拠点決めと最初の夜
遠くの海を嵐が通過していく。
絶海の孤島に流され、パーティメンバーのブリジットと共に島内を探し始めて半時ほど、程好い高台を見付けて周辺を探っていた時の事だった。
「反対側もだよー、リーダー?」
幾分固さの抜けつつある声を聞きながら振り返ると、彼女が指し示す先にまた随分と派手な雲が出来上がっていた。
陽の動きを見るに、あちらが南で俺の見ていた方が北だろう。
南北を別々の嵐が通り過ぎていくのを見ながら、東の空を見る。
「ここはもしかしたら、幽海って呼ばれてる所か、その近くなのかもな」
「え、なにそれ?」
眼下の森で鳥が羽ばたくのを目に留めつつ、
「魔境の南方にある大海の事だ。昔から船で迷い込んだら生きては出られないと言われてる所でな」
クルアンではさほど興味を持たれない話だ。
すぐ東に魔境があって、そこへ挑戦した者達の話題には事欠かないが、幽海ってのはいつも同じだからな。
「常に嵐が吹き荒れ、上手く晴れた時に滑り込んでも、外からは見えない霧に包まれて行き先を見失う。波の高さなんてクルアンの城壁の何倍にもなるって話だ。そこにクラーケンなんかの巨大生物まで生息してるってんだから、ちょいと観光して戻ろうって訳にもいかない」
「へぇ……あれ? 生きて出られないなら、なんでそんな話分かってるの?」
「幽海へ挑戦したとされる船が、何十年も経ってからこっちに流されてくる事があるんだよ。船の者は皆白骨化、残された手記のおかげで中の恐ろしさが知れ渡り、また船にあった金品を持ち出した者は悉くが呪いによって死んだと言われている」
南方にはその手の幽霊船が流れ着く岸辺があって、俺も昔遠巻きに見せられて怯えたよ。なんというか、海の絡んだ場所ってのは独特な臭気を放つし、見慣れない奇妙な生き物まで居るから不気味なんだよなぁ。
「そっか。そうだよね……魔境の先へ行くなら、陸だけじゃなくて海からだって行けるのに」
「海の方が恐ろし過ぎて誰も近寄らない。前進も後退もないから、南へやって来た冒険者をちょいと怯えさせる小話程度の扱いになってるのが現状さ」
「うぅん。そうなるとちょっとヤバくないですー? 私ら、クラーケンに食べられちゃったりしない?」
「島に居る分には平気なんじゃないか? あぁ、助けに来た連中が襲われると困るな」
それだよっ、とブリジットは言うが、現状打つ手が無いのも確かだ。
一先ず島へ流れ着く時には出てこなかった。
次に海へ潜るなら、探してみてもいいかもな。
「因みに北側を見てみろ。いいものを見付けた」
「えっ、なになに!?」
無遠慮に寄り掛かってくるのを支えてやりつつ、北に見える丘を指差した。
ここより少し高い程度の場所だが、剥き出しとなった岩地を流れ落ちるものがある。
「滝だあっ。え? じゃああそこなら水たっぷりじゃない!? さっすがリーダー!」
手を高々と掲げたブリジットへ、俺も右手を打ち合わせて現地へ向かった。
※ ※ ※
荒れ狂う海みたいな地形をどうにか越えたと思ったら、胸元までくる藪を切り拓き、最後には岩場を登って辿り着いた。
「どうだー。湧き水は見付かったかあ」
「あったよおおっ」
最後の大岩を越え、改めて高台の景色を眺めた。
多少は木々や草地が見えるものの、概ね岩場と言って差し支えない。
長い時間を掛けて降り積もっただろう土壌で花が揺れているのも見える。
獣や鳥の姿はない。
もっと探せば違うのかもしれないが、少なくともあの藪を獣は抜けてこないだろう。
浜辺で猛獣に襲われたことを考えるなら、この立地は中々に良さそうだ。
問題点は吹き曝しになることと、その原因である嵐か。
アレが来るか来ないかでかなり変わってくる。
「ほらコレっ」
まずはブリジットの元へ行って湧き水を確認した。
小さな崖があって、その層の隙間から結構な勢いで水が出てきているらしい。
そいつが流れ落ちた先には小さな泉が出来ており、溢れた水が崖側へと落ちていく。俺達が見たのはそれだろう。
「飲んでみたか?」
「まだです」
「よし」
俺が飲むことにした。
湧き水だからといって全面的に信用出来ないのは、多少なりとも迷宮へ潜ったことのある冒険者なら知っていることだ。
ヘルワームの卵を胃袋へ納めれば、数日後に腹を食い破られちまうからな。
それでも試してみない事には始まらない。
結構な勢いで出てくる湧き水を掬い上げて口に含む。
美味い。ほんのりと甘みを感じる、柔らかな水だ。
飲み込んでみた。
「……どう?」
「とりあえず、様子を見させてくれ。まだ水筒の水は残ってるな?」
「うん」
ならしばらくは周辺の散策だな。
ここを拠点と出来るなら、改めて浜辺に置いて来た燻製肉を取りに行きたい。
パイクを立てかけて湧き水で顔を洗う。
そこまでの気温じゃないが、歩き回って流石に汗も出た。
拭くものがないから服の裾をめくり上げて顔を拭っていたら、ブリジットが何か言いたげにこちらを見ていた。
ふむ。
「肌を磨くくらいなら平気だろ。見ててやるから、そこで好きに水浴びしてなさい」
「っ、やったあ! じゃなくて見ちゃ駄目じゃん!? えっちだリーダーっ!」
男はみんなえっちなんだよ。
仕方ないので背を向けて、周辺の探索へ向かうことにした。
ところが、ブリジットの脱ぎ捨てた服が飛んできて、汗の匂いたっぷりなソイツが頭に乗る。
得意げに笑う声を背に感じながら少し考える。
全力で走り出した。
「あーっ、駄目ぇーっ!? なんで!? なんで持ったまま逃げるのーっ!!」
「いや、くれたのかと思って」
「そんな訳ないよねえ!? あっ、ごめん、ごめんなさーいっ! ちょっと調子に乗っておちょくっただけじゃんかあ!?」
仕方ないなと振り返ったら裸のブリジットが居て、勢い任せに俺の服が剥ぎ取られ、彼女の服が渇くまで俺は半裸で過ごすことになった。
うん、まあ、去っていく可愛らしい尻に免じてこのくらいで許してやろう。
「変態だあ、リーダー」
振り返った全裸少女に俺は大いに頷いた。
男は皆変態なんだよ。
※ ※ ※
分かった事が幾つかある。
まずこの高台は比較的安全そうだということ。
周囲に獣の巣は無く、侵入経路も空を除けば見当たらない。藪ってのは結構獣の侵入を阻んでくれる。あれだけ濃密なら小柄なのも避けて歩くだろう。一応補強することも視野に入れつつ、ここを拠点と定めることにした。
次に、高台には食料が無い。
ベリーなんかも見当たらなかった。
水はあれど、都合良く人間サマ向けの植物は生えていない。
食料を求めるならここから出て、獣を狩るなり食料の群生地を見付けないといけないってことだ。
そしてこの島は結構広い。
クルアンの町が丸々入るくらいはある。
殆どが森で、高台からなら浜辺も見通せるが、南側は結構な高さの岩場があり、どうなっているかは分からない。
半日掛けて見付けた拠点に浜辺から肉を回収してきて、更には多少の木材も集めた。
まずは火だ。
「魔術師が居るってのは便利だなぁ」
「はいはーい。着火しまーす」
ブリジットが軽く指を鳴らし、組んだ薪に火を付ける。
こんな状況じゃあ火打石を見付けるのだって楽じゃないから、本当に助かるよ。
「今日からずっと、この火を絶やさない様にしよう。俺達が浜辺で叫んでいるより、ずっと遠くまで届く筈だからな」
言って拾ってきた獣のフンを放り込む。
ブリジットが『うわっ』と言って鼻を抑えるが、これが狼煙ってもんだ。
普通の煙じゃ結構簡単に見えなくなる。
フンを混ぜれば臭いも凄いが、煙も濃くなって高くまで登っていってくれる。
「拠点まで流れてこないよね……」
「一応風向きを確認した上で、一段高い場所を選んでるだろ」
まあ一時的に臭ってくることはあるかもしれんが。
「これからも探索中に見付けたフンは回収しておいてくれ。もっと良いのが見付かれば別なんだが、一番手軽だからな」
俺達の目的はここで生き続けることじゃない。
島を出て、仲間と合流する事だ。
捜索ってのは初期が一番真剣にやって貰える。
時間が経つほどに必要となってくるのは、やる気よりも根気だ。
悪いって意味じゃなくて、最初期から積極的に居場所を報せることで、より発見して貰い易くなるくらいに考えると良い。
「私、お兄ちゃん達と綺麗な石なら集めたことあるけど、動物のフンを集めろって言われたのは初めてだよ」
「おっ? 初めてか? ならフンの形から、どんな獣のものかくらいは覚えておくといい。ソイツに適した罠を仕掛けることも、餌場にしている場所を探し出す手がかりにもなるからな」
「男の子ってう〇ち好きだよねぇ」
「あぁ、ガキの時分なら、その言葉だけでしばらく笑っていられた気がするな」
因みに今焚き火に放り込んでいるのは鹿のフンだ。
肉食獣のものなら比べ物にならないくらい臭くなる。
罠、明日にでも掛かっていたらいいんだが。
「よし、これだけ積んでおけば半日くらいは持つだろ。早めに寝床を整えないと、岩の上で寝る事になるぞ」
初日の進捗としてはこんな程度。
拠点が決まったものの屋根はなく、仕留めた獣の肉で数日は持つだろうとは思う。だがこの状況がいつまで続くかも分からないのなら、偏った食事で体調を崩すのは避けるべきだ。
狼煙とは別に、寝床の前で火を起こす。
寝床といっても葉を重ねただけの雑なもの。
二人並んで火を眺めながら、他に誰も居ないのかもしれない島で迎えた最初の夜。
それが更けていっても、ブリジットは眠らず俺と会話をしたがった。
途切れてもすぐに何か話題を持ってくる。
そうやって体力が尽きるまで話し続けて、眠ったのは夜明け付近になってからだった。
倒れ込んできたブリジットを受け止め、頭を撫でる。
大丈夫。
俺が付いている。
魔法の言葉みたいに呟いて、そのまま起きるまで、俺は彼女をあやし続けた。