原風景、なんて格好良いものじゃないけどよ
朝から畑仕事を手伝って、リディアに近くを案内してやろうと家を出たんだが、うっかり掴まってガキ共を押し付けられた。
俺が断ろうとするのを、妙に乗り気なリディアが引き受けてしまい。
「ひゃあああああっふううううっ!!」
川で子どもが空を飛ぶ。
リディアの与えた加護のおかげだ。
いやホント、慣れているのに珍妙なものにしか思えないのは、ここが俺にとって慣れた景色であるせいか。
十かそこらのガキ共が川を飛び越え、木へ飛び移り、崖を軽くよじ登っていく様は流石に冗談じみていた。
そりゃあ出来るけどよ。
「大丈夫か? 加護を受け過ぎると調子崩すだろ」
特に子どもは体力がまだまだ付いていないからな。
リディアもそこは理解しているみたいで、片手間に見えてしっかり管理をしつつ、俺へ頷いて見せる。
「実はあんまり加護は使ってないの。他の、外からの補助でやってるから、管理は大変だけど負担は殆どないよ。追い風を受けて走る感じかな?」
しかも風の勢いも当たる場所も角度さえも、彼女なら細やかに制御可能なんだと。
ただ子どもの発想はたまに予測不能で、そういう時は鎖で捕まえてお説教だ。
やってはいけないことと、危ないことは予め言い含めてある。なのにやるのは、つい夢中になってしまうからと、構って貰いたいからか。
あのくらいの子どもって、親が喜んでいても怒っていても、反応して貰うこと自体が嬉しくてやり続けることあるからな。
「コラ程々にしとけお前ら。リディアも構い過ぎなくていい。危ないことは年長組が注意するし、従わない馬鹿は連れて来て貰えなくなる。そういうのも含めて、こいつらが勝手に学んでいく事だ」
なので超人ごっこは終了し、俺達はようやくのんびりと川岸から足を垂らし、水の流れを感じながら寝転がった。
まだ夏には遠いが、昨日今日とで暑くなった。
少し経ったら涼しくなるだろうけど、このくらいなら川遊びをしてもいいかもな。
下流で編み籠に入れて冷やしてある、野菜と酒瓶の様子を伺いながら。
「ん~~~~っ、はぁ……。なんだかすっごく落ち着く」
「そりゃ良かった。コレでお守りも無かったら、もうちょい良い場所にも案内出来たんだがな」
「ここでも十分。でも、ロンドくんの言う良い場所も気にはなるなあ?」
また後でな。
言ってぼんやりと空を眺める。
クルアンの町から距離的にそうは離れていないのに、部屋の窓から見るものとは随分と違って見える。
あそこにだって川は流れているし、騒がしい子どもの笑い声だってあるってのにな。
「ほっぺたが緩んでるよ、ロンドくん?」
「久しぶりの実家だ。気が抜けてんだよ。けどまあ、十日も居れば飽きちまう」
俺の言葉にリディアは少し困った顔をした。
初日からこっち、お袋や弟の嫁さんともよく話してるみたいだしな。
連中は今でも俺を農園に戻したがってるんだろう。
「わあ!?」
また何かを言おうとしたリディアが飛び起きる。
「どうした?」
「な、なんかに足撫でられたっ!?」
川を覗き込むが姿は見えない。
「魚だろ。ここらは浅いからあまり見ないが、上流の滝まで行けば釣りが出来るぞ」
「…………びっくりしたぁ」
「驚き過ぎだ。…………でもそうだなぁ、川岸なんかで妙に内へ抉れてる所とかあるだろ、そういう場所には大量の触手を生やした不気味な化け物が居るって昔から言われてるし、案外ソイツがお前の綺麗な脚をペロリと」
リディアが大慌てで立ち上がり、ふくれっ面で俺を川へ押し込み始めた。
「待った待った服が濡れるからっ、ごめんなさい嘘吐きました今考えたことだからそんなの居ないって、アレ!? なんか力強くないですか加護かオイ!」
親愛なるルーナ様、頼むから拗ねた神官にまで力を与えるのは勘弁して下さい。
おかげで下半身がずぶ濡れになって、ガキ共にまで大笑いされた。
「お前らも引きずり込んでやるぅぅぅぅ……!!」
折角なので川岸の化け物と化した俺は、近付く者を心地良い清流へ引きずり込むことにした。素っ裸になったガキ共が次々と攫われた後、唯一の陸の生き物となったリディアを全員で追い詰め、派手に水をぶちまけてびしょ濡れにさせた。
「ふふふ、あっはははははははは!!」
髪まで濡れて、下着まで透けて見えてたってのに、リディアは心底楽しそうに笑っていた。まあ、俺の上着を渡して隠させたけどな。
そろそろ十三くらいになる、一番年長の少年が無表情で凝視していたので、親切にも川から出してやろうとしたら、不思議なことに出たくないと本気の抵抗を受けた。
※ ※ ※
たっぷり遊び、着替えも終えて、今はおやつの時間だ。
主菜はにんじん。
というかにんじんしかない。
秋植えの春物で、今朝収穫してきた採れたてだ。
川でしっかり冷やしてやったから、温まって来た身体にも心地良い。
「ん……おいしい」
「だろ? 春物は寒い冬の間じっくり育つからな。身は柔らかいし、甘みも強い。滋養にもなるから、夏にかけてここいらの連中はよく齧ってるんだよ」
加えて俺特製のソースも各種。
単純に酢とオリーブ油に塩を混ぜたものや、同じく酢に生姜を足して香辛料を加えたもの、後は生クリームにレモン汁を入れて発酵させたサワークリームとかな。
「にんじんは皮ごとイケるもんだ。まあ鮮度にもよるが、一番栄養ある部分なんだぞ? 捨てるなんて勿体ない」
「すみません、おいしいです、すみません。あむっ」
リディアはサワークリームが気に入ったらしい。
二本目に入り、比率が結構偏って来た。
はっきりした味な分、ガキ共にも人気なんだよな。
加えて俺達には酒がある。
「ん~~っ、コレも美味しいっ。なんだっけ名前」
「蜂蜜酒だ。ウチでも蜂は使ってるからな。高級品だが、大抵は自分らでいただいちまう」
常温でも強い甘みや豊かな香りを楽しめるが、川水で冷やしたおかげで実にすっきりとした味わいになってくれている。
酸味のあるソースとほんのり甘いにんじん、そして蜂蜜酒。
悪くない組み合わせだ。
持たせてくれた弟の嫁さんには感謝だな。
「っぷはあ!! うふふーっ、美味しい」
「おっとあんまり一気に飲むなよ」
「あっ、ごめん。高い奴だよね?」
「いや、まあそれもあるといえばあるが、ビールに比べてソイツは酒精が強いんだよ。口当たりの良さに騙されてるとあっという間に酔うぞ」
「自制します」
きりっとした顔で言われたが、既に幾分回って来てるようだな。
「少し腹ごなししたら上流へ言ってみるか? 酔ってるままだと少し心配だが」
「はーい大丈夫でーすっ」
大丈夫じゃなさそうなので、たっぷり時間を使ってから動き出すことにした。
※ ※ ※
ガキ共は帰らせて、様子を見つつのんびりと田舎道を歩く。
ウチの農園は狭い山間に作られていて、農園主なんて偉そうに言える様な広さじゃない。基本は家族経営。忙しい時期にはクルアンや余所の村に住んでる親族を呼んで手伝って貰うくらいはするが、人を雇ったりってのはまずしない。
親父と良く揉めてた原因でもある、未開拓の森々を避けつつ奥へと進んだ。
途中、弟夫婦と遭遇し、妙に張り切って挨拶をするリディアに笑いつつ、飲み水を分けて貰った。
「本当に大丈夫かよ」
「大丈夫だよ。お酒は抜けてる」
「こんな短時間で抜けるか」
「ちょっとはしゃいでるだけだし」
拗ねられたので少し黙った。
けど、彼女の方から声が来る。
「今日会った子達みたいな頃にさ、ロンドくんもここを駆け回ってたんでしょ?」
そうだな、と応じつつ手を出した。
目的地まではここから少し森の中を行く。
坂道にもなるし、はしゃいでる奴をそのままってのは不安だ。
リディアはしっかりと俺の手を握り、嬉しそうに笑って。
「ガキ大将って言われてた」
「こんなちっぽけなのでも、農園主の長男だからな。周りが気ぃ回してくれてたんだよ」
「えー、そんな風には見えなかったけどなー」
本当の話さ。
俺は別に喧嘩が強かったわけじゃない。
ただ、食事はたっぷり食えてたし、親父は厳しいし、お袋も厳しいし、見栄を張る弟まで居たから、それなりに振舞えてただけさ。
身体つきがしっかりしてると、ガキ目線には強そうに見えるからな。
「どうして冒険者になろうって思ったの?」
「……いきなりだな。ほら、そこ気を付けろ」
木の枝を掴みつつ、リディアを引っ張り上げる。
ただ彼女はひょいと登って来て、結構危なげない。
ついこっちが気にし過ぎるだけで、彼女も冒険者なんだしな。
なのにリディアは嬉しそうだ。
距離が近くなると服をきゅっと握って来て、つい落ち着かなくなる。
ガキかよ。
何度も身体を重ねた相手なのにな。
今だって、ちょっと抱き寄せれば目を瞑ってくれただろう。そうしたいという想いもありつつ、今みたいにもどかしさを覚えるのだって悪くはない。
なんというか、安心している。
一方でさ。
いい加減、ケジメくらいは付けておかないとって思うよ。
アリエルとの決別ではっきりと言葉にした。
冒険者と生きる以上の、守るべき一線としていた所はもう越えた。
この先俺は命惜しさに逃げ出すのか、それとも変わらず命を張れるのか。
「ここだ」
「……洞窟?」
「奥は真っ暗になってるが、地面は綺麗なもんでな、灯かり無しでも問題無く進んでいける」
洞窟というよりトンネルだ。
舗装こそされちゃいないが、床は綺麗に整えた上で磨き込まれており、一部には飾り彫りの跡がある。
二人して踏み込んで、壁に手をやりながら進んでいく。
「昔、俺はここが怖くて仕方なかった」
切り出しはありきたりで。
どこにでもありそうな、俺の小さな冒険話。
「真っ暗で先が見えないし、どこに続いているかも分からない。けど弟が、野犬に大事にしてた玩具を取られちまったんだ」
昔は化け物の住処だの、死の世界へ通じているだの、大魔王が封印されているだの、かなり好き勝手言われていた。
俺だけでなく、皆怖かったんだと思う。
近くにはあるけど、森の中でもあるし、そういうのには近寄らないのが一番良い。
灯りを持ってきて中を探索してみると、明らかに人工的になっていたから、余計に封印だなんだって怖がった。
長い長い道の向こう、そこまで行ってみようって奴が中々居なくてな。
「当時、ここはその野犬の住処になっていた。人工的だったせいかな、他の獣もあまり近寄らなかったみたいだし、酷く痩せてたのを覚えてるよ」
「玩具が欲しかったのかな?」
「いいや。もっと別の理由があったんだよ」
腹を空かせていた野犬が求めるには、玩具なんて意味が無さ過ぎる。
「泣きじゃくる弟を置いて、俺は犬と玩具を求めてここを潜った。俺にとって最初の大冒険って奴だ」
「うん」
「それで……真っ暗な、この通路を抜けていった先でさ、その犬の親が怪我をして倒れてたんだ」
当時は本当に驚いた。
危険だから近寄るな、見付けたら大人に知らせろ、そうやって人を集めた後は追い散らしたり始末したりってのが野犬への対処だったからな。
噛まれて狂ったように死んでいく人間だって居たから、当然と言えば当然だったが。
「その犬は親を助けたくて人の力を借りようとしたんだ。取られた玩具なんて忘れて、俺はすぐ連れて行ったさ。最初は警戒した親父も話を聞くとすぐ医者を呼んでくれた」
「どうなったの?」
「無事回復したよ。親犬は……まあ寿命もあって五年くらいで死んじまったが、残った子犬は今も近くの牧場で牧羊犬をやってるよ。でっかくなって、人の言葉が分かってんじゃないかってくらいに賢くてな」
「あぁもしかして、三日目くらいに来てた白い子? ロンドくんを押し倒してきゅんきゅん鳴いてた」
「あぁ」
今じゃあ人間の大人くらいにまで成長しちまってる。
そろそろ老犬だから、ちゃんと会えたのは良かった。
リディアが安心したように吐息する。
「それで、結局コレはどこに続いてるの?」
俺が案内しているからか、冒険者としての自信か、リディアに不安そうな様子はない。
真っ暗で少し迂回するような道。
だから光は遮られて、奥へ行くほど届かなくなっていく。
けど向こう側から音が聞こえてきた。
「……水音?」
「あぁ」
薄く光が差してきた。
その向こうから、激しく水の落ちる音が聞こえる。
そうして辿り着いたのは、俺達が遊んでいた川の上流にある、滝の裏側だ。
外からの光は届くが、滝の中頃にあるせいでこんな所に空洞があるなんて誰も知らない。
真っ暗なトンネルを抜けた先にある、自分だけの景色。
こいつを見付けた時、全身に鳥肌が立ったのを覚えてる。
しかもここにはな。
「…………宝箱」
「ははっ、最高だろ!」
妙に整えられた壁面と、岩を削って作ったんだろう長椅子に机と、見事な寝台まである。
「今思うと、これも前時代の遺跡なんだろうな。女王アーテルシア以前の、もっと先の魔境まで人間が住処にしていた頃の名残り。どこのむっつりがこんな隠れ場所作ったのかは知らないけどよ」
「中身は、何があったの?」
真っ先に宝箱へ飛び付く辺り、お前も十分冒険者だよな。
「開けてみな」
「……うん」
リディアが大切そうに蓋を開ける。
光が足りないと思ったのか、ここまで使わなかった神聖術で灯かりを生み出し、覗き込む。
「オブシディアンの……へぇ、いっぱいある」
オブシディアン、黒曜石とも言われる黒い石だ。
そいつを削り出して作った短剣や、装飾品の数々。
後は、俺や弟の入れた綺麗な石とかな。
「お宝だろ」
「うん。でも、どうして持ち出さなかったの?」
「見付けてしばらくはずっと隠し持ってたさ。初めての大冒険で、本物の宝箱を見付けたんだ。中身は当然俺のものってな」
弟とも共有して、二人の秘密としていつも持ち歩いてた。
あぁいや、もう一匹元気なのが居たか。
「けどまあ、本当に冒険者になるって思った時、こいつを空にしておくのは駄目だって思った。俺達が貰った、あの時の興奮や感動を、持って行ったままにするなんてよ、駄目じゃねえか」
だから自分達の宝物も一緒に、ここへ納めたんだよ。
いつか誰かが見付けた時、最高の感動をまた味わってもらう為によ。
まあ、俺らが入れたのはただ石ころだけどな。
「へぇ。それでミスリルまでそのままにしてるなんて、すごいね」
「ははは。そうなんだよそれで…………………………………………なんだって?」
やや慌てて俺は中身を覗き込んだ。
思えばガキ時代、目利きなんて出来る筈も無く、また農園を助けてくれた冒険者に憧れてた俺は装飾品よりも武器へ興味が向いた。
弟もなんだかんだ同じだ。
しかも、あの頃に神聖術でのしっかりとした灯かりはなかったし、他にもそう、色々とだな。
「なんだって?」
俺はもう一度聞いた。
リディアが察して苦笑い。
そういうんじゃなくてさあ!?
「この腕輪、ミスリル製だよ。うわっ、なんだろこの古い術構成……効果がよく分かんないな。殆ど消えかかってるんだけど。うーん、あ、でも前に似たのは見た事あるかも」
「本当だ……、ガキの目なんざ節穴だよな。まるで気付かなかった」
いやでも、当時気付いてたらどうなってたか。
売って金にしたか、持ち物にしてたって使いこなせなかったろうし、盗まれた危険もある。
なるほど、そう考えると今発見した事は十分意味があるよな。
なんて思った所で自分の発言を思い出した。
俺は手にしていたミスリルの腕輪を腕ごと置いて行くような想いで宝箱へ戻し、だってのに諦めきれず握ったままで。
「あっ、そうだ。北域でロンドくんが貰った短剣あるじゃない? あれちょっと見せて。なんか近い感じなの」
すっかり魔術探求へ思考の飛んでいたリディアに言われるまま短剣を取り出すが、勢いよく顔を寄せてきたから慌てて消した。
「危ないだろ。切れ味良いんだぞ、コレ」
「あっ、ごめん。目を切り替えてたから」
なんだそれ。
アダマンタイト級の何かは別として、改めて広い場所へ向き直って短剣を出そうとして。
「……………………うん?」
掴んでいたミスリルの腕輪が消えているのに気付いた。
「…………なあリディアさんや」
「どうしたの?」
灯りの元へ右手を差し出し、その甲に刻まれた紋様を見る。
ラウラとリリィの遺した力。
かつてラウラが研究資料を隠す為に開発した、彼女独自の錬金術は、あれからフィリアとかにも見て貰ったが、実は結構詳細不明なままだった。
独自の手法や解釈が多過ぎるんだそうだ。
ただ、一つだけ。
当然の話だが、研究ってのは進めるもんだ。
進めば、資料は増える。
そいつを本に書き込んでいただけだっつっても、インク分の容量は確かに増える。
ついでに言うと、アイツはメモ帳みたいな小さなのを取り出していたこともあった。
でも、最後に出てきたのは一冊の大きな本だ。
まあ回りくどい話は置いといて、今じゃあすっかり馴染んだその紋様が、明らかに増えている事実を俺はどう考えればいいんだろうな。
「あ、取り出せた」
錬金術。
物質から特定のものを取り出したり、くっ付けたり。
黄金を生み出す為に始まった魔術だってくらいは俺も知ってたが、あの天才が何を考えてどんな機能を付けたのか。
しかもアイツが使ってた初期型は出鱈目な刺青だったのに、俺のは綺麗に紋章型になってやがる。刺青が嫌いだってのを一応は考慮してくれたんだろうが、明らかに改良が加えられているのが分かる。
リディアが取り出した短剣を確認して首を傾げた。
「あれ? こんなんだったっけ?」
「いやどう見てもコレ、ミスリル入ってんだろ」
刃渡りが伸長し、全体にも変化がある。
ちょっと怖い。
いや、なんつったって魔法の世界だ。
このトンネルがそうだったように、知らないことは怖くて当然。警戒できなきゃ事故で死ぬのが当たり前。
なあラウラさんや。
お前、この出し入れラクラク錬金術、本当は何が出来る予定だったんだよ。