生きる――――
ラッセル爺さんが体調を崩した。
最初はいつものやつだと言っていたので余計な手出しを控えていたが、三日目にして寝台から起き上がれなくなり、俺は急ぎ神殿へ出向していたリディアを呼び戻して看て貰った。
普段あれだけ元気良く金稼ぎに勤しんでいた子どもらも、心配なんだろう、仕事で単純な失敗を繰り返して些細な事で喧嘩をするようになった。
ニーナが上手く纏め、俺の薦めで気晴らしに遊び始めてみたものの、どうしても隙間が出来ると手が止まり、沈黙が染み渡っていく。
「どーしたどうしたーっ、遊ぶ時くらい盛大に遊べーっ」
水着姿のプリエラが海へ飛び込み、ここしばらくで仲良くなったらしい少年らにしがみ付く。
「わあ!? 沈むだろおプリエラァ!」
「っははははは!! それ泳げ泳げ!」
なんとも微笑ましい景色だ、なんて言ったら怒られるだろうな。
「うん、やっぱり子どもが遊ぶ時ははしゃいでいなくちゃな!」
「おいテメエっ、子どもに私も含めてんじゃねえだろうなあ!」
「え!?」
待てコラーッ、と追いかけてきたので俺も海へ飛び込んで逃げ始める。
怒れるプリエラに最初目を丸くしていた子どもらも、次第に薄っすらと笑い始め、俺が助けを求めて彼らの元へ向かうと悲鳴をあげて水を掛けてきた。
哀れ俺は逃げ場を失い諸手を挙げた。
「ははーっ!! 捕まえたぜクソリーダー! いい座り心地だなあ!」
「おいプリエ……っ、上に乗るんじゃねえっ!? ご、ば、っ、うおおおおい!?」
脇下から脚を絡め、がっちり捕まえてきた小人族の女が首に腕を回してくる。
「オイしっかりしろよイロオトコ」
「おいお前ら一つ報告がある」
後ろのプリエラを完全無視して言い放つ。
「全く柔らかくなかった!!」
「ンだとテメ――――っおおおおお!?」
皆の笑い声を聞きながら、後ろに向けてひっくり返り、そのまま海の中ヘ。
ははははっ、慣れてないと鼻から海水が入って大変なことになるぜえっ!
と思ったら背中に跨っていたプリエラの膂力が急激に向上した。
ぐりん、と身体を回され、沈んでいた筈の身が海面へ飛び出す。
「痛い!? 痛いですゴメンナサイ!! 小さくても素敵です!! つーか痛い!?」
「謝って済むと思うなヤリチン野郎がああああああ!!!!」
ぎゃああああああああああ、と叫ぶ俺達を、周りは笑いながら眺め、はやし立てた。
※ ※ ※
たっぷり海で遊んだ後、冷やしておいた果物を皆で食べ、疲れた子どもらが寝静まるのを待った。
今日は天気が本当に良くて、潮の香りを含んだ風が沖の方から心地良く吹き抜けていってくれた。
宿は開店休業だ。
部屋の掃除も、厠の処理も、食事の用意から買出しまで俺達で回している。
そんな日があっていい。
寝相の悪い少年に麻布を掛け直してやって、上層の一室へ向かった。
既に診断を終えたリディアが居て、ニーナと、プリエラと、エレーナが机を囲っている。
まずはと冷えた水を樽杯で煽って息を落とす。
「ラッセル爺さんの様子はどうなんだ」
全員の視線が向かうのはリディア。
アダマンタイト級の神官であり、クルアン最高峰の冒険者。
診せる相手としては間違い無く世界一の逸材だ。
「……とりあえず状態は回復に向かってる」
その神妙な表情に軽はずみな安堵は出来なかった。
人の死を恐れるリディア、彼女に余計な負担を掛けたくないとも思うが、ラッセル爺さんは俺にとっても大切な冒険者仲間だ。
俺の想いをそのまま受け取ったみたいに彼女は重く頷く。
「だけど、油断の出来ない状態は今後もずっと続くと思う」
「そんなっ!」
立ち上がったニーナにリディアは申し訳なさそうに顔を伏せた。
「ニーナ、話を最後まで聞こう」
言うと彼女はどうにか椅子に座りなおし、その縁を強く握った。
「続けてくれ」
「うん……」
石窓か吹き込んできた潮風が俺たちの身を打ちつけ、遠く沖の上に雲を見つけた。
長雨は珍しい地域だが、かなりの大きさに見える。
「まず、ラッセルさんがかなりの高齢であること。肉体的な老化は神官の神聖術ではどうにもならない。今は乱れた身体の中の流れを調整しているけど、自分自身でそれを整える力も衰えてしまっているから、日を重ねる内にまた同じようなことが起きる」
「アンタでも……」
つい、といった様子で口走ったエレーナが、眉を寄せ、悔しそうに言う。
「アンタくらいになっても、出来ないの」
「……神官の術は、死者を蘇らせることも、不老不死を成し遂げることもない。人が人らしく生きて、戦い抜いていく為の力だから」
静かに言い切ったリディアに俺が付け加える。
言ってしまったことを後悔するエレーナの頭にポンと手を置きながら。
「今回の症状は確かに治してくれたんだろ。その上で、身体にガタの来る年齢だって話だ。な?」
問えば二人が同時に頷いた。
分かっていても、どうしても憤ってしまうことはある。
エレーナにとってリディアは一番最初に見せ付けられた神官の高み、それこそ雲の上のような存在だ。
絶対者とさえ言えたかもしれない彼女の今の言葉は、敗北宣言みたいに聞こえて悔しかったんだろう。
俺は努めて明るく笑い、けれど真剣さを損なわずニーナへ目を向ける。
「冒険者の寿命は三十五だと言われてる。それをよ、爺さんはまだまだイケる、だなんて言ってずっと戦ってきた。これからもソイツが続くって話さ。これまでは俺達が一緒で、これからはニーナ……お前達が一緒に戦ってやるんだ」
「戦う……」
「そうだ。冒険だって一人で立ち向かうのは大変さ。そいつを終えて、生きていくのだって」
幸いなことに爺さんの側には子どもらが居る。
頼り無いだなんて思わないさ。
まだまだ足りない経験は周囲の大人から拾い集めていけばいい。
あるいは自らの思考と経験で。
それも一つの冒険だ。
「…………一緒に戦う。うんっ、そうだよね! 私達が着いてるよっ!」
少女にようやく笑顔が戻った。
そうさ。
終わらない戦いなんて沢山ある。
その果てにあるのが別れであっても、懸命に今を生きることに違いはない。
「ありがと。ちょっと、びっくりしちゃってさ。爺さんいっつも楽しそうしてるし、あんな辛そうな顔見たこと無かったから」
あぁなるほど。
なんとなく分かるよ。
俺だって親父があんな風になったらぎょっとする。
今でこそ元気だが、いつかきっと、こういう日が来るんだろうな。
「爺さんの顔見てくるよ。ありがと……うん、ありがとう、ございます」
去っていったニーナの残した風を全員が感じながら、それぞれに視線を流し、沈黙する。
そいつを一番に破ったのは、プリエラだった。
「なあ……一つだけ正直に聞かせてくれ」
手を組んで、真っ直ぐにリディアを見詰める。
「ラッセル爺さんがああなっちまってるのは、私のせいなんじゃねえか」
※ ※ ※
波音に打ち消されそうなほど微かな声でプリエラは言った。
周囲の気温が下がったような気さえする。
「お前何を」
「悪い。今は神官同士で話させてくれ」
頑なさ感じる声音で言う彼女を、リディアは最初無表情で見返していた。
ただ、一度俺を見て、けれど両手を組み直しながら、眉を寄せつつ視線を返す。
「ラッセルさんが最後に組んでいた神官は」
「私だ。今はミスリルだが、当時はシルバーだった」
「なら」
と、一度言葉を切り。
姿勢を正して。
「それは、全くの無関係ではありません」
揺れる瞳の奥に誰が気付けただろうか。
長年ゼルディスの元で不遇な扱いを受けてきたリディアにとって、相手を非難する言葉を吐き出すことは決して楽なものじゃない。
それでも言った。
プリエラも無表情で言葉を受け、瞑目し、眉を寄せて揺らしながら……息を落とした。
「ありがとう。本当に。やっぱりさ、アンタくらいの奴に言われるとすっきりするよ。自分がまだまだ未熟なんだって、アダマンタイトってのは凄いんだなってよ」
「ただ…………いえ」
何かを言い募ろうとしたリディアにプリエラがふわりと笑う。
「ちょっと誤解してたかもな。いや、そもそも誤解するほど知らなかったんだが、リディア=クレイスティアってのは思ってた以上に大変らしい」
「私は、別に……」
「あぁ。ありがとな」
言って立ち上がったプリエラが、同席していたエレーナを呼んで部屋を出て行った。
きっと鍛錬に向かったんだろう。
張り切っていた後輩神官と共に、ウチの副リーダーはその悔しさを糧にしていくつもりだ。
残されたのは俺とリディア。
意図してかは分からないが、ようやく他の目が外れたことで彼女は沈痛そうに顔を歪め、手を握り締めていた。
「一応、詳しく聞いてもいいか?」
近くに座りなおして手を取る。
そいつへしがみ付くみたいに握り返してくるリディアに愛おしさを覚えつつも、問いは引っ込めなかった。
彼女にとっては酷だろう。
それでも。
「…………神官の加護が受けた人に負担を掛けるものなのは分かるよね」
「あぁ」
「簡単な話、その負担は蓄積していくの。若い内は大丈夫でも、歳を重ねると蓄積したものを流し切れず、溜めてしまう。ラッセルさんは高齢になっても冒険者を続けていたから、加護による運動能力の向上は骨や内臓なんかにも負担だった筈。上手い神官なら…………私なら、その負担を避けて、極力戦闘での疲労が溜まらない様に加護を調整してあげられる。でも、ラッセルさんの身体を見る限り、そうは出来ていなかった」
そいつをしていたのがプリエラだってことか。
低ランクで集まっていたパーティだ。
シルバーランクの神官にアダマンタイト級の仕事をしろって方が無理だろう。
ただ当時の俺達はルークの台頭で伸びもして、アイツを押し立てて無茶なクエストもこなしていた。
皆でその活躍に着いていけず最終的にパーティから送り出すことにはなったが、ラッセルにとってあの日々は輝かしいものであると同時に、無理を重ねるものでもあったんだろう。
彼女が悪いだなんて絶対に言えない。
俺達が選び取り、駆け抜けてきた日々に、後から泥を浴びせる必要なんてない。
それでもプリエラはソイツを望んだ。
アダマンタイト級の神官、最高峰のパーティに所属し、絶大な力を振るうリディア=クレイスティアからの決定的な一言を受けることで、過去の未熟さと、道半ばな今を確認したんだ。
兄リドゥンが死んで、ルークのパーティから離脱して俺の所へ来てくれた。
だけどもしかしたら彼女の中で、逃げのように感じられていたんじゃないだろうか。
エレーナと共に出て行った扉を見やり、口を噤む。
今は俺が何かを言うべきところじゃない。
神官同士で。
仲間の命を背負う者として。
彼女達の決意と覚悟に水を差すことは出来ないよな。
※ ※ ※
それはそれとして夜は激しかった。
別にリディアから泣きが入ったんじゃないだが、なんというかな、色々あるよな。
けど一息ついた寝台の上で、港町の繁華街の喧騒を聞きながら話をした。
「良い、仲間だよね」
「おうよ。自慢の連中だ」
今までは遠巻きに見ているだけだった俺のパーティメンバーと、今回はかなり親密に関わってきている。
特に俺とブリジットが漂流した時は、慣れた相手はシシリーかトゥエリしか居なかった。
見る目が変わったと言ってる連中も居るし、リディアも前ほど身構えてはいない。
まだリディア=クレイスティアを被っている所はあるが、隙も結構晒している。
「…………皆に話してみるか?」
問えば、僅かに緊張を帯びながらも表情は緩んでいて。
「…………………………………………いいかも」
「ははっ」
なんだか嬉しくなって抱き締める。
肌の感触が心地良い。
不思議と興奮するよりもこうしていたいっていう愛おしさが俺を満たした。
あぁ、本当に。
「いつにする? 今から戻って、帰ってきた奴に片っ端から明かしていくか? それとも、この人ならって奴から話していくか?」
「え、ええと……あの、その、そのぉ…………なんふぇひっふぁるほーっ、んん!」
頬を抓ってやって、口付けた。
「無茶したいなら付き合うって話さ。盛大に目ぇ回しながら告白すれば、きっとエレーナなんざ同じだけ目ぇ回して驚くぞ」
「煽らないでよぉ……っ」
「そうじゃないなら、話す時に向けて心の準備をしていけばいい。話すつもりで付き合っていけば、今までよりずっと身近に感じられるだろう? そういうのは相手にも伝わるもんさ」
もうじき俺の一つ上のお姉さんになる婚約者の頭を撫でてやりながら笑っていると、膨れたリディアが胸元へしがみ付いて顔をこすり付けてくる。
手に甘えてこないのが素直じゃない。
年下扱いをすると拗ねるからな。
僅か数日年上ってのがそんなに重要なのかねえ。
「たださ」
「……うん?」
「みんなに隠れて、こっそりするキスは嫌いじゃないの」
なるほど真理か。
そいつを確かなものだと感じる為に、俺達はもうしばらく愛し合うことにした。