冬の訪れ
今日も今日とてグランドーレ子爵邸へ。
顔の見えない子爵様は放っておいて、俺は応接間で出された茶なんぞをいただいていたんだが。
「ウチの大将を呼びつけて出迎えもないとは、舐めてんじゃねえかあ?」
「このお茶、質を落としたのを使ってるよ。子爵家相当のものじゃない。ちょっとガツンと言ってやろうよおじさん?」
プリエラとエレーナが控えている執事へ聞こえよがしに文句を言い始めた。
どちらも貴族社会へは片足を突っ込んでいたことがあるだけに、俺には分からないような部分が気に掛かるらしい。
やけに挑発的過ぎる部分はあるが。
「お前ら文句あるなら帰れ」
途端、拗ねた二人が左右から睨んでくる。
「冬の間は私が稽古つけて貰うつもりだったのにっ」
「こういうのは最初が肝心だ。これから貴族相手にずっと媚び諂って生きるか、堂々と振舞うか。大人しくしてるだけ損だぞ、ロンド」
分かったから。
エレーナは時間見付けて相手してやるし、プリエラの言にも理解はした。
だから落ちつけ。
待て。
いいな、待て、だぞ。
「がるるるるっ――――んん~っ」
エレーナ犬を撫でてあやし、カップの残りを飲み乾した。
執事が寄ってくるが手で制する。
立ち上がった俺に二人はまだ気付かず見上げてくるが、すぐに応接間の扉がノックされた。
大仰な扉が左右開きにされ、控える使用人らの間を抜けてマリエッタが部屋へ入ってくる。
「ぁあん?」
凄むプリエラに手刀を入れて、執事の様子を見つつ俺は彼女の前へ歩いて行く。
ちょっとだけ視線が絡み、
「今日は調子が良いみたいだな、マリエッタ」
「はいっ。センセイに言われた通り、しっかり休むようにしていますっ」
待機も技能の内。
安全な場所ではしっかり意識を落として眠り、身体に昨日の疲れを残さない。
マリエッタの場合は特に体力が乏しいから、尾を引き易い問題があった。それも少し改善されてきたとはいえ、まだまだ普通に運動が出来る状態じゃないからな。
「今日はウチの神官を連れてきたんだ。なんでも、冒険者に看て貰ったことはないらしいし、少しは身体の事で分かるかもしれないからな」
二人を示すと、エレーナはちょっと警戒気味に、そしてプリエラはゆったりと立ち上がって顎をあげた。
見下しの姿勢なんだが、小人族の彼女がやると子どもが懸命に凄んでるような印象が強くなる。身長負けしてるしな。
「それで今回は普段着でと仰ったのですね」
「あぁ。ただ運動してれば体力が付くってもんでもない。あとは、根本的に不調を抱えているなら、それを解決できないかと思ってな」
今回はそれだけじゃなく、幾つか方策を用意してきた。
まあまずは診断だ。
「お嬢様、こちらへ」
執事が奥の席へ促し、俺を尊敬すると言っていたマリエッタが困った顔でこちらを見上げてくるが、俺からもどうぞと促した。
座る位置なんぞに拘泥しないのが冒険者だ。
ゼルディス辺りは気にしそうだけどな。
「それでは、お願いしますっ」
「おう」
あくまで横柄に、プリエラが寄っていって彼女の手を取る。
エレーナも反対側へ回って、その補助を始めた。
見た目には何をやっているのか分からないが、俺が見ているからかマリエッタは大人しくされるがままだ。
少々、執事の顔付きが険しいけどな。
同性を連れてきたのは正解だったか。
「ん~~~~、コレは」
「どうだ」
まだ悩んだ顔をするプリエラに変わって、エレーナがこちらを向いた。
「無理だね」
執事がそれみたことかと鼻を鳴らした。
これは皮肉含みだが、ここ最近は随分と態度が軟化してくれてありがたい。どの道しばらくは絡み続けるんだ、慇懃無礼とされたままじゃあ叩き出したくなるからな。
まあ俺が忍び込んだせいでもあるんだろうから、あんまり文句を言うのはかわいそうか。
プリエラが腕の腱を指先でなぞり、うぅんと唸る。
診断は同じらしい。
「細いな」
「っ、ひょろひょろすぎますかっ」
「いやそうじゃない。体内のな、流れが細過ぎるんだ。ひょろいのも確かだが」
「ひぐぅっ」
どうやらマリエッタは細い身体を気にしているらしい。
虚弱さの象徴みたいな所があるからか。
「ど、どうすればいいんでしょうか」
「食って太れ。ほらロンド、幾らか持ってきたのあるだろ、出してくれ」
「へいへい」
副リーダー様に従って、リーダー俺は革袋の中から幾つかの小さな壺を取り出した。
中身は丸薬だ。といっても病を治すものというよりは、滋養になるものを煎じた薬。この手の薬草学にプリエラは詳しい。
「こっちが起きて最初に。次に昼と、夜寝る前だ。身体が馴染まない内は寝る前だけでもいい。消化も体力を使うからな」
効果や注意点などを話す彼女に執事までもやや前のめりに聞き入った。
首元から下げているミスリルのランク章が説得力に成ってくれているのか、俺ほどには反発してこない。
ムベラートの呪い、貧者の印は貴族からすれば不名誉なことなんだろう。
食べ物の少ない土地で生きる平民なんかは、高級品を食べると腹を下すこともあるとされる。
連中が言うには、空に近いほど食べ物として偉いんだと。
だから地上や地下に生える食物を下賤なものとして、肉食を好む。
実際には肉ばっかり食べてると身体が臭くなるし、体調を崩しやすくなるってのに、妙な風習が続いてるもんだ。
「私も神官様から加護をいただければ魔物を殴り飛ばせるでしょうか?」
唐突なマリエッタの質問に執事が動揺した。
質問を受けたエレーナがにんまり笑うが、答える前にプリエラが斬って捨てる。
「無理だ。ひょろ過ぎる」
「ひぐぅっ」
まあ、妥当だな。
「加護ってのは受ける側に結構な負担を与えるものなんだ。そこのロンドくらい頑丈ならガンガン盛ってやれるが、例えば同じ加護量を私やそっちの神官が受けたら、半分の時間も動けずに倒れる。腕次第でもあるがな」
ザルカの休日でも過剰な加護の負荷をたんと味わった。
興奮状態が解け、加護による負荷を軽減する神聖術も解けたら、もう起き上がれなくなったからな。二日三日は熱を出して寝込み、結局最後の決着にも参加できなかったくらいだ。
同じものをマリエッタが受けたらどうなるか。
フィリアやリディアを見ていれば、魔術に絡んだ力の凄まじさは明らかに戦士職を上回っているのが分かる。
なのに何故戦士が居るのか。
当然、それらの力を得て戦える者の方が最終的には強いからだ。
巨大な加護を得て戦うのは負担が大きい。そいつを術者は耐え切れない。だが、肉体を鍛えた戦士職なら、限度はあるが許容量が大きくなる。
代表的なのはゼルディスか。
リディアが直接支援していたとはいえ、数日に及ぶ戦闘を終えて帰還してもまだ平気な顔をしていやがった。
繰り返しになるが、同じだけの加護を自分に与えたとして、リディアがその時間を耐えきれるかと言えば難しいだろう。
今エレーナがぶつかっている壁もそこだ。
正統派でないものには理由がある。
「お前、戦士になりたいんだろう?」
「はいっ」
「だから食って太れ。で、お前は消化する力もひょろいから、こういう状態のものを食べるんだ」
「それはどうしてでしょうか?」
「大きな氷を解かすのは大変だろ? だから砕いてやるんだよ。細かくなっても滋養は同じ。身体の中で出来ないことは、外でやってやればいい。わかるか?」
「わかりましたっ」
じゃあまずコレ食え、とプリエラが口を開けさせて丸薬を放り込む。
ちょいと意地の悪い顔をしたからすぐ分かった。
マリエッタが泣きそうな顔をする。
けどどうにか呑み込んで、そのまま叫んだ。
「不味いですわ~~~~っ」
「あっはははははは! それが食えれば後は平気だっ。一番不味いのを最初にくれてやったからな!!」
慌ててお茶を用意する執事を見つつ、俺達は笑ってマリエッタを歓迎した。
なぁに、迷宮へ潜るってなったら、俺達パーティはそのプリエラ謹製クソほど不味い丸薬を全員飲むことになるからな。
携帯食は総じて不味い。
美味いのは馬鹿みたいに高い。
冒険者になるのなら、不味くても喰う、は必須技能の一つだ。
一応ウチはかなり食事に気を遣ってるが、食事処で食べるようにとはいかない時も山ほどあるからな。
「また一つ冒険者に近付いたな?」
親愛を込めて言ってやるが、彼女はたっぷり不味さが残っているんだろう舌をちょこんと出しつつ唸った。
「ん゛ん゛ん゛ん゛っっ、センセイ分かってて黙ってたんですかぁ……っ」
最初は警戒気味だったエレーナも、泣き顔で抗議するマリエッタを見ながらうんうんと頷いていた。
同じ苦しみを共有するのは結構効果的だよな。
執事にもどうだと勧めてやったが、職務がありますのでと断って来た。
そう遠慮するなよと三人で囲んで、しっかり食わせてやったよ。
お嬢様の口に入れるものの不味さを把握していないなんて、そんな不心得な執事が居て良い筈もないからなあ?
あまりの不味さに脂汗を浮かせながらも、表情を保ち切った野郎に俺達は拍手を送り、マリエッタからは尊敬と賛辞が贈られた。
ちょいと得意げな顔をしていたのは、なんだかんだマリエッタを大切に想っているからかな。
※ ※ ※
しばらくはそんな風に、パーティメンバーにも頼りつつマリエッタの体力作りを続けていった。
運動と、食事と、睡眠と。
ちょっと筋肉が付いた気がしますわ、なんて言ってきたからミスリルの小剣を抜かせてみたら、半ばを過ぎた辺りで息切れした。
笑ってやるとムキになって何度も繰り返し、やっと一回抜き放てたと思ったら、限界を迎えていた握り手からすっぽり抜けて、見ていた執事へ飛んでいった。ふわりと緩く飛んだだけだが、あまりに予想外だったのか動けずにいた彼へ、俺が木の盾を投げて防いでやった。
ごめんなさいごめんなさいと何度も謝るマリエッタに、慇懃執事も大慌て。
他にはプリエラの丸薬が美容にも良いと聞きつけた一部の使用人が声を掛けて来て、特別価格で販売してやった。
ウチの副リーダー様は仕事を増やすなと文句を言ってきたが、財務担当のフィオが真顔で先週の飲み代を読み上げて了承を得た。
なんでも、あの屋敷で働いている奴らは聖都からの移住者が多いらしく、俸給もあっち基準でかなりの額だという。おかげで良い儲けになったし、話を通しやすくなった。
厨房担当からは相変わらず睨まれてるがな。
そしてマリエッタは待機の才能があった。
『すやぁ』と一言、本当にあっという間に寝に入れる。
緩んだ顔に悪戯しても反応はなく、執事の咳払いを聞きつつ、俺は占拠された自分の膝上の重みを噛み締め昼寝をする。
普通のお嬢様を知らんのだが、貴族ってのは床で寝たり、寝姿を見せるのを厭うもんだと思っていた。
マリエッタが俺を信用し過ぎているのか、単に危機感が無いだけか。
ただ、運動して、休んでを繰り返しやすくはなっていった。
ミスリルの小剣を一回で抜き放てるようになった。
一日で邸宅を回り切れるようになった。
執事共々、クソ不味い丸薬を文句も言わず飲めるようになった。飲んだ後で青い顔をしているのは同じだがな。
成長を実感して得意顔をしていたから、鉄の小剣を渡してやったら、まるで引き抜けなくて涙目になっていた。代わりに執事へやらせてやると、流石に一発で引き抜けて、お嬢様から賞賛の嵐。
得意顔をにやにや笑いながら見てやっていたら、野郎は咳払いをしてすまし顔を取り戻し、だが最後には笑みを見せつつ俺へ鉄の小剣を返しに来た。
普段の食事、というか、貴族の食事にも興味が湧いて、厨房担当へ何度も聞きに行っていたら、お前のアレも教えろと言われ、時折使用人達も交えて談笑するようになった。
プリエラも交えて食事内容を考え直し、どうだと出した食事をマリエッタが完食してくれた時は皆で一緒になって手を打った。
季節がゆっくりと冬へ向かう。
今年はまだアーテルシアも寝惚けているのか、中々雪が降らなかった。
寒くなると流石に運動も難しくなるから、それだけを見るなら遅れてくれる分にはありがたいが。
秋の実りを食べ尽くした獣や魔物が人里へ降りてくることも増えるので、農園の方が心配になる。
なんて思っていたら唐突にやってくるのが女神ってのの難しい所だ。
庭で剣を振っていたマリエッタと、それを見守る俺と執事、そこへ――――今まで一度も顔を見せなかったグランドーレ子爵がやってきた。
分厚い雲から落ち始めた、緩やかな降雪の景色の中。
「キサマはクビだ。とっとと失せろ」
怒れる子爵様から解雇を申し渡された。