晴れやかな空の元、笑う君を見た。
いつも折り目正しく神官服を着込んでいるリディアだが、今日は一際気合が入っている。
冒険者として来ている為に化粧っ気は薄い。
里帰りの時に見落とした不覚はちゃんと修正した筈だ、多分な。
代わりというか、普段は身に付けない様な装飾品を数多く纏い、実はお前が神姫でしたというオチじゃないかと疑っていたくらいなんだが。
「いい? 分からなかったら無理に答えなくていいから。私がちゃんと答えるから、ロンドくんは困ったらこっちを見る。私はコレでも神殿には慣れてるし、大神官さんとも何度も話してるの。だから、不安を感じたらすぐ頼ってね?」
これから神姫アウローラとの面会だ。
「分かった。たださ、むしろお前が落ち付いたらどうなんだ。昨日からずっと同じこと言われてる気がするぞ」
リディアが神姫との顔合わせを手引きしてくれると言ったのは、アーテルシアの口付けが始まってしばらくの頃だった。マリエッタの一件が落ち付いて、三権認可制というギルド設立に必要らしい承認を得るべく、神殿側への繋ぎを頼んだ訳だ。
彼女はアダマンタイト級の神官で、自身も神姫候補として儀式を受けていた経歴がある。
だから、話自体は結構簡単に通ったらしいのだが。
「んー、ちょっと立ってみて?」
「おう」
襟元を弄り、裾を弄り、首を捻って髪型を調整してくる。
髪はお前に香油で撫で付けさせられたおかげで弄る必要もないと思うんだが。
「んんんんん~っ」
気合が入り過ぎているのか、余程心配なのか、未だに数日早生まれの自尊心を引き摺っているのか、さっきから随分と俺を引っ張りたがる。
頼んだのはこちらだし、確かに最近は子爵二人を相手取った経験があるとはいえ、リディアほどには慣れていない。
だから基本的には言われるままやってやろうとは思うんだけどな。
「ちょっと失礼」
首の角度を変えられて剃り残し確認が始まった。
アーチ形の白亜の天井を眺めながら、ちょっと冷たい指先の感触を顎元に味わう。
クルアンの町に聳え立つ神殿の上層に空中庭園があったなんて初めて知ったよ。そういえば飛翔転移の時にそれっぽいのを見た気もするが、意識はそっちに向いてなかったからな。
その空中庭園を擁するのがここ、神姫の逗留場所という話だ。
既に内部へ入らせて貰っており、冷やかしでやって来たプリエラ始めパーティの数名は下でのんびりお茶なんぞをいただいている。
基本は聖都で暮らしている癖に、稀にやってくるだけのクルアンにこんな場所を持っているとは。
改めて神姫っていうのは凄いんだなと適当な感心をする。
まあ一応神殿の一番偉い人、ということになっている筈だ。
実務面と象徴じゃあ乖離があるのは分かるから、まあ建前上はな。
リディアに首の角度を戻され、真剣な顔で俺の身嗜みを整えている様をのんびり眺める。
女の前で考えることじゃないが、本当にオーロラって似てるよな、リディアに。
しかも一回りは若い。
なんとなく、というか、どう考えてもつい最近お前そっくりな、一回りも若い女と会って少し絡みがあったんだけど何か知らないか…………なんて言える筈も無く、まだリディアには話せていない。
あれから打ち上げこそしたが、それ以来オーロラからの接触は無く、『月光』の活躍を時折耳にする程度。
仲良くなったら連絡先を教えてくれるって話だったのにな。
結局何者だったのかは分からず終いだ。
神官であるのは確かだが、リディアにも匹敵しそうなほどの冒険者ってのも聞いた覚えがない。
はてさて。
「うんっ。よし。うん」
うんうん言ってる女に意識を戻し、席に着こうとした。
やらせてるとまた最初から確認し直し始めるからな。
冬使うことを想定していないらしい部屋で待ち続けるのも飽きてきたが、ギルド設立という夢の為には我慢するしかない。
それにしても、神姫は何やってるんだろうな。
「あ、ちょっと待って」
座り掛けた俺を引っ張り、リディアが顔を近付けてくる。
多分、耳元か襟かに気になる事が出来たんだろうが、
「どーーん!! あっははははは!! ひっさしぶりーっ、ロ・ン・ド・くーん!!」
間が悪く誰かが入って来た。
真っ白で大仰な衣に身を包み、数名の従者を伴った、素っ頓狂な明るさを振り撒く女だ。
ただ、その女から見た俺達の姿勢はというと。
「っっ!? え!? あっ、お、お邪魔しましたーっ!?」
まあ口付けでもしているように見えるよな。
向かい合っているだけならともかく、変に屈んでたり、服掴んで引っ張られてたりするんだから。
喧しい女、オーロラは一度逃げ帰った後、再び戸口から顔を真っ赤にしてこちらを覗いてきて。
「あの…………どのくらい待ってればいいですか」
「言っておくが、お前が妄想しているようなことはない」
いつもやってるけど、今はやってない。
分かるな?
「そ、そーだよねーっ! いくら君でもそこまで自由じゃないよねっ!! あー驚いたァ! あっ、先に下で皆に会って来たよ? 話弾んじゃってさあ! 皆も一緒に来れば良かったのに、折角再会出来たんだしさあっ!」
「これから神姫と初面会なんだ。ぞろぞろと連れてくるのも悪いと思ってな。というか、お前は?」
問いを投げかけると、オーロラは少し考え込んで、また少し唸って、にやりと笑う。
慣れた足取りで部屋まで入って来て、俺の対面に立つ。
神殿騎士の一人が無言で彼女に椅子を引いた。
視線をリディアへ流す。
その混乱した表情を見る事で自分の混乱を落ち着かせ、うーんと唸って。
対面した二人、同時に笑う。
方や俺はやけくそ気味に。
方やオーロラは悪戯小娘らしいにやけ顔で。
「お初にお目にかかります。私は、冒険者ギルド『スカー』に所属している冒険者で、名をロンド=グラースと申します。本日は面会をお許しいただき、心よりの感謝を述べさせていただきます」
「うふふ。これはこれはご丁寧に。私は神姫アウローラ。本日は友人のリディア=クレイスティアより是非にと紹介したい方がいらっしゃると聞いて、とても楽しみにしてましたのよ。どうぞ気楽に為さって下さい」
やっぱりかよ、と思ったのを完全に笑顔で覆い隠し、無理矢理話を続けた。
無表情でオーロラ、いや神姫アウローラの背後に並ぶ神殿騎士から妙な圧を感じなくもない。
「痛み入ります。彼女とは同じギルドに所属する間柄でして」
「あらあ?」
「……なにか」
いいえ、と神姫は首を傾げ、未だ混乱中のリディアへ目を向けた。
不意打ちに弱いよな、お前。
「いいえ。彼女からは今回の面会に際し、並々ならぬ情熱を感じたもので、ついそのような関係だったのかと。ご本人も明言はしませんでしたが、妙にこう、察しろとばかりに言葉を尽くしてきたといいますか、そもそも左手の薬指に嵌まった指輪をこれみよがしに見せ付けてきたので、てっきり」
リディアさん?
俺が視線を向けると次なる波に呑み込まれた彼女は、一気に顔を赤くして叫んだ。
「だ、だってぇ……!?」
うん、分かるよ。分かるけどもさ。
誰かに見せびらかしたかったんだな。
普段は指輪を隠してあるし、冒険者同士じゃ後々が面倒になるし、噂なんざあっという間に広がっちまう。でも神姫なら滅多に冒険者と会ったりしないし、下世話な噂話の発信源としちゃ多くが首を捻る相手だ。
だからつい、やっちゃったんだね。
お前がゼルディスとか周囲の反応がおっかないって言うから黙ってるのにさ。
「そうだな」
でもまあ、俺も敢えてリディアとの関係を誤魔化すのは気が引けた。用意しておいた言葉を読み上げるのは楽なもんだがな。
「リディアの指に嵌まってる指輪は俺が渡したもんだよ」
「やっぱり!!」
「ロンドくん!?」
いやこの状況で言わないのもどうなんだ。
そもそもバラしたのお前だろうが。
そういう視線を向けると子どもみたいにしゅんとして椅子に腰を落とした。
と、同じく腰を落として話を聞く体制になっているアウローラの、背後に立つ男達もまた楽し気に笑っている事に気付いた。
この主にしてこの騎士あり、か。
脇で控えてる大神官らしい女は、少々疲れ気味の様子だが。
「よぉし、こうなったら洗いざらい吐いてやる。何から聞きたい?」
「二人の出会いからっ!! ひゃあっ、リディアに男が出来たなんてさっ、本当に、もう本っ当に最高だね!!」
勢い任せに豪語したが、多分一番話しちゃいけなさそうな所から攻められたので、この後ちょっと大変だった。
※ ※ ※
オーロラは神姫アウローラだった。
この事実には多少面食らったが、知った仲と分かれば気にすることは無い。
同じ釜を囲って食事を摂り、盃を交わして笑い倒した。
彼女の側が礼儀を求めてくるのなら流石に応じるがな。
「それでさっ、庭の倉庫へ逃げ込んで例の護符を張った後で言ったのっ! これでしばらくは大丈夫。だけど、外の人達は……もう…………、って!」
「あっははははは! エレーナお前、それで守備隊の半分以上は切り離したもんなァ! あんまりにも勢い任せに盛り上がってるから笑うの堪えんのが大変だったっ!!」
今は同行していたパーティメンバー達が空中庭園まで上がって来て、思い出話に華を咲かせている所だ。
リディアは少し離れた所でそれを見て、静かに笑っている。
オーロラを始め、彼女の側近らしい神殿騎士には真実を打ち明けたが、まだリディアとの関係は仲間にも言えていない。
今回の紹介だって、俺が一方的に頼み込んだって話してある。
リディア自身、どういう影響が出るのか分からないって不安がってるからな。
ウチのパーティも立ち上げてまだ一年未満。
恋愛事がパーティを割る話は冒険者界隈じゃ良く聞くんだ。
パーティ内の恋愛禁止は何も俺だけが掲げていたことじゃない。
外部で相手を作ることすら嫌がる層も居るしな。
妬みとかじゃなく、戦闘中に無関係な理由で気が逸れたり、急場で仲間を見捨てて逃げる奴なんてのも実際に居るもんだ。
俺がそうならないって保証はまだない。
今の所は上手く行ってるが、それでもな。
仲間に対して不誠実かとも思うが。
ただ、今俺の作った輪から少し離れた所に彼女は居る。
「結局、なんだっけ? 『ベリアル』ってとこのお爺さんは何しに来てたの?」
「あぁお前は倉庫で守備隊相手に大活劇中だったもんな。アイツ、ウチと一緒で子爵の倉庫から色々漁ってたぜ」
「便乗されちゃったかあ」
そういやあの爺さん、まだクルアンに残っているらしい。
盗賊女も一緒だ。
女の方は見事に騙されたことで赤くなったり青くなったりしていたそうだが、少なくともウチへ手を出してくる様子はない。
冒険者同士、騙し騙されも日常の内ってな。
喧嘩を売ってくるのなら今度こそ徹底的にやってやるつもりではいるさ。
「……それにしてもアリエルさんは絶対敵に回しちゃいけませんよね」
「あぁ、子爵の処置についちゃあこれからだけど、私らと入れ替わりに屋敷突入して盗品の証拠も押さえてたからな。しかもガッチガチに政治や法律周り固めてあるからもう逃げ場は無さそうだ」
「凄いなぁ、憧れちゃいます。あんなに格好良い人がギルドの受付嬢やってるなんて」
「興味があるならロンドに聞いてみな。詳しいぜ」
「えっ、それってどういうことですか!?」
ウチのカッパー勢に余計な事を吹き込むプリエラへ、こっちはこっちでテメエの恥ずかしい話は抑えてあるからなと脅し付けて黙らせた。
黙らせたが時すでに遅し、女集団に恋愛話はよく燃える。
どうっすかなぁ。
「ねえオーロラ! もう一度幻影見せてよーっ、あの時のすっごい奴! それか竜! ほら吟遊詩人の話くらい知ってるでしょう!?」
「駄目だよーっ、神殿内で幻影使ったら滅茶苦茶怒られるんだからっ!」
言いつつエレーナからせがまれると『仕方ないなぁ』とニヤ付いて、小さな幻影を作り出した。
詩に聞く緑竜、そいつを想像で描いて、浮かび上がらせる。
実に胸の躍るものだった。
もしガキの頃なら嬉々として武器を抜いて、竜討伐ごっこでも始めたことだろう。
「今回は、ウチのお姫様に突き合わせてしまい、申し訳ありませんでした」
しばらくはしゃいで、少し離れた所で涼んでいたら、神殿騎士の一人が寄って来た。
なるほど、と先走った予想をする。
「もしかして、マリエッタの兄貴か」
「…………はいっ」
良い顔して笑いやがる。
首元を抜けていく冬の風に身体の熱を預けつつ、ゆったりと空中庭園の様子を眺めた。
「この冬は随分と、アンタに振り回されたような気がするよ」
神殿前広場で戦う俺を見たというマリエッタ。彼女が俺を突き止められたのも、盛りに盛った英雄譚を語ってくれたのも、この兄貴の仕業だ。
だからマリエッタは俺をユスタークに指名させた。
そして、おそらく神姫も同様に。
「私自身はそこまで考えていませんでしたよ」
「助かったよって話さ。将来有望な冒険者を一人と、神姫からの信認を得られた。流石に完全初対面じゃ、腹の探り合いから始まっただろうからな」
オーロラがあんなにもあっさり俺に気付き、気を許してくれたのもリディアの惚気だけが原因じゃないだろう。
しっかりとした背景を持つ人物からの言葉があってこそだ。
「今度マリエッタも連れてくるよ。まだこの寒さの中じゃ、神殿まで歩いては来れなかったからな」
出来ればユスタークも、とはまだ言わなかった。
反目した父子が、無理矢理な対面をさせられても意地が邪魔をする。
そこは追々だな。
「はい。ありがとうございます」
庭の中央で笑いが弾けた。
オーロラが呼んで、兄貴は駆けていく。
その輪の向こう側。
リディアが賑やかな連中を眺めながら、手で口元を隠すでもなく笑っていた。
脚なんて揺らしてみたり。
「おーいっ、そんな所でサボってないで、何か冒険譚を聞かせてよ! 信認してやっただろう、リーダーさーん?」
エレーナと肩寄せ合って、オーロラが俺を呼ぶ。
それに応えて再び輪の中へ戻っていった。
そうだな。
折角だから、とびっきりの冒険譚を。
へっぽこ神官と地底湖へ落下し、リザードマンと追いかけっこをした話でもしてやろうか。
俺達は夜遅くまで語り合い、笑い合った。
神姫への捧げものである葡萄酒が入ってからは、尚更にぎやかに。
俺と。
仲間達と。
リディアも一緒に。
アウローラ編、完。
次はティアリーヌ編。