星空の願い
「英雄の帰還だああああああああああああああああああ!!」
派手に打ち鳴らされる鐘の音と、諸手を挙げて歓迎する人々。
船の到着を今か今かと待ち受けていただろう者達が、海軍らの用意した通路の外で口々に叫びを挙げていた。
クルアンから南下し、割れた一枚岩の間を抜け、港町から船で内海を南下。
かつてトロール帝国があったともされるそこを抜ければ、出口の中央に座す軍島と共に見渡す限りの大海原を拝める。
本来なら砂漠のある陸地を右手に見ながら進むものを、今回ばかりは特殊な例として東方の幽海付近まで大きく迂回。
遠洋ではあれほど激しかった波も、陸地付近では海が比較的浅くて穏やかだ。
深度が大きく変わる場所は凄かったけどな。
南方の楽園、冒険者達の行きつく場所。
港町ハイフリス。
赤土色の家々の他に、クルアンで見慣れた建築様式の家もあり、木々の豊かな場所にひっそりと神殿も建っている。
南と中原、その文化が交わる場所だ。
「悪いね皆っ! 一番乗りは貰ったよおっ!」
帆船から桟橋へ伸ばすランプを待ちもせず、ニーナがそのまま海へ飛び込んで陸地へ上がる。
沖で見たイルカ達まで寄って来て、中々に愉快な光景だ。
集まっていた大衆を前にニーナは両腕を広げて堂々と宣言した。
「さあご登場だ! 内海で大暴れしていた海賊達を千切っては投げ、千切っては投げ! 遂に壊滅へと追い込んだクルアンの冒険者達!! 不幸にも敵首領の罠によって恐るべき幽海にまで流されていたリーダーが、不屈の精神と共に現世へと帰還したのさァ!! 名をロンド=グラース!! 英雄ロンドのご帰還だああああああああ!!」
ドッ、と沸き立つ声と声。
熱狂も時に重さを得る。
そいつをぶつけられて縮こまってるようじゃあ、名を売る冒険者なんぞやってはいられない。
既に下船の準備は整っている。
しっかり礼装に着替えていたエレオノーラを伴いながら桟橋へ降り立ち、後ろに皆が続いているのを感じながら歓声を受け止める。
伸ばしてきた手にこちらの手を合わせ、歩みは止めず挨拶や質問にも応じていく。
あれがグランドシルバー……、なんて声もあって、なんで広まってるんだよと言いたくなったが我慢しておいた。
折角の祭り気分だ、誤解をどうにかするのも、海軍や海賊狩り連中の奮戦についても追々広めていくとしよう。
それにしても英雄か。
ただ船から落っこちて、島で死に掛けながら生きていただけなんだがな。
「そうさあっ、絶海の孤島で私とリーダー二人っきり! 倒れた私をあの人が懸命に支えてくれたんだあっ!! あはははは!」
もう一人の英雄は嬉しそうに島での経験を話しているが、あんまり捕まっていると財宝目当ての商人達から明日になっても離して貰えなくなる。
察したプリエラが適当な所で袖を掴み、連行して来た。
ブリジットもまだまだ若い方だが、小人族の彼女がやると妹が姉へ甘えてるみたいにも見えるんだよなあ。言わないけどさ。
再び背後で大きな歓声。
摘んであった金銀財宝を、荷運び連中が船から降ろし始めたんだ。
思わずって様子で見えてる財宝へ伸びた手を、グスタフを始め護衛の奴らが丁寧に叩き落していく。
それまでは眉唾だった噂が確信に変わった瞬間だ。
海軍の記録に拠れば、かなり昔に南方での奴隷解放の為に立ち上がった、英雄的海賊の男である可能性が高いんだとか。
話をくれた南方諸国連合の海軍には、財宝の一部をしっかりと贈呈してある。
事が海賊騒ぎから派生したものとはいえ、プリエラからもかなり世話になっていたと聞いたしな。
景気の良さは分け合うもんだ。
おかげで港の混乱も連中の仕込みで難なく通り抜けていけた。
逗留先も警護してくれるってんで、しばらくは盗みを心配しなくていい。
「それでニーナ、お前の言う最高の宿ってのは何処なんだ?」
赤土を踏んで、潮に果物の香りが混じった風を浴びつつ、二階の窓から手を振ってくる少年へ拳を掲げる。
早速俺の渡した金で果物商からあれこれ買い込み、皆へかごを回していたニーナが戻って来て言う。
「ふふん。見たら驚くよ。ウチはハイフリスでも一番豪華で最高の宿なんだからっ」
※ ※ ※
街はずれの海上に佇む小さな砦。
石橋の向こうにある《《宿》》は、そうとしか言いようのないものだった。
「どう!? すっごいでしょおっ!! ウチの爺さんが買い取って改造してる、二つとない宿だよっ!」
砦の上部、見張り塔と思しき場所からこちらを確認した小僧が合図を送り、跳ね橋を降ろし始める。
橋の入り口には手製の看板と、植え付けただろう花々。
なるほど砦とはいえ、ちゃんと宿らしく飾り付けているんだな。
鳴き声に目をやれば、そう遠くも無い位置にある海面からイルカが顔を覗かせていた。
「やあっ、さっきはありがとねえっ。先に入ってていいよお!」
ニーナが声を送ると、イルカ達はまた一鳴きして海中へ潜っていく。
先に入ってろ、とはなんだ?
「ここは昔、人狩りをしていた海賊から身を守るために作られた砦なの」
石橋の先、扉も兼ねた跳ね橋の設置を確かめていたニーナが戻ってくる。
「最後には侵入されちゃったけど、当時ここを守ってた人達が奮戦して海賊の頭を捕まえたんだー。街中まで被害を受けちゃって、今じゃあここが街はずれになっちゃったけどね」
そこかしこに残っている痕跡はそのせいか。
普通なら孤児や貧民の住処になっていそうだったが、そういう気配も無かった。
なんて思っていたら、砦の中から出るわ出るわ子ども達。
いらっしゃい、なんて言ってくるが、もしかしてコイツらが従業員か?
「あははは! 仕事はしっかりやるよ。下手な大人達より働き者だって、市場じゃあ有名なんだからっ!」
にしても本当に子どもばっかりだ。
いや、さっき爺さんがどうとか言っていたから、誰か責任者みたいなのが居る筈だが。
「おいロンド」
後ろからプリエラの声がした。
珍しく動揺じみた震えがある。
そしてその理由にもすぐ辿り着いた。
杖を手に、子どもの介添えを受けながら表へ出てきた老爺。
すっかり禿げ上がり、老いさらばえて、けれど目には冒険心が宿っている。
ここハイフリスはやがて冒険者の行きつく場所とも言われていて、豊かな土地と温暖な気候を求めて、クルアンで財を成して引退した冒険者が余生を過ごす為に流れてくる。
港にもソイツらの顔は山ほどあった。
爺さん婆さん、あるいは結構若いのまで。
どこかで見た様な連中さ。
元冒険者なら、海賊の秘宝なんていう話に心が躍らないでいられるか?
「いらっしゃい、ロンド。それにプリエラも……あぁ、久しいなあお前達よお」
しゃがれた声はかつてとは違う。
けれど響きに覚えはあって。
「久しぶりだなァ、ラッセル!!」
「おいクソジジイ! まぁだ生きてやがったか!!」
かつて同じパーティで活動していた俺とプリエラが、もう骨ばっかりになりつつある爺さんを二人で抱き締める。
「ははははっ、まだまだ死ねん! 人生は冒険だ。生きている限り、積み重ねる日々の中にも冒すべきものがあるものさあ」
ラッセル=スタンネット。
かつて、俺とプリエラ、そしてルークの所属していたパーティの、リーダーだった男だよ。
※ ※ ※
「再会に!」
「乾杯!!」
「乾杯!!!!」
砦の屋上で星空を眺めながらエールを煽る。
こんな痛快なことがあるか。
「ははははっ、ラッセルお前それで、本当に城買っちまう奴があるかよお!」
絨毯の上で胡坐を掻きながら、上機嫌なプリエラがあっという間に酒を飲み干し、小僧の一人が新しいものを注いでくる。
赤ら顔のラッセルも負けじと樽杯を傾け、酒臭い息で大笑い。
「城の主になるってのはなァ、男の夢さあ!!」
「ははっ。だからってこんな南の地に来てまで叶えるかねえっ」
「何言っとるんだロンドっ、冒険者を辞めたからといって、心にはまだまだ翼が生えておる……! 俺は俺なりに冒険を続けているんだよお!」
結果、小さいとはいえハイフリスの町で管理していたオンボロ砦を買い取り、周辺の孤児達を引き取って育てているとはな。
そりゃあ《《大した冒険》》だよ。
「爺さんっ、酒足りなくなってきたから買い付けに言ってくる!」
「ははっ、だから言ったろう! コイツらの飲みっぷりは竜さながらさぁ! 祝いに樽一つじゃ到底足りんとなあ!」
駆けていくニーナを見て俺は立ち上がった。
流石にこの夜中を少女一人は危なっかしい。
と、酒でふら付いた所でラッセルがエールを煽って笑った。
「問題無い。ここいらの生き物はみーんなあの子の味方さ。餓えた野犬まで腹を見せて転がるほどでなあ」
そういえば、というか、最初に出会った時もイルカに乗って海を越えて来てたな。
この砦の下部、かつての戦闘でぶち破られた大穴によって、海面付近の階層は海に浸かっている。表から出てくるかと思えば、その穴からまたイルカを連れて出発するのが見えた。
あれじゃあ彼女に付いていける者はいない。
樽杯のエールを眺めつつ、ラッセルはしゃがれた声で言った。
「ニーナは特別さ。あの子は自然を愛し、自然に愛されている。まさしく、天性の狩人。俺がここで見付けた……こんな所で終わっちゃいけない、本物の冒険者になれる子だ」
引退の原因となった、左足の傷口を擦りながら。
まだまだ冒険者の目をしている……かつてそうではなかった男が、出来る限りの動きで姿勢を正し、頭を下げた。
「なあロンドよ。プリエラよ。良かったら、あの子をお前らのパーティに加えてやってくれんか。俺はあの子に自分の夢を持って欲しい。このままじゃあ、あの子は一生俺に囚われちまうんだ」
ラッセルは言った。
彼女、ニーナはかつて奴隷だったと。
撲滅された筈の奴隷売買は、未だにこの土地に根付いていて、陽の光から隠れた場所で闇から闇へ子どもらを金に換えていると。
引退した冒険者の行きつく場所。
巨大な財が流れ込み、老いも若きも商人達がせめぎ合い、賑わう港町。
けれどその影では、子ども達という犠牲者が確かに居るのだと。
「あの子は、偶然助けただけの俺に恩義を感じ、ずっと介護をしてくれていた。それはありがたい。だがなぁ……あの子の才を、こんな俺なんぞに使い潰して欲しくないんだ。頼む。俺はあの子の、この子らの鎖にはなりたくない」
真っ直ぐな瞳でこちらを見詰め。
「人は、自由であるべきなんだ」
再び、深々と頭を下げた。