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ひょろひょろ令嬢

 案内されたのは中庭だった。

 子爵様とは顔も合わせていない。

 どうにも下賤な輩とは顔も合わせるつもりがないらしい。

 案内の執事も態度こそ丁寧だが、こちらに敬意が無いのは目を見れば分かる。まあ初対面だし、いきなり敬意とか持たれてても不気味なんだが。


 そうして彼女と対面した。


 乗馬用の服なんだろう、貴族の娘がスカートじゃないのは初めて見る。

 腰に立派なミスリルの小剣を差し、革の胸当てはおそらくバジリスクか。装備は一級品。やや装飾的過ぎる所もあるが、貴族だからなと流せる程度。


 年の頃は十五と聞いた。

 短く切った髪が風を受けてふわりと広がる。


「っ、はじめまして! マリエッタ=グランドーレともうします! あ、あのっ、センセイ!!」


 やや困惑する。

 顔も見てない子爵は別として、執事からも感じ取れなかった敬意。

 それを少女の目からは感じたからだ。


 貴族令嬢と接点を持ったことは無い。


 ましてや、そこに肉が付いているのかと問いたくなるような細い腕と脚、まさしく西の貴族たちが好みそうな小柄さを思えば、住む世界が違い過ぎる。


「あぁ、初めまして。マリエッタ様」

「様だなんてお止しになって下さい。センセイは私の尊敬するお方ですっ」


 尊敬?

 ますます分からなかった。


 執事を見るが、邪魔するつもりはないとばかりに控えている。


 とりあえずとプリエラやエレーナから教わった通りに膝を付こうと腰を曲げる。と、何故かマリエッタが慌てた様子で駆け寄ってきた。


「おっ、お止しになって下さい! センセイのような方にそのようなことをさせるつもりはありませんっ!」

「お嬢様、あまり興奮なされては」


 執事の言葉にハッとした彼女は慌てた様子で息を整えようとするが、駆け寄ったことで近くになった俺の顔を見上げ、顔が真っ赤に染まっていく。


「………………ぁ」


 ふらり、と身体が傾いだ。

 そいつを咄嗟に受け止めて、気を失った軽すぎる身体を持ち上げる。


 執事がため息をついた。


「また熱を出されましたな。後の事はこちらで。また後日ということでよろしいでしょうか」

「構わないが、一応理由について聞いてもいいか?」


 ご令嬢の身を受け渡しつつ聞くと、あくまで丁寧な態度を崩さないまま、執事は応じてきた。


「お嬢様は幼い頃から身体が弱く、陽を浴びているだけで倒れてしまうのです。病というほどではありませんが、実に虚弱であられます」


「俺はアンタに、彼女へ稽古をつけてやってくれと頼まれたんだが」


「はい。そうすることで、無謀な望みなど持たない様に、マリエッタ様にご理解いただきたいというのが旦那様のお考えです」


「彼女は俺を知っているみたいだった。どこかで会ったか?」


 言うと彼は首を振る。


「高貴な血であらせられるマリエッタ様が、何故一介の冒険者の名など知っていたのか、私にも分からぬのです。ともあれ本日は十分です。報酬をお渡ししますので、お引き取り下さい」


    ※   ※   ※


 窓を叩いて座り込む。


 帰れと言われたものの、俺はすぐに引き換えしてグランドーレ家の邸宅へ忍び込んだ。

 敷地が実に広く、ダベって固まっている警戒の目を掻い潜るのは難しくなかった。


 どうにも冒険者を快く思っていないらしいこの家の連中が頼りにしているのは、クルアンの町で一番の怠け者と評判の守備隊らしい。

 ザルカの休日でも、平原に展開する冒険者達をいつも市壁の上から観戦しているような奴らだ。神殿騎士団なんかはまだ働いてくれるが、守備隊連中ときたら壁を突破されたと知るや散り散りに逃げ出したって話だからな。


 前に俺が拠点にしていた部屋よりもずっと広いバルコニーには、幾つもの花が植えられていて、中々に綺麗で見応えがあった。

 もう一度、窓を叩く。

 どたどたと音がして扉が開いた。


「センセイっ!?」

「興奮するとまた倒れるぞ」


 飛び出してきたマリエッタは、先ほどのお仕着せみたいな恰好から寝間着になっていた。

 俺の指摘を受けてどうにか息を整えようとするが、日差しを浴び過ぎた人間みたいに顔を赤くして、視線を彷徨わせる。


「中で落ち着いてきな」

「はいっ!」


 扉は開けっ放しのまま、近くの大きな寝台へ飛び込んだマリエッタが叫ぶ。


「~~~~っ、センセイが戻って来てくれましたわあああああああ!!」


 布団を被っていても聞こえる大きさで、なんともむず痒いほどの喜びを表現してくれる。敢えて見なかったが、しばらく寝台の上でゴロゴロ転がっているのが音で分かった。


 それから興奮で目を輝かせた状態のマリエッタが出てきて、ふんすと鼻を鳴らして得意顔をする。


「落ち着いてきました」

「水飲んで来ると良い」

「はいっ」


 素直過ぎるくらいの反応で部屋に戻っていって、少ししてガラスのコップを手に顔を出した。


「センセイもいかがですか? 我が家の井戸水はとても健康に良いとお医者様も仰っていましたっ」

「あぁ、ありがとう」

「はいっ」


 受け取った水を飲んでみると、確かに仄かな甘みを感じた。

 これは食感の違いだ。土地によって水ってのは意外と味わいが変わる。井戸水は特に流れ込んでくる川とも違って、土から染み出してくるものだからな。

 それぞれ良さはあるし、水の違いによって同じ酒でも味が変わるってのは、俺も旅をしてみて初めて気付いたことだ。


 戸口でもきゅもきゅと水を飲むマリエッタを眺めつつ、コップを床に置く。


 まだ興奮しているようだが、倒れそうな兆候はない。


「……冒険者になりたいんだって?」

「ん、く……っ、は………………はい。今日の様な醜態を晒した後では笑い者でしょうけれど、本気なのです」

「そうか」


 飲み終えたコップを手にしたまま立ち尽くしているので、隣の床を叩いてやった。

 ここは日陰になっているし、風も心地良い。

 自室ならまだ少し安心も出来るだろう。


 遅れて、エレーナに持たされた絹の手巾(ハンカチ)を床に敷いてやると、ようやく意図が分かったらしく、お嬢様らしい綺麗な所作で隣に座った。


「んふふぅ……っ!」


 まるで旅芸人の座へ連れて来て貰った子どもだ。

 あぁ、俺がこんなだった覚えがあるよ。


「冒険者になって何がしたい?」

「えっ?」

「目的があるんじゃないのか? 家を出たいとか、迷宮を探索したいとか、そういうのは」


 彼女はもう十五だ。

 庶民ならとっくに職人なんかの弟子をやっていて、そろそろ仕事を任せられ始める頃合い。まだまだ若造よ、なんて言われもするがな。


 貴族なら、そう、結婚を考える年頃になるのか?


「……わかりません」


 マリエッタが叱られた子どもみたいに落ち込んで、身を縮めた。


「ごめんなさい」

「いや。知らないのなら、これから知っていけばいい。ほら、ここに現役の冒険者が居るんだ、聞きたいことがあったら何でも聞いてくれ」

「は、はいっ」

「落ち着いてな?」

「はい……っ」


 小さく繊細な手を合わせ、あれにしようかこれにしようかと呟き始める様に微笑ましさを感じつつ、少しだけ彼女の境遇へ想いを馳せる。


 虚弱、か。


 俺にどういう経緯でこんな感情を持つに至ったのかは知らないが、興奮しただけで倒れる身体の弱さは現実的に極めて大きな壁だろう。

 冒険者として、というよりも、そもそも貴族であるなら子を成すことが求められる筈。出産の負担が凄まじい事は俺も聞いたことはあるが、今のマリエッタを見て娶りたいと望む相手が出てこないのも頷ける。


 その上でこんなにも素直で居るのは、間違いなく子爵が大切に育ててきたからだろう。あるいは別の誰かか。


 貴族相手だからと変に身構えていた自分を改め、力を抜いて話をすることにした。


「っ、センセイ! センセイはっ、竜を倒した事がありますか!?」

「おうあるぞ。実は少し前にな、迷宮の中層って言われてる場所で『岩石竜』ってのを討伐したんだが――――」


 よくよく観察し、倒れないよう宥め、落ち付かせながらも最高の冒険譚を聞かせてやる。

 仲間と駆け抜けた日々は最高の宝物だ。

 そいつがちょいと誇張した話であってもな。


「で、飛び出してきたのがオタマジャクシみたいな奴でな」

「オタマジャクシというのは何なのですか?」

 残っていた水で指先を濡らし、バルコニーの床にオタマジャクシを描いてやる。そいつを前のめりで覗き込んだマリエッタが首を傾げる。

「これは…………これも竜なのですか? 本で読んだのと随分と違いますけれど」

「ははっ、実はソイツは竜じゃない。昔の慌てん坊な冒険者が、溶岩の中から顔を出したソイツを見て竜だと思っちまっただけさ。『岩石竜』ってのはそこからの名残りでな、ギルドから懸賞金を掛けられた特殊な魔物にはそうやって名前が付く事もある。ネームドって言うんだ」


 ほうほう、なんて感心顔だったマリエッタが不意に首を傾げる。


「その……とても強い魔物なのですよね。それを倒されたことは凄いのですが、竜を倒したというのは……?」

「あぁ嘘だ」

「騙されましたーっ!?」

「ははははは!!」

「酷いですよセンセイっ、嘘はいけないんですよっ」

「はははっ、でも話は面白かっただろう?」

「それは、はい」

「昔のその冒険者も慌てただろうな。なにせドロドロに溶けた真っ赤な岩の中から、竜と勘違いするような奴が顔を覗かせてたんだから」

「それはとても怖いですわ」


 他にも沢山、冒険話を聞かせてやった。

 マリエッタは驚いたり興奮したり、悲しんだり笑ったりして聞いてくれて、話している方も楽しかったよ。


「はぁ……はぁ…………凄いのですね、冒険者は」


 会話をしているだけで彼女の息はあがっていった。

 自分でも自覚して整えようとするんだが、どうにも落ち着き切れないらしい。


 その背中に手を当てた。


「目を閉じて、自然の景色を思い浮かべてみろ。何が見える?」

「…………水が見えました」

「なら、水面を思い浮かべるんだ。他は何もなくていい。その水面を眺めながら、ゆっくりと呼吸をするんだ」


 しばらくして、マリエッタの呼吸は整った。


「……すごいです。魔法みたいに落ち着きました」

「ならソレが、お前が最初に身に付けた冒険者の技能だ」

「コレがですか?」


 当然だと俺は応じる。


「さっき話をした魔物との戦いで、興奮したまま倒れたらどうなる?」

「死んでしまいます」

「だろう? 俺も同じだ。冷静に、進むべきか引くべきか、そいつを考えなくちゃならないのに平静を欠いていたら、あっという間にやられちまう。だから、心を静めるのは冒険者として大切な技能なんだよ」


 言葉を受けて彼女はまた瞼を閉じ、じっと己の内側へ目を向けた。

 とはいえ減った体力は中々戻ってこないもんだ。

 また明日くればいいんだし、そろそろお開きかな。


 なんて思っていたらマリエッタが得意顔でこっちを向いた。


「ふふん、センセイ。マスターしました」

「後ろに蜘蛛が居るぞ」

「きゃあ!?」


 残念、修行の道はまだまだ長いな。

 飛び付いて来たマリエッタの背を叩いてやりながら笑っていると、涙目で頬を膨らませてきた。


「センセイいじわるですぅ……っ!」


 思い上がりを叩き伏せるのもセンセイってのの役割らしいからな。


 ふらつくマリエッタを支えてやり、寝台へ寝かし付けて、俺も帰るかと思った所でやんわりと裾を掴まれた。


「あ、あの……」


 会話だけでかなり消耗したのか、少し顔色が悪くなり始めている。

 初日ってことで俺も張り切り過ぎたか。

 けれど彼女は息を整え、心を静め、問うてきた。


「私は、冒険者に成れるでしょうか」

「成れる」


 即答した。


 色々と言えることは山ほどあるが、まずはそれを信じてやらないでどうする。障害を乗り越える方法も、これから二人で考えていけばいい。

 依頼人の望みとは異なるだろうが、現実を見せろと言ったのは奴らだからな。

 思う存分、現実的に冒険者を目指す為の努力をさせてみせる。


 成功するにせよ、挫折するにせよ。


 やり切ってみなければ分からないのさ。

 知識を学び、歴史を学び、そうやって失敗を回避するのが一番いい方法だって言う奴も居るだろう。

 だけど知識は、歴史は、自分の限界を記してはいない。

 前人未踏の結果を出すってのはいつだって、無理だと諦めた連中の背を越えてきた奴だ。


 マリエッタは目を潤ませ、涙を流した。

 その歴史を俺は知らないが、今こうして二人向き合っている。

 言葉を交わせば分かってくることさ。


「…………やっぱりセンセイをお呼びして良かったです」

「そういえば疑問だったんだが、どうして俺を? 冒険者としての勇名ならゼルディスとか、竜殺しのルークとか、別のギルドにもバークライト兄弟なんかが居るだろう?」

「私が知っているのはセンセイだけです」


 そうして彼女は目元を拭って。

 息を整え、己を見詰め、嬉しそうに。


「ザルカの休日で、私はお父様達と神殿に避難していました。お兄様は神殿騎士をやってらして、お水を届けようと、何か役に立ちたくて……勝手なことをしていたんです」


 あの日、俺は青白い鱗のリザードマンと戦いながら神殿前広場へと奴を追い込んでいった。

 そこには神殿騎士もおり、巨大ワームに押し込まれたルーク達も居たが。


「男の方々が皆座り込んで、泣き出している方も大勢いらっしゃいました。私も訳が分からず怖くなって、もう死んでしまうんだって思ったんです。ですけど」


 真っ直ぐにこちらを見る。

 あぁ。

 眩しいほどの憧れ。

 そいつを正面から受ける事を誉れと呼ぼう。


「ロンド=グラース様。後になってお兄様からお名前を聞きました。将軍級と戦い、あの日絶望する皆を鼓舞して……、っ、希望を見せてくれた御方。はぁぁぁ、っ……貴方は私にとって、理想の冒険者なのです。貴方を見たから、私は冒険者に憧れました、っ…………っ」


 体力の限界か。

 どうにか自分を落ちつけようとしたが、夢ばっかりはどうしようもない。


 そいつが何よりも分かるから、俺は膝を付いて、頭を撫でた。


「また明日だ。一歩一歩進んでいこう。その為に、まずは休むんだ。いいな?」

「はい…………でも、一つだけ、いい、ですか?」

「最後の一つだ」


 マリエッタはゆっくりと息を吐いて、そのまま眠ってしまいそうなくらい静かな表情で言う。


「どうして、戻って来て下さったのでしょうか。私、あんなみっともない姿を晒してしまいました」


 俺は笑った。


「いい質問だ。冒険者の血と肉は酒で出来ている。そして、仕事上がりに飲む酒は最高の味なんだが」


 あそこで帰ったら、俺は働きもせずに報酬を得てしまう。

 金は欲しいし、手軽に稼げるってのもパーティを運営する以上無視は出来ない。

 けどな、それじゃあ駄目なんだよ。


「美味い酒を飲みたいなら、最高の仕事をしてからが一番だ。そいつが戻って来た理由だな」


 言い切った後、頭を撫でられていたマリエッタは感心していたが、ちょっと不満そうで。

 頬の膨らみを見て俺は手を下げた。


 口を開いた途端、それが爆発した。


「私の為では無かったのですか~~~~~~~~っ」

「ははははは!! じゃあなマリエッタ、明日も来るからよぉく寝て体力を回復させておくんだぞっ」


 怒る女からは逃げるが一番。

 流石に声が大きくなり過ぎて、バレちまったしな。


 扉を叩いて何事かと聞いてくる執事を置いて、俺はバルコニーから飛び出して屋敷を出た。


 マリエッタ。


 どうなるかと思っていたが、上手く付き合って行けそうで良かったよ。

 お前の目は、確かに冒険者になれる奴の目だ。






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