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賛美せよ、喝采せよ、男共。

 海賊ヴィンセント。

 ハイフリスを始めとした南洋諸国における英雄の名だ。


 当時この地を中心に横行していた奴隷売買に反対し、それらを支持していた貴族や豪商らを次々と討ち取って奴隷解放を成し遂げた、国に対して戦争を吹っ掛け勝利したという凄まじい経歴を持つ男。

 その背景には、ガレー船に不可欠な漕ぎ手がほぼ奴隷頼りだったということが良く語られるらしい。

 舟漕ぎ奴隷は現在でも居るが、途方もなく過酷で、海戦の後には過労死する奴隷が絶えなかったとも言われている。


 中原では俺の所属しているギルド『スカー』が玉座に槍を突き立てた話が有名だが、南洋ではヴィンセントの名がそれに相当するらしい。


 また海賊ヴィンセントが残した功績には、当時南洋で低い扱いを受けていた女性の地位向上も挙げられる。


「そうねぇ、私も長く生きてきたから、そういう経験が無いじゃないけど」


 長鼻並に鼻の伸びた耳長女が、水着に薄手の上着を一枚羽織って店のテラスに居た。

 坂道の脇に立ち並ぶ建物は整地の関係だろう、階段状に連なっていて、ちょうど曲がり角で突き出す様な位置にある長椅子の上、しれっと見覚えのある顔を侍らせていた。

 左にブリジット、右にニーナ。

 どうしてそんな組み合わせが出来上がったのかは知らないが、クソ耳サマは俺の大事なパーティメンバーを脇に置き、当然のように肩へ腕を回している。

 もう一方、年頃といえば年頃なニーナは両手を長椅子に置いて身を乗り出す。


「へぇ……っ。ど、どんな人と、あの、それ、したんです、か?」


 興奮した様子で問いかけるニーナの頬は熱を帯びている。

 あっけらかんとしていても、やっぱり女の子なんだなと自覚させられるな。

 ここしばらくラッセル爺さんの件で気を揉んでいたから、彼女に気晴らしの機会が出来たってことは歓迎すべき事なんだが。


「ふふっ。そんな大したことじゃないわ。ただ唇と唇と重ねるだけよ?」

「ひゃーっ」

「きゃーっ」


 二人の反応が心地良かったんだろう、失恋女は調子に乗ってニーナの顎元に手をやって怪しげに撫で上げる。


「試してみる?」


「え!? あっ、っ、あははははは! びっくりしたあっ、シシリーさんおちょくっちゃ駄目だよお! 一瞬本気じゃないかって思ったじゃないっ」


 真っ赤になって顔を仰ぐニーナを微笑みながら見詰める馬鹿女。

 あわや事が続くかと思った所へ、全く馬鹿に気付いてい無さそうなブリジットが自分から身を寄せて問い掛ける。


「ねえねえっ、シシリー姉の恋の話、聞かせてよーっ」

「うん? ふふふふ、そうねえ……私も長く生きてきたから、そういう経験が無いじゃないけど」


 得意げに笑い、抱いたブリジットの肩をまた少し引き寄せる。

 水着姿の元ひな鳥は、ある意味で生え変わり始めたばかりの覚束無さでされるままとなり、なんら疑いを持たない目で色欲女を見上げていた。


「貴女もしてみる?」

「え?」

「ふふふっ、口付けよ。ほら」

「わっ!? あっ、はははは! 私はだってまだ経験とかないし……、初めては好きになった人とがいいなぁって」

「まだ経験がないのね」

「う、うん」

「素敵ね」

「もぉっ、そりゃあシシリー姉に比べたらひな鳥だけどぉ」

「ふふっ、ごめんごめん。大丈夫よ、皆最初はそんなものなんだから。だけど一度知ってしまえば、あの燃える様な感覚を求めてしまうものなのよ」


 燃える様なっ、とブリジットとニーナが声をあげて興奮する。


「ねー話聞かせてよーっ」

「そうだよーっ、はぐらかさないでよーっ」


 少女二人から詰め寄られてシシリーは大満足、けれど不自然な程に具体的な話が出てこなかった。

 経験が無いらしい二人からすれば大人の余裕に見えるのかもしれないが、いい加減聞いているのも辛くなってきた。


 自分の撒いた種は自分で刈り取ってくれ、そう心の中で言い置いて立ち去ろうとした時…………長耳長寿の女がくるりとこちらを向いた。

 無垢な少女から尊敬と羨望を集めて悦に浸っていた筈の女は、俺を認めると即座に顎をくいっと上げて睨み付けてきた。


 あぁ分かるさ。


 さようなら、がんばって。

 おじゃましました。


 立ち去る背中へ泣き付く声が来た。


「なんで行っちゃうのよお!? 援護させてあげるって伝えたのにい!?」


 いいか、長耳長寿ってのは煽ててやれば雲よりも高くつけ上がる。

 最初の一段目が大事だ。

 じゃないと意味不明な所から急激に高度を上げて、気付いたら勝手に自分を上位へ置く。


 つまり、最初の一段目へ足を掛けた時点で蹴り落とせ。


「おうシシリーじゃないか。どうした、ルークへの失恋話をしてやっていたのか?」


 女王様気分の色欲馬鹿女が悲鳴をあげ、目を丸くする二人にしがみ付き始めたので、仕方なく俺は首根っこを捕まえて引き剥がした。


    ※   ※   ※


 泣いたシシリーに一時は困惑していたものの、素直な二人とあって反応は優しいものとなった。


「そっかぁ……無理させちゃってごめんね、シシリー姉?」

「恋って、実るだけじゃないんだ。そうだよね」


「うん、そうなの。っ、嘘吐いた訳じゃないんだよ? 恋はね、儚く散ってしまうこともあるの。こんなにも…………好きなのに、っ」


 よしよし、と頭を撫でたブリジットにしがみ付くシシリー。


 そこだけ見れば微笑ましいと言えなくもない光景なんだが、なんだろうな、奴が絡むと途端に胡散臭さを感じてしまう。

 俺の勝手な印象、とは言い難いくらいしがみ付いたブリジットに肌を擦り付ける女を冷えた目で見つつ、氷で冷やした珈琲へ口を付けた。


 心地良い苦みと酸味、独特な香ばしさと味わいが喉を抜けていき、そっと一息。


 魔術師が居るとこういうのも作れるから、結構便利だよなあ。


「それでお前ら、どうしてこんな組み合わせになってるんだ?」


 俺の質問にニーナが首を傾げた。


「シシリーが素敵なお店あるよって」


 そしてブリジットがやや俺から目を逸らしつつ応じる。


「可愛い小物のあるお店とか教えてくれるから……色々買ってくれたりするの」


 ブリジットを抱く様にしながらこっちを向いた金満女が半眼でこちらを睨んで来た。


「可愛い女の子をもっと可愛くするだけよっ、なによっ、何か悪いの!」


 とりあえずブリジットから離れなさい。

 お前の下心がバレる前に。


「やーだーっ」


 失恋がバレてすっかり幼児退行した五百年くらいは生きてきた筈の婆がする発言じゃない。きっと人生経験ってのが足りてないんだろうな。


 もうちょっと風格とやらを見せて欲しいもんだが…………いや、見せてきたらきたで鬱陶しいからいいか。


「なによぉっ」


「人生って大変だなって思ってな」


「意味分かんない」


「お前もいずれ分かるように……はならないか」


「挑発!? 挑発してるのねっ! いいわ受けて立ってあげる! そこへ直りなさい決闘ヨ!!」


「元ミスリルがシルバーに決闘申し込むなよ」


「今はシルバーだもーん! というかニンゲンの作った格付けなんて意味無いわ。シルバーだかゴールドだか、ミスリルだかオリハルコンだか知らないけど、どうせ百年もしたら皆入れ替わっちゃうんだから」


 うん、さらっと聞いてるとそれらしく聞こえるが、俺の言葉に対して何ら意味を持っていない雰囲気だけの反論だな。

 敢えてほじくるのも面倒だし、意味も無さそうだから流すけど。


「というかよくもバラしてくれたわねっ! 私の理想の御姉様計画が台無しじゃないっ!」

「ウチの連中にコナ掛けてるんじゃねえよ」


 見上げるブリジットとニーナが思い思いの顔をしているが、当人は気付いていない。

 いつだって長耳長寿は刹那的だ。

 多分な。

 どうでもいいけど。


「だってアンタの所可愛い子一杯なんだもん!! なんなのあの空間っ、一体どうすればあんな場所を作れるのっ!?」


 とりあえず大人になればいいんじゃないかな。


 喧しい女に付き合っていても時間の無駄だ。

 コイツらは何かを教えてもすぐ忘れて自分の考えこそ至高、って結論に行きつくからな。


「………………………………そんなに冷たくしないでよ」


 しゅん、と俯いたシシリーにちょっとだけ胸が痛む。

 が、


「私だって辛いのよ。あの頃の、可愛かったルークが成長していくのをずっと見守ってきたの。最初は恋愛感情なんかじゃなかったわ。ただ傍に居て、笑っているのを見ていたい。それだけで良かったの。きっとそれは、歩くことを覚えた赤ん坊を見守るような気持ちだった。だけどある時、私の不注意で転びそうになったのをあの子がね……逞しい腕でぐいっと引き寄せて助けてくれたの。そしたら彼、笑って言うの『初めてシシリーを助けられたね』って。もう色んなものがぐちゃぐちゃになるほど感情が掻き乱されたわ。腕の逞しさにまず驚いて、あのルークが、いつの間にか一人の男になっていたんだって思って、次に無邪気な笑顔の中にいつかのあの子を見て、それから彼の言った事を思い出したの。そっか、私はもう、ルークに助けて貰えるんだなあって。そんなに大きくなった背中を見ていると、時折無性にしがみ付いて甘えてみたくなるの………………………………もう永遠に叶わない夢だけど」


 最後の一言が恐ろしく重かった。

 どうして感情ってそんなに急転直下に落ち込んでいけるんだろう。

 お前どういう情緒して前半から後半語ってたの。

 ブリジットやニーナなんてようやく出てきた具体的な恋話にキャーキャー言ってたくらい幸せそうだったのに、その流れでよくそこまで沈めたなお前。


「私はきっと永遠にこの孤独感を味わい続けるのよ。たった一人の泥棒猫によって叩き落され、地に這い蹲って泥を啜るの。おいしい、どろみず、おいしい。でもいやよ、冷たくてざらざらしてる地面よりっ、温かくってすべすべしてる女の子の肌がいいのっ! ねえっ、そんなに駄目なのっ!? なにがいけないのよおっ!?」


 結局こうなるのか。


 あくまで冗談だが、そうまで言うなら一肌脱いでやろう、あくまで冗談だが、俺はシシリーに向けて腕を広げた。

 とびこんでこーい、とかいう感じのアレだ。


「っぺ!!」


 コイツ唾吐きやがったぞ。


 仕方ないので一緒に並んでるブリジットとニーナを見た。

 いや、コレやって完全に流されると悲しいから。


 すると悪戯っぽい顔をしたブリジットが照れ笑いするニーナを後ろから押した。


「きゃっ!?」


 案外可愛い声をあげてニーナが飛び込んできてくれたので、俺はそっと頭を撫でてやった。

 なんとも言えず戸惑う彼女は中々に愛らしかったと思うよ。


 シシリーからは凄い顔して睨まれたが。


    ※   ※   ※


 かつて南洋では女性が道端で話し込むのも厭われていたという。

 俺も当時を知る訳じゃないから、過剰な言い方をされているのかもしれないが、そういう話は時折聞く。


 だが海賊ヴィンセントの登場によって、既存の価値観を守っていた者達が打ち砕かれるようになると、その頸木(くびき)が外れていった。


 しかもヴィンセント某、実に紳士ながら女好きであったらしい。


 彼に熱を上げた女性達が日々革命に参加し続けたというのも、海賊が国を倒した一因だろう。

 無論平和になってからも、英雄となったヴィンセントへ声援を贈る女性達を、声高に批難なんて出来ず、昔はもっと貞淑だっただのと語る老人らもその内途絶えた。


 今や南洋の女達は道端で恋の話に盛り上がり、水着姿で肌を晒して笑い合う。


 うん、後半の部分が重要だ。


 きっと最初は文句を垂れていた男達も、その部分には誰も文句を言わなかったに違いない。

 表面上眉を顰め、貞淑になんて語りつつも、晒した肩の線や上着の裾から見える愛らしいお尻に目をやらなかった奴なんて居ないだろう。素足の眩しさは南洋の太陽にだって比類する。


 海賊ヴィンセントは英雄だ。


 港町ハイフリスには幾つもその石像がある。


 彼の前を元気良く駆け抜けていく少女達。


 眩しさに目を細める男達は、胸に手を当て、今日も英雄に感謝していた。






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