水着回
昨夜宴会をやった砦の屋上から、子どもらの歓声を受けてエレーナが海へ飛び込んだ。
この《《宿》》は海上に作られていて、沖側は結構な深さがある。
そういう場所で度胸試しを始めるのは南国でも中原でも変わらないらしい。
俺も故郷じゃあよくやったなあ、なんて思いつつ、ラム酒を煽る。
昨日は冒険者同士の再会を祝しての宴会だったからエールが中心だった。ただ別な土地へ来たのなら、その土地の酒を愉しむのが旅の醍醐味だろう。
ここいらじゃあ原料となるサトウキビがよく育つ。
クルアンではエールこそが酒だ、なんて風潮もあるからラム酒はそうお目に掛かれないが、名前の通りのきび砂糖はあっちでも好まれている嗜好品だな。
またぞろイルカだの海の生物が寄って来て、砦の周りは随分と賑やかだ。
そんな中、屋上の縁に座って酒を煽る野郎共の声が聞こえてきた。
「俺は今、奴に付いてきて良かったと心の底から感動している」
「あぁっ、本当にな。あんなに可愛い子達がいっぱい、あられもない姿を堂々と晒して水の中でくんずほぐれず」
「心が洗われるようだ。冒険者の行きつく場所っていうのはこういう事だったんだな」
厠から戻って来た一人が身を縮めたまま縁に腰掛けて。
「……俺は今日死んでもいいのかもしれない」
「どうした」
「見ちまった」
「なにを?」
あぁ、と涙を流した。
「はは。見ていれば分かるさ。そうさ、俺なんぞが語るまでもねえ」
何かと思って沖側を覗いてみたら、水練着……こっちでは水着でいいらしい、そいつに身を包んだリディアが下の破損場所から出て来て脇の岩場に腰掛けた。
ちらりとこちらを向いて、視線が合う。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』
酒が進む様でなによりだ。
かく言う俺も下は水着に着替えていて、上にシャツを一枚羽織っているだけ。
色々あったばかりだからな、先日アルメイダパーティとはギルド支部で顔を合わせ、今後の予定についても話し合ったが、まずは南国を満喫させて貰うことにした。
『これでようやくウチの神官も戦力になるってもんだ。ここしばらく何やっても上の空で、そっちに回してやれば良かったと頭を抱えていたくらいでな』
相当に心配を掛けたらしいトゥエリからは色々とお言葉を頂戴したが、どうにか持ち直した彼女は今、張り切って南国でのクエストに邁進中だ。
と、下から登ってくる騒がしさに目を向ける。
階段から飛び出してきた水着姿のエレーナが、石造りの床を水浸しにしながら俺へ駆け寄ってくる。
「おじさん! お酒ばっかり飲んでないで遊ぼうよっ! ニーナがさっ、すごいんだよお!」
太陽もかくやという明るさで、にっ! と笑う彼女に俺も重い腰を上げた。
酒は飲んだが、ふらついてはいない。
今日はどの道後で市場へ顔を出すつもりだったからな。
南国の食材はどれも面白いし、ハイフリスでしか味わえない新鮮な海産物ってのも改めて味わってみたかった。
「よし。じゃあ俺も行くか」
「どこ行くのおじさん?」
上着を脱いで階段下へ向かおうとしたら、不思議そうな顔で引き留められる。
にやりと笑ったエレーナが屋上の縁を指差す。
なるほどな。
「最っ高の飛び込み台があるんだからっ、まずはそこから行かないと!」
「分かった分かった。引っ張るな。おお、改めて見ると結構高いな」
仮にも砦だから階層ごとの天井は高く、ここは屋上だ。
「……びびったぁ?」
煽りを覚えた殴り神官の頬を摘まんでやって、俺は縁の塀へよじ登った。
「おおおおおおおおおおおい!! いくぞおおおおおお!!」
声を掛けると下で遊んでた連中が距離を取った。
真下に居ると危ないからな。
「お前らも、老成してねえで泳ぎに来いよ。泳げねえ奴は教わればいい。下の美女達によ」
俺は飲んだくれてる野郎共にも声を掛け、砦の屋上から飛び降りた。
高所からの落下による圧倒的な浮遊感の後、深く雄大な、別世界とも言うべき海の中へと没し、勢いが止まった所でサメと目が合った。
※ ※ ※
悪戯が成功したクソガキ共に笑われながら、一先ず俺は岩場へよじ登って息をついた。
「あはははは!! ごめんごめーん! でも大丈夫だよ。この子、今はお腹減ってないからってさ!」
生物を愛し、生物に愛されると称されたニーナがサメの背に乗って近くへやってくる。
分かるんだが心臓に悪い。
「それにしても冒険者って凄いねぇ。他の客なら泣き叫んで逃げちゃうのにさっ、大慌てで飛び出して来て『皆逃げろォ』だもんさあっ」
「危険を察したらそうするんだよ。というか……本当に食べられないんだよな?」
「へーきだよお。この子、こぉんなちっちゃい頃から知ってるし」
「けど腹減ってたら食べるだろ……」
「そりゃあね。私だって魚や獣を食べるよ。友達だけど、無暗に傷付けたり、殺したりはしないけど、生きているなら食べないと」
なんとも達観した言葉だ。
共に生きるが、奪いもする。
そうだな。
生きるのなら、食わなきゃいかん。
「おうロンド。さっきは随分な慌てぶりだったなあ」
破損場所から出てきた野郎共、その筆頭である長鼻が水着姿で言う。
いささか酒臭いが、ここらは波も穏やかだし、大丈夫か?
「はははっ、ニゲロー、ニゲローってなあ」
「流石はリーダー! いずれギルドを背負う器だぜえ」
「で、お前ら。飛び込むのは止めにしたのか?」
上で煽ってやった時には前かがみになってやがった癖に、ガキ共が下で待ち構えてると知って階段降りてきやがった。
新たに屋上から飛び込んでくるエレーナを見つつ、
「そりゃああれだ。俺は盗賊だからな。慎重な立ち回りってのが身に沁みついてんのさ……ってオイ何だお前ら持ち上げるんじゃねえ!?」
悪い顔したおじさん達に、小人族の長鼻が首根っこを掴まれ海へと放り投げられる。
「わあああああ!? だめっ、俺泳げないからあ!? だっ、あああ!?」
「はははは! いい眺めだなあおい!」
「さりげなく良い位置確保しようとしやがって、邪魔なんだよォ!」
「おうよ! 陛下のお膝元は俺が貰――――オイここで離反はないだろっ、おい何するやめろおお!?」
「さ、サメだああああああああああ!?」
「きゃああああああ!?」
「食われるうううううう!?」
醜い争いは悪戯娘の嗾けたオトモダチによって仲裁され、奴らは仲間同士助け合いこそが大切なんだってことをガキ共から笑われながら実感し始めた。
なんだ長鼻、必死になれば泳げるじゃねえか。
賑やかな海を眺めつつ、ようやくの一息。
そこへころころと笑う声が降って来て、俺は岩場の上に居るリディアを仰いだ。
「眩しい光景だ」
とくに下からだと脚が良い。
「……いつも色々見てる癖に」
他に誰も居ないから、小声で応じてきた。
俺は長鼻がサメに小突かれて宙を舞っているのを眺めつつ。
「水着姿だとまた格別なんだよ。酒も肴で変わるだろ」
「私お酒扱いなんだ」
「最高の美酒だって言ってる」
「へー」
そっぽを向かれてしまったが、頬がちょっと赤らんでいたから及第点は貰えたらしい。
少しだけ大きな波が足元を濡らして、潮風に目を細めた。
この、海の湿りを帯びた風はこの地域独特のものだ。
空は青く、雲はデカい。
そこに広がる大海原があるってんだから、泳ぐのが楽しくなるよな。
「泳ぐか?」
「……ううん」
なるほど。
「泳げないか」
ぷい、と戻って来た視線が明後日の方向を向く。
にやりと笑った。
「おおおおい!! こっちにも泳げない奴が居るぞおお!! お前らちょっと手伝ってくれえええ!!」
「わっ、え!? 何言ってるのロンドくんっ!? だ、だめ、無理無理無理っ」
「水着着ておいて今更だろ」
「それはだってぇ……っ、出発前にロンドくんが見たいって言ってたからぁ……!」
その一言で俺は感無量。
だが、それとこれとは別なんだ。
詰めかけた子どもらによってリディアは海へ連れ去られ、扇動するニーナらによって大歓迎を受けた。
クルアンじゃあお前に遠慮したり気後れしたりする奴が圧倒的だろうけどな、ここの連中には関係無い。
揉みくちゃにされ、悲鳴をあげる女王陛下の姿に、周りで遊んでた奴らが目を丸くしたり、笑ったりしていた。
そして屋上から落下してくるエレーナ。
「あっははははははははは!!!! きゃああああああああ!!!!」
お前、ハマったんだな。
※ ※ ※
市場ではニーナから聞いた通り、水着姿で闊歩する連中がそこそこ居た。
ハイフリスは昔から有名な場所で、クルアンを経由して聖都からも人が来る。
開放的な南国で肌を晒したくなるのは貴族も同じらしい。こちらの連中も商売になるのなら何にでも飛び付くし、結構凝り性が多くて水着一つ取っても色々あった。
「向こうよりこっちで買った方が良かったんじゃないか?」
ハイフリスからの交易品だったらしいが、聞いていた値段の十分の一だ。
「ここいらはまだ高い方だよ。奥のこじんまりとした店へ行けば、地元の人向けの商店があるからさあ」
市場を案内してくれているニーナは普段着のまま。
というか彼女は水着に着替えることもなく海へ飛び込んでいたから、やっぱり水遊びをする観光者向けのものなんだろうな。俺も故郷じゃあ下着一枚で遊んでたもんだし。
「ああでもっ、こっちの方が品ぞろえは良いし、物も結構しっかりしてるよ?」
「あぁ。おすすめの店で買えば、幾らかお前の懐に入るって仕組みだろう?」
「えへへー。いっぱい買ってね!」
こうも快活に言われちゃあ乗ってやるしかない。
そもそも詳しくないから案内を頼んでいるんだ、ニーナが居ようと居まいと値段が変わらないのなら、彼女らに金が転がり込む方が気分も良い。
それはそれとして値切るけどな。
「ねえおじさんっ、あっちは屋台があるみたいだよ!」
「ねえリーダーっ、そっちの出店、可愛い装飾品いっぱいだよ!」
右からエレーナ、左からブリジット。
なんとも微笑ましい光景だが意見が分かれた。
敢えて何も言わず見ていると、エレーナが回り込んで後ろからブリジットの肩を掴んだ。
「よし! それじゃあ最初は装飾品からっ!」
「いいの? エレーナ姉」
「いいよ! まだそんなにお腹空いてないからさっ。それより何か買ってあげよっか?」
「やったー! エレーナ姉最高!! もう好き! だぁい好き!!」
「ふふぅん!」
甘え上手とお姉さんぶりたいオトシゴロ。
いい組み合わせなのかな。
思っていたら左右から腕を取られ、笑顔の少女が二人で意味ありげに見てくる。
「沢山見て回ったらお腹すきそうだからさっ」
「南国のお洒落なお店、見てみたいなあリーダーっ」
「……皆には内緒だぞ?」
「やったーっ!」
「リーダー最高!!」
それから市場を見て周り、幾らかの買い付けをして砦に送って貰い、ニーナおすすめの豪華なお店とやらで昼食を愉しんだ。
酒も美味く、料理も美味い。
特になんだ、この酢を効かせた辛味のある魚料理、実に酒が進む。
この地方独特なものがしっかりある一方で、クルアンからやってくる冒険者向けにあちらのものも豊富に揃っている。
料理や酒然り、市場の物品然り。
前に来た時はクエストやらに夢中だったし、あまり金も無かったからここまでどっしり遊びまわったりしなかった。
「どお? ハイフリスの港町には何でも揃ってるでしょお?」
食後の酒を愉しんでいたら、得意満面のニーナが快活に聞いてくる。
「あぁ堪能させて貰った。冒険者が次々ここを第二の生の地にするのも分かるよ。ラッセル爺さんもすっかり馴染んでたみたいだしな」
俺達は揃って頷き、ゆったりと背もたれに身を預ける。
南国の潮風、新鮮な魚料理、気候は年中温暖だってんだから文句も無い。
ただ、と。
にこやかな会話の中でふと漏れ出す。
「ずっとこんな観光してたいなって思うけど、やっぱり私ら冒険者だからねえっ」
ちょいと鼻の伸びたブリジットにエレーナも頷いた。
「すっごく楽しい! だけど冒険もしなきゃね。クルアンも凄かった、昔行った聖都も、故郷に居たんじゃ考えられないような凄さだった。勿論ハイフリスも凄い。行く先みーんな面白いものばっかりで、もっともっと、色んな場所を見てみたいなあって思う!」
「うんうんっ、やっぱり次は魔境だよエレーナ姉! あの子の見せてくれたさあっ、塔とか三角のよくわかんない奴っ! あれ近くで見てみたいなあ!」
呆けた様子のニーナに二人が詰め寄り、今まで見た景色をここぞとばかりに語り始める。
迷宮の地底湖、中層の溶岩地帯、北域での寒く枯れた土地。
あるいは絶海の孤島で出会ったチーターや海賊の秘宝。
カーバンクルについては口にしなかったものの、魔境を一望出来る巨壁の存在にニーナは身を震わせた。
「私…………」
何かを言おうとした。
だが、
「っ!?」
店のテラス席から立ち上がり、ニーナが海を睨み付ける。
なんだと見てみたが分からない。
「ごめんっ! ちょっと行ってくる!!」
切羽詰まった様子に問いを投げる。
「なにがあったっ」
「密漁者だ!! 禁漁の海域を荒らしてる!!」
あっという間にニーナの姿は見えなくなり、俺達は勘定を店へ叩きつけ、その後を追った。