはマリエッタがレネを注意していた時の様子に似ている。
愛らしい、と思っちまうんだ。
本人は真剣なんだから、自分へ向いてる時はちゃんと受け取れるんだが、傍から見るとなあ。
「私お母さんです! 七人も産んでるんですよっ!」
だから直後の言葉が最初理解出来なかった。
思いっきり眉をしかめてクィナを下から上へ視線で舐めちまった俺へ、彼女はあると言えなくもない胸を張って得意顔だ。
「…………冗談か?」
「本気ですぅ!」
「なるほど、小人族だったか。すまん。他の奴らより大人びてたのは確かだ。だからつい違うのかと思ってな」
「小人族でもないですぅ! シランドの血族って言いましたっ! ちょっと身長は低い方ですけどっ、七児の母ですよっ! 凄いんです!」
なんとも理解が難しい話だ。
このちんまい獄卒が、七人も産んだって?
「というか、そんな身で深夜にも働いてていいのか?」
「皆さんのご協力のおかげです!」
この皆さんってのは、囚人じゃあないよな。
彼女の家がある場所。
そのお隣さんとか、そういう人達だ。
沢山産んで、協力して貰って、沢山働いて。
「…………それが本当なら大したもんだ。いや、普通に凄いと思うんだが」
「本当なのにぃ…………」
あんまり疑ったものだから落ち込んじまった。
どうやら本当らしい。
「もうちょっと家に腰を落ち着けたらどうだ? 今朝見なかったのも、またハイフリスまで戻って憲兵隊やってたからだろ? 旦那はどうしてる、稼ぎが足りないのか?」
七人も居れば確かに大変だろうが。
なんて言うと、クィナは微妙な顔で笑みを貼り付けた。
事情アリか。
詮索するのも野暮かと思い、適当に話を切り上げようと踵を返したが、その背に向けて彼女は呟いた。
「羨ましいです。あんなに必死になってくれる人が居るなんて」
背後でどんな顔をしていたのかは知らないが。
声音はあきらかに、俺を祝福するものだった。
※ ※ ※
採掘現場の浸水が激しい。
昨日は三回に二回だったのが、今日は五回に四回は水を汲み出している。
当然採掘速度はガタ落ちだ。
挙句苛立った選別の爺さんが動きのトロいマルサルへ文句を垂れ流している。
頼むぜ爺さん、そいつ魔王だからさ。
「ふぅ……大変なものですね」
昼休みに入って渡された硬いパンを、川の向こうから流れてくるクソの悪臭から逃げられる場所をどうにか確保し、囚人服を着た魔王と齧り付く。
自分でもどうかと思うが、だんだんと慣れて来て普通に会話しちまう。
「囚人への罰も兼ねているとはいえ、流石にな」
「私、出来れば働かずに生きていきたいと思っているのですが……監獄は寝ていても食事が出てくると聞いていたもので驚きました」
「そりゃどこの世界の監獄だ」
罰を受ければ罪が償える、なんて甘い事があるもんか。
右手の刻印に重さを感じながら、言葉を続ける。
「まあでも、場所が悪かったな。もっと豊かな環境なら少しは楽出来たかも知れねえが、ここは採算取る為に囚人使って金を掘らせてるんだ、食事も休憩も、睡眠だって最低限。あぁ、こうも熱いと身体の垢が気持ち悪い」
「なるほど。コレはただの償いではなく、利益の為のものでしたか」
「罪は消えず、残り続けるもんだ。獄卒連中だって妙に生真面目なのは居るが、俺達の厚生なんて考えて働いてる奴が居るのかねぇ……」
と、開始の合図だ。
全く碌に休憩する暇もない。
休んでる間に溜まった水を搔き出して、そいつも一応川へ持って行って選別して貰うから、あぁ今から往復するのが億劫になってきたよ。
しかも、今日になって風向きが変わったせいか、川向こうの便所からの臭いが酷い。
普通の集落なら川に流すんだろうが、ここは金の選別に使ってる。ざるで濾してる時に出てこようもんなら怒鳴り合いの喧嘩が始まることだろう。
あらゆる面で劣悪極まりない、これぞ監獄って気がするねえ。
「…………要するに、金が出ればいいのですね」
「そりゃあ当然な。あの水もどうにかなると効率も良くなって、俺達の班も少しは良い食事にありつける」
今の所最下位だからな。
他所の連中は配給の食事以外にも報酬で色々買っているみたいだし……せめて浸水がどうにかなれば。
「良い食事、それは大切なものです。えぇ、人間は良質な食事を好むものですからね」
うん?
「働きましょう。働かずともよくなる為に。明日少しの楽をする為に。それを積み重ねて、未来へ旅立つのです」
先に行っちまったマルサルの背中を追い掛けて、少しゆっくり歩いて行く。
今、物凄く自然に笑っていなかったか?
スライムってのも笑うんだな。
いや、あくまで擬態か。
けどあそこまで再現された状態を当たり前に維持してる奴なら、人間と同じような感情を持って、人間と同じように笑うことだってあるのかもしれない。
「少しの楽を求めて、今日ちょいと苦労をする、ねえ」
悪くない考えだ。
シシリー並に長寿だろうスライムの考え方と思えば、言葉にも重みが出る。
あいや、長耳の方はイマイチなんだが。
マルサルを追い掛けて、俺達の班で受け持っている採掘場所へ降りて行った。
「…………うん?」
浸水していない。
あれだけ泥っぽくなっていたのに、いつの間にかすっかり乾いていやがる。
それに何処か、と首を捻っていたら、ツルハシを持った班員の元へマルサルが声を掛けていた。
「おい役立たずっ、遊んでないで働けっ!」
選別の爺さんを無視し。
穴底へ降り立った俺も耳を澄ませた。
「こちらではなく、向こう側を掘って下さい。この角度で、貴方の腕三本分も掘り進めれば金が出ます」
「馬鹿言ってないで働けっつってんだろうが! おいっ、耳貸すなっ!」
怒鳴る爺さんの肩に手をやった。
そう怒るなよ、って顔で言う。
「さっきちょっと話しててな、どうにか役に立ちたいんだと。ほら、浸水も収まったみたいだし、その分の手間消えたと思って、試させてやってくれよ」
「あっちは浸水のあった方だ。なんでか収まってるが、余計酷い事になっちまったらどうすんだよっ」
「それでもさ。新入りの頼みだぜ、大先輩。胸を貸してくれ」
舌打ちしてきたが、泥まみれの手でしわくちゃの髪を搔き、息を落とす。
「腕二本分だな」
「いや三本だ」
「分かってる! おい、ちょっと掘ってやれ。出なかったら尻蹴っ飛ばしてやるからな!!」
なんのつもりかは知らないが、浸水が止まったことといい、良い兆候ではあるんだ。
それに。
いや。
「ほらお前ら働けっ! 見学の時間じゃねえぞっ!」
爺さんに叱られ、またしばし荷運びに勤しんだ。
とっくの昔に靴は脱ぎ捨て、素足で歩き回る様になっている。
なんたって泥まみれだったからなぁ。
そいつも何でか乾燥し始めて…………これで本当に出るのなら。
「おい急げ!! 急げえ!! っっははははは!! こりゃあすげえぞ!!」
この日、俺達の出来高は監獄最高となり、獄卒から酒が振舞われた。
調子の良い爺さんが他へ配って回ったから量は減ったが、なんとも珍しい二夜連続の酒宴が行われ、監獄の賑やかな二日目は…………穏やかに終わる筈だった。
※ ※ ※
深夜、俺達の班は捕えられ、両手を拘束されて独房へと引っ立てられた。
原因は、班員から盗みをやった奴が出たそうだ。
ここは金鉱山で、金はべらぼうな価値がある。
例えば軽犯罪を繰り返してこの監獄へ通い、上手く持ち出す事が出来たなら、普通に働くよりよっぽど大きな儲けになることもある。
だから採掘した金の持ち出しは禁止されている。
寝床へ戻る際には服を脱がされ、徹底的に洗い落とされるくらいだ。
砂金一粒許しちゃくれない。
だから昨夜、金の選別を行っている川付近へ居た俺へクィナが寄って来たんだろう。
「くそおっ! やってねえ! 俺じゃねえ!! くそが!!」
選別役の爺さんが怒鳴り散らしている。
彼の寝床から豆粒みたいな金がごろごろ見付かったらしい。
俺達にとっても驚きで、連帯責任なんて言われても覚えがない。
そもそも、どうやって持ち出したかなんて分かる筈もないってのに。
「誰か俺をハメやがったんだ!! くそったれ!! どいつだ!! 誰がやりやがったァ!! ああっ、ああああああああ!!」
鞭で打たれ、見せしめにされる。
「痛ェ!? やめ、止めろっ! 俺はやってねえ!! ぎゃああ!? っ、っっ! ふざけんなクソ共ッ!! 俺じゃ――――あああああああああああああ!!!!」
皮膚が削げ、血の匂いが周囲へ充満していく。
他人事じゃなかった。
班で協力して持ち出した可能性がある限り、二度とこんな事を起こさせない為にも、確かな調査も無いまま刑は執行される。
せめてクィナが居てくれたなら、話くらいは聞いてくれたんだろう。
昼過ぎに出て行ったのは見たから、本当に意味の無い願望だな。
「…………前へ出て跪きなさい」
そして何故か。
俺の番が回って来た時になって獄長が現れた。
ヨルダ。
彼女の放つ猛烈な香りに身体の奥が疼いて仕方ない。
誰かが膨らんだ俺の股座を指して笑い始めた。
あぁ、本当にどうなってやがる。
女が鞭を振るう。
汚らわしい、そんな顔をしていやがる癖に、一度打った途端に頬を染めて口端を広げた。痛みが肉体を抉っていく。なのに気持ち良い。痛くて、気持ち良くて、痛くて、なのに気持ち良くて、気が触れそうなほどの責めに股間が湿り気を帯びた。
最後、意識が途切れる前に鞭で打たれるマルサルを見た。
皮膚が破け、血が滲んで、痛そうな呻き声をあげて倒れ伏す。
色の無い瞳が虚ろに見ていた俺の視線と絡んだ。
「………………演技上手だな」
「………………凝り性でして」
本当に、なんなんだよ、テメエは。