旅立ちに向けて
皆で荷物を運び入れ、部屋の内装を整えていく。
今日はラッセル爺さんの部屋を引っ越しだ。
波音が幾分近くなった、砦の出入り口がある地階の一室。
日当たりも良いし、海にも近いとあってこれまでは客用として使ってきた部屋だそうだ。
「あぁ……悪いな。ここなら厠もすぐ下だし、自分でなんとかやれるよ」
「無理すんなよ爺さん」
「そうだよ、無理すんな」
俺の言葉にニーナが乗っかって、ラッセルが負けじと唇を尖らせる。
「なんでい、揃って似たような言葉で馬鹿にしやがって。ウチの娘にまでコナ掛けてんじゃねえぞ。言ったろうニーナ、アイツは昔から女好きで有名なんだ。お前なんて一呑みにされちまう」
「馬鹿になんてしてないよーっ。こないだみたいに階段途中で力尽きちゃったら困るじゃん、誰かに声掛けてよ」
「俺はまだまだやれるっ。ほら、ちょっと杖取ってくれ」
椅子に腰掛けて部屋の作業を見ていたラッセル爺さんへ、ニーナが彼の杖を渡すが。
「ねえ。いっぱい感謝してるんだから、力にならせてよ」
なんて言うもんだから爺さんの表情は情けないの一言だ。
だがキッと俺を睨み付けてきた。
「テメエの影響か」
「いや、知らねえよ」
「こうやって一番効く時になんか良い事言ってくるんだよなあ、お前。こんなん言われたらよお、うるっと来ちまうじゃねえか」
「いいことだろ。ありがたく孫の手ぇ握り締めときな」
孫、なんて言われてニーナの方も気恥ずかしそうにはにかんだ。
爺さんと孫、まさしくそんな感じだ。
と、数人の子どもらが部屋へ駆け込んで来た。
「へーっ、前よりすっげーっ」
「新しい奴? うわなんだ浮き上がるぞっ」
「なんか変な匂いするー」
遠慮のない振舞いに俺達も揃って笑顔。
特に寝台は特別性だ。
ウチの技術班が木材から用意して作り上げた。
寝台の縁に取り付けた車輪を回してやると、半ばから浮かび上がってきて身体を起こせるようになる。
子どもらだけじゃあ爺さんを支えるのは大変だからな。
これからまた起き上がれなくなった時は、そいつを使って食事やらなんやらをしてもらう。
一応車椅子も製作中だが、爺さんの誇りを著しく傷付けそうなのでまだ内緒だ。
あと匂いはプリエラの用意したものな。
香水とかに慣れていれば平気だが、子どもらからすると変な匂いか。
「おーい、この薬箱どうする? 下に置いて平気か?」
「いや。寝台の脇に置く。手ぇ届くようにな。個別のものや何かあった時用のはすぐ取り出せるようにしとかないと」
薬、と聞いてラッセル爺さんが思いっきり嫌そうな顔をしたので、ニーナの肩を叩いて後を頼んだ。
あのね、長生きするならちゃんと飲まなくちゃ駄目なんだよ、という孫からのお叱りを受け、爺さんは恨めしそうに俺を見てきた。
※ ※ ※
夜、見回りをしていたら笑い声の漏れる部屋を見付けた。
軽く声を掛けて覗いてみると、ブリジットとマリエッタに囲まれて、ニーナが髪を結って貰っていた。
「あ、リーダー」
「センセイ、どうですかっ」
どうやらマリエッタの持っている髪留めなんかも借りているらしく、普段の彼女とは見違えるほどに煌びやかだ。
ニーナはちょっと緊張した様子でこちらを見上げて来た。
頬がやや赤い。
女の子同士でやっている分にはいいが、異性に見られると気になるもんだよな。
ただ、評価は素直に言っておいた。
「今すぐどこかの舞踏会へ出ても問題無いくらいだ。海の宝石、とでも言っていいんじゃないか?」
宝石っ、とブリジットが興奮してニーナを讃え、マリエッタもにっこり笑って言葉を繰り返し。
ニーナはますます真っ赤になって視線を彷徨わせた。
元奴隷で、爺さんに拾われてからも周りには年下の子ども達、女の子らしくお化粧なんてする暇もなかっただろう。
それがこうして着飾るだけで、本当に見違えた。
ちょっとした豪商の娘ですなんて言われたら信じてしまいそうだ。
「もうっ、おちょくりすぎだよぉ……」
「いやぁ本心からそう思うよ。なあマリエッタ?」
「はいっ、ニーナ様はとても愛らしくて、素敵な淑女ですっ」
「もーっマリエッタぁ……」
「ふふっ。はい。素敵なニーナ様」
もーっ、とすっかり牛みたいになった彼女を囲って笑い合う。
と、皆から外れた所で毛布がもぞもぞと動いた。
「…………いつまでやってるのぉ…………うるさくしないって言ったじゃない……」
中々に珍しい様相のエレオノーラが現れた。
髪を頭の上で纏めて保護しており、眠気からか目付きはちょっと悪い。
彼女は手で隠しもせず大欠伸をしてからこっちを見て、お団子の乗った頭をこてりと傾げる。
「…………ロンドさん?」
「おう。邪魔してるよ」
しばし無言。
「っっ、ちょ……っ、ぁ、なんで居るんですか!?」
「あぁ悪い。見回りでな、そろそろ寝なさいよと言いに来た」
「それはっ。いえ、ちょっとお待ちください!」
「エレオノーラが一番うるさいんだけど」
「ブリジットォ……っ」
被った毛布の奥から怨念の籠もった声が聞こえて来て、立ち上がったブリジットが俺を盾にしようと回り込んで来た。
「すぐ出て行くから気にしないでいいぞ? むしろ悪かったな、こんな時間に女性の部屋へ入るべきじゃなかった」
クルアンの拠点だと男女で部屋の場所をしっかり分けているから、あまり見る機会の無い光景だ。
腰元にしがみついてくるブリジットを前衛へ回し、俺は退却の準備をする。
頭の団子を解いて幾分表情がキリっとしたエレオノーラが毛布を脱いでこちらを向いた。
が、
「……あの、エレオノーラ様、その……胸元が」
結構はだけていた。
「っ、きゃああ!?」
寝る時くらい楽になりたいもんな。
こっちも咄嗟に目を逸らしたから許して欲しい。
ただ、悲鳴を聞いて流石に様子を伺いに来たプリエラから、俺が叱られることになった。
許してくれ。
ちゃんと目は逸らしたんだけど。
けっこうばっちり見ちゃったけど、許してくれ。
「あぁそうだニーナ、あの話、なんとかなりそうだぞ。明日夜明け前から行けそうか?」
別れ際の言葉に周囲は首を傾げたが、当のニーナは髪いじりをあっさり放り投げて立ち上がった。
「うんっ、大丈夫! じゃあね皆っ、明日早いからっ!」
すれ違い様に手を打ち合わせ、俺も俺で明日に向けて早く寝る事にした。
後ろでプリエラが胡散臭そうにしているが特に構わなかった。
※ ※ ※
準備をする。
準備をする。
いつか来る時を待ち構えて、終わる為に、続けていく為に、始めていく為に。
旅立ちの時はいずれ来る。
「本当にいいんだな?」
「おう。すぱぁっと売り払ってくれ!」
「分かったよ。出来るだけ高値が付くよう交渉してみせる」
「へっ、粋がってんじゃねえ小僧が」
ラッセル爺さんから受け取った、冒険者時代の装備を荷車に入れて、後はフィオ達に任せた。
砦を購入し、子どもらを抱え込み、
冒険者なんてとっくの昔に辞めた癖に、
それでも手放し難かった、人生の大半を共に駆け抜けてきた品を。
金に換え、蓄えて、準備する。
金は便利だ。
俺もパーティを運営するようになってありがたみが身に染みたよ。
多くのものに変換可能で、時に手っ取り早く窮地を救ってくれたりもする。
だから、今のラッセル爺さんには必要なんだ。
遺される者達の為に、出来る限りの財を。
賭博が好きで儲けを得たらすぐに注ぎ込んじまってた奴が、ここ数年は一度も場へ参加したことが無いんだと。
どんな優れた冒険者でも、種族を越えた寿命を得るのは難しい。
老いだけは、どうしてもな。
冒険者の寿命は三十五。
俺もそいつに追い付かれそうだから、少しばかりは理解できるよ。
いつか俺も爺さんみたいに考えるんだろうか。
誰かの為に、少しでも何かを遺したい、例え大切な思い出を売り払う事になったとしても。
なあ、リディア。
そうなっていければいいなと、俺は思っているよ。
「見て見て爺さん、全部売れたよっ!!」
ニーナが駆け込んできて大きな編み籠を見せてくる。
出掛ける時には満載だった海産物が見事に空だ。
「ほお、やるじゃないか」
「あっ、ロンドさん! おかげさまでねーっ」
彼女は沖で漁をし、獲れたものをハイフリスの宿や食事処へ売り払う商売を始めた。
今までは砦に迎えた客向けの食材を確保するだけだったが、今回俺が間に入る事でまともな交渉が可能になり、収入の手を広げることが出来るようになった。
子ども相手だと平気で足元を見るのが商売の世界だ。
だが『スカー』の冒険者が後見人についているとなれば多少は変わる。
彼女はギルドに所属していないから、あくまで緩い協力状態に過ぎないが、相手は勝手に勘違いしてくれるしな。
なにより彼女の獲ってくる海産物は質が良い。
まともな料理人なら是非確保したいと思うのが当然だろう。
「ほお、頑張ったなあ、ニーナ」
「ちょっ、なんだよぉいきなり」
頭を撫でてきたラッセルに、ニーナが気恥ずかしそうに笑う。
まさしく爺さんと孫だ。
血は繋がっていなくたって、絆は確かに存在する。
この日々をどれだけ続けていけるかは分からないが、爺さんもようやくニーナの意志に納得してくれたんだから。
少しでも長く、二人に幸福を。
いや、
「ねー爺さん! アイツらまた喧嘩してるー!」
「痛ぃぃぃっ、ころんだー!! わああああん!」
「ねえねえ私の櫛見当たらないんだけどーっ、爺さん知らない?」
「こらああああ!! つまみ食いするなって言ってるでしょお!!」
「わああああああああああん!!」
表の騒がしさに俺とニーナ、ラッセル爺さんとで顔を見合わせ、つい笑っちまった。
次から次へと。
本当に。
次から次へとやってくる。
新しい風を感じながら、俺達三人で手分けして問題の解決に勤しんだ。