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禁漁区

 ニーナは自然を愛し、自然に愛されている。

 ラッセル爺さんの言葉だ。

 ただ俺は、そいつが海に関するものだって、勝手に思っちまっていた。

 野犬も腹を見せて転がるっていうのも爺さんが言っていたんだったか。


 店を飛び出し掛けていく彼女の背中があっという間に小さくなっていった。

 丘の上、景色の良い位置にある観光者向けの店から港までは距離がある。その間にある階段や家々を、ニーナは縦横無尽に跳ね回って抜けていく。


 到底追いつけない。


 そもそも、密猟者が出たと何故分かったのか。


 優れた狩人は動物と心を通わせるというが、互いに見えない位置に居てでもそれが可能なのか?


 階段上部から手すりを踏んで跳び上がったかと思えば、ちょうど開いた木窓を踏んで更に前へ、窓を開けたらしい猫に何か言葉を掛けつつ物干し用の縄を掴んで通りへ身を投げる。

 見えていた筈の無い、通り掛かりのほろ馬車へ飛び乗り、転がり落ちて小道へと駆け込んでいった。


 どうにか俺が追い付いた時には野犬が遠吠えを始めており、数匹が彼女の消えていった小道へ追従していく所だった。


「どうなってんだこりゃあ」


 自然が、動物達がニーナの味方をしている。

 しかもあの軽業、身のこなしは尋常なものじゃない。


 思えばイルカなんぞに乗って海を泳いで回っているんだったな。俺も一度試させて貰ったが、泳ぐ速度もすさまじければ、受ける水の圧が凄くて半ばで振り落とされちまった。

 それを当たり前にやっている、彼女の運動能力の高さを甘く見ていた。

 単純な筋力ではなく、身体の使い方か、流れを読む力か。


 小道を抜け、海岸沿いの坂道へ出たのと、ニーナが崖上から海へ飛び込んでいくのは同時だった。


 慌てて柵へしがみ付き、その行く末を見る。


 一度深く海へ没した後、例のイルカ達がその身を回収し、行進でもするみたいに沖へと泳いでいく。


 はぁ、と一息ついた。

 追いつけない。

 再びその事実を噛み締めて、さてどうするかと見回した。


 正直言って、あの様子なら任せていても大丈夫そうだが、ラッセル爺さんから頼まれた子を密漁者相手に一人で行かせる訳にもいかない。


 この坂を下った所には浜辺があり、漁師の小僧が網を折り畳んでいるのが見えたが。


「はぁっ、はぁっ、っ……待ってよおお」


 情けない声に目を向けると、バテた様子のブリジットと、その介護をするエレーナが居た。

 魔術師とはいえ運動不足だな。

 後で鍛え直してやる。


「エレーナ」

「うん。こっちは任せて。砦行ってる暇あるかな?」

「その前に終わりそうだ」


 相手は密漁者。

 船を使う以上、集団であるのは確定。


 それに対してニーナ一人とくれば、早々に捕まるか、早々にケリを付けるかのどちらかだ。

 砦から援軍呼んで、船を用意して、なんてやっていたら日が暮れちまう。


「後詰めは任せるぞっ」

「分かった」


 一気に坂を駆け下り、小僧に金を叩き付けて小舟を借りて、海へ出た。

 まだニーナの姿は見えている。

 イルカが飛び跳ねているから分かりやすいな。

 ただ、やっぱり速力で劣る。


 禁漁区か。


 そいつは俺も知っている場所だ。

 せめて遭難だけはしないよう気を付けるか、なんて思っていた所で船が押し上げられるようにして加速した。

 潮にでも乗ったかと思ったが、流石にまだまだ陸地付近。


「…………よお」


 小舟の下を覗いてみると、どこかで見覚えのあるサメが掩護してくれていた。

 なんともまあ、頼もし過ぎる仲間だな。


    ※   ※   ※


 「お前らああああああああああああああああああああ!!!!」


 イルカに身を押し上げられ、密猟者の船へ飛び乗るニーナ。

 網を手繰っていた男を真っ先に海へ蹴落とし、事態に気付いていない者へ飛び付いて同じく海へ。

 禿頭の痩せ男がいきり立って武器を抜く。


「っっ、クソガキが!! また出やがったな!!」

「またはこっちの言葉だ馬鹿!! こんな潮の集中する場所で地引網なんてしたらっ、魚が減ってまたハイフリスが枯れちまうだろ!!」


 駆け寄るニーナに密漁者達が身構えるが、直前に海鳥が上空から襲い掛かり、哀れ三つの水柱となって海中へ没した。

 落ちてしまえばもう抵抗は出来ない。

 なにせイルカだけじゃなく、サメやら何やら海の生き物が寄ってきているんだからな。


 と、船の側面に張り付いている赤い生き物を見た。

 まるでこの世の終わりからやってきたような、八本もの脚を持つ軟体生物だ。

 詩に語られるクラーケンみたいな形状をしているが、あんなのまで味方してるってのか。


「囲めェ!! 毎度毎度邪魔しやがって! 生憎今は海軍が出払ってんだよっ、いつもみたいにいくと思うな!!」


 なるほどそれで、三隻も使ってお魚を乱獲している訳だ。


 一人の密漁者がへらへらと笑って言い放つ。


「おい殺すなよお? ちゃんと使える程度には生かしておかねえと楽しめねえだ――――がほォ!?」


 よお邪魔するぜ。


 タマを蹴り潰された野郎が泡を吹いて倒れ、全員の注目がこちらへ集まる。


「なンだテメエ!!」

「その子の保護者だ」


「はあ!?」


 なんで怒るんだよニーナ。

 そりゃあ雇い主と案内係だがな、爺さんに頼まれてるんだ。


「なんで来たの!?」

「冒険話の途中だったからな」

「今する事じゃないでしょ!!」

「そうか?」


 あくまで飄々と受け答えをしつつ、適宜密漁者の動きを確認した。

 何も考えず飛び出す奴、怯えて味方の後ろに隠れる奴、声を飛ばして指揮をする奴。

 対集団で重要なのは位置関係だが、立っている奴の中身を知る事も重要だ。

 特に、見た目だけを揃えようとする奴が指揮を執っている場合はな。


「ちぃっ、面倒なのが……おい囲め!! 二人纏めてぶっ潰すぞ!!」


 さっきからとりあえず囲めの連呼。

 具体性を欠いた指示だ。

 囲った後でどうするかをまるで考えていないんだろう。

 しかもこの船、船室も無い小型の漁船だから、囲めと言われても端へ追い詰めるだけで、そうそう包囲なんて出来ない。


 加えて。


「逃げるなよぉ……」


 ニーナへ詰め寄った男がぼんやりと立っている彼女へ飛び付く。

 あからさまに見せていた隙は罠だ。

 彼女はそこが地続きであるかのように一歩下がると、待機していたイルカの背を踏んで船から離れる。

 勢いってのは空振りすると結構姿勢を崩すもんだ。


「ははっ、いらっしゃーい」


 前のめりになっていた所へニーナが袖口を摘まんで海へと引っ張る。

 あっさり水没したそこへ、俺を運んできてくれたサメが船の下から顔を出し、男は半狂乱で沖へ泳ぎ出した。


 そこからは結構、一方的だった。


 ニーナの軽業は大したもので、船の中を縦横無尽に動き回って男達を海へ叩き落していく。

 俺も数名を相手に大立ち回り。

 コイツら、荒事には慣れているが技術を習得している訳じゃない。

 揺れる船には手を焼くが、縁から『ガンバレガンバレ』と応援してくるサメくんに応えて頑張った。


 振り下ろしてきた湾刀に先端部を湾曲させた短剣を合わせて側面へ流す。

 ほんの数秒の出来事。

 防がれたことが理解できずに呆けている野郎の腹を蹴り飛ばし、お友達へ新しい玩具をくれてやった。

 『やっほう!』とばかりにサメくんが飛び付いて小突き回す。

 喜んでくれたみたいで何よりだ。


「なンだコイツ!? なにしやがった!?」


 今の短剣はラウラとリリィ謹製、出し入れラクラク錬金術だ。


 素手に見えても武器は携帯している。

 本当、無人島でも南の国でも、コイツには助けられてるよ。


 船員の殆どを海へ叩き落した後、網を切って魚を逃がした。

 連中、イルカまで捕まえてやがった。どこぞの貴族が欲しがりでもしたか? 多少疲れた様子はあったが、一度小さく鳴いた後、近くで援護していたイルカ達に囲まれて逃げて行った。

 助けを呼んだのは、案外あの子だったのかもな。


 ニーナが最後の一人を蹴り飛ばしたのとほぼ同時、派手に鉄鍋を叩く音がして視線を向けた。


「はぁーい注目う!」


 接近してくる小舟が二つ。

 密漁者の船だ。

 加えて弓手が三人。


 それを従えてると思しきフジツボみたいな頭をしたクソ野郎が両腕を広げた。


「お前らよお、よぉおくやってくれたじゃねえかよお! ったく商売あがったりだぜぇ、なあお前らあ!」


「そりゃあいい話を聞いた。密漁者の商売なんざ枯れちまえばいいっていつも祈ってたからなあ」


 言い返すと矢が放たれて、短剣で捌く。

 危ない危ない。上手くいって本当に助かった。


「お前ら!!」

「ニーナ、動くな」


 落ちた矢を拾い上げて矢じりを確認した。

 何か塗ってあるな。


「……フグ毒だよ。掠れば死ぬ」

「そりゃおっかない」


 とはいえ弓手の腕に難ありだ。

 今のは外すべき所。

 事実として放った弓手が頭らしきフジツボ野郎に殴られていた。


「知ってるかい? ここは禁漁区なんだぜ」


 言ってやると野郎が汚い顔を歪めてこちらを睨み付けてくる。

 垢で顔面が覆われていて、歯なんざあちこち欠けてやがる。海賊でももうちょっとマトモにしてたけどなあ。


 所詮は海賊が居なくなったから出てきただけのチンピラか。


「それがどぉしたよ余所者が」

「っ、兄貴アイツ!」


 泰然ぶるフジツボ野郎へ、傍らに立っていた小男が俺を指差し何やら耳打ちした。

 途端、野郎の目の色が変わった。

 下卑た笑み、息が臭そうでたまらないねえ。


「っははは! なンだよそれならそうと教えてくれよ兄弟!! テメエあれか、噂ンなってる海賊狩りの奴か!!」

「どの噂かは知らないがな」

「隠すなよお! はン! ヴィンセントの隠し財宝抱えて舞い戻ったっていう金ズルじゃねえかよおッ!」


「兄貴ヤバいって!! アイツはギルド所属の冒険者だっ、しかもロンド=グラースといえばあのグランドシルバーだぞ!!」


 オイなんでそっちの話が出てくるんだよ。

 そういや港でも聞いたな。


「グぅランドシルバぁ? なンだよあの与太話かよ。腕が六本も生えるとかいう」

「そっちは知らねえが本当はもっとヤバい! 随分前に中原のギルドがスノーリーフの産地をシマにして独占したって話あったろ! 現地に居た連中は皆殺しッ、生き残りは見せしめとして今も生かしたまま殺され続けてるって!! その首謀者がアイツだ!!」


 まあ敢えて否定はせんが、皆殺しにされた奴らがどうして拷問受け続けてるんだ、否定はせんが。


「おいおい見ろよ、ちゃんとよお、しっかりよお! アイツの腕は二本しかねえんだぜえ?」

「だからあっ!!」


 小男の話を聞いていた他の連中までやや前のめりになっている。

 俺も聞いたことある、俺も、なんて……なんで悪党にそこまで名が売れているのか、と思ったが、なんとなく原因も分かって来たぞ。


「俺が聞いた話によるとよおっ、海賊を五十人も纏めてぶっ飛ばしたんだって!」

「人間を頭から齧り付いて食べちまうんだ!!」

「空も飛ぶって聞いたぜ!?」

「なんだよそりゃあっ、まるで詩に聞く大魔王だぜ!?」

「さっきだって何もない所から急に短剣取り出してきたんだっ、本当に何も持ってなかった筈なのに!」


 密漁者も吟遊詩人の詩って聞くんだな。


 少々呆れてきた所だが、すっかり怯えた様子の連中が視線を向けてきたので一人を指差してやった。


 俺は単にテメエを先にぶっ飛ばしてやるぞくらいのつもりだったんだが。


「うわあ!? なんだ! なんだよオイ! 俺はなんもやってねえよお!!!!」


 怯えか、勘違いか、逃げる様に海へ飛び込んだ奴はそのまま待機していただろうイルカなりサメなりに引き摺り込まれて戻ってこなかった。

 多分、適度な所で放り出されると思うんだが。


「…………消えた」


 見ていた密漁者からするとそうなるよな。

 連中もイルカだのサメだのは見ていた筈だが、今は冷静さを欠いている。


「戻ってこねえぞ!」

「何か影が見えたっ。そういやさっきから周辺がおかしいと思ってたんだ!!」


 と、何故か再び全員が一斉にこちらを見た。

 俺はちょいと悩んだが、まあ折角勝手に崩れてきてくれているので、手の平から本当に腕を生やしてやった。


 錬金術だ。


 近くで見れば金属製なのも造りが雑なのも丸分かりだろうが、距離があるからどうだろうな。


「う、腕だああああ!?」


 逃げた野郎が後ろを巻き込んで盛大に転ぶ。

 フジツボ野郎もすっかり顔を青くしてやがる。


 なので作った腕を手に持って振り回して見せたら、次々と海へ飛び込み始め、そのまま戻ってこなかった。

 船乗りの本能としての逃げ場なのかもしれないが、いい加減海は危ないって学びなよ。


 そうしてすっかり(勝手に)呑まれた密漁者達の背後で、海面を割って巨大な生き物が顔を出す。


 クジラだ。


 来る時も見たが、本当にデカい。

 あの子もニーナの友達だったりするんだろうか。


 水中から響く深く重い、聞き方によっては可愛らしいと言えなくもない、神秘的な鳴き声。


 そこへ向けて矢を放とうとしたクソ野郎へ、別方向から風の礫が叩き付けられた。続いて船へ飛び乗ったエレーナが怯え腰の密漁者達を次々海へ蹴り落としていく。

 どうにか立て直した一人が武器を構えて忍び寄るが、今度は海から飛び出してきた白と黒の謎生物……後ほど聞いたがペンギンというらしい、そいつらの一部が船上ですっ転び、密漁者もそれに足を取られて海へと落ちた。


「よしっ、攻めるぞ!! ニーナ!!」

「っ!? おう!!」


 エレーナとブリジットに負けてはいられない。

 水中から顔を出したサメくんに乗って、フジツボ野郎の乗る船へ乗り込み、俺達は密漁者を殲滅していった。

 数に勝っていようと、あんな弱腰じゃあどうにもならないよな。


 つーかメイリー、お前好き勝手盛り過ぎてないか。


 かつてクルアンから南方へ旅立った、今はギルマスと行動を共にしている筈の吟遊詩人へ向けて、心の中で一言文句を言っておいた。






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