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明日へ向かって

 リアラが卓上で独楽(こま)を回している。

 さっきまでフィリアが座っていた席だ。

 後は俺と、リディアが居る。


 どうにもフィリアの中で俺もリディアも店の運営に対する相談役とでも思われているようで、時折呼び出されて話を聞かされるんだが。


 じっと、リディアがおっかなびっくりな様子でリアラを、そして手元を見ている。

 外向けの無表情をしている癖に、独楽回しが失敗する度に残念がり、再開されると真面目な顔でじっと見つめる。


 結構子ども好きなのかもしれないな。


 なんて思いつつ、俺は春先の陽気を感じながらラガーを煽った。

 フィリアの酒場は今日も盛況だ。多くの労働者が表で安売りする昼食を買い求め、列を成す。その一方で余裕のある奴は席を取ってゆったりと。恋人同士らしい男女や老人、家族でと、結構幅広い客層が利用している。


 町は半壊。

 けれど今日も、クルアンの町は景気良く生きている。


「っあーーーー!」


 失敗しても、また始めればいい。


 両手を握ったリディアが真剣な顔でそれを応援していた。


    ※   ※   ※


 そして。

 それはふとした瞬間に訪れた。


「今何秒だ」


 誰かが囁く。


「五秒越えた。七……八……、っ~~、駄目か」


 リアラがぐっと唇をすぼめて声を上げるのを耐えた。

 九秒か。

 目標の十秒まであとほんの少し。

 越えられなかった時間分、小さな砂時計から青い砂が落ちて行く。


 手を翳し、倒れていた独楽が回り始めたのを見て俺は砂時計をひっくり返してやった。


 リディアが呼吸も忘れて前のめりになっているから、額を押して席へ戻す。

 邪魔になる。


 そうして立ち上がって身を乗り出していたデッキ客へも手で示し、腰を下ろさせた。


 今日は風が穏やかだ。


 再び五秒を越え、今度は表を歩いていた行商らしき男が脚を止めて見入った。

 皆が席を立つ。

 リアラは夢中で手元の独楽を回している。


 が、今度は七秒辺りで止まってしまった。


「がんばれ……っ」


 か細い女の声がした。

 新しく店へやって来た男達がハッと気付いて息を潜め、端を歩いて店内へ。

 騎馬に乗った巡視隊が通り掛かって、先頭を行く老人が下馬してリアラへ敬礼をした。貴族連のご隠居が自主的にやってる見廻りだ。数名がそれに続き、しばし眺める。が、流石に人が増えてきたのを見て、何度も振り返りながら去っていった。

 強い風が吹いた。

 そんな中、綺麗に立ち上がった独楽が静かに回り始める。


 二……、三……、


 手にしたままの陶杯の表面から水滴がこぼれ落ちる。

 声を上げようとした馬鹿の口を誰かが塞いだ。

 陽が翳った。

 暗くなる。

 自然と視野が狭まった。


 五……、六……、七……、


 もう少し。

 そうして、風が止まる。

 流れが乱れた。

 独楽が揺れる。


 耐えろ。


 耐えろ。


 八……、


 安定した。

 雲が通り過ぎて、陽が差し込む。

 強烈な明暗の切り替わりに視界が揺らいだ。


 酒を運んで来たカトリーヌが笑みを溢して仕事へ戻っていく。

 その出入り口に張り付いていたフィリアが目を輝かせて覗き込んでいた。


 九……。


 この店の向かい、金物屋の老いぼれ爺さんが安楽椅子から立ち上がった。店番と称して年中日向ぼっこしているだけの野郎が、手を伸ばし、何かを叫ぶ。


 十。


 超えた。

 超えて、尚も独楽は回り続ける。


 十一……、十二……………………十六を超えた所で動きが乱れ、転がってしまう。


 ぼうっとそれを見ていたリアラは、首を傾げて砂時計を見た。

 魔術師見習いになる為の合格は十秒。それを六秒も越えて、あんな悪条件が重なったにも関わらず、彼女はやり遂げた。


 俺を見る。

 リディアが口元を抑えている。

 そうして一番に伝えたかっただろう母を探し、娘は周囲を見回す。


 独楽を取り、大きく口を開けた幼子が目を輝かせ。


「出来たよーーーーっ!!!!」


 その、泣き笑いの声が上がった途端、周囲から歓声が爆発した。


『うおっっっっしゃあああああああああああああああああああ!!!!』


 席に留まってもいられず、飛び上がった馬鹿共が押し寄せて口々におめでとうの言葉を投げかけ、拍手と歓声が連鎖する。

 去っていった騎馬隊が大急ぎで戻ってきて、口髭のご隠居が腕を振り上げた。

 金物屋の老いぼれ爺さんが見た事もない程の全力疾走でやってくる。

 輪に入り損ねたらしい女が恋人にしがみ付いて号泣していた。


 その真っ只中で、今日まで応援してきた無数の人々に気付いていなかったリアラは、事態を呑み込めずにぼんやりと彼らを眺めている。


「きゃあああああああっ、見て見て私の弟子は天才よおお!!」


 人の壁を割り、飛び付いて来たのはフィリアだ。

 自分基準のトンデモ難易度を押し付けたものの、適正だったのかとか変に悩んで落ち込んだり相談してきたりした奴が、馬鹿みたいに喜んでリアラへ頬擦りした。


「わあ!? んんんっ、離れてよーっ」

「やだあーっ! 可愛い弟子が試練を乗り越えたんですものっ、たっぷりと可愛がりますわあああ!!」


 そうして幼子の小さな身体を持ち上げて肩車したフィリアが表へ飛び出す。

 騎馬隊が素早く展開して道を作った。


 オリハルコン級の魔術師が盛大に魔術を打ち上げ、昼間の空に華が咲いた。


 喝采する応援者達も大喜びで通りへ飛び出して行進を始めた。いずこから現れた吟遊詩人が演奏を始め、すっかり通りはお祭り騒ぎに。

 そうして店から出てきた屈強な男共が酒樽を背負い、道行く者達へ配り始めた。


「あっ、ママ!!」


「はぁーい。怪我しないようにねー」


 表まで出てきたカトリーヌがエプロンを付けたまま、軽く手を振ってそれを見送った。店主と一緒に数名の店員が飛び出してしまったので、彼女はここに残るつもりらしい。


 本来は母親こそが同行すべきだろうが、そういう立ち位置に彼女は自分を置いているんだろう。


「さあっ、今日はめでたい日ですわ!! 楽しく飲んで、楽しく歌いましょう!!」


「もう、師匠は大げさーっ」


「ふふふっ。そんなことはありませんよ」


 あぁ、そんなことはない。

 見習いになるってだけならともかくな。


「それじゃあ俺も祭りへ参加してくる。本当にこっちでいいのか、カトリーヌ」

「…………一緒に行ったら情けない所見せちゃうじゃない」


「カトリーヌさん、良かったらコレ、使って下さい」


 リディアの渡した手拭いで目元を拭いて、母親はようやく笑った娘を見る。


 親の意地ってのも大変だな。


「さあ、リディアも行くぞ。あれだけ馬鹿をやってるんだ、何かの拍子に怪我人でも出そうだからな」

「あっ。う……うん」


 二人でカトリーヌへ一言告げて、大行進を始めた連中を追い掛ける。


 咄嗟に手を出して、握られちまったから、ついそのまま駆け出したが。


「ふふっ、本当に……ロンドくんの周りはいつも賑やかだね」


 振り返って見たその笑顔があんまりにも眩しくて、手放す機会を失った。

 酒を飲み、成功を謳う大行進は瞬く間に数を増していく。そこへ埋もれるみたいに俺達も続いて、一緒に飲んで、手を叩いて笑い合った。


 そうさ、隠す必要はない。


 今日は一人の女の子が笑顔を取り戻した日。


 いちゃもん付ける馬鹿が居たら、俺が殴り倒してやる。


    ※   ※   ※


 フィリア率いる大行列が、彼女の店前へ雪崩れ込んでいった後、俺達は静かに別れて脇道へ。


 カトリーヌの奴、ああなると見込んで大通りに大量の樽まで並べて席数を確保していた。無論、豪気な店主が弟子の祝福に金をケチることはなく、次々と運び込まれる食事と酒で改めての宴会が始まっていた。

 中には行進中に引っ張り込んで来た、崩壊地区の住民も大勢居る。

 近隣の酒場からも提供があり、暗い顔をしていた連中にも少しばかり笑顔が戻っていた。


 食事ってのはそういう力がある。


 引退した冒険者が食事処や酒場を経営したがるのも分かるよ。

 おかげでクルアンの町には数えきれないほどの店がある。

 俺でさえ把握し切れない程にな。


 その一つである地下酒場へ、リディアと共に向かっていた所なんだが。


「兄さん」


 後ろから声を掛けられた。

 振り返った先、少し陽の傾き始めた街中に珍しい姿があった。


「おう、アル。こんな時間にどうした」


 仕入れでも、納入でも、大抵はもっと早くに戻るもんだ。でないと夜道を通ることになる。

 クルアン周辺の治安は良い方だが、ザルカの休日があってしばらくは潜伏していた魔物の被害だってあるからな。


「今日は農園主の会合があったんだよ。南からの物資が異様に高値を付けられちゃってるから、商会と協力して対策しようってね」

「頭が下がるよ。で、これから戻りか」

「うん。それで兄さん、そちらの方は? フィリアさんのお店で前にもお見掛けしたとは思うんだけど」


 見ると、リディアが無表情をやや顰め顔にして固まっていた。

 うん。これは物凄く緊張して困っているだけだ。

 なので俺が脇腹を突いてやった。


「きゃあっ!?」


 中々可愛い声を出す。

 それから半眼で睨まれるも、俺は笑い返してやる。


「リディア。こいつは俺の弟だ。大人しい顔をしているが、結構なやんちゃ者でな。気にすることは無い。普段通りに接してやれ」


「アルウェン=グラースです。兄がお世話になっています」

「っ、はい。リディア=クレイスティアと、申します。こちらこそ、ロンドさんにはお世話になってばかりで」


 さてと挨拶も済んだ所でどうしたもんか。

 一緒にどうだと誘いたいが、帰りは馬か馬車だろうから飲ませるのもな。


 宴会の神ラーグロークも飲んだら乗るなと説いている。


 改めて思うが、結構口煩い神だな。


「あのっ」


 なんて考えていたらアルの方から口を開いた。

 大真面目な顔でリディアを見て、


「こんな時間にお誘いするのは非常識だとは思うんですが、良かったらリディアさんも一緒にウチへ来ませんか?」


 本当に非常識だな。


「今から向かうと今日は泊まりだぞ。リディアにだって予定くらいは――――」

「行きます」

「良かった!! はい。是非いらして下さい!! あっ、僕は馬車を取りに行くのでっ、西門で再集合してもいいですか!?」

「はい」


 いや待て待て待て。

 リディアも何勢いで了承してるんだ。

 今日明日の予定をそんな簡単に。


「私も準備がありますので、少しお時間を貰っても構いませんか?」

「はい! では先に行ってきますので。兄さんもっ、リディアさんが一緒に来てくれるって言ってるんだから、まさか逃げないよねっ」


 あン?


「里帰りするする言って、もう一年だよ。いつまで待たせるんだよ。甥や姪が揃ってあの人誰ーって聞いてくるようになるよ、いいの?」


 結構強気な言葉に、リディアが口元を隠しながらころころと笑った。

 なんとも流され過ぎてるとは思うが、確かに機会を失ったまま来ちまったからな。


 妙に乗り気な神官様を横目に、俺も腹を括った。


 どうして彼女が同行するのかとか、その辺を意識しちまう部分はあるが。


「分かったよ。けどリディア、本当にいいのか」

「うん」

「じゃあ、覚悟しとけよ」

「……えっと?」


 それ以上は言わず、俺も俺で準備をするべく宿へ向かった。


 本当に覚悟しといた方がいい。

 なにせ、ウチの親族はお祭り騒ぎが大好きだ。

 しかもリディアみたいな美人を、俺が連れ帰ったと思われる。


 確実に最高の玩具として揉みくちゃにされるだろうな。


 意地の悪い笑みを残してやると、ちょっと後悔するみたいな気弱さを覗かせていたが、すぐ怒ったみたいな顔で彼女も歩き出した。


 なんだよその顔。







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