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ひだまりの熱

 朝市で色々と買い込んでからアリエルの家へ戻った。

 扉を開けて入った時に感じた僅かな騒がしさ。

 ため息をついて編み籠を握り直し、過労で倒れた病人様がいらっしゃる部屋の扉をノックする。


「入るぞ」


 しばらく経ってから。


「どうぞ」


 寝台の上で座っているアリエルを一瞥しつつ、何も言わずに小さな机を掴んで寄せていく。

 編み籠を乗せる。

 中には瓶詰めの果物や水、薬酒になるようなものに、窯屋で焼かせて貰ったパンが二つ。


 俺は椅子に座ってじっと馬鹿を見た。


 馬鹿は、最初は目を逸らして固まっていたが、気になり始めたのか横髪を弄り、前髪へ手を回し、襟元を調整して満足気に息を落とす。


 がしっとその頭を掴んだ。


「痛い痛い痛いぃ!? 何いきなり!?」


「何もクソも無いだろ病人。大人しく寝てろって言ったのに、俺が買い物行ってる間に湯屋へ駆け込んできたな? まだ少し熱出てるんだから馬鹿やってんじゃねえぞオイ……!」


「しーらないっ! どうせアンタの勘違いでしょっ、着替えただけだしっ!」


「石鹸の匂いがしてるんだよっ。誤魔化せると思うな馬鹿っ」


「嗅ーぐーなー!? きゃあっ、ちょっと近いからあっ!?」


「ったく、何だ? 髪まで随分と艶っぽくなってるじゃねえか、そんなことしてる暇あったら寝てろ」


「えっ!? やっぱり良くなってる!? とっておきの香油使ってみたんだぁ、ふふっ……………………あ」


 強制的に背中を向けさせ、頭の頂点で髪を結わえる。

 コイツと一緒に暮らしてる時に覚えた方法だ。

 寝る時にそのままだと、身体や頭で髪を擦り付けて痛むんだと。


 丸めて団子にしてやれば幾分幼さの増したアリエルが完成して、馬鹿やった本人は頬を膨らませてきた。


「…………折角良い感じで整えてたのに」

「病人には要らん」

「私には必要なんですぅ……!」


 知らん話だ。

 まあ気力だけでも戻ってきてるのなら回復してきてるんだろう。


「パン食えるか? 無理そうなら果物だけでいい。薬酒はまあ、一杯だけ食後に飲むんだ。それで食ったら少し休んで、そのまま寝てろ。洗濯とかは俺に任せればいい。勝手に触られたくないのなら放置しとく。それで――――」


「いっぺんに言わないで」


 うん?

 あぁ。


「そうだな……一つ一つ、やっていけばいい。落ち着くまでは居るから」

「……うん」


 パンはほんの一欠けらだけ。

 後は瓶詰めの果物を一つと、薬酒を一杯。

 結局そのくらいしか食べられなかった。


 手つきも危なっかしくて、力を込め切れないような、不安定さが続いた。


 よくこんな状態で湯浴みをして、身嗜みを整えたもんだよ、馬鹿が。

 その理由については目を背けたまま、陽が強く差し込んで来たので木窓を半ばまで閉じることにした。


「………………ねえ」


 身を起こしたままのアリエルが聞いてくる。

 食べてすぐ横になるのは良くないからな。


「なんだ」

「行かなくていいの?」

「ザルカの休日が終わったばっかりだ。どこもこんなもんだろ」

「でもアンタ、この時期はいっつも忙しそうにしてるじゃん。休んでる冒険者の代わりにって、無理して働いてさ」

「それくらいしか出来ることがないからな」


 大手を振って休むには、まだまだ出来ていないことが多過ぎる。

 せめて、隙間を埋めるくらいのことはな。


「じゃあ」


「うん?」


「じゃあ……しばらくは、看ててくれるの?」

「俺が原因の一つだろうからな」

「…………そう。別に」

「あぁ」

「……うん」


 息を抜いたアリエルが横になる。

 ただ、毛布を丸めて下に入れてあるから、半ば身を起こしている様な姿勢だが。


「ふふっ」


 ひだまりのような笑みがこぼれ、そいつからそっぽを向いた俺は指先程度の砥石を取り出して装備の手入れを始めた。

 少々音はするが、アリエルも慣れている。

 昔は、


「昔さ、よくそれやってるの見ながら寝てたよね、私」

「……そうだったか?」


 知らんふり。

 頭の中で考えてることが重なると、妙に気恥ずかしくなる。


「そうだよ」


 拗ねたように言って、ゆっくりと息を吐いていった。

 吹き込んでくる春風が頬を撫で、出したままだった果物の香りが部屋へ広がる。


 蜂蜜とナッツとシナモンと、酸味の残る林檎の香り。


「いい香り」

「もう一つ食べとけ」

「うん…………うん」


 研いだばかりの短剣の刃筋をしっかり拭って、林檎の蜂蜜漬けを更に細かく切り分けてやる。

 口を開けて待ってやがるから、少し悩んで、摘まんで持って行った。

 蜂蜜が落ちないよう手を添えて。


 横になったまま起きようとしないアリエルの口内へ、軽く弾く様にして放り込んでやった。


「ん…………もういっこ」


 仕方ないかと持って行ってやったら、今度は弾く前に食い付かれた。

 指ごとしゃぶられ、にやにやとこっちを見上げてくるアリエルに俺はそのまま手を引いた。


 指を拭き、武器の手入れへ戻る。


「………………怒った?」

「怒ってない」


 机を寄せてやった。

 まだ食べたいなら自分で食べろって意味だ。


「怒ってるじゃん」

「違う」

「じゃあなに」


 この手のしつこさを出した時は、正直に言うまで追及してくる。

 諦めて、話すことにした。


「…………ちょっと勃った」


 言われて照れるなら最初からやるんじゃない。

 男のそういう部分、全く知らない訳じゃないだろうがお前は。


「簡単に勃ち過ぎだよ……」

「お前が色仕掛けしてくる時、大体そうなってるしな」

 更に赤くなる。

「そんなになるなら、押し倒したらいいじゃん」

「そうしない理由は百万回話した」

「百万回は話して貰ってない」

「俺の中ではそうなってる」


 むくれてうつ伏せになったから、足元からシーツを引っ張ってきて掛けてやる。


「優しくしないで」

「病人介護だ、勘違いすんな」


 しっかり肩まで覆ってやる。

 今日は涼しいから、コイツからすると少し肌寒いだろう。

 昔から冷え性だったしな。

 後で薄手の毛布を探してきてやるか? でもこれから昼だし、温かくなってくるか。


「そろそろ寝てろ」


    ※   ※   ※


 寝ている顔に口付けて、そのままつい身体を(まさぐ)る。

 好きな相手と素肌を合わせるってのは、とんでもなく心地良い。

 すぐ腰元が元気になってくるし、何度も何度も口付けたくなる。

 でも我慢は必要だった。

 前に眠ったままのアリエルを襲って、興奮のあまり夢中になった俺は、彼女を怖がらせて泣かせてしまったことがある。ふざけて視界を塞ぎ、返事もしなかったからだ。

 顔を見た時の安堵と、流れた涙で、もう二度と一方的にはしないと決意した。

 翌日、起きたら仕返しだってアリエルが俺に跨ってたけど。


 俺がアリエルと同居していた頃はそんな風に、ひたすら爛れた関係を続けていた。

 口説くのは彼女だけ。

 好きなのも彼女だけ。

 それを害する奴が居たら、アダマンタイト級冒険者だって許さない。


 なんて思って、ギルドでアリエルを苛めてた奴らをあの手この手で叩き出すことに成功した後、それでも彼女の不調は時折顔を出した。


 無理をさせた受付嬢達が悪い。

 あいつらのせいでアリエルは体調を崩し、なのに休むことも許されず身体をボロボロにしていった。

 そう信じて正義を振り翳していた馬鹿は、やがて一番の原因が自分であったことに気付かされた。


 当時、初のゴールド昇格を成し遂げた俺は無茶なクエストに首を突っ込んでは深手を負って仲間に迷惑を掛けていた。

 元々実力も伴っていないのに、所属していたパーティの功績で引っ張り上げられただけの若造が、分不相応な危険に飛び込んでいった結果の出来事。

 やる気だけは漲っていたから周囲は受け入れて、育ててくれたが、根本的な部分で俺はまだまだ弱かった。

 自分でも薄々とは気付いていたんだ。

 俺は弱い。

 順当にランクを駆け上がっていく、自分よりも年下の連中を見る度に慌てた。

 ようやく掴んだ成功。

 親父にも胸を張って、どうだ俺はやれるぞと宣言できると思っていた。

 なのに現実は途方もなく狂暴で、何度も何度も俺の身は奴らに食い千切られた。

 それでも、負け続ける中で掴めるものもあったんだ。

 助けることの出来た奴も居た。

 ありがとうと言ってくれた。

 それが嬉しくて、色んな所へ頼み込んで経験を積ませて貰った。

 当時はまだまだやる奴の多かった村クエストで、上手く食費を抑えながらも良い装備を買い集めていった。その強力さを自分のものだと振り翳して、奢っていたのもあったが。

 まだまだ成長できる。

 上を目指せる。

 自分の限界を越えて、英雄なんて呼ばれる連中にだって肩を並べてやるんだって。

 死に物狂いで食らい付いていたのに。


 その一番の理解者だって思い込んでいたアリエルが、どんどんと痩せ細っていった。


 最初から俺を引き留めてきたんじゃない。

 我慢を重ね、不安を押し退け、笑いながら待ってるねと言ってくれた。

 だからこそソイツに応えるんだって頑張っていた俺は、倒れたアリエルから懇願され…………安全で魔物と出会う事のない、街中のクエストを主体に受ける事にした。


 倉庫番。

 荷運び。

 探し物。

 ドブ掃除。

 煙突磨き。


 探せばその手の仕事は山ほどあった。

 俺が単独で下手なクエストをやるより、いい収入を得られる仕事だってあったさ。

 あくまで冒険者ギルドへ投げられた、人手不足を補填する為のクエスト。そういう形を取ったのはどうしても諦めきれない部分があったからだ。

 けど、ようやく安心出来る様になったアリエルも、大切な相手を苦しませることが無くなった筈の俺も、徐々に笑うことは無くなっていった。


 やがて、俺はゴールドランクから降格した。


 一線級の冒険者のみが成れる、事実上の最高ランクだ。

 ミスリル、オリハルコン、アダマンタイトなんてのはごく一部の化け物だけが触れる事の出来る段階。

 そんなのを、街中の容易なクエストだけで維持出来る筈も無かった。


 何かがぶち切れて、浴びる様に酒を飲んだ。


 苦しめたくない。

 不安に思わせたくない。


 だけど、俺は弱くて、死に物狂いで食いついていかなきゃゴールドランクで居続けることも出来ない。

 幸いにも神官さえ居れば、生きてさえいればどうにか復帰出来る。

 足掻いて、足掻いて、ひたすら頭を下げてでも仲間に受け入れて貰って、そいつに応えようと自分の身も顧みず壁になる。そういう、タンクとしての立ち位置を定めたのもこの頃だ。

 シルバーからゴールドへの壁は分厚い。

 冒険者の七割以上は一度もそこを踏まずに終わるとも言われる。


 そこへようやく辿り着けたのに!!!!


 俺はアリエルに全てをぶちまけた。

 アリエルも、俺へ全てをぶちまけて。


 何度も何度も愛してると叫びながら、お互い涙を流しながら縋り付いて、突き放して、最後は背を向けたまま…………別れることにした。


 そこまでして危険を選んだのに、俺はそのまま数年シルバーで居続けた。

 あの頃のパーティは遠征先のクエストで壊滅し、ぐだぐだやってる間に同期もまたどこかで死ぬか、極一部だけが上へあがっていった。


 腰を据えて。


 もう一度、初心に戻ってカッパーやアイアンと組んで、そいつらに生き抜き方を教えながら必死に自分でも学んでいった。

 歳の差が広がって、頼られることも増え、嬉しくなって。

 新人を支え、育成していくのが楽しくなった。

 他所のパーティへ移っていった奴が、大喜びでゴールドのランク章を見せに来た時は、自分の時よりも喜んで飲み明かした。

 なのに俺はずっとシルバーのまま。

 何度かゴールドに昇格することは出来たが、維持することは出来なかった。

 村クエストが原因だと、少しは関係が落ち付いたアリエルからも言われたが、根本的に実力が追い付いていないんだろうことは自分でも分かったから、素直に認め、腕を磨き続けた。


 そうしてまた、俺はゴールドランクから転げ落ちてきた。

 今度はアイアンだ。

 初心者から毛の生えたような実力だと世間へ喧伝しながら、また仲間を死なせて、こうして心配を掛けて生きている。


    ※   ※   ※


 「…………それでもな」


 思い出から顔をあげ、寝入ったアリエルを眺める。

 陽の角度が変わっていって、触れたシーツが随分と熱くなっていたことに気付いて木窓を閉じた。


 そうだ。


 ひだまりの熱は、一時を切り抜けば大したものじゃない。

 だけど延々と降り注いで、溜まった熱が時に森へ火を放つこともある。


 俺には才能ってもんがないんだろう。


 けどな、何かに憧れたり、目指すってのは、才能があるからやるんじゃない。


 憧れたからだ。

 目指したいからだ。


 分かりやすく熱を迸らせ、若々しくも輝かしい道を行くことだけが成功への旅路じゃない。そう見えるだけってのもあるだろうけどよ。ソイツらを悪く言いたいんじゃないんだ。だけどよ。


 ひだまりのような熱を帯びて、何度も何度も転げ落ちようとも、しつこく食らい付いて、指先が届くことだってあるだろう。

 そんな方法しか取れないクソ親父にだって足掻きたいって想いはあるんだ。


 すまん、アリエル。

 俺はやっぱり、お前とは歩めない。


 くそったれなクズ男だと思ってくれていい。


 冒険者としての成功、なんていうありふれ過ぎて、手垢に塗れたものだけどよ。

 特別な何か、世界を変える様な決意だって出来ないけどよ。


 諦めきれないんだ。


 たとえ、命尽きる時が来ても。


 この夢だけは、枯れることはない。






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