宝
単純なもので、腹が満たされると気力が湧いて来た。
それと、何だかんだと自分が冷静さを欠いていたことに気付かされた。
食べるモノが無い無いと歩き回っていた場所のすぐ近くに、ハーブ類が群生していたし、生姜やイチジクなども案外入手しやすい場所に自生していた。
特にタイムはありがたかった。
鹿肉と合わせるのに最高の香草だし、煮出したタイムティーは下痢の症状が出ているブリジットに良く効いた。
良い食事、それによって得られる充足感、何よりまだ食料があるという感覚は焦りを大きく緩和してくれる。
我ながら情けない。
ブリジットの手前、気を張り続けていたからか、自分の状態すら把握し切れていなかったんだからな。
「よし。竹で作った水筒も十分な量が確保出来た」
「この背負い子っていうのもいい感じでしょっ」
「あぁ、意外と手先が器用だったんだな、ブリジットは」
「意外ってなにさあ。市場で見掛けた欲しいものを自作するのは、冒険者の嗜みじゃん?」
鹿肉の燻製も終え、幾らかの資材と一緒に二人で背負い、拠点を後にする。
確かに食料が得られて、視野が広がったことでここの利点も見えてきた。
だが改めて、一帯が猛獣の住処に成っている事も分かった。最寄りの海岸にも鮫がうろついているし、島の利点を何も生かせていないのは結構な欠点だ。
加えて、ここしばらく横になっていることの多かったブリジットが齎した情報もある。
「それじゃあそろそろ行こっか。きっと南側なら鳥が一杯捕れるからさっ」
俺達が今日まで拠点としてきた北側は、比較的地形が大人しい。
十分厄介なんだが、南側は輪をかけて険しい山が見えていて、どうやらその一帯へ野鳥群が頻繁に出入りしているんだとか。
倒れていても情報を集め、次へ繋げようとする。
実に良い判断だ。
そういう執念深さは良い冒険者の証だよ。
諦めた者から死んでいく。
どうにもならない状況はあるとしても、人は結構、迫りくる死を感じると自分で足を止めてしまうものだから。
ブリジットは良い冒険者になれる。
「この先、今まで以上にお前を頼りにさせて貰う。頼むぜ、魔術師」
「はいはーいっ。しっかり盾にさせて貰うから、そのつもりでねぇ」
上等だ。
二人手を打ち合わせて、新天地へと旅立った。
そうして置き去りにされた拠点で、白いアネモネの花が咲いていることには気付かないまま。
※ ※ ※
本当に、最初はどうなることかと思った。
見渡す限り陸地は見えず、狼煙をあげても反応は無し。
手に入った猛獣の肉は不味いの一言で、中々良い食料には巡り合えず。
空振りを続ける罠と、浜辺にたむろする鮫の群れ、そして黒い獣。
閉塞感があったのは確かだ。
だが肉を食った。
たったそれだけでいいんだと感じさせられた。
食う。
単純だが、本当に大切なもの。
今日を繋ぎ、明日へ向かう為の力の源。
俺達は生きているんだから。
取り戻した元気に冗談を混ぜ込み、湿気たっぷりな雨上がり後の密林を抜けて、辿り着いた。
高い高い岩山の向こう側。
数えきれないほどの鳥が巣を作り、群れを成している岩場の、更に先を見て……俺達はつい呆けてしまった。
「……………………海賊船だ」
「あぁ、しかも……相当に古いな」
入り江の浜辺にぽつんと、ドクロを掲げた船が鎮座していた。
※ ※ ※
満潮になると半ばまで浸水するらしい。
フジツボや絡んだ海藻に気味の悪さを覚えつつ、二人で船内へ踏み入っていく。
これは沈没船、と言って良いのか……少なくとも船底には穴が開いていて航海には使えそうになかった。
浜辺に座礁し、鳥の楽園と化していたそこは、踏み込むだけで床の軋む状態ではあったが。
「乗客はこの一人だけか」
おそらくは船長室。
すっかり古ぼけていて、格子窓から入り込んだ鳥の巣と化していたが、かろうじて人骨が形を維持していた。
触ればきっと簡単に崩れてしまうだろう。
「……多分、日誌なんだろうけど」
「無理そう。めくった先から崩れるよコレ」
羊皮紙は何年持つんだったか。
それだってちゃんと管理されていての話だから、雨風に晒された状態なら推して知るべし、か。
折角の記録を見られないってのは残念だ。
まあ、日記を覗くのも悪趣味ってことで納得しておこう。
「リーダー何か知らないの?」
「生憎と海賊についてはさっぱりだな。とはいえ、状況から察するにこの入り江は海賊の隠れ家になっていたんだと思う」
見覚えのある植物があったのも、この骸骨さんが持ち込んだものだろう。
食べかすや便、飼育している獣でも居たならそいつらが隠した種とか、広がる理由は幾らでもある。
絶海の孤島、そしておそらくだが幽海と呼ばれている海の最果てに程近い立地。
確かにお尋ね者が隠れるには最高の環境だな。
「よし。ちょっとコレ持っててくれ」
「ん、どうするの?」
「…………コイツが何をやってきたか、何を望んでいるかは分からないけどさ、死んでまで座りっぱなしなのも疲れるだろ」
服を脱いで、丁寧に骨を乗せていく。
形を維持したままであれば良かったんだが、そこはちょいと大目に見てくれ。
おそらくは船長、つまりは海賊の頭だったんだろう奴の遺骨を抱え、草地のある場所まで連れて行って埋めた。
もしかしたら、あの船長室にずっと居たかったのかもしれないけどな、そろそろ崩れて海に流されそうだったから。
すまねえな。
などと、名も知らぬ海賊の墓を作ってやって、そろそろ鳥の一匹も捕獲して食事にしようかと岩場を見上げた時だ。
一斉に、無数とも言える鳥達が飛び上がった。
ブリジットが声をあげる。
「チーター!?」
「知ってるのか」
岩場に黒い影がある。
しなやかなさを感じる四足歩行の獣。
ただ、その肉体から確かに感じる魔の気配。
「南のさっ、サバンナって所に居る獣だよっ、図鑑で見たことある!」
「生憎と魔物に変じてるみたいだがな……」
「っ、だよねぇ……! 実際のは黄色? なんかもっと明るい感じだって書いてたのにっ、真っ黒だよ!?」
元々そういう毛並みだったのか、魔物化の過程で変色したか。
いやそんなことよりも。
「……追ってきたのか」
小鹿を入手した日、遠巻きながら対面したのはおそらくコイツだ。
あの時は威嚇して追い払ったが。
獣の中には一度獲物と定めた対象へ、過剰な程の執着をする個体も居ると聞く。鹿か、俺か、なんであれ肉を欲して来たのであれば。
「戦闘準備!!」
預けていたパイクを握り込む。
ブリジットが荷物を放り捨てて魔術の準備を始める。
久しぶりの思考だ。
今日までしばらく、戦うというより生存に殆どを割り振っていた。
緊張は薄い。
疲労はあるが、食事をたっぷり摂っているから気力も十分。
やるなら。
やるぞ。
黒いチーターが岩場に足を掛けて飛び降りてくる。
本当にしなやかな動き。
人間じゃあどう足掻いても真似出来ない。
まさしく、走る為に生まれてきた様な美しさを感じる。
ソイツが――――着地と同時に影へ沈んだ。
「っ、ブリジット!」
「はい!」
密着する。
全方位への警戒。
上も、下も、例外は無い。
そうして意識を拡張する俺達をゆるやかに一瞥しながら、影へ潜ったチーターはあっさりと姿を現した。
回り込む動きを追って行けば、そのまま作ったばかりの墓へと行きつく。
しばし、睨み合い。
チーターは墓へ寄り添うようにして身を伏せた。
「えっと……」
ブリジットが警戒を緩めるも、一応は距離を取る事にした。
ノールやカーバンクルの一件で魔物がそのまま人間を襲うとは限らないと学んだが、だからといってそれらしい動きに騙される危険は残ってる。
ただ、
『にゃあ』
と、あまりにも良く聞く鳴き声でチーターは何かを訴え、墓の匂いを嗅いだ。
『にゃあ』
いや、うん。
警戒だ警戒。
なんて身構える俺を差し置いてブリジットはすっかり頬が緩んでいる。
あのな、魔物って言うのは基本的に人間を襲うものなんだ。だから安易に構えを解くのは危険だし、一部には人間を油断させて狩りに来る奴だって居るのを忘れちゃあいけなくてだな。
『にゃあ?』
はい。
もういいよ。
どうすりゃいいんだよ。
ここしばらく俺の常識から外れ過ぎる魔物が多くて困ってるんだよ。
あぁせめてここにティアリーヌが居れば、猫同士なにか通じ合えるかと思うのになあ、今遭難中だしなあ。
「もしかして船長さんの飼ってた子とかじゃないの?」
「あの船、何十年前のだと思う?」
「一応魔物って長生きするのもいるよね」
「否定はしない」
というか俺もソレ考えてた。
とりあえず悩んだ末、鹿の足を一本近くに置いて、下がることにした。
火を入れてあるが、人間との暮らしに慣れているのなら……なんて考えをあっさり肯定するみたいにチーターは立ち上がって鹿肉へ齧り付いた。
が、そのまま食事は続けず、齧り付いたままこちらに背を向けた。
ちらり、と振り返ってくる。
見送っていたら少し歩いて、肉を落とし、
『にゃあ』
咥え直し、また歩き出し、ちらり。
「分かった。うん、付いていくから、分かったから」
正直言ってちょっと可愛かった。
※ ※ ※
連れてこられたのは入り江を囲う岩山の根本、そこに出来ていた洞窟だ。
島の内側から流れ込む川を遡る形になっていて、明らかに真新しい人工物が散見された。
所々開いている天井から光が差し込むおかげで日中は活動に支障がないだろう。
その癖、しっかりと拠点としての形が出来ているから、身を休めるにはちょうど良いが。
「ここ、明らかにあの海賊の住処だよな」
座礁している方じゃない。
俺達を襲った、遭難の原因となった海賊達だ。
思えば敵の魔術師が海流を操って脱走を試みた所に巻き込まれたんだから、俺達が同じ場所へ流れ着くのも納得出来る話か。
ただ、明らかに人の気配はなかった。
「あっ、お酒あるよっ! リーダーっ!」
「そいつは素晴らしい話だ。でかしたぞブリジット」
連中はしっかり皆が捕えてくれたのか、逃げる途中で海の藻屑となったのか。
ともあれチーターからの心象は良くなかった様子で、俺達を案内しながらもそこらの椅子を蹴り倒していった。
落ちてる湾刀になんて小便掛けていったくらいでな。
「そうかそうか。お前もあのクソ海賊は嫌いなんだねぇ」
すっかり心を許して背中を撫でるブリジット。
チーターも気にした様子はなく、時折俺を振り返りながら洞窟の奥へと進んでいく。
次第に人工物が無くなり、光も届かなくなると、流石に二の足を踏んだ。
「ブリジット」
「松明なら任せて」
警戒しろって言ったんだが、はっきり伝えるべきだったか。
ただこのチーター、どこか人の言葉を理解している様な素振りがあるんだよな。
こちらを見る目には確かな理性を感じる。
ノール達ともまた違う、むしろ、彼女らよりもずっと優れた知能があるようにも見えるんだが。
川の音も聞こえなくなった洞窟の奥。
細い道、低い道を辿った先。
あの海賊船の船長と共に生きていたかもしれない、影に潜む魔物から案内されて辿り着いた。
もしかしたら洞窟の利用者達も気付いていなかった、隠し場所に。
「こいつぁ…………っ」
「ひゃあああああああああああああああ!?」
財宝が、あった。
まさしく、そうとしか呼べない様な山盛りの金銀財宝。
つい、冗談だろうって笑っちまった。なんたって凄い量だ。全部積め込めばウチの拠点の広間くらいは埋め尽くせそうで。
あの海賊はいったい何者だったんだ。
仲間もおらず、たった一人で最期を迎えて。
いや、一匹と共に、なのか?
その財宝を背に、チーターはこちらを見据えてくる。
言葉はなく、けれど何かを訴えてくる。
そいつの答えは遠からずやって来た。
※ ※ ※
洞窟へ入ってくる複数名の海賊達。
口々に疲れただの、ようやく撒けただのと文句を重ねているが、足取りは軽い。
この場所に慣れ切っている者特有の気楽さ。
危険があるだなんて考えもしていない。
先ほどの隠し場所にまで一度戻り、俺はチーターへ訪ねた。
「アイツらをどうにかしたいんだな」
頷いてきた。
本当に人の言葉が分かっているらしい。
だとして、何故俺達を信用してくれたのか……って問うのはむしろ失礼か。
あの船長を休ませてやった。
墓場に寄り添い、身を伏せた様を見るに、やっぱりお前は。
「連中をどうにかしたのなら、この財宝を貰っていい、ってことか?」
チーターは積んであった腕輪を咥え、こちらへ放って来た。
「ははっ、前報酬ってことか? いいよ、後からで十分だ」
死んだ主人、あるいは友を悼んで何十年、ずっとここで生きてきた。
いつからかは分からないが、そんな場所へ土足で入り込んで来た海賊らが居て、奴らが好き放題やっているとなれば。
同じ海賊とはいっても、昔は脱走奴隷達の寄り合い所帯だったって話も聞く。
奴隷商売はクルアン周辺じゃあ聞かないが、西側だと未だに続けてる所もあるくらいだしな。
幾らか、好意的に見ようとしているのは否めない。
だが、まあやっぱり、好きなんだよな。
「あの墓の主を静かに眠らせてやりたいんだな?」
『にゃあ』
「あぁ。俺達はここに居付くつもりはない。事が終わったら出て行くよ」
俺だって吟遊詩人の詩に憧れてきた。
主人の為、友の為、何十年もこの地を守り続けてきた奴が居るってんなら、好き放題暴れて奴隷売買にまで手を付けてるクソ共の掃除くらい、喜んで手伝ってやるよ。
さてそれじゃあ、まずは連中に気持ち良くなってもらうとしようかねえ。