分岐点⑤
「リディアっ!!」
ハイフリスの街中に突如として現れたスライム男。
そいつを指して千年以上は生きると言われる長耳長寿のシシリーが魔王と呼んだ。
三災厄、都市食い、今や神にまでなったと語られるアーテルシアでも滅ぼせなかった魔物。
どれ一つとして話がデカ過ぎて腑に落ちてこないが、はっきりと分かる事が一つだけある。
今アイツはリディアへ襲い掛かっている。
このままじゃあ、リディアが。
「こぉんのッッ!! ふざけんな!!」
シシリーが手の中に光を生み出して弓を形作る。
光弓を引けば矢が生じ、それは凄まじい魔力を伴い猛烈な風を発生させた。
狙いを定める僅かな間があり。
身を仰け反らせるほどの衝撃を放ちつつ矢が放たれ、リディアへ迫るスライム男マルサルへ襲い掛かる。
が、その矢は呆気無く掴み取られた。
ぬめぬめと地面を這うスライムから腕が生え、掴んだかと思えば纏う魔力ごと食ったんだ。
「っっ、こんな街中じゃ……!」
風に乗ってシシリーが飛び上がる。
近くの家屋の屋上を踏み、更に高所へ。
一方でリディアも異変に気付いている。
そもそも何か焦った様子で通りへ出て来ていた彼女は、自身へ迫るスライム男にも即座に気付いて障壁を張る。
白亜の輝きを帯びた、神官の常套手段とも言える神聖術。
ソイツへマルサルが飛び付いた途端、魔力ごと汚染して障壁を喰った。
リディアは怯まない。
凍り付いた表情で多重に巡らせていた障壁から数歩下がりつつ、一つ二つ三つと浸食を続けるスライム男に杖を向けている。
凄まじい速度で障壁を喰らう敵が八枚目へ取り付いた。
障壁の光が消えない。
月女神の力は汚染されず、より強烈な光を放ってスライム男を焼き始める。それでも止まらない姿に怖気を覚えた。
魔物は時として自損を顧みず人間へ襲い掛かることがある。
生物としちゃあ論外だ。
生き残り、種を伝えて繁殖していくのが本能だ。
なのにそいつを無視して群れが全滅するまで戦う、そういうぶっ壊れた思考を持つモノを人間は大雑把に魔物と呼称してきた。動物とは違う。人間を滅ぼす為に生まれた、まるで矢弾じみた行動を取る化け物だ。
リディアが食い止めた光の障壁で左右を囲み、上下を包み、後ろを抑えて完全にスライム男を閉じ込める。
そこに光の鎖が絡み付いて徹底的に封印した。
物理的なものだけじゃないんだろう。
あの鎖は魔物をより強烈に繋ぎ留めると言われているらしい。
だからもう、もう大丈夫。
その筈なのに、シシリーは高所で弓を構えたまま、凄まじい魔力を溜めて天へ弓引く。
何をしているのかもさっぱりだ。
そうしてリディアが杖を明後日の方向へ掲げたかと思えば、先端部に途方もない魔力が収束していった。
杖を向けている先は……昼間でも見えている月の姿。
どういう理屈かは分からないが、将軍級なんぞ一発で滅ぼしかねない力を溜めて、封印した筈のマルサルを警戒している。
更には騒ぎを聞きつけた野次馬を守る形で次々と障壁が張られ、馬鹿が居れば鎖で引っ張り、混乱で怪我人が出れば随時回復を回す。
――――俺はそいつをじっと観察していた。
正直、打てる手が何もなかったのもある。
リディアの元へ駆け寄り、彼女の盾になることを真っ先に考えたが、論外だと蹴り飛ばした。あんなものの前へ飛び出した所で一秒も稼げやしない。むしろ、必死に戦うリディアの思考を乱す原因になりかねないんだ。だから観察した。脚が今すぐに大切な女を守りに行けと震えているのを無視して、心臓へ杭打つような覚悟でその場に留まって思考を続けた。魔王マルサル。俺達が漠然と掲げていた魔境の最奥に居るとされる魔王とは別なのか。前にシシリーが魔王は複数居て、当たり前にこの地へ入って来ていたようなことを話していた……いや今はそれはどうでもいい。相手のデカさを確認するより、性質を探れ。スライム、体内へ取り込んだ物質を融解し吸収する厄介な魔物だ。不定形の液体とされることも多いが、筋線維にも似た組織があり、そいつを断つことで動きを封じ、あるいは仕留めることも出来る。ただ肉体を構成するものそれぞれがくっ付いて伸びたり縮んだりといった運動をしているだけだから、時間が経過すると再度動き出すのを昔観察したことがある。極端な言い方をすれば液体の一粒一粒がスライムであり、水分を飛ばし切ってもそいつが何処かで一定の量に達すれば復活する。大量の水で薄めてやれば事実上復活不能にもなるが、その水が干上がったりすればスライムは生き残る。昔試した方法で有効だったのは、特定の薬品を混ぜてやることだ。液体同士が反応し、機能を破壊する。物理的な手段だとソレが限界で、迷宮内のスライム全てにやるには金が掛かり過ぎて現実的じゃない。やっぱり有効と言えるのは魔術師による融解や、リディアのやっている様な強力な浄化で機能を低下させることか。
シシリーが天へ弓引き、
リディアは月女神の力を以て杖を掲げ……下へ。
下?
いや、と。
俺は息を抜いて歩を進めた。
あの場にやれることはない。
凍り付くような決意と共に動き出し、しがみ付いてくるレネに笑いかけてやる。大丈夫、大丈夫だ。頭を撫でて、強張っていた手に熱をやる。俺より、ずっとレネの方が怖がってる。そいつを確認出来たから、ちょっと落ち着けた。
「レネ、あっちに向かって走るんだ」
これからやる事はかなり拙い状況を生むかもしれない。
だから、彼女を巻き込みたくなかった。
駆け出しの頃から時折通っていた、クルアンのしがない宝石店。その爺さんにくっ付いて毎日宝石を磨き、あれこれ悪戯じみた品を作り上げては俺達を困らせ、楽しませてくれた大切な子だ。
ちょいと甘えん坊をこじらせて、自分で自分を生かす事も上手くない子だったが、最近じゃあ成長もした。
虚弱なマリエッタを支え、一緒に部屋の掃除をしたり、料理をしたり。
ちゃんとパーティの一員として皆を支えようとしてくれていた。
「……にーちゃは」
「俺は戦士だ。二人を見捨ててはいけない。さあ」
そんなに時間は無い筈だ。
リディアの封印が浸食され始めている。
だけでなく、足元が揺れ始めた。姿勢を崩すレネを支え、その背を押す。気を付けて、真っ直ぐに。ほら、リディアが加護をくれたろ? 行くんだ。大丈夫。
大丈夫、俺達は冒険者だから。
「さあ行け!!」
「っ、~~~~!!」
へっぴり腰で走り出すレネを見送り、息を整える。
十分に離れるのを待ち、手の中にいつか北域で見た少女の持っていた剣と全く同じものを生み出して。
告げる。
「マルサル!! 攻撃を止めろ!!」
切っ先は地面へ。
こそこそと隠そうとしてやがったソイツの行く先を塞ぐ。
手足で触れていれば瞬く間に融解されただろうスライムの一部を、切っ先は優しく受け止めた。
融けない。
この力は魔王にだって対抗できる。
そいつを知ると勇気が出た。
ラウラ。
リリィ。
ありがとう。
「今すぐこっちへ戻ってこい!! さもなくば」
さもなくば。
「テメエの遺していった足首から先、そこでのんびり泳いでる金魚が可哀想なことになっちまうぞ」
アダマンタイト級の神官と、ミスリル級の狩人が構えを続ける中。
リディアとっておきの障壁すら浸食し切ったスライム男が地面へ漏れ出す。
中に居たのでさえ相当な負傷となった筈だが……野郎はひたひたと地面を張ってこちらへ戻って来て、片方の足首がないまま人型を取り戻して土下座した。
「おねがいしますやめてください」
「俺もこんなことはしたくないんだ。分かってくれ」
「はい。ごめんなさい」
とまあ、こんな具合で謎の騒動は収まった訳だが。
※ ※ ※
警笛を鳴らして突入して来たハイフリスの憲兵らが俺達を囲む。
今更か、なんて思いつつ口を開こうとしたが、その先頭に立つちんちくりんな女が一人、呼子笛を手に歩み出てくる。
ニーナ同様に浅黒い肌をしており、現地の人間なのは間違いないが。
「抵抗は止めて下さい! ハイフリスの憲兵隊です! ここで騒動を起こしていたのは貴方達二人ですね!!」
どう説明したものやら。
太古の魔王が現れて襲い掛かって来たんだ、コイツがソレです、なんて説明して分かって貰えるだろうか。
思っていたらマルサルが歩み出た。
既に金魚は回収済みだ。
一瞬襲い掛かって喰っちまうんじゃないかと心配したが、
「あのぉ……」
「駄目です!!」
え? とちんちくりんの謎言動に揃って首を傾げる。
というかスライム野郎、動きが細かいな。人間に擬態するスライムなんざカッパーランクでも見破れると言われるくらい雑なのに。
「今ここで迂闊な証言をすると貴方達が不利になる可能性があります! すべては取調室でっ、慎重に言葉を選んで下さい!!」
「……ちょっと喧嘩してただけなんですが」
「喧嘩ですか!? それはハイフリスの治安維持法に抵触します!!」
アレをちょっとした喧嘩と称されても困るんだが。
助けようと寄ってくるリディアに離れてろと手で示し、シシリーがしっかりレネを保護してくれたのを見て取る。
とりあえず、守りたいものは守り切れた、でいいんだよな?
ちんちくりん女はサーベルを抜き放ち、けれど周囲に目をやってペコペコ頭を下げた。
「あ、あの……コレは貴方達を害する目的ではなく、手続きの為でっ。怖がらせてごめんなさいっ。ちょっとだけ、ちょっとだけ我慢して下さい!」
そうして眼前にサーベルを構え、言った。
「貴方達二人はハイフリスの法を犯しました。私は誇り高きシランドの名に懸けて、正当な手続きにより貴方達を拘束し、然るべき罰を与えます」
一応聞いてみる。
「具体的にはどうなるんだ。死刑か?」
「いえっ、そんな酷いことには!? 喧嘩で周囲のものを壊したり、関係無い人を傷付けていれば重くなりますが、見た所何も無さそうなので、おそらく三日ほど服役していただければっ」
「だとよ?」
マルサルへ聞いて見ると、奴はちょっとぷるぷるしていた。
そうしてお辞儀をする。
「ごめんなさい、許して下さい」
妙に律儀な奴だな……魔物が人間の法に従う? いや魔王か。どっちにしろ俺の知る魔物とは全く異なる。
魔境で出会ったノールやカーバンクル、あるいは幽海の孤島に住んでいた魔物化したチーターを思い出さないじゃないが、流石に、そう、人間に適応し過ぎている。
リディアを手古摺らせ、シシリーをして恐れさせたスライム男。
「……ごめんなさい。法とは私個人の考えで変えていいものではないので」
「そうですか。すみません」
「いえ、こちらこそ」
ぺこぺこと。
憲兵とやらがここまで腰が低いのも珍しいんだが、どうしたもんだかな。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「俺はロンド=グラースだ」
「ロンドさん」
「私はマルサルと申します」
「マルサルさん」
ご丁寧に名前を呼び、その上で宣言する。
「私はハイフリス治安維持の為に設けられています、憲兵隊の支部長クィナと申しますっ。お二人の身柄を拘束いたしますが、よろしいですか?」
嫌だと言ったらどうするんだろうな。
またぞろ狼狽えて長い話を聞かされる気もするから諦めているが。
三日か。
そのくらいなら付き合ってやってもいい。
リディアを巻き込むのも、こんな程度のことでギルドを呼び出すのも情けない。幸いにもリディアやレネから話は伝わるだろうし。
何より、あまりにも殊勝に拘束を受け入れているマルサルが気になった。
コイツを放置してまたリディアへ襲い掛かられたら堪ったもんじゃない。
監視の為にも、一緒に捕まっておくのもアリか。
「そちらの方、暑くないんですか?」
「いえ……私、凝り性なので」
「そうですか?」
妙な会話を聞きつつ、俺は憲兵に拘束された。
そして、その日の内に近隣の金鉱山へと送り込まれ、囚人となった。