時の彼方より
注目が集まっていた。
海賊狩りの討伐隊やら、船が出せずに暇している漁師や船乗りやら、この港町に集まってる連中の中でも俺達は異質だからな。
日がな一日素潜りを繰り返していた謎の一団が、今度は岩を登り始めたんだ。
何が起こっているんだい、と気さくな奴らが尋ねに来る。
長耳長寿の女が辛辣な言葉を叩きつけ、連中は笑って去っていく。
なんとも懐が深い。
俺なら嫌味の一つくらいは言いたくなるね。
脚で登れる分だけ登り、そこから先は登攀だ。
道具なんざない。
最悪、下でルークが受け止めてくれるし、回復してくれるエレオノーラも居る。
思い付きで始めた事だが実に大変で疲れた。
俺も結構素潜りしてたからな、呪いが溜まってるのかもしれん。
登攀は根気の要る作業だ。
長く登れたと思ったら、行ける先が無くて引き返すこともある。
そもそも上まで続いているかすら不明だしな。
岩の突起やへこみに手足を掛けて、身体を支え、風が来ればじっと耐え、痛む指先を堪えて先へ進む。
幸いこの手の事は得意だ。
登攀ってより、黙々と、淡々と、出来る事を繰り返していく事が、だ。
長話しててもしょうがねえ。
そこらの砦よりも遥かに高い大岩を、俺は登り切った。
身を投げ出し、息を整え、痛む節々を揉んで。
改めて大岩の上を見て見たら、なんとも緑豊かで笑っちまった。
降り積もった砂と土。
あるいはそこに巣を作ってる連中の糞や死骸。
そういった物の上に雨が降り、時間を掛けて土壌になる。
五百年か。
流石に木が根付けるほどじゃないが、なにやら綺麗な花まで咲いていやがる。
そいつを目に焼き付けた後、改めて海へ振り返った。
「はぁぁぁぁぁぁ……………………でっかいなあ!!」
はははっ、こりゃ最高の景色だ。
※ ※ ※
たっぷり長めに持ってきた縄を下へ降ろすと、用意してあった縄梯子を先へ結び、合図を送ってくる。
船が出せず腐っていた商人から、シシリーが言い値で買い取って来た奴だ。
ゼルディスのパーティに所属しているだけあって、金回りがいいらしい。
二度目に杭と槌、あと要求した水と食料。
飲み食いして一休みしてから縄梯子を杭で固定し、ようやく連中があがって来た。
「……こんな風になってるんですね。っ、あ、凄い…………海、広いなぁ……っ」
我がパーティメンバーの素直なことよ。
「さあ行くわよ。ぐずぐずしないで」
対してシシリーの感動の無さ。
いや焦ってるのか。
数日進展の無かったことに、結果が出るかはどうあれ、新展開が起きてるんだからな。
「おつかれさます、ロンドさん」
エレオノーラから手指を回復して貰いつつ、ルークへ視線で示した。
「あっちのお嬢さんを見てやっててくれ。俺達もすぐ追い掛ける」
ただ流石に疲れた。
座り込んでいたら、エレオノーラが肩を揉んでくれて、素直にありがたかった。
血の巡りが良くなって、疲労の溜まった筋肉からコリが流れていくのを感じる。
「もう少しお休みになりますか?」
「そうだな。一眠りでもしたい所だ」
「では、どうぞ」
ぽん、と正座した神官が膝を叩いてくる。
いや、それは。
「どうぞ」
ぽんぽん。
「流石に良くないんじゃないかな」
「いえ、どうぞ」
ぽんぽんぽん。
何故かキリっとした表情で言われるから、つい受け入れそうになるけどさ、やっぱり仲間との適切な距離感って大切だと思う。
第一俺は相手の居る身だからな、勘弁してくれ。
「駄目ですか……?」
何故断ってる俺が言われるのか。
あぁくそ、なんか罪悪感が湧いて来た。
言葉を選んでいたら、エレオノーラはすっかり萎んでしまった。
「分かった。分かったからそんな顔するな。けどこの事は内緒にして貰っていいですか」
「はい。どうぞお使い下さい」
再びキリリとした表情に戻った神官の膝枕で、俺はしばし体力を回復させることにした。
実際、結構心地良かった。
※ ※ ※
結論から言うと、宝物庫は見付からなかった。
行ける範囲は駆け回って探してみたんだが、クルアンの側を一望できる所まで行ってもそれらしい場所は見付からず、俺達は陽の暮れ始めた港町を呆然と眺める。
流石にルークも言葉が無い。
あれだけ探し回った海側も駄目、当然上流も駄目、最後に見い出した大岩の上からの道も駄目。
そもそも見付けたという宝物庫の話が妄想だったのか。
五百年か、長いよな。
当時を生きていた奴ですら記憶が曖昧になるほどだ。
「ありがとね」
遠く眼下の潮騒を聞きながら、殊勝な声でシシリーが言った。
「今回こそはって思ったんだけど、やっぱり駄目だったな」
言葉の意味を正確には理解できない。
何が駄目だったのか、何を求めていたのか。
やり切って落ち込んで、疲れのままの呟きだ。
問い掛けた所で答えはないだろう。
「まあでも、良い景色じゃない。ホント、ずっと昔からあるの知ってて、登ろうって思った事無かった。ありがとね」
「ん、おう」
素直過ぎてやり辛いな。
なんて思っていたら、シシリーの方でもそう思ったのか、表情を挑発的に歪めて言葉を投げてくる。
「この私に感謝されるなんて、スヅェール朝時代の民衆が聞いたら涙流して大喜びするものよ」
「はいはい。ありがたくて……ふわ、っ、…………欠伸が出るわ」
「これだからニンゲンは」
「これだからナガミミは」
「ふん」
「へっ」
まあ、このくらいがちょうど良いか。
ただ思った。
寿命が大きく違っていても、この景色は同じく良いものだって思えるんだな。
なんだ、割と普通じゃねえか、お前らも。
「ん、おおっ、アンタら!」
しばらくダラダラとやっていたら、赤ら顔の爺さんが縄梯子を登ってやって来た。
「ほぉ……!! 絶景じゃあっ、っはは! こりゃいいもん見れたわい!! おーい!! 大丈夫だぞおおっ、ちゃんと生きとるー!」
どうやら心配掛けたらしい。
そういえば結構な時間、こっちで探し回ってたからな。
なんて思っていたら爺さんが下の連中を呼び込み始めて、次々と人が登ってくる。
「すっげえええええ!!」
「ああっ、良い景色だ!」
「へえ、岩の上ってこうなってたんだなあ!!」
「アンタら凄いよっ、こんな場所、今まで誰も登った事無かったろうさ!!」
随分と賑やかになっちまって。
シシリーが黙っているものの、流石にこれは。
うん、と頷いて俺は叫んだ。
「おおい! 人ばっかで酒もないのかよっ!! 折角登って来たんだっ、ここでちょいと宴でもやろうじゃねえか!!」
爺様が手を叩いた。
「っはは!! アンタ良い事言いおるなァ! おおおおいっっ、酒だああ!! それと料理たらふく持って上がってこおおおおい!! おい婆さん!! 酒だっつってんだろお!!」
叫びが早いか、若いのが大喜びで降りていく。
しばらくしたら、縄で引っ張り上げてきた酒と料理で大宴会が始まった。
「乾杯!!」
「乾杯!!」
「っしゃあ飲め飲めっ、今日は儂の奢りだあ!!」
「爺さんに乾杯!!」
「はははっ、どケチのジジイが今日は妙に太っ腹だぜ!」
「文句言うなら飲むんじゃねえ! 使う時には使うんだよお!!」
飲めや歌えや。
ルークの酌でシシリーもようやく酒宴へ加わり、俺もエレオノーラも有り難くご相伴に預かった。
良い景色。
気の良い飲み仲間。
まあ、宝物庫は見付からなかったけど、良いものは手に入ったんじゃねえのか。
「どうぞ」
「おう、ありがとう」
一献貰って、西側から差し込む強烈な光によって焼かれていく、広大な景色を眺めた。
内海の西側、岩場と峻険な山脈に囲まれているのは砂漠地帯だ。どこかにオアシスっていう水場があるそうだが、ここからは見えない。
対し、東側は森に覆われた魔境。
突き出された岬の上に、何かの獣の姿を見た。
更に南へ視線を投げれば、長い内海の向こうに船が見えた。
もうそろそろ港へ繋がないと危ない時間だ。港の方じゃあ灯台に火が入り、景気良く光を放っている。
宴会場の岩上にも既に篝火が焚かれている。
祭り好きな連中なのか、実に用意が良い。
「……――――」
飲んだ酒の美味いことよ。
そっと一息ついて、意識を酒宴へ戻す。
ちょうど芸事の披露が始まっていて、最初に登って来た爺さんからせがまれて、婆さんが古い詩を始めた所だった。
『ひぃとりぼっちのおみみさま きょうもあなたは塔のうえ
こっちへおいでよ遊びましょ もっこにほったにゆーらんに
ひぃとりぼっちのおみみさま わらっておくれよ遊びましょ』
シシリーが立ち上がったのを見た。
婆さんの周りには結構な人が集まっている。
その後ろで、じっとその童歌に聞き入った。
『わらってくれたよおみみさま みんなで遊ぼうゆーらんよ
たのしくわらってまたあした なのに泣いてるおみみさま
ひぃとりぼっちのおみみさま いつまでたってもわかいまま』
長耳長寿ってのは数が少ない。
俺も、他に二人を知っているくらいだ。
片方は面識と言って良いほどの関係もない。
もう一人だって。
昔もそうだったんだろうか。
『ひぃとりぼっちのおみみさま ひぃとりぼっちのおみみさま
あなたのおうちはたかいとこ とどかんてぇてをふりまして
ひぃとりぼっちのおみみさま おそらをながめてさようなら』
なんとも物悲しい歌だな。
結局おみみさまってのが一人ぼっちで終わるのか。
詠い終えた婆さんは、意外な程しっかりした動きで立ち上がり、シシリーを見た。
「あんたぁ、おみみさまじゃねえ?」
「え? あ……うん」
それが今でいう長耳の呼称なのか。
「この歌はずっとずっと昔から伝えられてきたものなんさ。あんたみたいな人を見付けたら、謡い聞かせてやってくれと、私の婆さんの婆さんの婆さんの、ずっと前の婆さんから言われて来たのさ」
港を好きに探させてくれていたのは、暇だったから、だけではないのかもしれない。
思えばあちこちで、この港町の者はシシリーに優しかった。
失恋したから、って話が広まったからと思い込んでいたが、あの店主、良い人だったしな。言いふらす様には見えなかったし、広まり方が早過ぎた。
婆さんの前で、その何倍も生きてきただろうシシリーは、不思議と見た目相応に幼く見えた。
「あんたぁ歌の人かは分からないんだけどもさ、私らぁ伝えてきたよ。ずぅぅっと昔、あんたみたいな人をひぃとりぼっちにしちまった人らがさ、ごめんよって、今度会ったら楽しく笑おうって、伝えたいんだって言われて来た。この町のもんは皆、支え合って生きてるのさ。ひぃとりぼっちなんて誰も居ないようにさ」
婆さんはくしゃりと笑って、泣き出したシシリーを抱き締めた。
わああ、と。
焦がれていく景色の中で、千年以上を生きるとされる女は声をあげ続けた。
「一緒に、歌を作らんけ? 続きの歌。私らぁずっと、この悲しい終わりの続きを作りたかったんだ」