新しい依頼主
見るからに仕事の出来る男といった風貌だった。
目付きは鋭く、自信に満ち、身なりを完璧に整えてある。
年の頃は執事と同じ程度か。
俺よりは高いが、老人と呼ぶには若過ぎる、精々が四十前後。
そんな彼が唐突にマリエッタとの訓練の場へ現れて言い放った。
「キサマはクビだ。とっとと失せろ」
流石にいきなりだが、と思いつつ、ようやく来たかとも思う。
元よりマリエッタの冒険者志望を諦めさせたくて、現実を教えろと俺を指名して雇ってきたんだ。未だ険しい先とはいえ、こうして順調に道を歩ませてやっているのを見て不満を覚えるのは仕方ない。
なんていうのは、まだ少し理解が浅かったらしい。
「理由を聞いてもよろしいですか、子爵様」
執事と一緒に片膝を付いて直答する。
肩に乗った雪の分まで、身体がちょいと重くなる。
顔を俯けているから見えてはいないんだが、微妙な間で奴が俺の身なりを確認していたのが分かった。
「……下賤な」
一応、貴族の家へ赴くってんで良いのを用意したんだがな。
まあ本物には遠く及ばないのは知ってるよ。
「報酬はくれてやる。依頼は成功したとギルドにも伝えてやる。私からの慈悲だ」
感謝を口にするべきなんだろうが、どうにも納得がいかん。
とはいえ、ここで揉めるのはギルドにも、マリエッタにも良くないか。
自分が思う所をまっすぐ貫ける様にとギルド設立を目指しちゃいるが、俺は未だに『スカー』の世話になっている。勝手をするだけして、俺は俺の儘に生きるんだとは言えないが。
「……お父様っ」
「下がっていろ。話は後で聞く」
「いいえっ。これではあまりに一方的ですわ! 何が不満なのか、せめてそれを説明するくらいしてもいいではありませんか!」
マリエッタの抗議に子爵は忌々し気に息を落とした。
視線が俺へ向いているのが分かる。
こんな下賤な奴と関わらせたから、か?
応じる声は意外にも柔らかく。
「いいか、マリエッタ。私は子爵で、彼は平民だ。本来なら書類一枚投げ渡せば終わる所を、態々出向いて話をしてやっている。誠意というなら十分過ぎる程だ」
「いいえっ、センセイにちゃんと説明をして下さい! 第一、仰る通りなら言い方が酷過ぎますわっ。お父様、私がそのような口の利き方をすれば絶対に怒るじゃありませんか!」
「……マリエッタ、落ち付きなさい」
「落ち着きません!」
「興奮するとまた倒れてしまうだろう」
静かに言い含める子爵を前に、マリエッタは胸に手を当て、更に鼻息を荒くする。
「私はセンセイや、そのお仲間に助けられる様になって以来、興奮して倒れることは無くなりました! 知らないのですか!?」
ふんすと鼻を鳴らして興奮に頬を染める子爵令嬢。
それを見る子爵は驚いた顔をするが、いいやと首を振る。
「話は終わりだ。娘を部屋へ連れて行け」
「嫌ですっ」
「無理矢理で構わん。何をしているっ、動け!」
子爵の一喝に執事や使用人たちが動き、マリエッタの周囲を囲む。
だが、まだまだ貧弱ながらも力を付けた彼女が本気で抵抗するから、彼らも思う侭とはいかない。
なにより、躊躇があった。
だが命じた以上は任せるつもりなのか、子爵は改めて蔑んだ目を俺へ向けてくる。
「慈悲だ。これ以上留まるのならギルドへ抗議させて貰う。シルバーランク一人、除名させるくらいは訳ないぞ」
「……私にも報告義務というものがあります。成功や失敗に関わらず、理由や経緯を報告出来なければ、依頼主を脅して成功扱いにしたと疑われてしまいます」
言い訳としては弱いか?
だが、忌々し気に息を吐いた子爵は、そのまま応じてきた。
「密告があった」
「内容について伺っても?」
「キサマ達が、私の娘に下賤なものを食べさせていたとな」
呆れた。
つまりこういうことか。
マリエッタの体力改善の為に与えていた丸薬、それに含まれる『地の中で育つという下賤な野菜』が含まれていたから怒っていると?
空に近いほど偉いものだと、鳥の肉ばかり食べているのが貴族だと。
そんなことを本気で信じているのか。
「効果は出ているものと思いますが」
「キサマは、私の娘が貧者の如き存在であると蔑む気か」
これは。
「高貴なる者は肉を食う。それが貴族社会の常識だ。聖都で下賤なものを好んで食べる様な者は、血が卑しくなると蔑まれる」
「畏れながら子爵様、ここは聖都ではなく、冒険者の町、クルアンです」
「思い上がるな。何処に居ようとも子爵は子爵。その娘もまた、高貴なる振舞いを求められる」
話にならない。
厨房担当も溢していたが、コイツはマリエッタのあの現状を知っていて、毎日脂ぎった肉を食わせる様に指示していたんだ。
虚弱で、消化能力も低い少女に、そんな重たいものばかり食わせていて身体が丈夫になる筈もない。
こちらで用意するまで彼女は食事が好きではないとまで溢していたのに。
しかし……貴族社会か。
これからパーティを大きくしていくなら、ギルドを設立するのなら、無関係では居られない連中だ。
今更ながらにルークの大変さを思い知るよ。
彼らとは価値観が違い過ぎる。
「理解しろ。今キサマが我が家の庭を踏んでいられるのは、私の許しがあるからだ。それを押して尚も居座るのであれば、クルアンの守備隊へ正式に犯罪者として突き出すことになる。依頼は終わったのだ。直ちに去れ」
冒険者はあくまで、ギルドを経由されて受けたクエストをこなすのが仕事だ。
終わったなら、去るのが道理。
だがここで去れば、おそらく二度とマリエッタには会えなくなる。
身体に合わない肉を食わされ、プリエラの丸薬も捨てられる。
冒険者になれる、なれない以前に、持ち直してきた体調だって怪しくなる。
憧れと言われた。
皆で必死に繋いできた、あのザルカの休日での最後の踏ん張り。グロースから受け継いだ勝利宣言を彼女は。
ならここで諦めて、背を向ける行為は、あの日に対する裏切りにならないか。
子爵は冷静だ。
彼の言をよくよく考えれば、事実身分差を越えて彼なりの誠意を見せているのが分かる。
俺には分からない拘りも、貴族として生きる為なのだとしたら。
だが、やはりズレを感じる。
マリエッタは。
そう。
彼女は。
「っ…………センセイ!!」
使用人達を押し退けて、マリエッタが駆け込んで来た。
驚いた。
強くなってはきたが、まさかあの輪を抜けてこれるとは。
冒険者になりたいと訴えてきた少女が必死の表情で叫んでくる。
「センセイ! 行っちゃ嫌です! まだまだ教わりたいことが一杯あります! お願いしますっ、っ、行かないでぇ……!!」
「マリエッタ……っ、早く部屋へ戻りなさい!!」
「嫌です!!」
叱りつける子爵の背を見ながら、俺は立ち上がった。
やるべきことを考える。
道理を通す。
ギルドへの影響は最小限に。
だが一人じゃどうにもならん時が来る。
なら、パーティメンバーを巻き込むとしよう。
「マリエッタ」
父親へ猛抗議をする少女へ向けて、俺も腹を括って声を投げた。
まっすぐな目が子爵を飛び越えてこちらを向く。
涙を流し、歯を食いしばって立ち向かっている彼女へ。
「俺を雇え。お前が正式に俺へ依頼してくれるのなら、俺はギルドの名誉に懸けてそれを遂行する」
「馬鹿を言うな!! なんの為に!? 金目当ての冒険者にこの子が何を差し出せる!? 欲に塗れた輩がッ、責任も負えん奴が好き勝手なことを言うな!!」
それでも。
「――――私の全てを差し上げます!!」
マリエッタは決断した。
「お父様が分かって下さらないのであればっ、私は私の意志で家を出ます!! お願いします、冒険者! 私を連れ出して下さい!!!!」
家出娘の全て、冒険者への憧れを持ち、必死に喰らい付いて来た少女の、全て。
報酬としちゃあ十分過ぎる。
「いいだろう。そのクエスト、引き受けた」
すぐさま依頼主へ駆け寄り、その腕を掴んでいた子爵の手を捩じり上げる。
怯んだ隙にマリエッタを抱え上げ、駆け出す。
「っ、追え!! 誘拐犯だ!! 追いかけて奴を捕えろ!!」
慌てて駆け出す守備隊達を尻目に庭を抜けた。
出入口を塞ぎに掛かるが、ここしばらく何度も庭を回っていたんだ、別の抜け道くらいは目星を付けてるんだよ。
大きくなり過ぎた庭木へ駆け寄り、マリエッタを押し上げて枝を踏ませる。先を示せば彼女は躊躇なく鉄柵を飛び越えて反対側へ転がり出た。
すぐさま俺も自力で柵を越え、両手をついたまま目を丸くしているマリエッタへ駆け寄る。
「っ、は、ははは、すごいです。大冒険です」
「あぁ見事な柵越えだった」
「ですかっ。ふふん、頑張りました」
得意げに笑うも、今のでちょいと腰が抜けたらしい。
背を向けた俺へ素直にしがみ付いてきてくれたので、軽過ぎる身体を背負う。
「マリエッタ!!」
子爵が鉄柵の向こうから呼び掛けてきた。
「戻りなさいっ、マリエッタ!!」
「嫌です!! それとっ、センセイを犯罪者にしたら許しませんからっ!!」
睨み合う二人に少しばかり様子を伺うが、子爵は言葉を失って佇むだけ。
振り切るように顔を背けたマリエッタが俺の首後ろに顔を埋めて来て、泣きそうな声で囁く。
「お願いします。行って下さい」
「分かった」
背を向けて走り出す。
遠く、入り口から回り込んで来た守備隊連中が見える。
日常警備すらマトモにやっていなかった奴らだ、平時から荷運びで自重よりも重たいモノを背負ってきた俺からすると、この程度の追いかけっこで負けるもんかよ。
適当に道を選び、追っ手を撒いた所で首元に湿った感触を得た。
俺に背負われるマリエッタが、涙を流して身を震わせていたんだ。
少し速度を落としつつ、声を掛ける。
「父親との喧嘩は初めてか?」
「は……っ、はい。酷い事を、っ、言って、しまいました」
「後で謝ろう。落ち着いて、話が出来る状況を作ればいい」
「どうすればいいんでしょうか。私には、お父様を説得する方法が分かりません」
親父と喧嘩して、家を飛び出した時のことを思い出す。
境遇は違えど、一方的に逃げて勝手をやった俺とは違い、マリエッタはちゃんと父親を見ている。
俺からすれば十分立派な事さ。
この先彼女が何を望んで、何を選び取るのかは分からない。
だが請け負った以上、冒険者は死力を尽くして助けになるぜ。
人間一人じゃ出来ない事は山とある。
アダマンタイト級冒険者のリディアや、ゼルディスだって、一人じゃ存分に力を振るえない。
出来る奴を探して、仕事内容を決めて、依頼する。
ギルドってのは互助組織だ。
仲間同士助け合い、そして、依頼主と冒険者でも協力をする。
そういうもんさ。
頂くモノは頂くけどな。
「お前はもう報酬を提示した。なら後は俺達に任せな。お前の全てに見合うだけの仕事をして見せる」
しがみ付く腕に力が籠もる。
「それにな、お前くらいの年頃なら親に反抗するのは当たり前だ。さっきの啖呵も悪くなかった」
「…………ふふ、私もちょっとだけワルになりました」
冗談めかして言うと、ようやくマリエッタは笑ってくれた。
心もほぐれてきた所でちょいと小突いてやることにした。
「腰が抜けて無ければ満点だったな」
「も~~っ、それは言わないで下さいっ! イジワル~~!!」
「あっははははは!!」
「見付けたぞっ、あそこだ!!」
「あ、やば」
「ふふっ、あははははは!! それいけーっ!!」
「承知した、腰抜け依頼主サマ!!」
「腰抜けは余計ですーっ!」
首後ろに鼻先をぐりぐり押し付けるという猛抗議を受けながら、俺はマリエッタを背負ったままの逃走劇を繰り広げ、拠点へと戻っていった。