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月が、綺麗ですね  作者: 明智龍之介
第1章 初花月~March~
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 清水との飲み会の次の日、僕は軽く頭痛のする頭を押さえつつ、懲りずにまた某有名洋菓子チェーン店の前に立っている。

 扉の横に佇んでいるマスコット人形が、何だか悲し気に僕を見つめているように錯覚する。

 “また来たんですか~?貴方も懲りないヒトですねぇ。”

 そう言っているように感じてしまう。

 「余計なお世話だ。」

 僕は、マスコット人形の頭を小突いた。マスコット人形が、舌を出しながら嬉しそうに首を振っている。その顔が、僕を小馬鹿にしている清水の顔と重なった。

 「世の人は、我を何とも言わば言え。」

 僕の口から、決意を込めた言葉が漏れる。坂本龍馬が手紙に書き記したといわれる言葉だ。

 龍馬は、周囲の人間から馬鹿にされることが多かった。泣き虫、弱虫、阿呆、下士、脱藩浪人、開国論者…。周囲からは何を考えているか分からない男だと思われていたに違いない。

しかし、龍馬は決してブレなかった。自分の信念を貫き通し、やがて、時代をひっくり返すことを成し遂げる。

 “周りが言うことなんか、気にするな”、そういう精神で、龍馬はひたすら前だけを向いて走り続けたのだろう。

 自分の人生は、自分だけのものだ。そして、1度きりしか味わえない。

 「我がなすことは、我のみぞ知る。」

 そう呟いて、僕は龍馬気分で颯爽と、洋菓子店の重い扉を開けた。


 「いらっしゃいませ~。」

 明るい声が店内に響いた。

 全身が静電気に包まれたかのように“ピリッ”と痺れ、僕は瞬時に、足を止めた。

 「いた!」

 思わず声が出てしまった。そして、慌てて口元を抑える。

 彼女だ。

 あの、運命の彼女が今、僕の目の前にいる。

 彼女は不思議そうに首を傾げながら僕の方を見つめていたが、やがて“ぽん”と手を打った。

 「あ、ガッキーのクリアファイルの。」

 え?僕、“ガッキーの人”みたいになってるの?別所哲也が“ハムの人”みたいな扱いされてる、あんな感じなのか。

 いやいや、そんなことはこの際どーでもいい。それってつまり、彼女が僕のことを覚えていてくれたってことじゃないか。

 「あ、そうです!お久しぶりです。覚えてます?」

 あまりの嬉しさに、若干声が震えた。しかし、彼女は気に留めた様子はない。

 「はい!えっと、今日もクリアファイルを?」

 「いやいやいやいや、クリアファイルは1枚あれば十分ですから。今日はその、ケーキを買いに。」

 さすがに、“君に会いに来たんだよ”とは言えない。気持ち悪すぎる。

 「ケーキ、お好きなんですか?」

 初対面の時から思っていたことだが、この娘、けっこうグイグイ聞いてくれるんだよな。誰に対しても臆しないタイプの子なんだろうか、それとも、僕だけに特別に…。

そんな甘い妄想を膨らませていたら、彼女への返答が遅れてしまった。不思議そうに見つめている彼女に、僕は慌てて返答をした。

 「あ、いや、その~、そうなんですよ。甘いものが好きで。あ、ほら、その、1週間に1回は、自分へのご褒美にケーキを買っちゃおうかな~なんて思って。」

 しどろもどろになりながらも、自分のケーキ好きをバッチリ彼女にアピール出来た。我ながらナイスな機転だ。こう言っておけば、僕が今日から1週間に1回ここのお店に通っても、変に思われない。かなり焦りながらも、こういう対応が出来た自分を自分で褒めたい。今日の僕はなかなか冴えている。

 「そうですか~。いいですね、自分へのご褒美。」

 何の疑いもない様子で、彼女は僕に微笑みかけてくれている。何度見ても、殺人級の笑顔だ。

 僕は気恥ずかしさから、彼女の顔を直視出来なくなって、ショーケースの中のケーキたちへと視線を移した。

 「何がいいかなぁ。」

 そう呟きながら、チラッと彼女の方に視線を送った。彼女は、にこにこしながら僕の方を見ていた。

 前回も、僕はどのケーキにすればいいのか迷った挙句、彼女の好みを聞いた。もしかしたら、彼女がそれを覚えていてくれているかもしれないと、淡い期待をした。

 「期間限定の、苺のミルクレープはいかがですか?」

 偶然なのか、僕のテレパシーが通じたのか、彼女がショーケースの中のひとつを指さして、オススメを教えてくれた。

 この展開!僕が期待していた通りの形じゃないか!こんなことって、あっていいのか?今、僕はものすごく幸せです。

 「イチゴのミルクレープ?」

 僕は、ニヤニヤ顔を何とか引っ込めて、彼女を見た。

 「はい。苺クリームとクレープ生地を何層も重ね合わせまして、真ん中の部分には生クリームと苺をふんだんに入れているんです。今の時期にしか食べられませんよ。」

 「へぇ~。あの、前の時も思ったんですけど、店員さん説明上手ですね。」

 僕のコメントが意外だったのか、彼女は大きな目をまん丸にして、何度か瞬きをした。

 「そ、そうですか?ありがとうございます!嬉しいです、お世辞でもそう言ってもらえると。」

 「お世辞じゃないですよ。前も感じたんですよね。何かこう、ケーキが好きだっていう気持ちが伝わってくるし、だから、ケーキの魅力とか美味しさとかも、すごく伝わってきますよ。」

 彼女が顔を赤らめながら、少し斜め下を見つめている。

 照れている姿…めちゃくちゃ可愛い。耳が赤くなっているところも、ものすごく可愛い。

 しかし、気恥ずかしさからなのか、彼女が急に喋らなくなってしまった。あれ?この展開はちょっと想定外だった。褒めすぎただろうか。

 「じゃ、これにしますね。」

 空気を変えるために、僕は彼女が進めてくれたケーキを買うと、彼女に伝えた。

 「ありがとうございます。」

 彼女は再び仕事モードに切り替わったようで、ニッコリを微笑んで、それからトングを手に取った。

 よかった、よかった。せっかく会えたのに、ここで変な空気になってしまったら、取り返しがつかない。

 「こちらの商品でお間違いないですか?」

 箱の中に入れたケーキを僕に見せてくれた彼女。今日も、箱の中に綺麗にケーキが入れられている。1個だけだけど。

 「はい。」

 僕は、元気よく返事をする。

 彼女は“にこっ”と温かく微笑んで、そして、お会計の準備を始めた。


 「あ、あの!」

 僕は意を決し、彼女に話しかけた。緊張のあまり、心臓がバクバクと鼓動を早める。

 彼女はレジを打つ手を止めて、僕の方へ“どんぐり”のように丸い目を向ける。

 「あの…どうして、先週はいらっしゃらなかったんですか、お店に。」

 どうして、僕がお店に通い詰めても会えなかったのか…その理由をどうしても聞きたかった。僕を避けていたとか、そういう話しであれば、僕はきっぱりと彼女に会いに来ることを諦めなければならない。そう思っていた。なぜなら、僕はストーカーではないから。

 「あ~、先週もいらっしゃってくださってたんですね。」

 特に不快そうでもなく、彼女は微笑みながら言った。“気持ち悪い”とか思われたら嫌だったので、僕は少しだけ安心した。

 「実は私、バイト辞めるんですよ、今日で。」

 「えっ!?」

 僕は思わず、大きな声を出さずにはいられなかった。

 今まで広がっていた抜けるような晴天の蒼空が、突然分厚い雨雲に覆われ、豪雨が僕の頭上に降り始めた。

 「…バイト、辞めちゃうんですか?」

 辛うじて僕の口から出せたのが、それだった。しかし、彼女はキラキラした笑顔で僕に話しかけてくる。

 「そうなんですよ。先週は、新しいバイト先の面接だったんです。それで、お休みしたんですよ~。」

 僕は、何と言っていいか分からず、そのまま無言で立っていた。“新しいバイト先が見つかって、よかったですね”なんて、とても言える状態じゃなかった。僕の頭は、真っ白だった。

もう、このお店に来ても彼女には会えない。

そのことだけが、僕の頭の中でエンドレス再生している。まるで、壊れたMDプレーヤーのように。

 「お会計、380円になります。」

 彼女の声で、ふと我に返った。そうだ、僕はケーキを買ったんだった。僕へのご褒美という名目で…。

 僕は打ちひしがれた気持ちのまま、ゆっくりと財布を開いた。

 「そうですか…。そうか…残念ですね、それは。」

 心の声が沸き上がって、自然と口から零れ出た。

 「そうですね~。せっかくお知り合いになれたんですけど。」

 彼女も眉を八の字に曲げて、悲しい表情をしてみせてくれる。

 僕は、静かに500円玉をトレイの上に載せた。その500円を、彼女の白い手が静かに掴んでいった。

 「500円お預かりいたしましたので、120円のお返しとレシートになります。」

 彼女が眩しい笑顔で、私に釣銭とレシートを手渡してくれた。

 僕は、彼女の顔を直視出来ずに、少し俯いたままでそれらを受け取った。

 「こちら、お品物になります。気をつけてお持ちください。」

 彼女が、手提げ袋を差し出してくれた。僕は、それを静かに受け取った。

 その時。僕の手と彼女の手が、微かに触れた。

 これで2回目の経験だった。そして、それは今日もほんの一瞬だった。しかし、今日の彼女の手は何故か冷たかった。なんとなく、そんな気がした。

 「ありがとうございました~。」

 そう言って、彼女は軽く手を振りながら、僕を見送ってくれた。


 このままでいいのだろうか。

 そんな感情が、ふと僕の脳裏を掠めた。

 彼女は、僕のことを笑顔で送り出してくれている。それなのに、僕はこんな姿のままでいいのか?不貞腐れたような、絶望感いっぱいの背中を、彼女に見せながら立ち去るのか。

 これで、彼女と会えるのは最期だ。最期くらい、笑顔で別れたいじゃないか。

 僕は気丈に顔を上げた。そして、軽く手を上げる。

 「新しいバイト、頑張ってください。」

 僕の言葉に、彼女は少し驚いたように薄く口を開き、何度も瞬きをした。

 「ありがとうございます!頑張ります!!」

 元気いっぱいな可愛い声が、店内と僕の心に響き渡った。

 僕は手を上げたまま、踵を返した。

 そして、ゆっくりとお店の扉を開けた。

 手に持ったケーキの箱が、不安定に揺れた。


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