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下調べという名の

 綺麗に剃り上げられた顎を擦りつつ息を落とす。

 ここは貴族街手前の喫茶店という奴で、かつて悪魔の飲み物と呼ばれた珈琲を提供している老舗だ。

 魔境から持ち帰られ、主に南方で発展した飲み物だが、最近では食事処でも饗されることが増えた。喫茶店の店主は代々珈琲豆に憑りつかれてきたと噂されたほどで、その技術を学ぶ為に南から弟子入りしにくる者も多く、また客層には独特な味わいの虜となった貴族も数多い。

 かつてエールに対抗する飲み物として排斥を受けなければ、もうちょっとクルアンにも根付いていたんだろうな。


「久しぶりに飲んだが、また少し味が変わったな。香りも良い感じだ」


 分厚い陶器のコップには真っ黒な液体がなみなみと注がれており、それを見た連中がこれを悪魔の飲み物としたのも分からないじゃない。

 俺はやっぱりエール派なんだが、苦みと酸味、そしてこの香ばしさには意識を目覚めさせる不思議な力があると感じるよ。


「うん、美味い」


 木造作りの味わい深い店構えを眺めながら、テラスで木漏れ日を感じながら目覚めていくのは中々に贅沢な朝だ。店で焼いたパンも、一般的な黒いのじゃなくて、小麦を使ってふっくらさせた白パンだ。


「どうだ。良い感じの店をと要求されたが、『月光』様のお気に召したかな?」


 珈琲を一口。

 香油で撫で付けられた髪を風が撫でていくのを感じながら、対面で物珍しさからあちこちに視線を投げる女を見た。


 オーロラ。


 リディアとそっくりな顔を持つ、夜を騒がせる怪盗。

 一回りくらいは年下だが、無邪気な表情が妙に胸をザワ付かせる。


「…………うんっ、とっても素敵なお店だね。この飲み物はちょっと苦手だけど、香りは良いし、パンが美味しい」

「だからミルクを入れて貰えばいいって言ってるだろ。甘く飲むのも別に邪道じゃないんだ」

「でもさー、最初の一杯くらいは味わってみないと」


 オーロラは厚みのあるコップを手に取り、何度も息を吹きかけてから舐める程度に珈琲を飲む。

 ぎゅっと目を瞑って。


「んんん~~っ!」


 だから、と言おうとしたが。


「苦いっ。けどさ、何度も味わってみないと分からないものってあるよ。人との関係とかさ」

「だから、こうして俺を呼んで話をしてるんだろ。下調べならもうやってるし、続けさせてもいる。人任せにし過ぎるのも確かに落ち付かないがな」


 敢えて二人でやる理由は薄い。

 まあ仕事上の付き合いとはいえ、関係を軽視する気も無いから、オーロラの事を知る上でも悪くはないんだが。


 にしても、この恰好は落ち着かない。


 髭は剃らされ、髪は香油で撫で付けられ、服なんぞ無駄な装飾だらけ。

 これからは貴族相手も増えるんだからと、その手の古着屋で購入した一張羅だ。鼻息を荒くしていたマリエッタ他数名のパーティメンバーが選んでくれたものだから、無碍にはしたくないんだが、やっぱり据わりが悪いな。


 三十半ばのおっさんがする、精一杯のお洒落をにやにやと眺め、オーロラはまた珈琲に口を付ける。


「今日は私からの提案? 提供も兼ねてるからさ。いいじゃない、たまの休日くらいのんびりと過ごしたって」

「『月光』様のお仕事ってのは興味があるな。盗み以外に何をしてるんだ?」


 冗談交じりに探りを入れると、彼女は愉し気に笑ってはぐらかす。


「興味を持ってくれるのは嬉しいけど、口説き文句としちゃあ含みがありすぎるよ?」


 もっと言ってくれってか?

 ならと身を乗り出し、空いていた手を取った。


「あの日、月明かりを帯びた君を見てから俺は、ずっと同じ景色を探していたんだ」

「へ、へぇ……」

「今、晴れやかな朝の陽ざしの中に、ようやく君を見付けたよ。会いたかった、オーロラ」


 思い出の中の君は網に囚われひっくり返っていたんだがな、なんて思いつつ言葉を締めるが。


「……………………んんっ、ん~っ、威力があり過ぎるよぉ……」


 真っ赤になって顔を逸らす彼女の横顔を、ふざけてじっと眺めていた。

 それにしても、本当に似ている。

 

 やっぱり何処かでリディアと関係あるんだろうか。


 と、俺の思考が別に逸れていることを悟ったオーロラは文句を言おうとしたが、しっかり視線を返すと悔しそうな顔をして閉口した。


「あ~~っ、パン。パン食べよー。おいしいなあ、ここのパン!」


「確かにな。珈琲の苦みと合うんだ」


 高いけどな、なんて思いつつ残った悪魔の飲み物を美味しく飲み干した。


    ※   ※   ※


 昨夜、協力者の女と下調べに行く事をリディアに話したら、ふくれっ面でしばらく俺の上から降りてくれなかった。

 密着度は更なる領域へ。

 あくまで仕事上の話だと言ったのに、中々納得してくれず可愛らしかった。

 思ってただけなのにバレて、終わった後もしばらく黙ったまま甘えてこられたんだが。


「神姫アウローラとの面会、取り付けたよ」

「ありがたい」


 素直に感謝したのに、不満顔で口付けられ、またしばらく会話が途切れるが。


「でも今取り込んでるみたいで、ちょっと間が空きそうなの。雪が溶けた頃に改めて時間を作るからって話」

「会えるだけでも助かるさ。俺が望んだって本人まで声すら届かないだろうからな」

「そういう子でもないんだけどね」


 あぁ、と思い出す。


 リディアも元々、その神姫ってのになる為の儀式をしていたんだよな。

 途中で嫌んなって放り出し、冒険者になったと前に聞いた。


 そうか。

 漠然とアダマンタイト級の神官だからと考えていたが、それ以前に繋がりはあったんだな。


「どんな奴なんだ?」


 会うなら、ある程度は知っておきたい。


「…………んー、私もそこまで関係を持った訳じゃないから、半ば噂も含むんだけど」

「勝手に咀嚼するさ。前情報に踊らされない程度にな」

「うん。ロンドくんなら平気だと思うけどね」


 そうして裸のまま起き上がった俺達は、脇に置いてあった酒を舐めつつ話を続けた。長時間放置した暖炉の火が随分と小さくなってるが、身体には熱があり、酒精も入ってくる。


 ふざけて俺を背もたれにしてくるリディアへ、毛布を掛けてやりつつ。


「元気が良くて、明るくて、他の神官からも好かれてた。あの頃は十代か。でもしっかりしてるって印象もあったよ。私はふらふら、言われるままだったけどさ」


 多分、神殿のお偉方としちゃリディアの方が扱い易かったんだろうなと思う。

 けどソイツがまさかぶち切れて脱走かますとは、さぞ当時は面食らったろう。


「でも結構な悪戯好き、っていうか、一度決めたら物凄い勢いで突っ走ってく所があると思う」


 世間での神姫に対する印象は、概ね神殿が望むような貞淑さが強調されていた。

 美しく、心優しく、分け隔てない慈愛の持ち主であると。


 演出か。


「ならさぞ堅苦しさを味わってるんだろうな。ちょいと同情するよ」

「ふふっ、そんな子じゃないよ。まあ、昔の話だし、私の印象じゃあまりアテにならないだろうけど…………彼女は周りを気遣いながらも自分流に引っ張り回す所があったと思う」

「例えば?」

「うーん、一度聖都の大神殿を丸ごと幻影で覆って、王宮から騎士団が派遣されたこととか?」


 なんかとんでもない話が出て来たな。

 聖都で暮らしていたフィオやマリエッタから聞いた話にはそんなの無かったが。

 流石に火消しされたってことか。


「私もたまに使ってるけど、結構難しいんだよ、コレ」


 アダマンタイト様にそう言われるってことは、常人には不可能な難易度ってことかな。

 そういえばプリエラが使ってるのは見た事無いな。


 リディアが指先を軽く振り、クルアンにある神殿を浮かび上がらせた。

 幻影。

 そうか、貼り付けるんじゃなくて、そういう使い方も出来るんだよな。そうか。


「………………なるほど」


 しれっと訳の分からんことをされて動揺したが、よくよく見てみると造りの細やかな部分は省かれていたり、曖昧になっている部分がある。

 前にメイリー関連でバルディとグロース相手に姿を偽っていたが、もしかしたら見抜かれていたのかね。


「漏れ聞いた話だと、クルアンの魔竜はどんなだったかって子どもに聞かれて、実際に再現して見ただけだったって。私も姿だけなら遠巻きに見たけど、本物がいきなり聖都に現れて大神殿襲ってるようにしか見えなかった」


「幻影一つでそこまで出来るもんか……」


「あの子も神姫候補になってたくらいだから、ルーナ様との相性も良いんじゃないかな?」


「因みにお前は出来るのか?」


 ちょっと好奇心で聞いてみた。

 実の所、俺は竜なんぞ絵でしか見たことがない。

 大昔にあったっていう、魔竜との戦いは冒険譚としても大人気だ。

 そいつを幻影で見られるのなら金貨を積んでもいいって奴は大勢居るだろう。


 見てみたい。


 なんて思ってたらリディアに笑顔で鼻先を摘ままれた。


「やろうと思えば出来るかもね。うーん、今度資料漁って、竜の姿を再現できるようにしてみようかな」

「協力しよう」

「ふふっ、目が子ども」


 だってさあ!?

 冒険者なら興味あるだろお!?


「はーいはい。また今度ね。今やるとザルカの休日で見た芋虫みたいになりそうだもん」


 そいつは見たくないな。

 仕方ない。


 ところでたっぷり休みも取って、そろそろ元気になってきたんだが、コレを鎮めるのに協力して貰ってもいいですか?


    ※   ※   ※


 いつの間にか囲まれていた。

 オーロラと一緒に下見へやってきた貴族街で、慣れない場所だからと警戒はしていた筈なんだが。


 音もなく、気配もなく、相対している今ですら違和感がある。


 なるほどコレは。


「幻影だな」

「えっ、分かるの?」


 声音から首謀者も分かった。

 丘上の公園へ誘ってきたのもオーロラだ。


 なんのつもりで、と思うが、ちょっとした悪戯のつもりだったんだろうか。


「人の壁ってのは案外風も音も遮るからな。中身の無い幻影は慣れればすぐ見分けられる」


 リディアとよろしくやる時の移動中に何度も見てるのもある。

 にしても、ここまでの規模と精度で出来る奴が他にもいるとはな。


「……なるほど。それは盲点だった」

「盗みに使おうってんなら、もう一工夫必要だな」

「ははっ、それは今後の参考にさせてもらうよ。でももっとびっくりさせるつもりだったのに、冒険者って凄いんだね」


 俺程度を代表にされちゃ困るぞ。

 世の中魔物の大群を魔術一発で消し飛ばす奴も居れば、首を斬られた仲間をその場で回復させるような奴も居る。


「お前は神官だったんだな」

「正確にはちょっと違うけどねぇ」


 まあいい。

 一発芸としちゃあ上出来過ぎたしな。


 見抜けはしたが、俺も最初は慌てたよ。

 例の盗人貴族、フェイゲル子爵の刺客か何かかと思った。


「世の連中が『月光』に欺かれ続けているのも納得出来たよ。お前コレ、逃走中とかにもよく使ってたろ」


 逃走経路を分析していくに当たって、不可解な情報も数多くあった。

 最終的には数と根気で本物を引けた訳だが、本当にアレは運だったか。


「あはは。出来れば待ち伏せはもう勘弁してほしいな」

「なら連絡先を教えてくれ」

「もうちょっと仲良くなれたらね」


 仕方ないか。

 相手は神出鬼没な怪盗様だ。


 こっちの拠点は知られてるから、何かあればオーロラ側から接触がある。


 しかし、と改めて丘の上から貴族街を眺める。


 いい眺めだ。

 景観が、というより、物事を俯瞰し易くなる。

 前のザルカの休日から意識的に続けてきた思考だが、やっぱり実物があると楽なんだよな。

 リディアがやってたみたいな事、プリエラにも出来ないか今度頼んでみるか。

 作戦を練るにも、説明するにも、アレはとんでもなく有用だと思う。

 図面だけじゃ想像し切れない所はあるからな。


 広い景色。


 上からの視点。


 ふと頭上を二羽の小鳥が抜けていった。


 貴族街は今も雇われた人間がせっせと雪かきを続けているが、今夜にもまた雪は降るだろう。この公園も脇に寄せられた雪がそろそろ豪邸並みになってきている。

 フィリアなんかは魔術で無理矢理店周辺の雪を溶かしているが、流れ込み先で凍結した水がどうこうって揉めてたよな。


 フェイゲル子爵邸の護り、というか警戒は結構厳重だ。


 今も見張り台に上った守備隊らしき連中が柵越えを警戒しているし、周辺を巡回している姿も見える。

 怠け者を働かせる手腕としてはマリエッタの父ユスタークより優れているらしい。


 町を埋め尽くす雪の中、それでも警戒を緩めないのは周囲の動きを察しているからか。


 なんにせよ突っ込んで強奪、とはいかない雰囲気だ。

 長鼻の調査も難航しているらしいし、内部構造は最近弄られた気配がある。


「絡め手が必要だな」


「何か思いついた?」


「まあ、少々嫌な相手へ頼み込むことにはなりそうだが、屋敷の造りからも子爵の性格は読み取れた」


 憶測含みで、都合の良い解釈が混じっているのは拭い切れない。

 けど町の混乱に乗じてここぞと悪事を働くクソ野郎だ。


 本来なら、協力して難事へ取り組むべき状況だろうに。


 クルアンの町への、裏切り者。


 どうせやるなら、キツめの仕置きが必要だろう。


「ところでお前、料理は出来るか?」


「………………………………え?」






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