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月が、綺麗ですね  作者: 明智龍之介
第1章 初花月~March~
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5

 行く宛てもなく、僕は街の雑踏の中をひとり、ポケットに手を入れながら歩いている。

 車を大学に止め、買ったばかりのケーキを控室内にある冷蔵庫に閉まった後で、ふらりと散歩に出たのだ。

 春の陽気に包まれた街は、全体的に明るい雰囲気を纏っている。街を歩く人々の服装も、すっかり春らしくなった。冬の寒さが厳しい頃は、グレーや黒という色合いの服を多く見かけていたが、ピンクや黄色のパステルカラーなど、彩に溢れている。

 そんな明るい街中を、僕は少し背中を丸めながら歩いていく。特に、どこへ行こうとも決めていない。足が赴くまま、ただ前に歩いているだけだ。


 洋菓子店に入って、彼女の姿を見つけた時には、やっぱり僕たちは、運命の糸か何かで結ばれた、特別な関係だったんだと素直に思った。もう一度彼女の姿を見ることが出来て、もう一度彼女と言葉を交わすことが出来て、ただただ幸せだった。

 その細やかな幸せが、こんなにも一瞬のうちに崩れ去ってしまうなんて。


 「新しくカフェがオープンしま~す!よろしくおねがいしま~す!」

 元気な声が、僕のすぐ斜め前から聞こえ、驚いて顔を上げた。考え事に耽っていて、人の気配を感じられていなかった。

 グレーのシャツに黒ネクタイ、そして黒いサロンエプロンを身につけた女性が、颯爽とチラシを配っている。女性だが、その子はボーイッシュで、身長も高くスラリとした体形をしている。格好よく僕の目には映った。

 僕は、何という気は無しに手を伸ばし、彼女が配っているチラシを受け取った。

 「ありがとうございま~す!」

 女性が定型的なお礼を口にする。僕はよく見もせずに、そのチラシをポケットの中に捻じ込んだ。

 僕は一瞬、洋菓子店の彼女が、先ほどのボーイッシュな女性と同じように、黒い帽子に白いシャツ、黒いエプロンを身につけている姿を想像しようとしたが、途中で“ゆらゆら”と頭を振った。

 もう、そういう行為はやめよう。未練を引きずるだけで、何の得もしない。


 気が付くと、僕は城址公園に着いていた。

 高く聳え立つ石垣と、ゆったりと水を湛えた堀があるこの城址公園は、桜の名所としても有名だ。朱色の橋が堀の上に架けられ、復元された大手門へと続いている。石垣の上には塀が復元されていて、その中は今では歴史資料展示室となっている。小さな櫓がひとつだけ復元されているだけで、天守は復元されていない。その小さな櫓だって、水堀の外から眺めると、石垣の上に堂々と構えていて、立派に見える。

 この城の歴史は古く、平安時代末期には既に築城されていたらしいが、幕末の戊辰戦争で全て焼け落ちたと聞いている。この大手門と櫓が再建されたのは、つい最近のことだ。

 ちょうど櫓を見上げることが出来る場所に、ちょっとした公園がある。すべり台やシーソー、ブランコが設置してある児童公園だ。きっと、いつもは近所の幼稚園や保育園の園児たちが利用しているのだろう。だが、今はもう太陽が沈みかけている時間帯なので、子どもは誰一人いない。

 大人もいない。ここには今、僕だけしかいない。

 僕は、大きなため息をつきながら、ベンチに腰を沈めた。

 「まったく、ツイてない。」

 僕は、右の掌を自分の顔の前でゆっくりと開いて、じっと見つめてみる。

 運命の女性にようやく再会できたというのに、突然、別れを告げられるなんて…。

 「新しいバイトかぁ…。なんで、彼女は洋菓子店を辞めちゃうんだろう…。」

 僕に原因があるとは思えない。今日だって、気さくに話をしてくれたし…。僕を避けているような素振りは見せなかった。演技だとも思えない。だって、別に演技をする必要もないから。

 では、あの店のオーナーと上手くいかなかったのか。それとも給与の問題か。いずれにしても、僕以外のことが原因で、僕が彼女と会えなくなるなんて、無性に腹立たしかった。理不尽な怒りだと分かってはいても、このやるせなさの矛先をどこかに向けたかった。

 「一体、どこでバイトするんだろうなぁ…。」

 そう呟いたときに、“ビクン”と心臓が跳ねた。

 待てよ。…待て、待て。

 そうだ。そうだよ。

 彼女は、今のバイトを辞めただけじゃないか。あの洋菓子店のバイトを辞めただけ。

 大袈裟な言い方をすれば、彼女はまだこの日本にいるんだ。

 いや、まだこの町にいる可能性だってある。仮に彼女が高校3年生で、大学進学や就職のためにバイトを辞めたんだとしても、せいぜい東京なんじゃないだろうか。

 東京なんて、全然行ける距離だ。電車で1時間30分くらい。

 何だか勝手に、もう二度と彼女に会うことが出来ない、今生の別れみたいな雰囲気に浸っていたけど、全然そんなことないじゃないか。アメリカやイギリスに留学するわけでもあるまいし。そんなに悲嘆に暮れることなんてないじゃないか。僕は、何をそんなに…。

 そうだよ。また、新しいバイト先で彼女と会えばいいじゃないか。そうして、また格好よく声を掛けて…。

 そこまで考えて、僕の思考は完全にフリーズした。

 嫌な汗が、全身から噴き出した。

 「…新しいバイト先、聞いてないわ…。」

 僕は頭を抱えて、ベンチに座りながら深く項垂れた。

 「何をやってるんだ、僕は。」

 肝心の、次のバイト先を聞いてないじゃないか。これじゃ、会いに行くことも出来ない。

 今から聞きに行くことは出来ない。もうあの洋菓子店は閉店時間を過ぎている。そして、彼女は今日がバイト最終日だと言っていた。

 こうなったら、パートのおばちゃんたちに彼女の新しいバイト先を…。

 「…ダメだ。また、彼女の名前を聞くのを忘れた。」

 もぉ~、何やってんだよ、雨宮っ!同じミスを2回もするんじゃないよっ!!

 彼女の名前も知らない。

 新しいバイト先も分からない。

 もちろん、彼女の連絡先だって知らない。

 こんな、“ナイナイ尽くし”の状態から、どうやって彼女を探せばいいんだよ…。

 当たって砕けろ精神で、あの洋菓子店のパートのおばちゃんに聞くしかないか?でも、彼女の名前を知らないのに、どうやって…。確実に不審者扱いされる。それでも、聞くのか…。いや、警察の厄介になるのだけは御免だ。最近、ストーカー被害やストーカー殺人のニュースがバンバン流れている。ワイドショー好きのおばちゃんたちに、そんな誤解されるような行動を試みるのは、自殺行為だ。

 大ピンチ以外の何ものでもない。袋小路に迷い込んだネズミと一緒だ。

 「はぁ~、何やってんだよ、僕は…。」

 僕はベンチの背もたれに思いっきり寄りかかり、天を仰いだ。

 いつの間にか太陽は沈み、公園の外灯に明かりが灯っている。

 ベンチの横にある外灯は、僕の姿だけをぼんやりと闇夜に浮かび上がらせている。すべり台やシーソー、ブランコはすっかり闇に溶け込んでしまっている。城址公園の櫓も、闇に白壁を不気味に浮かび上がらせるだけで、じっと沈黙している。

 「完全に、詰んだな。」

 何だか分からないが、笑いが込み上げてきた。精神的におかしくなっている証拠だ。

 自分のドジさ加減に…つくづく呆れてしまう。

 清水にあれだけ言われたじゃないか、ネームプレートを見ろって。

 自分だって散々思ったじゃないか、誕生日用のロウソクを全部買い占めようかって。

 「失敗を教訓として生かせないなぁ、僕は…」

 昔っからそうだ。どんなことでも、すぐに忘れてしまう。親に注意されても、先生に注意されても、すぐに忘れてしまう少年だった。親父なんかは、僕のことを“酉年生まれだから、すぐ忘れるんだ”と、よく言っていたっけ。鶏は3歩進むとすぐ忘れるらしい。

 本当だろうか?本当に、鶏は3歩進むと忘れるのか?そんなの、どうやって確認するんだろう。人間の言葉が通じないのに、鶏が忘れたかどうかなんて、どうやって証明を…。

 いやいや、今はそんなところに拘っている場合じゃない。彼女のことを、どうするか考えるんだよ、バカ。集中しろ、集中。Total Concentration!

 彼女とは、ようやく今日再会できた。毎日毎日、あの洋菓子店に通い詰めて、ようやく再会できた。だから、きっと今日の出会いは、“運命の出会い”に違いない。

 でも、また離れ離れになってしまった。まるで、『耳をすませば』に出てくる、バロンとルイーゼのように…。

 これは、試練なのか。神が僕に与えた、乗り越えるべき試練なのだろうか。

 それとも、運命の出会いでも何でもない、ただの独り善がりだったのだろうか。


 ふと、僕の目の前を何かが掠めた。

 僕は“ぴん”と背筋を伸ばして、そして、おもむろに手を差し伸べる。

 僕の掌の上に、桜の花びらがひとつ、静かに舞い降りた。

 そういえば、桜の開花宣言が発表されたと、TVのニュースで報道されているのを見たような気がする。スーツ姿のおっさん達が、桜の木の周りに集まって、熱心に桜の木の枝を見上げる姿は、僕の目には滑稽に映った。別にいいじゃないか、個人個人が“桜が開花したなぁ”って思えば、それが開花宣言だろう…と、ひねくれた見方をしてしまう。

 例年よりも、かなり遅い開花だったらしい。まぁ、今年の冬は特に寒さが厳しく、なかなか暖かくならなかったから、桜としても咲きようがなかったのだろう。人間だってそうじゃないか。もうコートはいらないのか、まだ片付けない方がいいのか。掛け布団や毛布はいらないのか、こたつはいつ片付けようかなどなど、毎年悩んでいるじゃないか。桜だって、きっと同じ思いなのだろう。“どっちかにしてくれよ、もう咲いていいぞって言われれば、いつでも咲くんだよ、俺たちは”と、心の底から叫んでいるに違いない。

 僕は、キョロキョロと辺りを見渡した。さて、この城址公園のどこに桜の木が植わっているのだろうか…。この城址公園は桜の名所のひとつになっているが、僕はまだここで花見をしたことはない。僕は、八幡山公園の方でいつも花見を楽しんでいる。だから、城址公園のどのあたりに桜の木があるのかが、見当がつかない。

 そうこう探していると、公園とは反対側の、大手門の方に桜の木が植えてあるのが見えた。春風に誘われて、ここまで花弁が旅をしてきたということだろう。随分と長い旅をしたもんだ。その終着地が、僕の掌の上だなんて。

 これから、桜の花はどんどん咲いていき、1~2週間後には見頃を迎えることだろう。

 日本人が好きな、あの淡いピンク色の花びらは、私たちに束の間の休息と癒しを与えてくれる。どうして桜が好きなのかと聞かれると困ってしまうのだが、“日本人という遺伝子に組み込まれているから”という無粋な答えしか出てこない。でもそれが案外、的を射ているのかもしれない。

 僕は、桜の花びらを外灯の明かりに透かして見た。淡いピンク色だった花びらが、該当による逆光で白く見える。そして、僕の手に影を落とした。

 「…彼女と、お花見したかったなぁ。」

 周りに誰もいないことをいいことに、僕は心の声を口にしてみた。

 彼女と何度か洋菓子店で話しをして、お互いに名前を覚えて、そして連絡先を交換する。

 最初は食事に行って、それから、買い物に行って、映画を見て、そして…。

 桜並木の下を一緒に歩きながら、僕の想いを告白する。満開の桜の隙間から、綺麗な満月が顔を覗かせている。

 そんなシナリオを、頭の中で思い描いていた。そうなったらいいなという、男のつまらない空想にすぎないのだが…。

 空想?

 いや、まだ空想と決まったわけじゃない。

 諦めなければ、いつかまた、彼女と会えるかもしれないじゃないか。

 今回だって、諦めなかったからこそ、再会できたんだ。清水にヤイヤイ言われても、諦めずに通い詰めて、そうして再開することが出来たんだ。

 今度だって…、今度だって、きっと…。

 彼女の名前も分からない。どこに住んでいるのかも、何をしているのかも分からない。

 でも、きっと、希望をもって信じ続けていれば、いつか形になることだってあるはずだ。

 そう考えると、何だか急に勇気が湧いてきた。きっと、おなかを空かせた子どもが、アンパンマンに顔のアンパンを少し分けてもらって空腹を満たしたときの感じって、こんな感じなんだろうと、何故か思った。心細さと、ひもじさから少しだけ解放された、この感覚にきっと似ているに違いない。


 僕は、勢いよくベンチから立ち上がった。

 「よしっ、やろう!」

 思いっきり拳を突き上げる。外灯の明かりに照らされて、僕の影が少しだけ大きくなる。

 くよくよしていても、何も始まらない。

 マイナスに考えていても、いいことなんて何もない。

 寒い冬を乗り越えて、ゆっくりと桜の花びらが咲いたように、僕の想いも、いつか成就する日が来るはずだ。うん、きっとそうに違いない。

 そう、前向きになろうと思った。


 辺りは、すっかり暗くなっている。

 ふと見上げると、そこには、星屑も見えない闇夜の空に、三日月だけが冷たく閃いていた。


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