人が働いている時に飲むビールは美味い
広いデッキに春先の風が吹き抜けて、幼子が不満の叫びをあげた。
ここはフィリアの店だ。
まだ人は少ないが、最近料理の評判がすこぶる良くて、労働者向けに簡素化した昼食を売り出す様になった。もうじき昼休みを迎えた連中が列を成してくるだろう。
「もーっ、上手くいってたのにーっ!!」
風吹き抜けるデッキの一角で、リアラが卓上の独楽へ手を翳してうんうんと唸っている。
普通の独楽じゃない。
軸棒、そいつが少しばかり上へ伸長され、二枚の帆が左右に広げられているもので、フィリアが魔術の練習用にと用意してやったものだ。
また少し、風が止んだのを見計らって独楽を回し始めるが、今度は普通に安定せず止まってしまった。
「んーっ」
唸りながらも練習を続ける。
掌から生み出した風を帆に当てて、独楽を回す。
十秒出来れば合格だ、とはフィリアの言。
頑張れ。
心の中で応援し、冷たいビール、ラガーを煽る。
「あっ、コレ美味しいよ。ほら、あーん」
対面、髪をばっさりと切ったアリエルが居て、独特な赤いソースを絡めた鶏の切り身を差し出してくる。
半眼無言でそれを眺めるトゥエリを脇に、俺は素直に齧りついた。
※ ※ ※
「懐かしいわね。一緒に暮らしてた時は、たまにこうして食べさせてあげてた」
「お前がやりたがったからな」
「そっちだって嬉しそうにしてたくせに」
「あぁ、そりゃあ惚れてた相手と二人でやってる分にはな」
「たまにそのまま私までいただかれちゃって」
「ははっ。お前は魅力的だからな」
「口が上手い事。そうやって次々と女を誑かしてきたんでしょうねえ」
懐かしい過去を語り合い、酒を飲んで、美味い食事を堪能する。
実に愉快な時間だな。
トゥエリが無言でラガーを煽り、頬を抓った。
「今の私はどうかしら?」
言われ、俺は改めてアリエルを眺める。
元々仕事中は髪を纏め上げていたが、それと今のばっさりと切っちまった状態はまるで違う。
うなじで軽やかに揺れる毛先は爽やかさを感じるし、前よりどこか大人びて見えるんだ。
お互い良い歳ではあるんだが、柔らかさが出て、余裕があるって所かな?
「魅力的だな」
なんというか、包容力を感じる。
つい甘えたくなるというか、身を任せたくなる。
「やっぱりお前はいい女だよ、アリエル。流石は俺の元恋人だ」
「ばーか。今更気付いても遅いわよ。ふふっ、でも嬉しい」
言いつつ少し身を乗り出したアリエルが鼻を摘まんで来た。
されるがままにふにふにと遊ばれ、悪戯が楽しいのかふんわりとした笑みがこぼれる。
風が吹いて目元に掛かった髪を抑える仕草すら見惚れる美しさだ。
トゥエリがラガーのおかわりを頼んだ。
半眼は変わらず、無心で料理に手を付ける。
「ふふふふふ」
「ははははは」
やってきたラガーを一気に煽った。
宴会の神ラーグロークすら恐れぬ豪胆さに俺達は二人で手を叩いて讃えたんだが。
ダン!! と。
「なんなんですかコレーっ!?」
何故か腹を立てたみたいに叫び出し、つい目を丸くしてしまった。
「あっ!?」
少し離れた位置で、リアラが独楽回しを失敗し、拗ねたみたいに声を上げる。
※ ※ ※
トゥエリはご立腹だった。
ついでにリアラも独楽に文句を言っている。
俺は依頼主に泣き付かれての倉庫番、アリエルも夜勤を終えて一休みした後、昼過ぎにギルドで合流してフィリアの店へ向かうことにしていたんだが。
『わ、私も行きますっ!』
後日受ける予定のクエストで、何やらギルドでの調整があったらしいトゥエリが参加したがったのでアリエル共々快く受け入れたのが半刻ほど前。
美味いビールと美味い食事、和やかな会話、心地良い春風。
一体どこに不満があったんだろうか。
「あの……私最初に、お二人が完全破局したというお話を聞いて物凄く気を遣ってたんですが……………………………………なんで急にイチャイチャし始めたんですか」
「そう見えるか?」
「そうとしか見えません」
「困ったな」
「私が一番困ってる自信があります」
「アリエルはどう思う?」
話を振ると、澄んだ清流の如き笑みを浮かべた彼女が首を傾げる。
「私、ロンドと恋仲になろうとか、もう一欠けらも考えてないわよ?」
「そうだよな。俺も全くない」
「いやもう、ちょっと物陰に入ったらすぐにでも弄り合いそうなくらいの会話でしたよ今の」
昼間から神官が口にしていい言葉じゃないな。
トゥエリ、前は色話ってだけで赤面していたのに、女率の高い外パーティでずっとやっていたせいか耐性が付いたのか。
「敢えて言うほどの事でも無いが、俺は今でもアリエルの事は特別だと思ってる。別に嫌って別れた訳じゃないしな」
「やだ特別だなんて。でもそうねぇ、敢えて言うなら親友かしら? 互いの不満も願望も、全部本気でぶつけ合った。そんな相手、生涯に一人二人居るかどうかじゃない」
「なるほどな。色々と寄り道はしてきたが、最も特別な友人って辺りが俺達にとっては良い距離なのかも知れない」
「でしょう?」
見詰め合い、微笑み合う。
「なんか二人の表情が気持ち悪いです……」
酷い言い草だ。
これでも大変だったんだぞ、ここまで。
ただ言われることも分からないじゃない。
今までは……アリエルと別れて以来、俺は極力そういった言葉や視線を彼女へ向けない様自制してきた。
踏ん切りの付いていない彼女を、更に思い悩ませることが無いよう。
アリエルだって俺がリディアとどうこうってのを見るまでは結構落ち着いていたんだ。
それが一度暴走し、ぶつかり合って、互いの立ち位置を定めることが出来た。
反動があるんだろう。
好感って意味なら、そりゃあとんでもなく高いからな。
「だからね、トゥエリさん。もう私の事は気にしなくていいわ。まあ、将軍級を上回るとんでもないのが残ってる訳だけど……大魔王?」
そう悪く例えるなって。
アダマンタイト級って表現でどうだ?
「それだと被るじゃない。ホントにもう、どこでどうやったんだか」
なんて会話でトゥエリも少しは察したらしい。
敢えて名前を出してはこないが、ちょっとだけアリエルへの見方が変わる。
「えっと……あそこの酒場にアリエルさんも?」
「何の話?」
「よく一緒に飲んでる店があるんだよ。そうだな、あっちの状態次第でもあるが、お前も来て見るか?」
聞くとアリエルは手をひらひらとさせた。
嫌か。
「私、彼女とはあんまり上手くやれる気がしないわ。小姑みたいに突き回したくなっちゃうかも。私の素敵な元恋人に貴女が見合うのかしらって」
「おっと、そいつは勘弁して貰いたいな」
あんまり頑丈な方じゃないんでな。
アリエルは気にするでもなくラガーを煽った。
「ふぅ……。でもさ、貴方だって思うでしょ? 私に恋人が出来たーってなったら、ね?」
「なるほどな……確かに半端な奴にお前を任せられないって気持ちにはなる」
「悪い男に引っ掛かったら助けてくれる?」
「当然」
「ふふっ、嬉しい」
指先一つも触れ合わず、視線を絡め合いながら笑う。
こんなにも白い関係なのに、トゥエリはどうしても納得できないのか、最後まで半眼のままだった。
「どこかにいい男居ないかしら?」
「探せば幾らでもな。お前に見合うかは分からないが、ここは冒険者の町だ」
「いやよ。冒険者なんてお断り。それに、貴方以上の男なんて簡単には見付からないわ。困ったわねぇ」
「私がこの状況で一番困ってるって言ってもいいですか」
「…………?」
「どうしたの?」
「…………………………………………………っふ」