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草原を駆ける

 朝日の昇り始めたクルアンの町を、弾んだ息で駆けてくる少女が居る。

 グランドーレ子爵という、聖都ではやり手だったらしい貴族の娘で、やり手過ぎたらしい彼が政争に敗れた際、共にこの町へ逃げてきた。

 その逃避行に参加しなかった母親は情夫とよろしくやっていて、それ以前に家を飛び出していた兄貴は神殿へ入り神殿騎士なんぞをやっている。

 一応神姫アウローラに侍っている辺り、兄貴も兄貴で優秀なんだろうな。


 十五歳の少女が抱えるには重すぎる背景を持つ彼女の心境は、どれだけ考えても足りないくらい複雑だろう。


 冬の始めに父親と喧嘩をし、家出をして、今では週に一度戻って親子の時間を作っている。


 なにもかもこれから。

 これからの子だ。


「はっ、はっ、はっ、はっ、っ…………センセーっ!」


 なだらかな坂道を駆け上がってきた少女、マリエッタが息を切らせながら俺を呼ぶ。

 片手を挙げて、大きく振りながら。

「おう」

 なんでもない事なのに、応じた俺を見て嬉しくなったのか、楽しくなったのか、もう片方の腕まで振りあげ飛び跳ね始めて。


「はあっ、っ、はぁぁっ……! 走り切りました!!」


 直前で足がもつれて転んでしまうのを、進み出て受け止めた。


「わあっ! ふふっ、センセイ……んんん~~っ!」


 走るのも、喜ぶのも、甘えるのも、力一杯な彼女の頭をくしゃりと撫でる。

 大きく深呼吸をして息を整えようとするけど、身体全体を使い切って走った為か、ぐったりとしていた。


「立てるか?」

「んん、もうちょっと」


 休む時は全力で。

 俺が教えたことだ。


 ちゃんと全部覚えて、やる度に思い出しては実践しようとする。

 教える側としちゃあこの上なく楽しくなる相手さ。それだけに半端なことを教えられないと、考える事も増えた。


 センセイと彼女は俺を呼ぶ。


 そいつに足るものを、今必死に身に着けている所でな。


「センセイ」

「おう」

「この坂道、初めて一気に駆け上がれましたっ」

「見てたぞ。やったな」


 長さは少しあるが、高度差は犬一匹分程度。

 多分、彼女の半分の歳の子でも一息で駆け抜けていける程度のものだ。

 そこを下から上まで。


 生まれつき身体が弱く、碌に運動もさせず、身体に合わない肉ばかり食わせられてきたマリエッタ。そこに父親なりの、貴族社会で生きていける子をという想いがあったことは否定しないけど、やっぱりチクハグで。

 俺自身、正しい道を示せているのかどうかをいつも考えながら。

 今日も彼女の成長を見守っている。


「はいっ! やりました!」


 センセイ、としてな。


    ※   ※   ※


 クルアンには酒場も多いが、朝は屋台が一番だ。

 冒険者のみならず、日の出と共に活動を始める者が多い中、簡単な食事や手頃な保存食など、適当に引っ掴んでいけるのはありがたい。


「あむ……………………、おいしいですっ」

「そいつぁ良かった」


 屋台で買った朝食を、二人木陰の長椅子へ腰掛けて食べる。

 クルアンの町は拡張を繰り返してきた場所だから、街中の妙な所に小規模な森があったりする。そこは町民らの遊び場だったり、こうして食事や身体を休める所になったりしている訳だ。

 どこぞの木工工房の職人が、長椅子なんぞを作って勝手に置いていたりもする。

 意匠を凝らし、工房の印を焼き付けておけば、こいつは素晴らしいと仕事が舞い込むこともあるらしい。


「センセイ一口どうぞっ」

「ん、ありがとう」


 差し出されたパイ包みを軽く齧る。

 ここで問題なのだが、普通に齧り付いてはいけない。

 マリエッタの一口と俺の一口は違い過ぎる。前に遠慮なくガブっといったら、驚いた後で悲しそうな顔をされちまった。


 食いしん坊のマリエッタにもう一つ買ってあげたら笑顔になってくれたので、そう気にする事でもないんだが。

 最近はもっとどうぞとしてくるから、見極めが難しい所だ。


「ほら、お返しだ」

「あーんっ」


 なんて、下らない事で悩める程度には気心も知れてきた、のかもな。

 マリエッタとしてもちょっと驚いただけだろうし。


「ん~~っ、センセイのも美味しいです!」


 ほっぺにパイ包みのカスが付いていたので、摘まんで取ってやった。


「んふふぅ……!」


 全力で休み、全力で食事も楽しみ、身体が落ち付いたらまた歩き出す。

 休むまではあんなにへとへとだったのに、浮き上がらんばかりの軽快な足取り。

 体力はまだまだだが、回復が早いのは戦士を目指す上での利点だろうな。


 広場を抜けて真っ直ぐいけば、市壁へとぶち当たる。

 暇そうに欠伸なんぞしている守備隊を壁上に見つつ、やや雑多な印象のある裏道を歩いて行った。

 石壁の表面を手で撫でつつ歩くマリエッタは、そこらに積んである編み籠にすら興味を持って、アレはなんでしょうコレはどういう意味があるんですかと聞いてくる。

 すると、知っているつもりでも良く分かっていなかったものに気付いて、近くで休んでいた爺様に講釈を願う。


 マリエッタはどこへいっても好かれた。

 素直だしな。

 言ったことを真に受け過ぎて、おちょくってた奴まで最後には諸手を挙げて降参した程だ。


 最後に顔見知りの冒険者仲間と軽く挨拶を交わしつつ、市壁を抜けた。


「わぁ…………っっ!!」


 すっかり雪の解けた、東門の先。

 遠く森や山、岩場なんぞも見えるが、クルアン周辺は草原が広がっている。


 前の遠征時にはマリエッタは留守番だったからな。

 皆の見た景色を見たかったと嘆いていた。


「あのお山の所までセンセイ達は行ったのですよねっ!」


 彼女の指差した先を一緒に見て、頷く。


「あぁそうだ。あの辺りに二箇所、谷間になっている場所があってな。俺達が行ったのは南側の砦で、ザルカの休日じゃあ最後まで魔境からの魔物を防いでくれた」

「すっごいです! とっても大きな、壁みたいな砦だったと聞きましたっ!」

「道を塞がないといけないからな。その先は岩場を降って、森と沼地を越えて、ずっとずっと向こうには」

「謎の遺跡です!」


 戻って以来、エレーナとか若いのが揃ってマリエッタに語って聞かせていたからな。

 いつからあるのか、どんな場所なのか、何故今は失われてしまったのか。

 実際に大きな廃都市を見てきたっていうプリエラの話を交えつつ、ここしばらくウチは魔境への関心が驚くほど高まっている。


「探しても資料は全く見つかりませんでしたっ。お父様は女王アーテルシアの崩御以来、技術や記録の喪失が著しいのだと仰ってましたし、もどかしいです!」

「分からないなら、知りたいのなら、行くしかない、冒険者なら。そうだろう?」

「~~っ、はい!」


 まだまだ体力に乏しい彼女は、両手を握って気合いを入れ直す。

 そうさ。

 その時について来れる体力が無ければ、抱えていくのも難しくなる。

 魔境での探索は俺も未経験だ。

 人死にの危険がある中、足手纏いとなる者を抱えてはいけない。


 お互い分かっているから、奮起するのさ。


「よし、もうちょっと頑張ってみるか?」

「はいっっっ!!」


 東の草原をのんびりと散歩しながら、生えている春の草花について教えてやる。

 錬金術師や薬士が欲しがるもの、料理の味付けに使えるもの、獣避けや罠にも有効なもの。

 途中、動物の足跡を見付けてしばらく追ってみたりもした。


 頭上を大鷲が飛び抜けていくのを見やり、ふっと視線を上げた所で彼女らに気付いた。


「おう。今帰りか?」


 しばらく待っていると、豆粒よりも小さかった二人がやって来て、俺とマリエッタをまじまじと見る。


 エレーナが進み出てきて。


「うん。おじさんはマリエッタと訓練中?」

「はいっ! センセイは凄いですっ、本より一杯のことを学べます!」

「だねーっ」

「はーい!」


 マリエッタと手を合わせてにこやかに笑う。

 実に楽しそうだが、やや後ろに立つティアリーヌは所在無さげだ。


 目が合ったので片手を挙げると、同じ様に返そうとして首を傾げ、両手を挙げてきた。


 もしかすると片手だと失礼だとか思ったのか。

 その結果両手なのか。


 妙な所で律儀なティアリーヌの返礼を受けた後、俺達は四人でクルアンへ戻る事にした。


 二人はパーティ活動の合間を縫って色々とクエストを受けているんだよな。

 主にシルバー相当の討伐系で、鼻の利くティアリーヌによる追跡と、神官であり前衛も可能なエレーナは相性が良い。


「そうだっ。ねえティアっ、この荷物任せてもいい?」


 壁を潜り、街中へと入ってすぐ。

 エレーナが唐突にそんなことを言い出した。


「え? うん」

「ギルドへの報告は私がやっとくからっ。ごめんねーっ、ちょっと行きたい所あるからさーっ!」


 そうして俺の脇腹を肘で小突いて、意味ありげな目を向けてくる。


 あぁ。


 前に話したティアリーヌとの関係を心配してくれてるんだな。


「それじゃあおじさんっ、マリエッタも! また後でねーっ!」


 身軽になった殴り神官は軽やかに通りを駆け抜けていって、見えなくなった。

 残された俺達の内、マリエッタは大きく手を振っていたが、ティアリーヌは手早く荷物を背負い直して「では」と言う。


 流石にここで逃したら後でエレーナから叱られる。


「ティアリーヌ」


 踏み出した足が止まった。


「良かったら、マリエッタの特訓に付き合ってくれないか? 荷物は俺が持つし、軽い散歩くらいなもんだ」

「あっ、私も持ちますっ!」

「……えっと」


 ティアリーヌはやや俯きがちに俺を見上げて来て、尻尾の先を彷徨わせる。

 大きな猫耳がピクリと動く。


「はい。あ、荷物は私が。駄目です。マリエッタ……私が持ってるから」

「そうですか? はいっ」


 寄って来たマリエッタを宥め、少し悩んで、彼女の頭に手を置いた。

 とろりと溶けるような笑みを浮かべる様に頬を緩め、ティアリーヌは恐る恐る撫で始めた。


 俄かに激しくなる尻尾の動きを目の端に留めつつ、二人の微笑まし気なやり取りに俺も満足し、頷いた。


「よし。そろそろ良い頃合いだし、昼食でも食べに行くか」


 びーん、とティアリーヌの尻尾が伸びた。


「俺が出してやる。美味い所だぞ」


 ぶんぶん。

 ぶんぶんぶんぶんぶんぶん。


「……ありがとうございます」

「ふふんっ、ありがとうございます! 楽しみです!」


 二人はまだ連れてってやったことが無いし、前にエレーナやレネとかフィオを連れて行った、下町の料理屋にするかねぇ。


 歩き出した所でマリエッタが俺の手を掴んできた。

 見ると、うっきうきの表情でティアリーヌの手も捕まえており、頭の上を通り越して見合った俺達が息を抜いて笑う。


「それっ」


 腕を引っ張って持ち上げてやると大喜び。

 ティアリーヌも同じ様に持ち上げて、次第に笑い声が混じっていく。


 本当はもっと小さい子を相手にやるようなもんだが、マリエッタは小柄だし、軽いからな。


「ふふふふっ、あはははははははは!! きゃああああっ!」


 ただ、ちょっとやり過ぎて笑い疲れちまったがな。





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